we are amaterasu kingdom dimensionsLXXI。
敬天愛人もありますし、ここでは愛人とは愛する人という意味ですが。10月 14, 2018
"三島由紀夫 「葉隠について」"
"三島由紀夫 「太宰治を嫌う理由」"
"三島由紀夫 「太宰治を嫌う理由」"
あのですね、おれも普通に同性友情はあります。当たり前。
※以前『西郷南洲遺訓』を古本で買ったはいいけれど、原文のみで、読んでも(字ズラを見ても)何一つわからなかった過去がありますが、機会があったら、『葉隠』読んでみます。20210930。
"「斜陽」への旅 ~太宰治と太田静子の真実~"
"テレビの可能性 吉田直哉が残したもの"
吉永小百合はゴミ処刑。
で、録画が途中からなのは、"海がきこえる"も、そこから観だしたからです。
吉田さんの番組は観てて「これは録ろう」と思ったのかな?
で、ドローンですか(皇居があったりするとおもいますが、峡谷とか)?
でですね、太田治子さんと吉田直哉さんはご夫婦ですよね。
あのですね、三島さんをインタビューした高校生の男女とは(笑)?
と、太宰治さんの声ってわかります("「斜陽」への旅 ~太宰治と太田静子の真実~"でも、静子さんの声は渡邊あゆみさん、太宰さんの声の方は)?
"佐賀WALK (佐賀市 長崎街道のレトロ建物群)"4.まあいいではないか 8月 23, 2018
Ⅰ:発光妖精とモスラ
なるほど、そう気ましたか。
これはどうあっても特製バインダーを買えってことですかな。
当初からの規定路線ですか、製造コストが安くつくとか?
おっと、これは何の話やらですな。
現在(2009年11月25日)絶賛発売中の東宝特撮映画DVDコレクション第5号「モスラ」の話なのでございます。
と言われても、やっぱり何の話やらですな。
※知りたい人は今すぐ最寄の書店へGO!
税込み1,990円也なのでございます。
どうぞこちらへいらっしゃいなのでございます。
仲間になぁ~れ~なのでございます。
死なばもろともなのでございます。※
で、華麗かつ甘美なクイックターンをここでいたしまして
なんと「モスラ」(昭和36年7月公開)には三人の小説家によって書かれた「発光妖精とモスラ」(別冊「週間朝日」発表)という原作小説があったのですな。
調べてないので、モトからあった小説を映画化したのか、モトモト映画の原作として書かれたものなのかはちょっとわかりませんけど、お三方の中にさんがいらっしゃるじゃないですか。
これは読みたいぞ!
で、秀麗かつ耽美なタッチターンをここでいたしまして
前回の「海底軍艦」のラスト、序破急つうても急すぎ、駆け足すぎないかい?と言っておいてなんですけどな、「モスラ」のラスト足踏みしすぎじゃないかい。
ま、もちろん十分面白いんですけどね。それは前提で。
なんかニューカークシティーを(無駄に)破壊しながら飛び続けるモスラさんと同じように、観ているこっちもじらされちゃったぞ!←ロリシカ国のニューカークシティーです、ニューヨークの書き間違いではなかとですよと言われても何の話やらですな。
繰り返し※~※
で、貪戻かつ淫靡なゴールタッチにたどり着きまして
このDVDコレクションのファイルなんですけどね。
データも豊富、当時の話も盛りだくさんで読んでて面白いし、付属の(かな?)当時のポスターを隅々まで見ているだけでもご飯が三杯はいけますけどね。
ただ"特撮"ってついてるからしょうがない事ではあるんですけどね。
こう円谷特技監督ばっかりクローズアップされてる気がしましてね。
もう少し監督の本多猪四郎さんのことも掘り下げて欲しいなぁって。
だって、どの映画も面白いのは怪獣たちの活躍はもちろんだけど、人間達の織りなすドラマが面白いってのも絶対にありますからね。本多さんの手腕もかなりあるんじゃないのかなぁ。
ところでフランキー堺さん演じる主役の「福田善一郎」、これは原作者の、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛、お三方の名前を組み合わせたものですな。
ちなみにこのファイルには、公開当時同時上映だった映画の名前ものっています。
で、「モスラ」と同時上映だった映画、これはちょっと面白そうだぞ。
いったいどんな映画なんだ?
しかしこれはDVD化はもとよりビデオ化もされたことないんじゃないか?
う~ん、残念。
いやね、映画の名前がね凄く気になるんですよ。
と言われても何の話やらですな。
繰り返し※~※
Ⅱ:自
朝からなんですが、ふと思ってしまいました。
まあ260年間を一括りにして考えるのは非常にナンですが、例えば江戸時代。
年間、どれくらいの自殺者がいたのだろう?
