向う横町へ来て見ると、聞いた通りの西洋館が角地面かどじめんを吾物顔わがものがおに占領している。この主人もこの西洋館のごとく傲慢ごうまんに構えているんだろうと、門を這入はいってその建築を眺ながめて見たがただ人を威圧しようと、二階作りが無意味に突っ立っているほかに何等の能もない構造であった。迷亭のいわゆる月並つきなみとはこれであろうか。玄関を右に見て、植込の中を通り抜けて、勝手口へ廻る。さすがに勝手は広い、苦沙弥先生の台所の十倍はたしかにある。せんだって日本新聞に詳しく書いてあった大隈伯おおくまはくの勝手にも劣るまいと思うくらい整然とぴかぴかしている。「模範勝手だな」と這入はいり込む。見ると漆喰しっくいで叩き上げた二坪ほどの土間に、例の車屋の神かみさんが立ちながら、御飯焚ごはんたきと車夫を相手にしきりに何か弁じている。こいつは剣呑けんのんだと水桶みずおけの裏へかくれる。「あの教師あ、うちの旦那の名を知らないのかね」と飯焚めしたきが云う。「知らねえ事があるもんか、この界隈かいわいで金田さんの御屋敷を知らなけりゃ眼も耳もねえ片輪かたわだあな」これは抱え車夫の声である。「なんとも云えないよ。あの教師と来たら、本よりほかに何にも知らない変人なんだからねえ。旦那の事を少しでも知ってりゃ恐れるかも知れないが、駄目だよ、自分の小供の歳としさえ知らないんだもの」と神さんが云う。「金田さんでも恐れねえかな、厄介な唐変木とうへんぼくだ。構かまあ事こたあねえ、みんなで威嚇おどかしてやろうじゃねえか」「それが好いよ。奥様の鼻が大き過ぎるの、顔が気に喰わないのって――そりゃあ酷ひどい事を云うんだよ。自分の面つらあ今戸焼いまどやきの狸たぬき見たような癖に――あれで一人前いちにんまえだと思っているんだからやれ切れないじゃないか」「顔ばかりじゃない、手拭てぬぐいを提さげて湯に行くところからして、いやに高慢ちきじゃないか。自分くらいえらい者は無いつもりでいるんだよ」と苦沙弥先生は飯焚にも大おおいに不人望である。「何でも大勢であいつの垣根の傍そばへ行って悪口をさんざんいってやるんだね」「そうしたらきっと恐れ入るよ」「しかしこっちの姿を見せちゃあ面白くねえから、声だけ聞かして、勉強の邪魔をした上に、出来るだけじらしてやれって、さっき奥様が言い付けておいでなすったぜ」「そりゃ分っているよ」と神さんは悪口の三分の一を引き受けると云う意味を示す。なるほどこの手合が苦沙弥先生を冷やかしに来るなと三人の横を、そっと通り抜けて奥へ這入る。
(略)
逆上の説明はこのくらいで充分だろうと思うから、これよりいよいよ事件に取りかかる。しかしすべての大事件の前には必ず小事件が起るものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥おちいる弊竇へいとうである。主人の逆上も小事件に逢う度に一層の劇甚げきじんを加えて、ついに大事件を引き起したのであるからして、幾分かその発達を順序立てて述べないと主人がいかに逆上しているか分りにくい。分りにくいと主人の逆上は空名に帰して、世間からはよもやそれほどでもなかろうと見くびられるかも知れない。せっかく逆上しても人から天晴あっぱれな逆上と謡うたわれなくては張り合がないだろう。これから述べる事件は大小に係かかわらず主人に取って名誉な者ではない。事件その物が不名誉であるならば、責せめて逆上なりとも、正銘しょうめいの逆上であって、決して人に劣るものでないと云う事を明かにしておきたい。主人は他に対して別にこれと云って誇るに足る性質を有しておらん。逆上でも自慢しなくてはほかに骨を折って書き立ててやる種がない。
落雲館に群がる敵軍は近日に至って一種のダムダム弾を発明して、十分じっぷんの休暇、もしくは放課後に至って熾さかんに北側の空地あきちに向って砲火を浴びせかける。このダムダム弾は通称をボールと称となえて、擂粉木すりこぎの大きな奴をもって任意これを敵中に発射する仕掛である。いくらダムダムだって落雲館の運動場から発射するのだから、書斎に立て籠こもってる主人に中あたる気遣きづかいはない。敵といえども弾道のあまり遠過ぎるのを自覚せん事はないのだけれど、そこが軍略である。旅順の戦争にも海軍から間接射撃を行って偉大な功を奏したと云う話であれば、空地へころがり落つるボールといえども相当の功果を収め得ぬ事はない。いわんや一発を送る度たびに総軍力を合せてわーと威嚇性いかくせい大音声だいおんじょうを出いだすにおいてをやである。主人は恐縮の結果として手足に通う血管が収縮せざるを得ない。煩悶はんもんの極きょくそこいらを迷付まごついている血が逆さかさに上のぼるはずである。敵の計はかりごとはなかなか巧妙と云うてよろしい。昔むかし希臘ギリシャにイスキラスと云う作家があったそうだ。