amaterasu kingdom dimensionsⅢ‐37-5-死の靖国街道 四十三年後のビルマ戦記。
『美味しんぼ 第60巻 水 対決』
ジャニーズ同類項ゴミ処刑。
で。2023091107:13(日本時間)。
"秘密戦隊ゴレンジャー 第40話 紅の復讐鬼!地獄のモモレンジャー (wikiによると1976年2月14日放送)"・おジャ魔女どれみ♯ 第11話 (第62話) はづきちゃん踊りを習う!?(wikiによると2000年4月16日放送)
・マジンガーZ 第40話 悪魔の支配者 ブロッケン伯爵 (wikiによると1973年9月2日放送)
ですが。2023091115:38(日本時間)。
"秘密戦隊ゴレンジャー 第41話 黒い大逆転!鳥取砂丘の攻防戦 (wikiによると1976年2月28日放送)"この方は。
・谷口博士 - 富田浩太郎 (41)
・谷口マコ - 松下実加 (41)
◆富田 浩太郎(とみた こうたろう、1925年1月20日[注釈 1/1月30日とする資料もある。] - 2004年6月10日)は、日本の俳優。本名および別名義は冨田 浩太郎(読みは同じ)。
人物
熊本県玉名郡大浜町出身。宮崎大学農学部畜産学科卒業。新協劇団、劇団民藝、東映、劇団青俳を経て、東京俳優生活協同組合に所属していた。
九州学院高等学校の教員を経て劇団民藝に入団。舞台を中心に、映画やテレビドラマで脇役として活躍した。その知的で温厚な雰囲気から紳士的な役柄を演じることが多かったが、インテリ系の悪役としても実績を残している。
俳優活動の傍ら、教員経験を活かして民藝付属の演劇研究所や日本大学藝術学部などで演劇の講師も務めた。自らも「冨田演技塾」を主宰し、後進の育成に尽力した。
東京俳優生活協同組合に所属中の2004年6月10日、肺炎のため死去。79歳没。
評論家の川本三郎にとっては姉の夫だという[注釈 2/川本三郎・筒井清忠『日本映画 隠れた名作 昭和30年代前後』(中公選書2014年)に川本が語っていて[要ページ番号]、『胸より胸に』の演技を朝日新聞が酷評して出演作がなくなってしまったという。]。
教え子に小村哲生がいる。小村はその演出を受けて、芝居の凄さを知ったという。その時にしていた芝居は、子供達に観せるミュージカルっぽい芝居だったが、「子供たちにこそ最も質の高いものを与えるべきだ!!」と言って、小村はその時、ハートが熱くなり、「僕はそれを、子供たちに観せる芝居を、自分のライフワークにしたいと思います」と叫んでいたという。その後、色々な劇団を紹介し、そこへ面接に行くが、どこも小村の理想とかけ離れており、富田が「君は自分で劇団を立ち上げなさい。君に足りないところは僕が補ってあげるから」と言っていたという。当時、小村は若く、何も世間のことを無知だったことから「はい!やってみます」と1976年には劇団民話芸術座の旗揚げに至ったという。
特技は声楽、ピアノ。from wiki.
ですが。2023091115:59(日本時間)。
あのですね、『仮面ライダー』を念頭に、ちょっとサバ読みすぎか?と思いましたが、考えてみたらゴレンジャーだったらこの女の子は俺と同い年ぐらい。
2023091116:05(日本時間)現在三船美佳さんに逃げられてるそうなので(笑)。
"秘密戦隊ゴレンジャー 第42話 黒の鉄人死す!さらばバリブルーン (wikiによると1976年3月13日放送)"少なくともここでは、高橋ジョージさん。
※そうそう、ご主人が自暴自棄になって航空機テロを実行しちゃう前に高橋美佳さんもしっかりご夫婦で話し合ってくださいネ(笑)。
で。2023091119:43(日本時間)。
"秘密戦隊ゴレンジャー 第43話 真赤な不死鳥(フェニックス)!無敵バリドリーン登場 (wikiによると1976年3月20日放送)"
さんを挟んで、矢沢永吉さん、舘ひろしさん、でも。
"秘密戦隊ゴレンジャー 第44話 青い万能戦車!バリタンク発進 (wikiによると1976年3月27日放送)"
ジムモリソンさん(応援団団長にも見えますが・笑)でも、どうしたこうしたかまわないと思いますが(笑)。2023091116:24(日本時間)。
◆『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(ガメラたいうちゅうかいじゅうバイラス)は、大映が製作・配給し、1968年(昭和43年)3月20日に封切り公開された日本の特撮映画作品。
昭和ガメラシリーズ第4作。大映東京撮影所作品。同時上映は『妖怪百物語』。72分、カラー、大映スコープ。
あらすじ
地球の植民地化を企むバイラス星人は、侵略のために宇宙船を送り込んだ。しかし、ガメラと遭遇した宇宙船1号は交戦の末、爆発してしまう。しかし間を置かずに現れた宇宙船2号は、地球侵略の最大の障害であるガメラの排除を目標にする。