単純に現在(平成二十一年度)との自殺者の人数比較は分母の絶対数が違うので意味はなく、人口に占める割合としてどれくらいの人が自ら命を絶ったのだろう。なんか、平均的に生活自体は今よりも厳しかったけど、自殺者自体は今よりも少なかったイメージがあるんですよね。
(つうてもこれは基本的に自殺ではなく刑罰ですかね)
庶民だって近松門左衛門さんの「~心中」な作品がありますし。
(これ生き残ると確かその後の処遇は苛酷なんですよね)
そういえば男が心中に誘って、まず女性を殺したら、怖くなって自分は死ねなかったって男の実話を読んだ気がします。
で、↑は限定的な話ではありますが、自殺する人がいなかったわけではないつうことはわかります。
でも江戸時代って分け方にはやっぱり無理があるのかな?
時間という縦の流れだけではなく、横の"面"としてみても。
もちろん、これもその時代々々で、その横の"面"としてみても、その結びつきに強弱はあるでしょうが、当時の日本は実質徳川将軍家を盟主とした連合王国つう感じでしょうし、今みたいに列島津々浦々、画一的な社会ではなかったろうと。だからそれぞれの天領、それぞれの諸侯の領土で事情は様々で、自殺をする事情も数も多様性にとんでいたかも・・・
ま、どちらにしろ ←これ使ってみてわかりました、これは話を端折り、飛躍を可能にする、きわめてべんりなフレーズですね
ま、どちらにしろ、平均的な生活自体は今よりも全然厳しかっただろうけど、自殺者自体は今よりも全然少なかったイメージがあるんですよね。
そういえば、戦時下では自殺者の数は減るつう話もありませんでしたか。
で、僕の結論ですが、あるんですが書きません。失礼になるかもしれないんで。いいですよね。
Ⅲ:学
高校の頃、「東京の高校生はお前等よりも何倍も優秀だ、だからお前等は東京の高校生の何倍も努力をしなければ受験での勝利はない!さあ勉強をしろ!」と教師の方がよく言っていました。
「そうなんだ。東京の高校生ってすごいんだな」
僕はかなりボーとしてましたからね、素直に信じ込んでいました。
ま、僕の偏差値は底辺というか地べたにへばり付いていたんで、受験戦争云々かなり以前の問題でしたけどね。
で、どうしたこうしたで東京の大学に潜り込み、仲良くなったかっての東京の高校生にその話をしたら、「地方の高校生はお前等よりも何倍も優秀だ、だからお前等は地方の高校生の何倍も努力をしなければ受験での勝利はない!さあ勉強をしろ!」と言われていたとか。
そりゃそうですわな。
でも勉強を毎日キチッとできるっつうのは物凄い才能ですよね。
で、その物凄い才能を持った人間が物凄い努力もしていると。
勉強ばかりしていても小さくまとまるだけだぞっていう意見もあるけど、僕は立派な個性だと思う。たしかに偏りすぎるのは人生いろいろ問題が出てくるのかもしれないけど、これは全てのことに言えることで、勉強に限ったことではなく、別に否定すべきことではないでしょう。
わかったか受験生!!
と、このように、どうして人間は自分ができないことを人様には偉そうに言えるのでしょう?
でも最近は僕も、ロン毛に茶髪にピアスに制服のズボンは腰で穿きって子が、(大学推薦の面接のためかな?)髪をバッサリ切り黒く戻し、制服もビシッと決めて現れると「おお!大人っぽくなったなぁ。全然今のほうが格好いいぞ!」と素直に口につくようになりました。
随分オヤジっぽい感性だなとは自分でも思いますが、ホントにそう思うんだから別にいいでしょう。
(※東京に住んでた最後の頃、近所の、町のゲームセンターでバイトしてたので、わりと、近所の学校に通う高校生や中学生の子らと話す機会がありました・2014/06/15)
Ⅳ:他人事
テレビで見ましたけど、今(2009年10月13日付)デジカメ凄いんですね。
ほ~カメラが勝手に撮影対象を動いて探して、勝手に構図を決めて、勝手にパチリと。
ほ~フレームのまわりをぼかすと、ホントだ、ミニチュアみたいに見える。
ほ~定点に置いとくと後は自動で撮り続けてくれPCで連続再生できると。