この男は学者作家に共通なる頭を有していたと云う。吾輩のいわゆる学者作家に共通なる頭とは禿はげと云う意味である。なぜ頭が禿げるかと云えば頭の営養不足で毛が生長するほど活気がないからに相違ない。学者作家はもっとも多く頭を使うものであって大概は貧乏に極きまっている。だから学者作家の頭はみんな営養不足でみんな禿げている。さてイスキラスも作家であるから自然の勢いきおい禿げなくてはならん。彼はつるつる然たる金柑頭きんかんあたまを有しておった。ところがある日の事、先生例の頭――頭に外行よそゆきも普段着ふだんぎもないから例の頭に極ってるが――その例の頭を振り立て振り立て、太陽に照らしつけて往来をあるいていた。これが間違いのもとである。禿げ頭を日にあてて遠方から見ると、大変よく光るものだ。高い木には風があたる、光かる頭にも何かあたらなくてはならん。この時イスキラスの頭の上に一羽の鷲わしが舞っていたが、見るとどこかで生捕いけどった一疋ぴきの亀を爪の先に攫つかんだままである。亀、スッポンなどは美味に相違ないが、希臘時代から堅い甲羅こうらをつけている。いくら美味でも甲羅つきではどうする事も出来ん。海老えびの鬼殻焼おにがらやきはあるが亀の子の甲羅煮は今でさえないくらいだから、当時は無論なかったに極っている。さすがの鷲わしも少々持て余した折柄おりから、遥はるかの下界にぴかと光った者がある。その時鷲はしめたと思った。あの光ったものの上へ亀の子を落したなら、甲羅は正まさしく砕けるに極きわまった。砕けたあとから舞い下りて中味なかみを頂戴ちょうだいすれば訳はない。そうだそうだと覗ねらいを定めて、かの亀の子を高い所から挨拶も無く頭の上へ落した。生憎あいにく作家の頭の方が亀の甲より軟らかであったものだから、禿はめちゃめちゃに砕けて有名なるイスキラスはここに無惨むざんの最後を遂げた。それはそうと、解げしかねるのは鷲の了見である。例の頭を、作家の頭と知って落したのか、または禿岩と間違えて落したものか、解決しよう次第で、落雲館の敵とこの鷲とを比較する事も出来るし、また出来なくもなる。主人の頭はイスキラスのそれのごとく、また御歴々おれきれきの学者のごとくぴかぴか光ってはおらん。しかし六畳敷にせよいやしくも書斎と号する一室を控ひかえて、居眠りをしながらも、むずかしい書物の上へ顔を翳かざす以上は、学者作家の同類と見傚みなさなければならん。そうすると主人の頭の禿げておらんのは、まだ禿げるべき資格がないからで、その内に禿げるだろうとは近々きんきんこの頭の上に落ちかかるべき運命であろう。して見れば落雲館の生徒がこの頭を目懸けて例のダムダム丸がんを集注するのは策のもっとも時宜じぎに適したものと云わねばならん。もし敵がこの行動を二週間継続するならば、主人の頭は畏怖いふと煩悶はんもんのため必ず営養の不足を訴えて、金柑きんかんとも薬缶やかんとも銅壺どうことも変化するだろう。なお二週間の砲撃を食くらえば金柑は潰つぶれるに相違ない。薬缶は洩もるに相違ない。銅壺ならひびが入るにきまっている。この睹易みやすき結果を予想せんで、あくまでも敵と戦闘を継続しようと苦心するのは、ただ本人たる苦沙弥先生のみである。
ある日の午後、吾輩は例のごとく椽側えんがわへ出て午睡ひるねをして虎になった夢を見ていた。主人に鶏肉けいにくを持って来いと云うと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る。迷亭が来たから、迷亭に雁がんが食いたい、雁鍋がんなべへ行って誂あつらえて来いと云うと、蕪かぶの香こうの物ものと、塩煎餅しおせんべいといっしょに召し上がりますと雁の味が致しますと例のごとく茶羅ちゃらッ鉾ぽこを云うから、大きな口をあいて、うーと唸うなって嚇おどかしてやったら、迷亭は蒼あおくなって山下やましたの雁鍋は廃業致しましたがいかが取り計はからいましょうかと云った。それなら牛肉で勘弁するから早く西川へ行ってロースを一斤取って来い、早くせんと貴様から食い殺すぞと云ったら、迷亭は尻を端折はしょって馳かけ出した。吾輩は急にからだが大きくなったので、椽側一杯に寝そべって、迷亭の帰るのを待ち受けていると、たちまち家中うちじゅうに響く大きな声がしてせっかくの牛ぎゅうも食わぬ間まに夢がさめて吾に帰った。すると今まで恐る恐る吾輩の前に平伏していたと思いのほかの主人が、いきなり後架こうかから飛び出して来て、吾輩の横腹をいやと云うほど蹴けたから、おやと思ううち、たちまち庭下駄をつっかけて木戸から廻って、落雲館の方へかけて行く。吾輩は虎から急に猫と収縮したのだから何となく極きまりが悪くもあり、おかしくもあったが、主人のこの権幕と横腹を蹴られた痛さとで、虎の事はすぐ忘れてしまった。同時に主人がいよいよ出馬して敵と交戦するな面白いわいと、痛いのを我慢して、後あとを慕って裏口へ出た。