そのころ、茅ヶ崎市海岸では日米のボーイスカウトがキャンプを行っていた。いたずら好きのボーイスカウト・正夫とジムの2人は、小型潜水艇で潜行中に海底のガメラと遭遇する。「子供の味方」であるガメラと遊ぶうちに突然2人はガメラもろともオレンジ色の光のドームに包まれてしまう。バイラス星人の宇宙船が発射したスーパーキャッチ光線に捕えられてしまったのである。ガメラは光線の捕捉力に抵抗して2人の潜水艇を脱出させる。
しかし、その間にガメラの記憶を分析したバイラス人は、ガメラの最大の弱点が「子供」であることを知り、正夫とジムの2人を再び拉致する。2人を盾にされて手を出せないガメラに脳波コントロール装置がセットされ、バイラス人に操られたガメラは黒部ダムや東京を破壊し始める。人類は、バイラス星人に降伏するか、人質の子供たちを犠牲にして戦うか、という二者択一を迫られ、ついに国連は2人の生命を尊重してバイラス星人に降伏するという決定を下す。
そんな中、人質に取られた正夫とジムは、脳波コントロール装置とスーパーキャッチ光線の三角ブロック状のコイルをあべこべにつけ替えることでガメラを解放し、自分たちも脱出に成功する。自由をとり戻したガメラはバイラス星人の宇宙船への攻撃を開始する。ガメラの猛攻で爆発炎上する宇宙船。追い詰められたバイラス星人のボスは、分裂体を合体吸収して見るまに2倍、4倍、32倍と巨大になっていく。葉山海岸を舞台に、遂にガメラと宇宙怪獣バイラスの死闘が始まった。
概要
「ガメラ映画」はアメリカでは、1作目の『大怪獣ガメラ』(1965年)が劇場公開された[注釈 1/特撮部分のみのフィルムが売られ、アメリカ側で本編を追加撮影して上映された。]以外、2作目、3作目は子供向け番組枠でテレビ放映された。4作目である本作品より、新作「ガメラ映画」はこのアメリカでのテレビ放映契約を織り込んだ制作体制となった。
ストーリーも、劇場よりも厳しいアメリカでのテレビ放送規制条件を満たすため、これに沿った、「ガメラが悪役新怪獣の侵略と闘う」という勧善懲悪テーマが強調された内容となっている。こういったこともあり、前作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』よりさらに進んで、本作品以降「ガメラシリーズ」は子供を主役に置いた、完全に子供向けの作風となった。脚本の高橋二三は、「『ガメラ対ギャオス』までは子供向けではなかった。『ガメラ対ギャオス』で子供を出してくれという要請はあったが、大人も楽しめる映画だった。ところが『ガメラ対バイラス』でひとつの方向性に偏ってしまった。ある意味では『お子様ランチ』になったことで客層を限定してしまったと言っていいでしょう」とコメントしている。
一方で監督の湯浅憲明は、「『バルゴン』で大人のドラマをやってみたが、劇場の子供たちは走り回って全く見ていない。『ギャオス』では子供がガメラに乗る場面は大歓声だった。子供が冒険し、怪獣が出ずっぱりの『バイラス』が、シリーズ当初から本来やりたかった形だ」と述懐しており、プロデューサーの永田秀雅も同じコメントをしている。湯浅は、ラストで子供たちが大空を飛ぶガメラに手を振るシーンに、童話的なイメージを込めたという。
茅ヶ崎での戦闘シーンでバックにそびえる白いビルは、当時上原謙・加山雄三親子が経営していたパシフィックパークホテルである。 湯浅によると、劇中に登場する小型潜水艇は、葉山のヨットハーバーにあったものを、撮影のために借りて使用したものである。Uボートを製作したドイツのメーカーの製品だったそうだが、ほとんど使い物にならず、水中で転覆すると復帰できないようなものだった。危険なのでスタッフが正夫役を吹き替えで演じている。
ガメラシリーズは、1作目から3作目までは、普通の映画の3倍近い制作予算が使えた。しかし、大映本社の深刻な営業不振から、本作品の予算は一般映画クラス(前作の3分の1)となった。湯浅らスタッフは、いかに経費を抑えるかに腐心した。ガメラシリーズは、1作当たりの上映時間は最低で1時間半程度、フィルムの尺数では9千5百フィート、このうち2千フィートは怪獣のシーンであるという制約がある。撮影時のフィルムは、本来ならば5万フィート必要になる。ところが、大映側は3万フィートで撮れとの方針だった。
低予算での怪獣映画を実現するために、宇宙、宇宙船内部、その着陸する海岸を中心に撮影することになった。バイラス宇宙船の「どこの部屋もみんな同じ造り」、「葉山海岸での舞台限定」などは、こうした低予算が反映した設定だった。バイラス星人が、ガメラの記憶を調査するシーンでは、1~3作目の怪獣登場シーンを大胆に流用している。怪獣が登場しない本編シーンでは、大部分がボーイスカウトの野営地の中であるのも、セットが少なくすむからだった。
ストーリーは、子どもを中心とした。湯浅の、3作目『対ギャオス』のころからの思惑である、大人は何もわかっちゃいない。子供だけが全部知っている。そのパターンをよりクローズアップした。
本作品からプロデューサーに若い仲野和正が付き、湯浅のアイディアをすべて認めてくれ、高橋二三に「すべての制約をのんでください」と依頼。高橋もこれを承諾のうえで脚本化してくれたという。
「日本コカ・コーラ」がタイアップしており、画面にコカコーラマークが頻繁に登場する。