メモリーに一万枚以上、防水もばっちりと。
このへんの技術は詳しい人には当たり前のことなのかもしれないけど僕には「へ~」「ほ~」です。
は、おいといて
家電製品などについて、フィリピン人の方にこう訊かれるコトがありました。
「これは日本製かい?」
「日本製ならいいもんだろ?」
なんとなく、あらゆる分野においてメイド イン ジャパンのクオリティーを保持、さらに磨き続けるのがこれからの日本の生き残る道って気もします。
だから間違っても偽装だなんだで自らそれを貶めちゃいかんだろうとも、他人事のように思います。ええ思うだけです。
(※最近、同時に、違う思いもあります・2013/11/16)
(※違う思いを持つにいたる過程に関しては、別に書くと思います・2014/06/15)
※組織だってやりゃ、攻撃対象を貶めることくらい”一見”簡単だ、つうことで。20180821。
※一見、つけるとあれかな?わかりますよね。20180823。
※一見、つけるとあれかな?わかりますよね。20180823。
もしかしたらそれはもうあまり実質を伴っていないモノかもしれないけど、"神話"は大切ですからね。自ら霧を晴らす必要は全くないんです。霧で誤魔化してるうちにもう一度、実質を伴ったモノにすりゃいいんです。と他人事のように思います。ええ思うだけです。でもメイド イン ジャパンの世界でのブランド力の凄さを一番分かってないのは日本人自身な気もしますね。
「これは日本製かい?」
「日本製ならいいもんだろ?」
そう訊くと大概「ドコ製でも変わんないよ」と返されるらしいですからね。
日本人に。
Ⅴ:羅馬
今日(2009年12月2日)行ってまいりました。
東京は上野公園内国立西洋美術館で開催されている「古代ローマ帝国の遺産展」。
で、紀元一世紀前後のローマの邸宅の室内を鮮やかに彩ったであろう絵画がかなり展示されていて、どれもこれも非常に興味深く拝見させてもらいました。
で、(たぶん)すべての絵画の説明文にフレスコという表示がしてあります。
おお!これがフレスコ画か!
ついこないだ藤田嗣治さんについて書いたときにフレスコ画という単語を使ったんですけど、実はそれが何かよくわかっていなかったんです。なるほどねぇ、これがそうですか。これは早い話が漆喰ですか?それが乾く前に塗ると?ほ~やっぱり実物見んとその質感はよくわかりませんね。
まあ大理石のローマ皇帝の胸像やポンペイで発掘された生活用品のお皿などは、その辺で売ってる複製の胸像やちょっとしたレストランのお皿などが展示物に紛れ込んでいても僕には区別がつかんなぁという思いも頭をよぎりましたが、これは区別がつかないほど二千年も前にデザインとして完成されていたのだとポジティブに捉えよう。
でもスフィンクスってずいぶんメジャーな存在だったのね。
スフィンクスのテーブル脚部なんてデザイン格好よすぎでPOPでかなり欲しいんですけど。
ま、ウチに置き場はないですが。
で、あと一個だけ。
展示されている絵画の中に羽が生えた子供の天使が描かれているものが数点ありました。
これは"キリスト"の絵画様式だと捉えていいんでしょうか?
上に書いたように、展示されている絵画は紀元一世紀前後のものがほとんどだと思います。
すでにローマ帝国内で普通に天使の絵画を飾ることができるほど"キリスト"の地位は確立していたのでしょうか?それとも「羽が生えた子供の天使」という表現方法はもともと存在し、本来"キリスト"とは無関係なものだったのでしょうか?
もちろん自分では調べません。
あ
そういえば昔、僕が「こんなん今読んでんだよ~」とイタリアの方(女性好きで陽気な方でした)に塩野七生さんの「ローマ人の物語」をみせたら、「ローマ(帝国)が何で滅んだか知ってるかい?ローマの皇帝がキリスト教徒を迫害し、その行為に怒った神に滅ぼされたのさ」と(たぶん)言われてました。はい、英語だったからようわからんのです。
ま、それはさておき、さすがイタリア、(たぶん)カトリック強し!!