同時に主人がぬすっとうと怒鳴る声が聞える、見ると制帽をつけた十八九になる倔強くっきょうな奴が一人、四ツ目垣を向うへ乗り越えつつある。やあ遅かったと思ううち、彼かの制帽は馳け足の姿勢をとって根拠地の方へ韋駄天いだてんのごとく逃げて行く。主人はぬすっとうが大おおいに成功したので、またもぬすっとうと高く叫びながら追いかけて行く。しかしかの敵に追いつくためには主人の方で垣を越さなければならん。深入りをすれば主人自みずからが泥棒になるはずである。前ぜん申す通り主人は立派なる逆上家である。こう勢いきおいに乗じてぬすっとうを追い懸ける以上は、夫子ふうし自身がぬすっとうに成っても追い懸けるつもりと見えて、引き返す気色けしきもなく垣の根元まで進んだ。今一歩で彼はぬすっとうの領分に入はいらなければならんと云う間際まぎわに、敵軍の中から、薄い髯ひげを勢なく生はやした将官がのこのこと出馬して来た。両人ふたりは垣を境に何か談判している。聞いて見るとこんなつまらない議論である。
「あれは本校の生徒です」
「生徒たるべきものが、何で他ひとの邸内へ侵入するのですか」
「いやボールがつい飛んだものですから」
「なぜ断って、取りに来ないのですか」
「これから善よく注意します」
「そんなら、よろしい」
竜騰虎闘りゅうとうことうの壮観があるだろうと予期した交渉はかくのごとく散文的なる談判をもって無事に迅速に結了した。主人の壮さかんなるはただ意気込みだけである。いざとなると、いつでもこれでおしまいだ。あたかも吾輩が虎の夢から急に猫に返ったような観がある。吾輩の小事件と云うのは即すなわちこれである。小事件を記述したあとには、順序として是非大事件を話さなければならん。
(略)
吾輩はベースボールの何物たるを解せぬ文盲漢もんもうかんである。しかし聞くところによればこれは米国から輸入された遊戯で、今日こんにち中学程度以上の学校に行わるる運動のうちでもっとも流行するものだそうだ。米国は突飛とっぴな事ばかり考え出す国柄であるから、砲隊と間違えてもしかるべき、近所迷惑の遊戯を日本人に教うべくだけそれだけ親切であったかも知れない。また米国人はこれをもって真に一種の運動遊戯と心得ているのだろう。しかし純粋の遊戯でもかように四隣を驚かすに足る能力を有している以上は使いようで砲撃の用には充分立つ。吾輩の眼をもって観察したところでは、彼等はこの運動術を利用して砲火の功を収めんと企てつつあるとしか思われない。物は云いようでどうでもなるものだ。慈善の名を借りて詐偽さぎを働らき、インスピレーションと号して逆上をうれしがる者がある以上はベースボールなる遊戯の下もとに戦争をなさんとも限らない。或る人の説明は世間一般のベースボールの事であろう。今吾輩が記述するベースボールはこの特別の場合に限らるるベースボール即すなわち攻城的砲術である。これからダムダム弾を発射する方法を紹介する。直線に布しかれたる砲列の中の一人が、ダムダム弾を右の手に握って擂粉木の所有者に抛ほうりつける。ダムダム弾は何で製造したか局外者には分らない。堅い丸い石の団子のようなものを御鄭寧ごていねいに皮でくるんで縫い合せたものである。前ぜん申す通りこの弾丸が砲手の一人の手中を離れて、風を切って飛んで行くと、向うに立った一人が例の擂粉木をやっと振り上げて、これを敲たたき返す。たまには敲き損そこなった弾丸が流れてしまう事もあるが、大概はポカンと大きな音を立てて弾はね返る。その勢は非常に猛烈なものである。神経性胃弱なる主人の頭を潰つぶすくらいは容易に出来る。砲手はこれだけで事足るのだが、その周囲附近には弥次馬やじうま兼援兵が雲霞うんかのごとく付き添うている。ポカーンと擂粉木が団子に中あたるや否やわー、ぱちぱちぱちと、わめく、手を拍うつ、やれやれと云う。中あたったろうと云う。これでも利きかねえかと云う。恐れ入らねえかと云う。降参かと云う。これだけならまだしもであるが、敲たたき返された弾丸は三度に一度必ず臥竜窟邸内へころがり込む。これがころがり込まなければ攻撃の目的は達せられんのである。ダムダム弾は近来諸所で製造するが随分高価なものであるから、いかに戦争でもそう充分な供給を仰ぐ訳に行かん。大抵一隊の砲手に一つもしくは二つの割である。ポンと鳴る度にこの貴重な弾丸を消費する訳には行かん。そこで彼等はたま拾ひろいと称する一部隊を設けて落弾おちだまを拾ってくる。落ち場所がよければ拾うのに骨も折れないが、草原とか人の邸内へ飛び込むとそう容易たやすくは戻って来ない。だから平生ならなるべく労力を避けるため、拾い易やすい所へ打ち落すはずであるが、この際は反対に出る。目的が遊戯にあるのではない、戦争に存するのだから、わざとダムダム弾を主人の邸内に降らせる。邸内に降らせる以上は、邸内へ這入はいって拾わなければならん。邸内に這入るもっとも簡便な方法は四つ目垣を越えるにある。四つ目垣のうちで騒動すれば主人が怒おこり出さなければならん。しからずんば兜かぶとを脱いで降参しなければならん。苦心のあまり頭がだんだん禿げて来なければならん。