湯浅は前作に続いて本編・特撮の両演出を1人でこなす奮闘ぶりを見せ、スタッフ一同、「これがガメラシリーズ最後の作品」との想いで本作品をわずか25日で撮り終えた。湯浅監督は「こんな条件で撮れる監督は俺しかいないだろう」と、「半分は意地、半分はゲーム感覚でやった」と語っていて、クランク・アップ時は「やっと終わった」と感慨無量の思いだったという。しかし、公開されるや本作品は子供たちに大評判となり、大ヒット。大映本社は翌年、次作『ガメラ対大悪獣ギロン』の制作を決定することとなった。
登場キャラクター
ガメラ
前作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』と同じもの。この作品から、足だけを引っ込めてジェット飛行するミニチュアが使われ、以後の定番となる人気を集めた。湯浅監督によると、この下半身ジェット飛行も予算対策のための苦肉の策だった。ジェット噴射用の火薬は1本3,000円(当時)した。2本だけの使用なら1カットで6,000円浮く計算である。
ガメラが小型潜水艦と並泳するシーンは、演技者の入っていないぬいぐるみを吊り下げて操演した。予算削減のため、ガメラがバイラス星人に操られて暴れまわるシーンは『大怪獣ガメラ』[注釈 2/ 冒頭部分しか使われていない。湯浅が探したが、この時点でオリジナルネガが売却されていて、フィルム自体が見つからなかったという。]と『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』のバンク映像が使われている。
宇宙怪獣 バイラス
別名 宇宙怪獣
身長 2 - 96 m
体重 300 kg - 120 t
イカをモチーフとした知的宇宙生物で知能指数は2,500に達する。企画当初では「ゲッソー」という名がつけられていた。決定名「バイラス」の名称は、『週刊少年マガジン』、『週刊ぼくらマガジン』両誌上での公募による。公募賞品は特賞が「金十万円の奨学金」、「マガジンカップ」、「双眼鏡」などで、5人の当選者が発表された。しかし湯浅憲明によるとこれは「やらせ」だったといい、実際は「2倍、4倍」と巨大化することからつけられたものだったという。本作品以後、『ガメラ対深海怪獣ジグラ』(1971年)まで、シリーズの敵怪獣の名は、同様に『マガジン』誌で公募された。昭和43年3月17日の『週刊少年マガジン』巻頭グラビアではバイラスの出身が「ドンガル星」になっていた。
本編タイトルでは「宇宙怪獣」とされ、本作品のポスターや劇場用予告編では「分裂怪獣」とテロップ表記されている。のちに『宇宙怪獣ガメラ』(1980年)が公開された際に、ガメラを「宇宙怪獣」とうたってしまったため、バイラスは強制的に「水中怪獣」と名称変更されてしまった。公式ホームページでもこの「水中怪獣」に変更表記されている。正確には「宇宙怪獣」であり、「バイラス星人」という宇宙人である。アメリカではバイラスは「イカのような怪物」という名になっている。
足(触手)は6本あり、イカのような吸盤を持ち、先端はゾウの鼻のように把握力を持っていて、この触手を使って直立できる(ゾウの鼻の一万倍の握力を持つとされる)。眼は人間に似ており一対、まぶたは下から上に閉まる。口部はくちばし状。頭は三つの花弁状に分かれているが、一つにあわせると硬化し槍状になる。水中および空中を、イカのように水平に滑走して槍状の頭部で攻撃する。槍状の頭部は非常に硬く、ガメラの腹甲や1メートルの鋼鉄を貫くほどの威力を持つ。
ダークホースコミックスのシリーズ「ガメラ:宇宙の守護神」では電撃を使用している。2019年から複数ヶ所で開催された、撮影造形物などの展示会「特撮のDNA」では、公開された企画段階の絵コンテに、バイラスが人間を食べ(体内の人間たちはまだ生きており変身合成袋に収容されている)、触手の先端内部にコイルのような器官を持ち(図解によると宇宙空間飛行発射線)、頭部から電撃状の光線を発射している場面があった(頭部基部にはスーパーキャッチ光線放射袋が、その下には脳波コントロール装置貯蔵袋が存在)。資料によっては、頭部からは電撃を、目からはガンマ線を、触手の先端からは移動用の宇宙線を発射するとされる。
当初は「ボス」(本体)だけが3メートル程度の「バイラス星人」の姿でいたため、子供たちに「宇宙動物園に送られる生物」と誤認された。「バイラス星人」として活動している際にはほぼ等身大だが、複数に分裂した個体が復元合体して巨大化することが出来る。バイラス円盤の「1号機」も「2号機」も、「ボス」の声は若山弦蔵である[注釈 3/若山は前々作『ガメラ対バルゴン』ではナレーションを務めている。]。
生命維持には窒素が必要で、そのため大気に窒素が豊富に含まれる地球に目をつける。自らを「宇宙で最も優秀な生物」と豪語し、「他の生物は不要」とさえ言い切るほどの自信家である[注釈 4/湯浅は大映の組合員に、この台詞が「アメリカのことでしょう?」と聞かれたそうである。]。ガメラの腹部を突き抜いて、勝利したかに見えたが、絶大な生命力を持つガメラは(バイラスが刺さったまま)回転飛行で遙か上空に上昇。バイラスは低温下で凍り付き、身動きがとれなくなる。そのまま高速回転したガメラから振り落とされ、動けないまま海上に墜落して砕け散る。