Ⅵ:誰
で、国立西洋美術館もある上野公園にはデンと西郷隆盛さんの銅像が宮城を見つめるように(適当です)建っています。
この高村光雲さん作の銅像の除幕式は明治31年の12月。
その除幕式に招かれていた西郷夫人の糸子さんはこの銅像を一目見るなり「ウチの主人はこんな人じゃないよ」と不満を口にされたとか。
そして実は西郷さんの写真といわれるものは一枚も残っていないことと相まって、西郷隆盛さんは実は伝わっているものとはまったく違う人相をしていたのではないか?つう歴史ミステリーを(一部で)発生させるモトになっています。
肖像写真だと誤解されることも多いのですが、一番"西郷隆盛"の顔として有名な肖像画は、西郷さんと面識がないエドアルド・キヨッソーネさんが、西郷さんの弟や従兄弟の顔を合成修正してこしらえたものです。絵です。
で、僕の中の西郷さんのイメージもやっぱりそれです
で、実は僕は上野の西郷さんの銅像は人生で二・三回くらいしか見たことありません。
だから初めて見たときのこともわりと鮮明に覚えています。
あれは上京してしばらくたった頃のことでした。
上野で友達と待ち合せをし、ちょっと待ち合わせまで時間があったため「せっかくだから西郷さんでも見に行くか」と今はなき聚楽台横の階段を上りました。
「誰?」
これが僕が上野の西郷像を見た瞬間感じた思いです。
そうなんです。僕の頭の中ではキヨッソーネさんが描いた"西郷隆盛"が"西郷隆盛"として不動の地位をしめています。そんな僕が上野の西郷像を見て感じた思いが「誰?」なんです。
印象つうもんは人それぞれなんで、あくまで僕の個人的感想ですが、西郷夫人の糸子さんが「ウチの主人はこんな人じゃないよ」と言われたのは、単純にあの像の顔が旦那さんにあんまり似てなかったんじゃないですかね?もちろんかもし出す雰囲気も。
つうか西郷隆盛さん、ほんとうは西郷隆永さんだぜ!て話はまた今度。
※なにげに皆さんのスケジュールを調べると慶応元年には空白の1日があるとか(笑)?20210930。
で。
"エリア88 ACT3 燃える蜃気楼"
そういえばですね、どなただったか、中野健明さん?のお名前が(この時点で違うかも・笑)。
中野健明
中野 健明(なかの けんめい / たけあき / たけあきら、1844年11月4日(天保15年9月24日) - 1898年5月11日)は、幕末の佐賀藩士、明治の外交官・大蔵官僚。幼名・剛太郎。
経歴
佐賀藩士・中野中太夫の二男として生まれる。維新後に新政府に出仕し、明治2年8月(1869年9-10月)、大学校中助教兼中寮長に就任。大学大寮長を経て、同年9月(10-11月)に外務少丞となる。以後、神奈川県大参事、司法少判事、外務権大丞、司法権中判事などを歴任。明治4年11月(1871年12月)、岩倉使節団に随行し欧米に遣わされた。
1873年8月に帰国し、同年11月、外務一等書記官としてフランス公使館在勤を命ぜられる。1878年7月に帰国。1879年1月、外務権大書記官・公信局副長に就任。公信局長心得を経て、1880年3月、オランダ公使館在勤となり、1882年5月に帰国した。
1882年6月、大蔵省に転じ大蔵大書記官に就任。以後、関税局長、一等主税官・第一部長、関税局長、主税局長などを歴任した。
1890年1月、長崎県知事に就任し、1893年1月、神奈川県知事に転任。1898年5月、現職で死去した。享年55。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沖田 総司さんのお名前になっているお写真も、たしか。
沖田 総司(おきた そうじ、天保13年(1842年)? - 慶応4年5月30日(1868年7月19日)は、幕末の武士、新選組一番隊組長及び撃剣師範。本姓は藤原を称した。諱は春政、後に房良(かねよし)。幼名は宗次郎。
生年については天保13年(1842年)または15年(1844年)の2つの説があり、生まれた日付についても判明しておらず、夏であったということしか分かっていない。「沖田家文書」では没年が25歳とある。2人の姉がおり、沖田家は姉のみつが婿に林太郎を迎えて相続させる。父の勝次郎は弘化2年(1845年)に死去したため、長男の宗次郎が元服し跡目相続すべき所、幼少のため相続出来なかった。義兄の林太郎は安政6(1859)年まで白河藩に在籍していた記録がある。
生年が明確で無いため、享年については諸説あり、没時年齢については沖田家累代墓碑の24歳、沖田家文書の25歳、『両雄士伝』(小島鹿之助)における上洛時の年齢(22歳)から計算した27歳の3説が存在する。墓所は東京都港区の専称寺にある。戒名は「賢光院仁誉明道居士」。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ちなみに。
芹沢 鴨(せりざわ かも、芹澤 鴨、生年未詳 - 文久3年9月16日(1863年10月28日)?)は、幕末の水戸藩浪士、壬生浪士(新選組)の初代筆頭局長(頭取)。前名は下村嗣次(継次、嗣司、嗣治とも)と推定されている。諱は光幹で、本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏とされるが、実際は出自、出生年に諸説があり、確定されていない(後述)。
出典(写真は別): フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
もひとつ。
幕末維新期ころの写真のこの方のお顔が合成で"沖田総司"として出回ったこともあったそうですが。
とりあえず、さておき(合成は逆も両方もできる・笑)、あのですね、外人部隊の隊長(お父さんが反乱軍のリーダー)とはいえ、アラブのアスラン王国の王子であるサキさんがイスラエルのクフィルに乗っているというのも意味があるのでしょう(今wikiをみたら友好国のイスラエルから送られたと)。20211004。
で。
Ⅶ:秋
僕はとりあえず本を買ってしまう習性があります。
読むかどうかわかんなくても買ってしまいます。
したがって後になって「?」なことにもままなります。
この「西郷南洲遺訓」とかいつ買ったっけ?