今しも敵軍から打ち出した一弾は、照準しょうじゅん誤あやまたず、四つ目垣を通り越して桐きりの下葉を振い落して、第二の城壁即すなわち竹垣に命中した。随分大きな音である。ニュートンの運動律第一に曰いわくもし他の力を加うるにあらざれば、一度ひとたび動き出したる物体は均一の速度をもって直線に動くものとす。もしこの律のみによって物体の運動が支配せらるるならば主人の頭はこの時にイスキラスと運命を同じくしたであろう。幸さいわいにしてニュートンは第一則を定むると同時に第二則も製造してくれたので主人の頭は危うきうちに一命を取りとめた。運動の第二則に曰く運動の変化は、加えられたる力に比例す、しかしてその力の働く直線の方向において起るものとす。これは何の事だか少しくわかり兼ねるが、かのダムダム弾が竹垣を突き通して、障子しょうじを裂き破って主人の頭を破壊しなかったところをもって見ると、ニュートンの御蔭おかげに相違ない。しばらくすると案のごとく敵は邸内に乗り込んで来たものと覚しく、「ここか」「もっと左の方か」などと棒でもって笹ささの葉を敲き廻わる音がする。すべて敵が主人の邸内へ乗り込んでダムダム弾を拾う場合には必ず特別な大きな声を出す。こっそり這入って、こっそり拾っては肝心かんじんの目的が達せられん。ダムダム弾は貴重かも知れないが、主人にからかうのはダムダム弾以上に大事である。この時のごときは遠くから弾の所在地は判然している。竹垣に中あたった音も知っている。中った場所も分っている、しかしてその落ちた地面も心得ている。だからおとなしくして拾えば、いくらでもおとなしく拾える。ライプニッツの定義によると空間は出来得べき同在現象の秩序である。いろはにほへとはいつでも同じ順にあらわれてくる。柳の下には必ず鰌どじょうがいる。蝙蝠こうもりに夕月はつきものである。垣根にボールは不似合かも知れぬ。しかし毎日毎日ボールを人の邸内に抛ほうり込む者の眼に映ずる空間はたしかにこの排列に慣なれている。一眼ひとめ見ればすぐ分る訳だ。それをかくのごとく騒ぎ立てるのは必竟ひっきょうずるに主人に戦争を挑いどむ策略である。
こうなってはいかに消極的なる主人といえども応戦しなければならん。さっき座敷のうちから倫理の講義をきいてにやにやしていた主人は奮然として立ち上がった。猛然として馳かけ出した。驀然ばくぜんとして敵の一人を生捕いけどった。主人にしては大出来である。大出来には相違ないが、見ると十四五の小供である。髯ひげの生はえている主人の敵として少し不似合だ。けれども主人はこれで沢山だと思ったのだろう。詫わび入るのを無理に引っ張って椽側えんがわの前まで連れて来た。ここにちょっと敵の策略について一言いちげんする必要がある、敵は主人が昨日きのうの権幕けんまくを見てこの様子では今日も必ず自身で出馬するに相違ないと察した。その時万一逃げ損じて大僧おおぞうがつらまっては事面倒になる。ここは一年生か二年生くらいな小供を玉拾いにやって危険を避けるに越した事はない。よし主人が小供をつらまえて愚図愚図ぐずぐず理窟りくつを捏こね廻したって、落雲館の名誉には関係しない、こんなものを大人気おとなげもなく相手にする主人の恥辱ちじょくになるばかりだ。敵の考はこうであった。これが普通の人間の考で至極しごくもっともなところである。ただ敵は相手が普通の人間でないと云う事を勘定のうちに入れるのを忘れたばかりである。主人にこれくらいの常識があれば昨日だって飛び出しはしない。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣るし上げて、常識のあるものに、非常識を与える者である。女だの、小供だの、車引きだの、馬子だのと、そんな見境みさかいのあるうちは、まだ逆上を以て人に誇るに足らん。主人のごとく相手にならぬ中学一年生を生捕いけどって戦争の人質とするほどの了見でなくては逆上家の仲間入りは出来ないのである。可哀かわいそうなのは捕虜である。単に上級生の命令によって玉拾いなる雑兵ぞうひょうの役を勤めたるところ、運わるく非常識の敵将、逆上の天才に追い詰められて、垣越える間まもあらばこそ、庭前に引き据すえられた。こうなると敵軍は安閑と味方の恥辱を見ている訳に行かない。我も我もと四つ目垣を乗りこして木戸口から庭中に乱れ入る。その数は約一ダースばかり、ずらりと主人の前に並んだ。大抵は上衣うわぎもちょっ着きもつけておらん。白シャツの腕をまくって、腕組をしたのがある。綿めんネルの洗いざらしを申し訳に背中だけへ乗せているのがある。