このバイラスにガメラが腹を突き抜かれ串刺しにされる描写は湯浅によると、前作までで一通り怪獣同士の戦いのアイデアが出尽くしたので、「今度は刺すか」ということで採り入れたもの。「安い予算で撮らせやがってというスタッフの腹いせの気持ちも多分にあったかもしれない」と述懐している。この場面は劇場では子供たちから悲鳴が上がったそうである。『ガメラ対大魔獣ジャイガー』や『宇宙怪獣ガメラ』にも映像を流用し登場する。
バイラスの美術・造形
デザインは間野重雄。造型は八木正夫とエキスプロ。頭が槍状に一体化した操演用のミニチュアと、頭の触手が分離した人間が入るぬいぐるみタイプのものとが造られた。造形者の八木正夫によると、湯浅監督から「柔軟性が欲しい」と注文があり、造形については主素材選びから苦労したという。結局、ウレタンを主材質に選んで、イカのようなキャラクターを実現させた。八木はシリーズで「一番印象に残った怪獣」としてバイラスを挙げており、「人は苦労して初めて得るものがあるんじゃないか、それを教えてくれたのがバイラスだった」と振り返っている。
ぬいぐるみの触手は、6本中2本に演技者の足が入り、残りの4本は操演によって動かされている。
バイラス人
バイラス円盤の中にいる、黒い半袖服を着た医者のような姿の5人の男たち。このバイラス人たちは、シルエットに目だけが点灯する不気味な姿で登場するが、このシーンは、俳優のまぶたにアイマスクと豆球を貼り付け、台詞に合わせて点滅させて撮影した。このため夏木章ら演じた俳優は、豆球の熱でまぶたをやけどしたそうである。
その正体は、分裂したバイラスが人間などの他の知的生命体に「ユニフォームのように」寄生し、行動を支配しているもの。腕がちぎれてもすぐに元に戻り、球体構造間の移動は、チューブ通路を滑空して行う。このシーンは通路セットを縦向きに作り、俳優がまっすぐ飛び降りたものを高速度で撮影し、逆回転させたもの。ズボンの裾がめくれないようテープでとめたりと気を使ったそうである。
正夫らの「怪獣(つまり彼らのボス)が暴れてる」といった嘘に全員あっさりだまされるなど、高い知能を持つゆえか、妙な部分で単純なところがある。終盤でボスによって首をはねられる(人形を並べて撮った)と、中からバイラスの分身が現れ、ボスに融合していった。正夫らに投げ縄で捉えられる男を演じたのは、映画「大魔神シリーズ」(1966年)で「大魔神」を演じた橋本力。
バイラス円盤
黄色と黒の縞模様の球体5つをドーナツ状につないだ形状をした、ガメラよりも巨大なバイラスの侵略宇宙船。劇中には「1号」と「2号」の2機が登場する。「1号機」は冒頭のタイトル前に地球の成層圏近くでガメラと遭遇して破壊されてしまう。ボスの台詞で「乗組員諸君」と呼びかけがあるが、内部での乗組員描写は無い。「スーパーキャッチ光線」を放射して、船外の生物をオレンジ色の半透明のドーム内に捕らえ、対象物が人間サイズなら船内に転送ができ、ガメラのように大きなものは動きを止めることができる。続いて「脳波コントロール装置」という、脳波を支配して生物を操る武器を射出し、これを首の根元に打ち込まれたガメラはバイラスの言いなりになってしまう。
球体を一斉に反転させて底面からガメラのジェット噴射を消火する黄色いガスを噴出する。また球体それぞれは非常時には一つずつ切り離すこともできる。五つの球体それぞれの底面から着陸用の脚を伸ばして着地し、独立して動くことも可能。正夫とジムを人質にとったバイラス星人は、ガメラを操って各地を破壊して降伏を強要するが、子供らしい機転を活かした正夫とジムは自力で脱出し、ガメラの洗脳を解き、2号も1号同様反撃に出たガメラに破壊されて母星に帰還出来なくなり、追い詰められたバイラス星人は巨大化してガメラと対決する。
船内では脳波イメージ装置により、食べ物など、欲しいと思ったものそのものが再現され自由に手に入るが、宇宙船に危害を与えるもの、たとえば爆弾などを求めると警報が鳴るようになっている。機内の回路は三角形で構成されており、この三角形ブロックで「+」と「-」を構成していて、正夫らはこのブロックを逆に入れ替えてガメラのコントロールを解いてみせる。湯浅監督は「これこそ高橋二三一流のレトリック」と評していて、子供にも分かりやすいこのブロックの入れ替えアイディアを「撮っていて一番楽しいところだった」と述懐している。
バイラス円盤の美術・造形
個性的なバイラス円盤のデザインは、バイラスと同じく間野重雄による。3尺サイズの精巧なミニチュアが制作された。この黒い縞の入った特徴的なバイラス円盤は「宇宙を支配しようとする者の象徴」として、「一点豪華主義」で予算をかけて作られ、評判もかなり良かったという。湯浅はあとで左翼系の組合員から「あれはアメリカ合衆国を表してるんでしょう」と勘繰られて嫌な思いをしたと語っている。