しかも中の文章すべて当時のままなのね。
返り点が目に痛い。
読み下し文も併記はされとりますが、当用漢字もなんのその。
まだ英文の(短い)メールとかのほうがわかるかも。
これは英語で話しかけられてる感じかなぁ。
話の方向性と言わんとするトコは何となくわかる程度で。
然して大ハズレもあると。
でも昔の人は、もちろん寺子屋にしろなんにしろ文字を習った人つうことで、昔の人はこれを普通に読んでいたのね。
ま、これが普通だったんだから普通に読むのは普通のことで当たり前か。
7.本当にそれを創造されたかたへリスペクトを。20180816。8月 16, 2018
Ⅰ:点と線
昨日(2009/10/10)、放送されたビートたけしさん主演のテレビドラマ「点と線」。これは二年前に二夜連続で放送したものを、今回原作者松本清張さん生誕百年にあわせて一本の作品に再編集のうえ再放送と。
※ビートたけし江守徹竹中直人ピンクレディゴミ処刑。松本清張というあの顔の男もゴミ処刑。作品は、そういえば司馬さんが記者時代、仕事おっぽり出してヨーロッパ旅行かなんかに行っちゃった作家のかわりに連載小説の代筆を、が、読まずに書いたもんだから、読まずに書いたのかしら?だったかな?仲違いしていた男女がいきなり熱烈な恋におちていた、みたいな話をみどりさんがされていましたが、なにかと司馬遼太郎名義でない作品があるようですが、ナウシカとか。山田祐介だっけ?福田明日香が書いたと、おれが。で、松本清張名義の作品はすべて半藤一利さんのお作です。高橋克典さんと内山理名さんは仲が良いご夫婦。いいきります、おれが。20180816。
※ゴミは処刑。20211212。
僕はその本放送を観てないので昨日は新鮮な気持ちで観れました。
で、ビートたけしさんは番組開始そうそう福岡の古参中年刑事、鳥飼重太郎として登場。
「あれ、たけしさんその役なの?」とちょっと思います。
だって原作では物語の導入部となる心中事件(実は殺人)は確かに福岡で起こりますけど、途中から話の重心は東京近辺に移りますからね。東京の警視庁から福岡に心中事件の調査に派遣されてきた刑事三原紀一と共に(三原は心中で死亡した男性を別件でマークしていた)。
でもたけしさんが演るならやっぱり鳥飼しかないよな、とも思います。
だって警視庁から派遣されてきた三原は年齢三十そこそこだし(原作)。
福岡の中年刑事がビートたけしさん、警視庁から派遣されてきた若い刑事が高橋克典さん。
ちょうどいい感じな気がします。
でもどうするのかな?原作では三原が東京に帰ってからは鳥飼の出番は手紙くらいでほとんどないからな。かといって主役のたけしさんを福岡の中年刑事に配役したからには後半出番なしとはいかんだろうし。無理やり話しの力点を福岡にするのかな?どうするんだろう?興味津々。
・・・おっと、そうきましたか!
なるほどね。鳥飼さん無理やり東京に行っちゃうのね。で、三原さんとコンビを組んで事件の捜査をするわけね。原作では三原さんが気づく"四分間の空白"も鳥飼さんが気づくように改変されるわけね。
よくよく考えたら、「そんなアホな!?」と思わんでもないですが、テレビドラマの脚色としては僕的にはこの改変は許容範囲でした。
が、これはドラマの脚本家の方ご自身のメッセージなのか、ドラマの企画会議で決まったメッセージなのか、はたまた別のなんなのか、かは僕にはわかりませんが・・・
原作にはない鳥飼と犯人安田の対面(精神的対決)シーン。あそこで鳥飼が語っているコトはまことに正しく、その通りだと思います。「この事件の犯人は軍隊で人の命の大切さがわからなくなった、可哀相な、ある種戦争の被害者だ」的な(ドラマの中の時代は戦後十年経過くらいです)。
でも、僕はそれを聞くとドラマに引き込まれていた心が途端に醒めてしまいました。
訥々としたたけしさんの台詞まわし僕は好きですが、その時は何かたけしさんが腹話術の人形にでもなっちゃったような気さえしました。人によってはそこに感動したって人もいるでしょうから、あくまで僕の個人的な感想ですけど。
せめて原作にはないメッセージ(ある種イデオロギー)は役者の台詞としてストレートにメッセージとして語らせるのではなく、違う表現方法で視聴者に悟らせるって無理なんですかね。
「点と線」の原作の中にはなくても、これはそもそも松本清張さんの思想だ。
もしくは違う松本さんの小説の台詞を使っただけだということかもしれませんが、僕はやっぱり嫌いです。
ドラマが薄っぺらくなる元凶だと思うから。
Ⅱ:空気