そうかと思うと白の帆木綿ほもめんに黒い縁ふちをとって胸の真中に花文字を、同じ色に縫いつけた洒落者しゃれものもある。いずれも一騎当千の猛将と見えて、丹波たんばの国は笹山から昨夜着し立てでござると云わぬばかりに、黒く逞たくましく筋肉が発達している。中学などへ入れて学問をさせるのは惜しいものだ。漁師りょうしか船頭にしたら定めし国家のためになるだろうと思われるくらいである。彼等は申し合せたごとく、素足に股引ももひきを高くまくって、近火の手伝にでも行きそうな風体ふうていに見える。彼等は主人の前にならんだぎり黙然もくねんとして一言いちごんも発しない。主人も口を開ひらかない。しばらくの間双方共睨にらめくらをしているなかにちょっと殺気がある。
「貴様等はぬすっとうか」と主人は尋問した。大気※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)だいきえんである。奥歯で囓かみ潰つぶした癇癪玉かんしゃくだまが炎となって鼻の穴から抜けるので、小鼻が、いちじるしく怒いかって見える。越後獅子えちごじしの鼻は人間が怒おこった時の恰好かっこうを形かたどって作ったものであろう。それでなくてはあんなに恐しく出来るものではない。
「いえ泥棒ではありません。落雲館の生徒です」
「うそをつけ。落雲館の生徒が無断で人の庭宅に侵入する奴があるか」
「しかしこの通りちゃんと学校の徽章きしょうのついている帽子を被かぶっています」
「にせものだろう。落雲館の生徒ならなぜむやみに侵入した」
「ボールが飛び込んだものですから」
「なぜボールを飛び込ました」
「つい飛び込んだんです」
「怪けしからん奴だ」
「以後注意しますから、今度だけ許して下さい」
「どこの何者かわからん奴が垣を越えて邸内に闖入ちんにゅうするのを、そう容易たやすく許されると思うか」
「それでも落雲館の生徒に違ないんですから」
「落雲館の生徒なら何年生だ」
「三年生です」
「きっとそうか」
「ええ」
主人は奥の方を顧かえりみながら、おいこらこらと云う。
埼玉生れの御三おさんが襖ふすまをあけて、へえと顔を出す。
「落雲館へ行って誰か連れてこい」
「誰を連れて参ります」
「誰でもいいから連れてこい」
下女は「へえ」と答えたが、あまり庭前の光景が妙なのと、使の趣おもむきが判然しないのと、さっきからの事件の発展が馬鹿馬鹿しいので、立ちもせず、坐りもせずにやにや笑っている。主人はこれでも大戦争をしているつもりである。逆上的敏腕を大おおいに振ふるっているつもりである。しかるところ自分の召し使たる当然こっちの肩を持つべきものが、真面目な態度をもって事に臨まんのみか、用を言いつけるのを聞きながらにやにや笑っている。ますます逆上せざるを得ない。
「誰でも構わんから呼んで来いと云うのに、わからんか。校長でも幹事でも教頭でも……」
「あの校長さんを……」下女は校長と云う言葉だけしか知らないのである。
「校長でも、幹事でも教頭でもと云っているのにわからんか」
「誰もおりませんでしたら小使でもよろしゅうございますか」
「馬鹿を云え。小使などに何が分かるものか」
ここに至って下女もやむを得んと心得たものか、「へえ」と云って出て行った。使の主意はやはり飲み込めんのである。小使でも引張って来はせんかと心配していると、あに計らんや例の倫理の先生が表門から乗り込んで来た。平然と座に就つくを待ち受けた主人は直ちに談判にとりかかる。
「ただ今邸内にこの者共が乱入致して……」と忠臣蔵のような古風な言葉を使ったが「本当に御校おんこうの生徒でしょうか」と少々皮肉に語尾を切った。
倫理の先生は別段驚いた様子もなく、平気で庭前にならんでいる勇士を一通り見廻わした上、もとのごとく瞳ひとみを主人の方にかえして、下しものごとく答えた。
「さようみんな学校の生徒であります。こんな事のないように始終訓戒を加えておきますが……どうも困ったもので……なぜ君等は垣などを乗り越すのか」
さすがに生徒は生徒である、倫理の先生に向っては一言いちごんもないと見えて何とも云うものはない。おとなしく庭の隅にかたまって羊の群むれが雪に逢ったように控ひかえている。
「丸たまが這入はいるのも仕方がないでしょう。こうして学校の隣りに住んでいる以上は、時々はボールも飛んで来ましょう。しかし……あまり乱暴ですからな。仮令たとい垣を乗り越えるにしても知れないように、そっと拾って行くなら、まだ勘弁のしようもありますが……」
「ごもっともで、よく注意は致しますが何分多人数たにんずの事で……よくこれから注意をせんといかんぜ。もしボールが飛んだら表から廻って、御断りをして取らなければいかん。いいか。――広い学校の事ですからどうも世話ばかりやけて仕方がないです。で運動は教育上必要なものでありますから、どうもこれを禁ずる訳には参りかねるので。これを許すとつい御迷惑になるような事が出来ますが、これは是非御容赦を願いたいと思います。その代り向後こうごはきっと表門から廻って御断りを致した上で取らせますから」