円盤が地上に着地するシーンがあるが、ミニチュアのバランスが非常に悪かったので、ピアノ線でミニチュアを吊りあげ、少し地面から浮かせて撮影している。「スーパーキャッチ光線」で出来る透明のドームはアクリル製の出来合いのものが使われ、省予算のために場面を変えて対人間、対ガメラなど、さまざまなシーンに流用された。正夫たちがサンドイッチを頼むシーンがあるが、このサンドイッチは、機内の多方形イメージと統一して八角形に切ってある。「脳波コントロール装置も「半球型で黄色と黒の縞模様」と、バイラス円盤とイメージを統一したデザインとなっている。
上述したように、本作品の予算は徹底縮小されたため、円盤内部のセットは一つだけしか用意できなかった。劇中で「この円盤の中、何にも無いなあ」という正夫らの台詞があるが、これは予算不足で大道具を揃えられない現場の状況を逆手に取った演出だった。徹底した省予算のため、球体内部の照明を青や赤に変えることで、別の部屋に見せている。「研究室」ではレトルトや化石標本などあり合わせの小道具を並べていて、湯浅監督によると「科学への夢が一つになったもの」だそうである。
本編で主要なシーンを占めるこのバイラス円盤内部の描写は、このように予算不足から同じセットを使い回して、小道具の位置を変えるなどして別のセットに見せる工夫をとっているが、これは湯浅が師匠である衣笠貞之助の助監督を務めていたころに、衣笠から教わった手法だったという。
キャスト
本作品以降、ガメラ映画には主人公の少年と対になる白人の子役が必ず起用されているが、これは「日本人の子供の顔はみんな同じに見えるから」という、テレビ放映を前提としたアメリカのバイヤーからの条件だった。これらの外人子役は、調布市にあったアメリカンスクールの生徒から選ばれており、日本語を話せることが採用基準だったが、話せるはずで採用したのに全然駄目だったりと、苦労が多かった。ジムの母親役のメリー・ムロースもまったくの素人であり、台詞が下手で困らされたという[要出典]。
本作品の上映と同時期にデビューした「大映新人三人娘」の八重垣路子、渥美マリ、八代順子が、ボーイスカウト指導者役で揃って出演している。ボーイスカウトの隊長役の本郷功次郎は本作品の制作当時も怪獣映画への出演が不本意で、本作品に関しては「何で俺だけこんな冒険ダン吉みたいなショートパンツはいて、ボーイスカウトやれって言われるんだって、他の俳優さんが芸術的な映画に出てると思うと悔しくて夜寝られなかった」という。しかし、後年には「まさかこんなに時代に残るとは思わなかった。今では財産になってしまった。ガメラに出られたことを本当に感謝してますよ」と語っている[要出典]。なお、バイラス星人がガメラのデータを探るシーンでは過去3作の映像が流用されているが、『ガメラ対ギャオス』からの流用分には本郷の登場シーンが含まれているため、同じ作品で彼が別の役柄で二重出演することになってしまっている。
本作品にはボーイスカウトが全面協力しており、エキストラのボーイスカウトは全員本物である。これは以前、湯浅監督がボーイスカウトのタイアップ映画『第四回日本ジャンボリー』を監督した[注釈 5/大映社長の永田雅一は、当時ボーイスカウト日本連盟の顧問だった。]ことからのつながりである。
・島田伸彦(ボーイスカウトの隊長):本郷功次郎
・中谷マリ子(正夫の姉、カブスカウト指導者):八重垣路子
・青山順子(カブスカウト指導者):渥美マリ
・柴田正子(同):八代順子
・正夫の父:北原義郎
・医者らしい男(バイラス星人):夏木章
・自衛隊司令官:藤山浩二
・医者らしい男(バイラス星人):橋本力
・ジム・モーガン(同):カール・クレイグ・ジュニア
・中谷正夫(ボーイスカウト):高塚徹
・医者らしい男(バイラス星人):豪健司
・ジムの父:高田宗彦[注釈 6/高田は日本人であるが、白人を演じている。]
◆高田 宗彦(たかだ むねひこ、本名:松本 慈美、1916年9月15日 - 2004年3月31日)は、長崎県島原市出身の俳優。長女は、女優の松本留美。
人物・略歴
父親はスコットランド人で、その日本人離れした容貌から、戦時中は「鬼畜米英」と罵られ、つらい思いをしたという。
戦後、大映の社員俳優として、大映倒産時まで在籍した。外国人役を中心に数多くの作品に出演したが、ほとんどが端役である。大映が初めて製作したテレビ映画『少年ジェット』では、ジェットの宿敵のジャック・ジェームス、怪盗ブラック・デビルを演じて人気を集めたが、視聴者の子ども達からテレビ番組での役柄と混同され、私生活では石を投げられたり、家族で銭湯に行くとお湯をかけられたりと、苦労もあったという。しかし当時のファンの回想によれば、高田がファンからサインを求められた際それに喜んで応じているのを見て、自分もブラック・デビルが好きになったという。『少年ジェット』での人気により大映以外の映画会社から移籍の話があったが、家族からの反対もあり大映に留まった。
大映倒産後は、演劇学校の講師を務めた。from wiki.