僕が昔の日本映画を観るのを楽しみにしているのは、そのフィルムの中に昔の"空気"が真空パックされているからってこともあります。どんな種類の映画でも、その映画を作った時代の"空気"は基調低音として流れており、逆にそこから逃れるのはなかなか難しいことだと思います。これは別に映画にかぎらないコトかもしれません。
これは映画ではなくテレビドラマですけど、僕がこないだ書いた、ビートたけしさん主演の「点と線」への違和感。これは松本清張さんが原作を書かれた昭和三十年代前半と、このテレビドラマが製作された平成二十年前後の時代の"空気"の違いに対してかもしれません。
というのはさておき、単純に映像に残る昔の風景を見るのが楽しいってのもあります。
昔の東京の道路の頭上は本当に路面電車の架線で埋め尽くされているな、とか。
あとはやっぱり、当時の風俗、ファッションとかビルや車や生活用品などのデザインや色彩が観ていてすごく楽しいですね。
特に車。昭和三十年代前後の消防車や(たぶん)救急車、すんごくカッコいいんですけど。
一番機能性を大切にしないといけない車両だから無理な話だけど、是非このデザインの復活を(アレンジはOK)!と思ってしまいます。
これは"空気"の中に入るだろうけど、当時の人の日本語のボキャブラリーや発声のアクセントも聴いてておもしろいですね。
Ⅲ:センス
いえね、Musicではね、若いころからそのケはあったんですよ、わりとシンプル好きというか。
つうても僕は遅れてきたNew Wave少年でしたからね、ギミックやキッチュは大好きなんで、結局のところは例によって個人の"センス"ってトコに落ち着いちゃうんですけどね。
まあそこも踏まえた上で僕はわりとシンプル好きなんですよ。
ギミックやキッチュを含んだシンプル。随分無茶を言ってますが、たぶん100人中3人くらいは僕と似たような"センス"の人もいるのではなかろうかと。
もちろん同じとは言いません、あたりまえですが。
いろんなデザインとかでもシンプルなモノにひかれる傾向があります。
で、話は変わって銀閣(通称ね)。
まあ、お会いしたことはないので、関する本を読んで、見て、での感想になりますが、銀閣を建てた足利義政つう人は政治家・為政者としてはとんでもなく駄目な人だったみたいだけれど、その"センス"には正直ちょびっとひかれてしまいます。
「馬鹿。銀閣を建てたのは足利義政ではない。当時の大工たちだ!」つうまことにごもっともなご意見もありますが、やっぱり足利義政さんの"センス"あっての銀閣だと僕は思うので、銀閣を建てた足利義政と言っちゃいます(造営といえばいいのかな?)。
まあ当然"センス"の中には義政さんの周囲にいた人たちの"センス"も混じっているでしょう。組織のトップの人間は精神的に孤独だろうけど、だからといって人間は独りで存在できるものじゃないですしね。
足利義政さん、今生きてたらどんな"Art"をみせてくれたかな?
いろんな縛りから放たれてさ。
ひとりの人間として。
もちろん今の世にも抑圧はあるよ、それもかなり強力な抑圧が。
でも"Art"に抑圧は悪くない気もするんだよね。それで潰れるんならそれまでだしさ。
Ⅳ:差異と反復
点と線。
我ながらしつこいんですが、こないだ確認のために録画しといた奴を観直しちゃったんで。
松本清張さんの原作では、総ての発端の心中事件が起こった福岡から、真犯人が蠢く東京に小説の中盤で舞台が移るために、福岡の古参中年刑事鳥飼重太郎はほぼ前半部だけの登場となります。
その後は福岡に心中事件の調査に派遣されてきた警視庁の若き刑事三原紀一が活躍し事件を解決に導きます。主役は三原、鳥飼はあくまでも脇役です。
しかし今回のドラマでは鳥飼刑事をビートたけしさんが演じたために、原作と違いこの鳥飼刑事は独断で東京に行き、高橋克典さん演じる三原刑事とともに事件を捜査します。そして時刻表の問題など、原作では三原刑事が解くトリックも鳥飼刑事が解くことになります。
が、前にも書きましたが、たとえ現実離れしていても、テレビドラマの脚色として僕はこの変更は全然アリだと思います。
それよりもラスト。
逮捕状が出るも一足遅く自殺してしまう犯人夫婦。妻を愛する夫。夫を愛する妻。しかし健康を害し、自分の身体が弱いために、夫が愛人を持つことを認める妻。そのお金は妻のもとからも出ている。これは一緒。
