そういえばですね。
で、この最初のトインビーさんとの対話のなかで。
池田
目的の正しさは、それを実現する過程で用いられる手段によって裏づけられ、証明されなければならないということです。
トインビー
目的は手段を正当化するものではありません。目的と手段は、倫理的に一貫性がなくてはなりません。これは経験から生まれた原理です。第一段階で意図的(いとてき)に悪事を働いておきながら、第二段階で正しいことをしようなどというのは、心理的にいっても不可能なことです。つまり、出発点が間違っていれば、決して正しいゴールには到達できないのです。
おれが一番肝に銘じなければいけない気はしますが、それはおれの問題で、そりゃ、あの、すいません、これでは官製の共産党ではないですか、みたいなことも、どうしても、ある、これはしょうがない、と思います。踏まえたうえで、妙な、悪い意味でのどんでん返しはありえない、と確言しときます。
本を写真に撮っているのでどうしてもゆがんでしまいますが、“ある国が原子爆弾を用いて世界を征服(せいふく)しようとしても、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界にひろめることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものですあります”
これは戸田さんが核兵器を使用したアメリカを暗に断罪された発言、では絶対にありません。
「まだ核兵器を使用した国は存在しない。今後もしこの兵器を使用するものがあれば、それは悪魔であり、魔もの“絶対悪”である」ということをおっしゃられたのだと確信します。
※あのですね、これはいつの文章だろう2014年ころだとおもうのですが、そもそも核兵器は存在しない、作れるが作っていない、が、おれ用に、もっととんでもない兵器が存在するとか言ってる今日このごろですけど。繰り返しになりますが。20180816。
原爆投下に関しては“佐世保大空襲はなかったのではなかろうか?”で書いているので、結論だけ書くと、おれは広島はともかく(現時点では広島の被害は大地震とそれにともなう火薬庫・ガスの大爆発そして津波による被害だとおもっています)、長崎は、原子爆弾の惨禍を世界に知らしめるための、日米共謀のやらせだったとおもっています。
原子爆弾を実際に投下せずとも、その非人道性を世界にしらしめることができるのならそれが一番でしょうから。ただし何事もおこらずに、は、さすがに無理だろうと。だからどうしても犠牲は必要。そして選ばれた地が長崎の浦上だった。
長崎の浦上地区はキリスト教徒が多いところです。
戦時中は敵性国人として特高などの弾圧を受けています。
が、これも浦上の一部のキリスト教徒の方と、特高(というより日本政府ですかね)共謀のやらせだとおもいます。少しでも被害を少なくするために、浦上地区からなるべく人を退去させる必要があった。
そして、その日、8月9日、ココがまだわかりませんが、超小型の原子爆弾が投下されたのか(パラシュートは落下速度を抑え、なるべく上空で爆発させ、被害をおさえる、という考えもありますし、もちろん風で思わぬところに流されるのでは、ともおもいます)
照明弾を落し、同時に各所に設置した爆薬を爆発させたのかもしれません。
実は、ここはまだよくわかりません。
ただ、確か、原子爆弾が爆発した時、浦上の天主堂ではミサの最中だった、という話があります。おれは、それは本当だったのだろうとおもいます。そして、その人たちには、この時間に“浦上地区”で爆発が起り、この地区は廃墟になる、ということが前もってわかっていた。
終戦直後に長崎と佐世保の両方を訪れたサイデンステッカーさんは「佐世保のほうが被害が甚大だった。長崎の被害は北にずれ市街地は無傷だった」とお書きになられています。佐世保の空襲による被害は、今の市役所周辺3~4町くらいでしょうか?そんなに広大ではないとおもいます。市役所裏の佐世保川向こうは燃えてませんから。
空襲自体もなるべく燃えにくいように大雨の日を狙って実行されたみたいですが。
で、この8月9日、浦上では特高のひとたちも犠牲になっています。
もちろん敵性国人である浦上のキリスト教徒を監視するためにそこにいて、ではなく、何も知らない部外者がこの地区に来て、まきぞえ被害にあわないように警戒をしていたのだとおもいます。
「彼らだけを犠牲にするのは卑怯」という思いもあったのかもしれません。
戦前の日本の特高は特に心が優しい人が選ばれてたようですから。