・ドビー博士(国際海洋研究所所長):ピーター・ウイリアムス
・医者らしい男(バイラス星人):中原健、山根圭一郎
・ボーイスカウト:喜多大八
・ジムの母:メリー・ムロース
・国際海洋研究所所員:篠田三郎
・対策本部メンバー:河島尚真、山上友夫
・ボーイスカウト:船田精二、稲妻竜二
・国際海洋研究所所員:西條美奈子
・劇団ひまわり
・劇団こじか
・ボス(バイラス)の声:若山弦蔵
・ガメラ:荒垣輝雄
スタッフ
企画:藤田昌一、仲野和正
製作:永田秀雅
脚本:高橋二三
監督:湯浅憲明(本編・特撮とも)
助監督:今子正義
音楽:広瀬健次郎
撮影:喜多崎晃
美術:矢野友久
録音:飛田喜美雄
照明:上原正一
編集:関口章治
スチール:沓掛恒一
製作主任:川村清
特撮班
特殊撮影:藤井和文
特撮合成:金子友三
照明:石坂守
操演:関谷治雄
音響効果:小倉信義
デザイン:間野重雄
怪獣造形:八木正夫、エキスプロダクション
協力:ボーイスカウト日本連盟 、日本コカ・コーラ
現像:東京現像所
主題歌
本作品からオープニングに主題歌「ガメラマーチ」が登場。これは、大映専務の永田秀雅が独自に「ガメラマーチ」を作詞。企画会議で朗読し、「みんな感激してたから曲をつけてくれ」と監督の湯浅に持ちかけ、劇中主題歌としたところが大ヒット。以後、シリーズ共通の主題歌として使われた。
歌唱している「大映児童合唱団」とは、湯浅によると「そこらへんの子供たちに歌ってもらったもの」だそうで、実際には存在しない団体である。
「ガメラマーチ」
歌:大映児童合唱団
作詞:永田秀雅
作編曲:広瀬健次郎
ソノシート
「ガメラマーチ」を主題歌、「ぼくらのガメラ」を副主題歌として、大映レコードレーベルで、朝日ソノラマからソノシートが発売された。イラスト図解の他、声優を使った「大迫力ドラマ」が収録された。大映レコード発行のソノシートには、「ぼくらのガメラ」がA面になったものがあった。
漫画化
公開に先駆け、秋田書店の漫画雑誌『別冊まんが王』で井上智によって漫画が掲載された。3月1日付発行で、劇場でB5判サイズの単行本が配られた。
映像ソフト化
封切り時の本作品の上映時間は「72分」であるが、大映倒産時に輸出用「90分版」とオリジナルの「72分版」のネガが混合され、「90分版」がしばらく正規品として扱われた。過去にビデオソフトとして発売されたものはこの「90分版」である。次に発売されたLDソフトは、この「90分版」をもとに再編集した「81分版」である。現行のDVDでは、湯浅の協力により国内版が復元再編集されて収録してある。
ビデオソフト
1990年に発売。海外輸出用の「90分版」を収録。
レーザーディスク
海外輸出用の「90分版」が1986年に発売。1991年に「ガメラ永久保存計画」としてBOX化された際に、これを再編集した「81分版」が収録された。
DVD
オリジナルの「72分版」が復元されたものが、2001年10月11日発売の「ガメラTHE BOX(1965-1968)」に収録され、単品版も同時発売された。2006年8月31日発売の「ガメラ 生誕40周年記念Z計画 DVD-BOX」に収録されている。新しく色彩を整えたDVDは2007年10月26日発売。
BD
2009年7月24日発売の「昭和ガメラ ブルーレイ BOX I」に収録されており、単品版も同時発売。from wiki.
加山雄三明石家さんま辛坊治郎百田尚樹ゴミ処刑。
で。2023091108:24(日本時間)。
虞兮虞兮柰若何(笑)。
"【毎日御書 番外編】池田大作の妻『香峯子夫人 微笑みと共に歩む 第二回』「香峯子抄 朗読版」再投稿"8,094 回視聴 2023/08/20
【毎日御書 番外編】池田大作の妻 『香峯子夫人 微笑みと共に歩む 第二回』「香峯子抄 朗読版」 再投稿 from Mak Arabさんのyoutubeチャンネル。
よく耳にするナレーターの方の声に俺には聞こえますが、クレジットもない事ですし、私は税務署でも、その声の方でもないので(ごめんなさい)、矢口真理のお父さんで井上瑤さんと仲が良いご夫婦の古谷徹さんの声で何一つ問題はないと思いますが(笑)。
で。2023091108:34(日本時間)。
blade runner of the gale or life is bakelatta 10月 19, 2018
Thursday, 11 October 2012
baby
Some time after Katsu established a modern naval school in Kobe as a facility for the Tokugawa shogunate、a political change occurred in Kyoto designed to eliminate Choshu and Tosa influence over the imperial court.
Many of the students at this school were ronin who were comrades for (extremist in)Choshu and Tosa.
However、those in Kobe (perhaps because of Sakamoto's intentions) kept their distance from the mainstream people in Kyoto at the time.
But、from then on、the Tokugawa shogunate became openly wary of these people as having dangerous ideas.
※Between Kobe and Kyoto is about 50 to 60 kilometers in a straight line?Actually、it may have simply been a matter of distance.
"He may be a supporter of dangerous elements."
As a result、Katsu was also placed in a delicate position within the Tokugawa shogunate.
Well、then something happened that made their situation even worse.
"Set fire to the streets of Kyoto and steal the Emperor.''
Among these students was a Tosa ronin who participated in this coup plan that was thwarted by the Shinsengumi.
As a result、Katsu finally resigned from his position as head of the Naval Academy and returned to Edo.
※His post at the time was Tokugawa Warship Magistrate.
This is a literal translation、but I think the meaning of the word is actually closer to admiral.
After this、Katsu was dismissed from all his positions and placed on home detention for a while.※
※I don't know now whether the Tokugawa shogunate at this point actually had what could be called a Tokugawa fleet. 2023090714:43 (japan time).