原作では(あくまでもすべてが終わった後の三原刑事の想像ですが)、この愛人の女性を夫の道具と割り切り、最終的に"情死"にみせかけ殺し利用した妻。もちろんそこには自分も公認の夫の愛人に対する歪んだ嫉妬もあるだろう。最後の夫婦心中もおそらく自分の死期が近いことを悟った妻が夫をだましておこなったもの。恐るべき女。血も冷たい女。そして三原刑事は夫婦が心中してくれてホッとした。状況証拠ばかりで物的証拠がなにもない。逮捕状自体よくとれた。公判になるとどうなるかわからなかった。
対して、ドラマでは現在政界の大物として君臨する戦争中の上官のために暗躍する夫。手を取り合って死んでいく夫婦。そして福岡に帰る夜汽車の中での鳥飼刑事の「女ちゅうのは弱いけん、男に惚れて惚れて死んでいくとです」の台詞。夫婦が死んだ事により結局巨悪は暴かれずに終わる。
まあ小説のドラマ化ではこれもよくある話だろうし、どちらも夫に惚れてるからこそ、結局同じコトを言っていると言おうと思えば言えるかもしれません。「私たちはそう解釈した」ってな感じで。
が、原作には無い、犯人夫婦の夫に対する鳥飼刑事の「事件の犯人は戦争で人の命の大切さがわからなくなった哀れな人間だ」みたいな台詞、やっぱり僕には違和感ありまくり。
ま、現実に松本清張さんが原作を発表された昭和32年にはそんな人たちも現実にいたんでしょう。何せ戦後まだ12年。当たり前のこととしてそこら辺にいたんでしょう。当たり前すぎて、そんな台詞は出しようがなかったでしょう。
これも前書きましたが、せっかく"昭和30年代"だと気持ちよく騙されて観ていたら、いきなり平成の看板を持った人間が画面の中に出てきて「ドッキリカメラで~す」とにこやかに宣言されたみたいな感じがしちゃいます。
結論としては、作品の質が良い悪いとは全く別の所で、松本清張さんの原作とこないだのテレビドラマは同名異曲、結局違う話なんじゃないか?と個人的には思っちゃいました。根本的に事件の質自体が別モンになっちゃってる気がします。それにまつわる人間模様も。
もしかしたら時刻表のトリックとか、最初の福岡の香椎の浜での情死事件のトリックなど、作品に出てくるトリックの内容さえ改変しなきゃ「点と線」だろう。それ以外、話の筋や犯人の内面とかは、どう料理しても別にいいんじゃね?つうコトですかね。
テレビではいちいち登場人物の細かい内面を言葉で説明できないし、わかりやすくしなきゃいけないんだ、みたいな。そうそう、具体的な"人"として巨悪も出しとけ、政治家を出しとけ、みたいな。
ちゃんと「本当に悪いのはこの人ですよ」と視聴者の人に噛み砕いて教えてあげないと、みたいな。
「結局は暴かれない巨悪、”悪いやつほどよく眠る”をやっときゃ松本清張なんだよ」、みたいな。
ドラマでは柳葉敏郎さん演じる、官庁方面への商いをしている犯人夫婦の旦那さん。
僕としては原作はこの人のピカレスクロマンとして読めんこともないんです。かなり無理やりですけど小粒な男の意思を持った野望物語ではあるんです。そしてそこに絡んでくる奥さん。
シェークスピアの舞台劇みたいな感じもあるんです。
でもドラマの方は。
Ⅴ:内面の発見
次回の東宝特撮映画DVDコレクションは「ガス人間第一号」(昭和35年12月11日公開)です。
この作品は東宝特撮映画変身人間路線の第3弾らしく、『続発する銀行強盗、翻弄される警察、そこには謎のガス人間の影が!!』と、同じ特撮映画でも怪獣映画とは一味違う魅力がありそうで、今からもうワクワクドキドキです。
で、例によって作品内容の事前情報はなるべく仕入れないようにしていますが、前号の予告によると八千草薫さんが今作のヒロインみたいです。今もお美しい八千草さん。その八千草さんの半世紀前の可憐なヒロインっぷりもまた楽しみです。つうてもヒロインは(多分)主役の連続銀行強盗犯でもあるガス人間第一号さんの関係者で、警察に目をつけられた最初の重要参考人ぽいし、よくあるお供え物の可憐なヒロインとは一線を画した存在かもしれません。
昭和29年11月公開の「ゴジラ」とほぼ同時期に製作され・誕生した同年12月公開の「透明人間」。
その東宝特撮映画変身人間路線の第三弾こそが、昭和35年12月公開のこの「ガス人間第一号」。
どうしても当時の最新特撮技術を駆使したワクワクドキドキにピカレスクなロマンを期待してしまいます。
どうせ発売はスグだし、内容は何も調べてないので全く違うかもしれませんが、是非(多分)主役のガス人間第一号さんは惚れ惚れするような悪漢であって欲しいです。
内面は別にいりません。反省も別にいりません。僕は別にいりません。
ただ、できれば、かなう事ならば、第一号さんはもう己の欲望のみに生きていて欲しいです。
特定の誰かとか国家への復讐が私の動機です、てのも僕は別にいりません。