「いや、そう事が分かればよろしいです。球たまはいくら御投げになっても差支さしつかえはないです。表からきてちょっと断わって下されば構いません。ではこの生徒はあなたに御引き渡し申しますからお連れ帰りを願います。いやわざわざ御呼び立て申して恐縮です」と主人は例によって例のごとく竜頭蛇尾りゅうとうだびの挨拶をする。倫理の先生は丹波の笹山を連れて表門から落雲館へ引き上げる。吾輩のいわゆる大事件はこれで一とまず落着を告げた。何のそれが大事件かと笑うなら、笑うがいい。そんな人には大事件でないまでだ。吾輩は主人の大事件を写したので、そんな人の大事件を記しるしたのではない。尻が切れて強弩きょうどの末勢ばっせいだなどと悪口するものがあるなら、これが主人の特色である事を記憶して貰いたい。主人が滑稽文の材料になるのもまたこの特色に存する事を記憶して貰いたい。十四五の小供を相手にするのは馬鹿だと云うなら吾輩も馬鹿に相違ないと同意する。だから大町桂月は主人をつらまえて未いまだ稚気ちきを免がれずと云うている。
(略)
鈴木君はあいかわらず調子のいい男である。今日は金田の事などはおくびにも出さない、しきりに当り障さわりのない世間話を面白そうにしている。
「君少し顔色が悪いようだぜ、どうかしやせんか」
「別にどこも何ともないさ」
「でも蒼あおいぜ、用心せんといかんよ。時候がわるいからね。よるは安眠が出来るかね」
「うん」
「何か心配でもありゃしないか、僕に出来る事なら何でもするぜ。遠慮なく云い給え」
「心配って、何を?」
「いえ、なければいいが、もしあればと云う事さ。心配が一番毒だからな。世の中は笑って面白く暮すのが得だよ。どうも君はあまり陰気過ぎるようだ」
「笑うのも毒だからな。無暗に笑うと死ぬ事があるぜ」
「冗談じょうだん云っちゃいけない。笑う門かどには福来きたるさ」
「昔むかし希臘ギリシャにクリシッパスと云う哲学者があったが、君は知るまい」
「知らない。それがどうしたのさ」
「その男が笑い過ぎて死んだんだ」
「へえー、そいつは不思議だね、しかしそりゃ昔の事だから……」
「昔しだって今だって変りがあるものか。驢馬ろばが銀の丼どんぶりから無花果いちじゅくを食うのを見て、おかしくってたまらなくって無暗むやみに笑ったんだ。ところがどうしても笑いがとまらない。とうとう笑い死にに死んだんだあね」
「はははしかしそんなに留とめ度どもなく笑わなくってもいいさ。少し笑う――適宜てきぎに、――そうするといい心持ちだ」
鈴木君がしきりに主人の動静を研究していると、表の門ががらがらとあく、客来きゃくらいかと思うとそうでない。
「ちょっとボールが這入はいりましたから、取らして下さい」
下女は台所から「はい」と答える。書生は裏手へ廻る。鈴木は妙な顔をして何だいと聞く。
「裏の書生がボールを庭へ投げ込んだんだ」
「裏の書生? 裏に書生がいるのかい」
「落雲館と云う学校さ」
「ああそうか、学校か。随分騒々しいだろうね」
「騒々しいの何のって。碌々ろくろく勉強も出来やしない。僕が文部大臣なら早速閉鎖を命じてやる」
「ハハハ大分だいぶ怒おこったね。何か癪しゃくに障さわる事でも有るのかい」
「あるのないのって、朝から晩まで癪に障り続けだ」
「そんなに癪に障るなら越せばいいじゃないか」
「誰が越すもんか、失敬千万な」
「僕に怒ったって仕方がない。なあに小供だあね、打うっちゃっておけばいいさ」
「君はよかろうが僕はよくない。昨日きのうは教師を呼びつけて談判してやった」
「それは面白かったね。恐れ入ったろう」
「うん」
この時また門口かどぐちをあけて「ちょっとボールが這入はいりましたから取らして下さい」と云う声がする。
「いや大分だいぶ来るじゃないか、またボールだぜ君」
「うん、表から来るように契約したんだ」
「なるほどそれであんなにくるんだね。そうーか、分った」
「何が分ったんだい」
「なに、ボールを取りにくる源因がさ」
「今日はこれで十六返目だ」
「君うるさくないか。来ないようにしたらいいじゃないか」
「来ないようにするったって、来るから仕方がないさ」
「仕方がないと云えばそれまでだが、そう頑固がんこにしていないでもよかろう。人間は角かどがあると世の中を転ころがって行くのが骨が折れて損だよ。丸いものはごろごろどこへでも苦くなしに行けるが四角なものはころがるに骨が折れるばかりじゃない、転がるたびに角がすれて痛いものだ。どうせ自分一人の世の中じゃなし、そう自分の思うように人はならないさ。まあ何だね。どうしても金のあるものに、たてを突いちゃ損だね。ただ神経ばかり痛めて、からだは悪くなる、人は褒ほめてくれず。向うは平気なものさ。坐って人を使いさえすればすむんだから。多勢たぜいに無勢ぶぜいどうせ、叶かなわないのは知れているさ。頑固もいいが、立て通すつもりでいるうちに、自分の勉強に障ったり、毎日の業務に煩はんを及ぼしたり、とどのつまりが骨折り損の草臥儲くたびれもうけだからね」