And Sakamoto was summoned by the Tosa clan on suspicion of being involved in the assassination of the Tosa clan's prime minister.
"If I go back to Tosa now、I'll just be killed.
It would be stupid to get killed for something I didn't do. "
At this time、the current situation in Tosa was taking on the appearance of a class struggle.
Naturally、the revenge of Tosa's upper class was gruesome.
"As long as they can kill me、they don't care why."
Sakamoto ignored the Tosa domain's summons and headed to Nagasaki with his comrades from the Naval Academy.
Saigo、who had already become a close friend of Sakamoto、might have played a part in this.
※At that time、Nagasaki City was one of the centers of overseas trade (the only one before the opening of the country).
Naturally、there was also an activity base of the Satsuma clan in the city.
Satsuma and Nagasaki are on the same Kyushu Island.
Incidentally、in later years、in order to create a "situation''、Saigo had Ronin、who were under the influence of the Satsuma clan、repeatedly commit arson and robbery in Edo city.
Of course、we can think of something about it、but I think "friendship" is enough for now.
These two cases had completely different conditions and circumstances、but in the case of Edo、for example、this created a clear basis for the Tokugawa shogunate to attack the residence of the Satsuma (Shimadzu) clan with a pinpoint.
※They were based in some of the several Satsuma clan residences in Edo. 2023090715:26 (japan time).
I think that the focus is not at all yet.
But so arson and murder were occurring frequently in Edo in fact.
And also cholera.
You see、the main force of Shinsengumi was exploring another place at that time.
Yes、they made a situation.※
・・・・・・・・・
"Baby for others."
I think this is a very rude way of saying it (lol)、but maybe Sakamoto had that kind of quality、that side of him.
At home in Tosa、baby for the older sister.
At outside、baby for Katsu.
And now、baby for Saigo.
"I'm counting on you."
There might had a request like that to Saigo from Katsu.
Because Katsu and Saigo had been linked in the deep trust.
(When the bloodless surrender of Edo Castle、Katsu’s negotiating partner of new government side was Saigo.)
After this、Nagasaki became Sakamoto's home base.
"燃えよ剣 第11話 眞葛ヶ原の朝霧 (wikiによると1970年6月10日放送)"
"燃えよ剣 第12話 策士 (wikiによると1970年6月17日放送)"
1,402 回視聴 2021/03/28 #日本橋 #桜 #江戸
桜の穴場スポット 日本橋 江戸桜通り 桜満開 目黒川や上野よりソーシャルディスタンス iPhone12 PROで撮影 空いていて見やすいです。日本銀行、三越など洋風建築とのコントラストも最高。Edopedia歴史解説付き撮影機材 訂正: 誤 近江から来た → 正 伊勢から来た
iPhone12 PRO 4k 30 編集ソフト Perfect video 有料版
BGM:
Bensound memories
TAM カケラ
347 回視聴 2021/12/25 嚴島神社
#厳島神社
#宮島
#パワースポット
#広島観光
#世界遺産
#国宝
#初詣
国宝、重要文化財を多く抱える世界文化遺産 広島の厳島神社に参拝します。まさに、竜宮城!専門性の高い解説、美しい4K映像、癒しのヒーリングミュージックで、ひとクラス上の、リモート参拝
734 回視聴 2021/11/27 大阪城
#大阪城
#大坂観光
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大阪城の大手門(大手口)は、戦国時代後期に考案され、大坂の陣の後に、徳川氏によって築かれた枡形形式の城門で、お約束の高麗門、渡櫓門で構成されます。今回、大手口防御の多聞櫓(渡櫓、続櫓)と、側面の鎮台であった百貫櫓への潜入を試みたので、その様子をレポートします。from 江戸ペディア Edopediaさんのyoutubeチャンネル。
ロンドン空爆は飛行船か、イタリアはまだ統一国家になる前ですかね(自分で調べればいいだけですけど・笑)。2023091108:55(日本時間)。
"映像の20世紀 第2集 大量殺戮の完成 〜塹壕の兵士たちはすさまじい兵器を見た〜 (映像の世紀シリーズによると1995年4月15日初回放送)"
加古隆ゴミ処刑名義の楽曲はすべて佐久間正英さん。
で、赤線は俺の祖父による、です。2023091109:00(日本時間)。
『死の靖国街道 四十三年後のビルマ戦記』
"原住民の小さな部落を見つけ出しても、そこから入手できる籾その他には量に限りが"という点だけ、"対象は何か"に気になりますが、255ページ、"二十一年の六月に第一船が出て、ビルマの元日本軍将兵の復員が完了したのは昭和二十年の九月である。"。別に誤記ではないんでしょうね(笑)。
で、"原住民の小さな部落を見つけ出しても、そこから入手できる籾その他には量に限りが"という点だけ、"対象は何か"に気になりますが、集団自殺したくてしょうがないという奴等の背中を積極的に押して地獄に突き落として殺るのも人情。ゴミは処刑ズ。
で。2023091111:02(日本時間)。
俺の主張に沿ったそれを補強するご出演、か、どうかは、何から何まで当然定かではないですが(笑)。2023091116:55(日本時間)。
"【映画】コンバット COMBAT! 第081話「戦車一台敵中を行く」日本語吹替"
"【映画】コンバット COMBAT! 第082話「塔の上」日本語吹替"
"physicist-j-robert-oppenheimer-holding-glasses-news-photo-1692662342"
"【映画】コンバット COMBAT! 第083話「静かなる戦い」日本語吹替"
"Claus_von_Stauffenberg_(1907-1944)"
"Bundesarchiv_Bild_146-1984-079-02,_Führerhauptquartier,_Stauffenberg,_Hitler,_Keitel---Stauffenberg"
"1930年に作成されたクラウス・フォン・シュタウフェンベルクの頭像 from wiki."