「ご免なさい。今ちょっとボールが飛びましたから、裏口へ廻って、取ってもいいですか」
「そらまた来たぜ」と鈴木君は笑っている。
「失敬な」と主人は真赤まっかになっている。
鈴木君はもう大概訪問の意を果したと思ったから、それじゃ失敬ちと来きたまえと帰って行く。
(略)
「雪江さん何の御話し、わたし御話しが大好き」と云ったのはとん子で「やっぱりかちかち山の御話し?」と聞いたのはすん子である。「坊ばも御はなち」と云い出した三女は姉と姉の間から膝を前の方に出す。ただしこれは御話を承うけたまわると云うのではない、坊ばもまた御話を仕つかまつると云う意味である。「あら、また坊ばちゃんの話だ」と姉さんが笑うと、妻君は「坊ばはあとでなさい。雪江さんの御話がすんでから」と賺すかして見る。坊ばはなかなか聞きそうにない。「いやーよ、ばぶ」と大きな声を出す。「おお、よしよし坊ばちゃんからなさい。何と云うの?」と雪江さんは謙遜けんそんした。
「あのね。坊たん、坊たん、どこ行くのって」
「面白いのね。それから?」
「わたちは田圃たんぼへ稲刈いに」
「そう、よく知ってる事」
「御前がくうと邪魔だまになる」
「あら、くうとじゃないわ、くるとだわね」ととん子が口を出す。坊ばは相変らず「ばぶ」と一喝いっかつして直ちに姉を辟易へきえきさせる。しかし中途で口を出されたものだから、続きを忘れてしまって、あとが出て来ない。「坊ばちゃん、それぎりなの?」と雪江さんが聞く。
「あのね。あとでおならは御免ごめんだよ。ぷう、ぷうぷうって」
「ホホホホ、いやだ事、誰にそんな事を、教わったの?」
「御三おたんに」
「わるい御三おさんね、そんな事を教えて」と妻君は苦笑をしていたが「さあ今度は雪江さんの番だ。坊やはおとなしく聞いているのですよ」と云うと、さすがの暴君も納得なっとくしたと見えて、それぎり当分の間は沈黙した。
「八木先生の演説はこんなのよ」と雪江さんがとうとう口を切った。「昔ある辻つじの真中に大きな石地蔵があったんですってね。ところがそこがあいにく馬や車が通る大変賑にぎやかな場所だもんだから邪魔になって仕様がないんでね、町内のものが大勢寄って、相談をして、どうしてこの石地蔵を隅の方へ片づけたらよかろうって考えたんですって」
「そりゃ本当にあった話なの?」
「どうですか、そんな事は何ともおっしゃらなくってよ。――でみんながいろいろ相談をしたら、その町内で一番強い男が、そりゃ訳はありません、わたしがきっと片づけて見せますって、一人でその辻へ行って、両肌もろはだを抜いで汗を流して引っ張ったけれども、どうしても動かないんですって」
「よっぽど重い石地蔵なのね」
「ええ、それでその男が疲れてしまって、うちへ帰って寝てしまったから、町内のものはまた相談をしたんですね。すると今度は町内で一番利口な男が、私わたしに任せて御覧なさい、一番やって見ますからって、重箱のなかへ牡丹餅ぼたもちを一杯入れて、地蔵の前へ来て、『ここまでおいで』と云いながら牡丹餅を見せびらかしたんだって、地蔵だって食意地くいいじが張ってるから牡丹餅で釣れるだろうと思ったら、少しも動かないんだって。利口な男はこれではいけないと思ってね。今度は瓢箪ひょうたんへお酒を入れて、その瓢箪を片手へぶら下げて、片手へ猪口ちょこを持ってまた地蔵さんの前へ来て、さあ飲みたくはないかね、飲みたければここまでおいでと三時間ばかり、からかって見たがやはり動かないんですって」
「雪江さん、地蔵様は御腹おなかが減へらないの」ととん子がきくと「牡丹餅が食べたいな」とすん子が云った。
「利口な人は二度共しくじったから、その次には贋札にせさつを沢山こしらえて、さあ欲しいだろう、欲しければ取りにおいでと札を出したり引っ込ましたりしたがこれもまるで益やくに立たないんですって。よっぽど頑固がんこな地蔵様なのよ」
「そうね。すこし叔父さんに似ているわ」
「ええまるで叔父さんよ、しまいに利口な人も愛想あいそをつかしてやめてしまったんですとさ。それでそのあとからね、大きな法螺ほらを吹く人が出て、私わたしならきっと片づけて見せますからご安心なさいとさも容易たやすい事のように受合ったそうです」
「その法螺を吹く人は何をしたんです」
「それが面白いのよ。最初にはね巡査の服をきて、付つけ髯ひげをして、地蔵様の前へきて、こらこら、動かんとその方のためにならんぞ、警察で棄てておかんぞと威張って見せたんですとさ。今の世に警察の仮声こわいろなんか使ったって誰も聞きゃしないわね」
「本当ね、それで地蔵様は動いたの?」
「動くもんですか、叔父さんですもの」
「でも叔父さんは警察には大変恐れ入っているのよ」
「あらそう、あんな顔をして? それじゃ、そんなに怖こわい事はないわね。けれども地蔵様は動かないんですって、平気でいるんですとさ。それで法螺吹は大変怒おこって、巡査の服を脱いで、付け髯を紙屑籠かみくずかごへ抛ほうり込んで、今度は大金持ちの服装なりをして出て来たそうです。今の世で云うと岩崎男爵のような顔をするんですとさ。おかしいわね」
「岩崎のような顔ってどんな顔なの?」
「ただ大きな顔をするんでしょう。そうして何もしないで、また何も云わないで地蔵の周まわりを、大きな巻煙草まきたばこをふかしながら歩行あるいているんですとさ」
「それが何になるの?」
「地蔵様を煙けむに捲まくんです」
「まるで噺はなし家かの洒落しゃれのようね。首尾よく煙けむに捲まいたの?」
「駄目ですわ、相手が石ですもの。ごまかしもたいていにすればいいのに、今度は殿下さまに化けて来たんだって。馬鹿ね」
「へえ、その時分にも殿下さまがあるの?」
「有るんでしょう。八木先生はそうおっしゃってよ。たしかに殿下様に化けたんだって、恐れ多い事だが化けて来たって――第一不敬じゃありませんか、法螺吹ほらふきの分際ぶんざいで」
「殿下って、どの殿下さまなの」
「どの殿下さまですか、どの殿下さまだって不敬ですわ」
「そうね」
「殿下さまでも利きかないでしょう。法螺吹きもしようがないから、とても私わたしの手際てぎわでは、あの地蔵はどうする事も出来ませんと降参をしたそうです」
「いい気味ね」
「ええ、ついでに懲役ちょうえきにやればいいのに。――でも町内のものは大層気を揉もんで、また相談を開いたんですが、もう誰も引き受けるものがないんで弱ったそうです」
「それでおしまい?」
「まだあるのよ。一番しまいに車屋とゴロツキを大勢雇って、地蔵様の周まわりをわいわい騒いであるいたんです。ただ地蔵様をいじめて、いたたまれないようにすればいいと云って、夜昼交替こうたいで騒ぐんだって」
「御苦労様ですこと」
「それでも取り合わないんですとさ。地蔵様の方も随分強情ね」
「それから、どうして?」ととん子が熱心に聞く。
「それからね、いくら毎日毎日騒いでも験げんが見えないので、大分だいぶみんなが厭いやになって来たんですが、車夫やゴロツキは幾日いくんちでも日当にっとうになる事だから喜んで騒いでいましたとさ」
「雪江さん、日当ってなに?」とすん子が質問をする。
「日当と云うのはね、御金の事なの」
「御金をもらって何にするの?」
「御金を貰ってね。……ホホホホいやなすん子さんだ。――それで叔母さん、毎日毎晩から騒ぎをしていますとね。その時町内に馬鹿竹ばかたけと云って、何なんにも知らない、誰も相手にしない馬鹿がいたんですってね。その馬鹿がこの騒ぎを見て御前方おまえがたは何でそんなに騒ぐんだ、何年かかっても地蔵一つ動かす事が出来ないのか、可哀想かわいそうなものだ、と云ったそうですって――」
「馬鹿の癖にえらいのね」
「なかなかえらい馬鹿なのよ。みんなが馬鹿竹ばかたけの云う事を聞いて、物はためしだ、どうせ駄目だろうが、まあ竹にやらして見ようじゃないかとそれから竹に頼むと、竹は一も二もなく引き受けたが、そんな邪魔な騒ぎをしないでまあ静かにしろと車引やゴロツキを引き込まして飄然ひょうぜんと地蔵様の前へ出て来ました」
「雪江さん飄然て、馬鹿竹のお友達?」ととん子が肝心かんじんなところで奇問を放ったので、細君と雪江さんはどっと笑い出した。
「いいえお友達じゃないのよ」
「じゃ、なに?」
「飄然と云うのはね。――云いようがないわ」
「飄然て、云いようがないの?」
「そうじゃないのよ、飄然と云うのはね――」
「ええ」
「そら多々良三平たたらさんぺいさんを知ってるでしょう」
「ええ、山の芋をくれてよ」
「あの多々良さん見たようなを云うのよ」
「多々良さんは飄然なの?」
「ええ、まあそうよ。――それで馬鹿竹が地蔵様の前へ来て懐手ふところでをして、地蔵様、町内のものが、あなたに動いてくれと云うから動いてやんなさいと云ったら、地蔵様はたちまちそうか、そんなら早くそう云えばいいのに、とのこのこ動き出したそうです」
「妙な地蔵様ね」
「それからが演説よ」
「まだあるの?」
俺の個人的見解(俺の"出現"以来、オマエ等何か良い事あったか?さらに酷くなるぞ)です、コイツ等は絶対に止めないし、今日記録更新したそうですが(早朝の県境付近で断続した発砲音をすぐそば多分線路向うの林の中に2発聞きました・笑)、この世界に1匹でも残すと必ず繰り返す。Sliced Minced Sausages。20220605。
で。