クララぺタッチさん。
"静かなる決闘 (昭和24年 1949)"
"【映画】コンバット COMBAT! 第084話「岩の上の敵」日本語吹替"
"【映画】コンバット COMBAT! 第085話「ジープ特攻隊」日本語吹替"
アントニオ猪木ゴミ処刑済。
で。2023091117:52(日本時間)。
バブル崩壊後の物価変動は(も)分かりませんが、俺が小さい頃、昭和50年頃はまだ"百万長者"という言葉が残ってたと思いますが。2023091111:07(日本時間)。
"日本共産党の90年をふりかえる/党創立90周年記念講演"
165,142 回視聴 2012/07/19
日本共産党創立90周年記念講演会で「日本共産党の90年をふりかえる」と題した不破哲三 社会科学研究所所長の講演 from 日本共産党さんのyoutubeチャンネル。
で。2023091113:12(日本時間)。
"柔道一直線 第4話 直也まんじ車 (wikiによると1969年7月13日放送)"
よくよく見れば、(試合中お父さんを車 周作 (演:高松英郎)さんに殺されたんでしたか)丸井円太郎 (演:岩上正宏)さんは志位和夫さんに何となく似ておられるような気が(笑)。
※そうそう、2023091119:40(日本時間)現在持っている『柔道一直線』は第1~4話だけですが。
で。2023091113:14(日本時間)。
あのですね、ぶつ切りにすると風情もなにもなくなってしまいますが。
"【各町 踊りまとめ11選】おわら風の盆と越中八尾の町並み - JAPAN in 4K"
31,796 回視聴 2023/09/03
各町でそれぞれおわら風の盆踊りを行います。越中八尾の町を巡りながら、各町の踊りをまとめました。下新町と福島町だけ撮影できませんでした。(1日で全てを撮影は厳しいですね。)一部2022年撮影の映像も入っております。
00:00 オープニング
00:20 禅寺坂
00:50 天満町の町流し
31:16 下新町
32:05 聞名寺
39:08 今町の町流し
46:33 東町
46:51 八尾高校町流し
54:17 東町輪踊り
01:06:08 西町の輪踊り
01:21:15 上新町の大輪踊り
01:25:30 鏡町|舞台形式(上から)
01:44:15 おたや階段前の踊り(2022年)
02:04:46 西新町(舞台形式)
02:24:41 東新町
02:25:06 若宮八幡社
02:26:40 東新町踊り
02:31:26 諏訪町
02:32:20 諏訪町の町流し
7 日前
ひとり旅さんが、おわら風の盆を全て見せてくれるので、本当に有難いです。八尾では各町内で踊りが見れるのですね。素晴らしいことです。東北では現在、継承者が少なくなり、無形文化遺産もどこまで続けられるか危惧されている状況を見ると、八尾の皆さんは凄いと思っています。
3 件の返信
7 日前
八尾町も後継者が不足しています。
2000年頃の市町村合併で、旧婦負(ねい)郡八尾町は富山市に併合されましたが、八尾町は過疎地なので若い人は少ないです。
八尾町周辺から、踊り手や演奏者が応援に来ています。
八尾町だけでは成り立たなくなっているのが現状です。
ですから、これから先、30年、40年経つと富山市中心部からかなりの数の若者や民謡会から演奏者が参加していると思います。
@user-ny8tc7jx9d
7 日前
やはりいずこも後継者不足で問題を抱えているのですね。それでも八尾町では周辺の町から踊り手や歌い手、演奏者の方々が応援してくれるのは素晴らしいです。当方の地方では、それさえ難しいです。踊れる人がいなくなりましたから。 @user-ze7eg7wc8r
@user-ze7eg7wc8r
7 日前
@user-ny8tc7jx9d ご丁寧なお返事を有り難うございます。
※ただ、問題がありまして、二十歳未満の若者で猛練習しないと踊れないらしいのです。(中学校や高校に、文化伝統部を沢山創るといいと思います。彼等が継承してくれるでしょう。)
東北地方でも地域により事情は違うのでしょう。
他の地域から応援すらない地域は、消滅の危機にありますね。深刻な問題です。
ある程度の規模があり、観光客を誘致できるようなお祭りや伝統行事は、存続していくと思いますが、、。
残念ですが、小さな町のお神輿や獅子舞は消滅していくのかも知れません。
私が住んでる町内の春祭りにお神輿と獅子舞がありました。
昭和時代、小さな神社には露店が来てました。
平成半ばに、後継者不足により獅子舞が消えました。小さな神社に露店は来なくなりました。
現在、お神輿だけが町内を回ってる状態です。お神輿に対してお金を出す家も減っています。(お金を出してくれた家の前で、ワッショイワッショイとお神輿を揺さぶり、その家の幸福と安全を祈願しています。)
やがて、お神輿も消滅すると思われます。残念ですが、これも時代の流れであり歴史の一部だと捉えています。
おそらく、全国には私の町内のような状態の町が沢山あると思います。