が、これはしょうがないので、そうであっても別に僕はかまいません。
もちろん観てみたら主役は刑事で、実は第一号さんはただの脇役・敵役でした!つうオチもありえますが、それはそれと言う事で。
Ⅵ:千のプラトー
さて東宝特撮映画変身人間路線第三弾「ガス人間第一号」です。
ちなみに当時のポスターには"空想科学映画第三弾!"と書かれています。
まず、変身人間路線の第一作を昭和29年12月公開の「透明人間」だと昨日書きましたが、どうも昭和33年6月公開の「美女と液体人間」が数え方として第一作みたいです。
もちろん「透明人間」という作品はあるんですが、「美女と~」が好評だったから、この路線をもうちょい掘り下げてみるか?つう感じだったんですかね。そこから割と立て続けにこの路線の作品が製作されています。
まあ考えてみたら「ガス人間~」が公開されたのは「モスラ」公開の前年。
実際にすべての作品を観たわけではなく、付属ファイルのシリーズラインナップの作品名を見ただけですが、当時はまだ"東宝特撮映画=怪獣"という図式が固まる前で、いろんな可能性が試されている気がします。冒険・実験がなされている気がします。特撮技術についてだけではなく、それを生かした空想映画としての可能性を。
しかし変身人間路線もこの「ガス人間~」が最後っぽいです(三年近く後に「マタンゴ」つう作品が製作されていますが)。そして、正義の味方ゴジラさんと愉快な仲間達vs悪徳怪獣つう図式に基本的に収束していきます。まあ、それも悪くないんですが・・・
いえね、マジで面白いんですよ「ガス人間~」。やっぱり主役は三橋達也さん演じる刑事さん。土屋善男さん演じるガス人間は脇ではありましたが、当たり前に充分すぎる存在感。
大学進学の望みも叶わず、ジェットパイロットになるという夢も自身の体格で絶たれ、将来に何の希望も持てずに虚無的に為っていたトコをマッドサイエンティストにつけ込まれ、哀れガス人間へと改造された若者水野。身体を思い通りにガス化させることができるという望まずして手に入れた無敵な能力を、愛する女性の為に使う水野。それこそガスのように捉え所の無い"空虚"に対する怒り・憤り・嘆き・嘲りをそこに昇華させ、それを自身の存在理由とする水野。そのためには人を殺すこともいとわない。もしかしたら八千草薫さん演じる落剥した日本舞踊の家元藤千代を愛することで崩壊しそうな自身の精神をつなぎ止めている水野。「君のため」と言いながら自身の虚無感に藤千代を引きずり込む水野。そんな水野を人間社会に紛れ込んだ異物、あってはならない危険な存在として処刑抹殺しようとする警察。そしてすべてを理性で悟った上で「情鬼」となる藤千代。
無茶はありますがええ話です。ちょっと雨月物語な感じもします。
でも映画の冒頭、車で逃走中の銀行強盗犯を警察が追跡。すると犯人の車は山中で道を踏み外し崖下へ転落。しかし死んでいるか大怪我をしているはずの犯人の姿はどこにもない。困惑する警察。そのとき何処からか聴こえてくる鼓を打つ音。その音を辿って草深い路を行くと屋敷が在り、そこでは夜叉の面を付け舞い踊る女性の姿が・・・
なんて今の話としてやっちゃったら、まんまオバケ話になっちゃいますかね。
でも空想科学と日本舞踊。この感じ、いいなぁ。
当時はまだ当たり前にこの組み合わせにリアリティあったのかな?
Ⅶ:神々の黄昏
ということはあれですな、「ガス人間~」、考えてみたらこの変身人間路線が映画で続かなかったのは、テレビの大衆への本格的な普及の影響かもしれませんな。怪獣が画面狭しと大暴れする作品と違い、日常の隙間・怪奇を描いた作品はテレビの小さい画面にぴったりだったから、そっちに流れていったとか。
え~と、テレビドラマ「怪奇大作戦」は昭和43年ですか?「ガス人間~」公開から8年後か?
ん~ダイレクトに結びつけるのは無理ありすぎるかな?「マタンゴ」からでも5年後くらいか?
それに考えてみたら怪獣だって昭和41年の「ウルトラQ」から(かな?)テレビ進出果たしてるもんなぁ。
うん、よくわからんな。単純に不入りだったのかな?大衆の一番身近なエンターテイメントとして栄華をきわめた映画産業も、テレビにその座を奪われてだんだん斜陽に向かっていく時期だろうし、もう金が稼げる映画をつくらなあかん、首がまわらん、特撮映画部門ならそれはやっぱり子供達のヒーローゴジラだろう、そもそも気を抜くと空飛ぶ亀にその栄光の座をひっくり返される、それに子供が映画館に来るっつうことは自動的に大人もついて来るっつうことだもん、てな感じだったのかな?
それともただ単純に特撮技術の進歩にともない、特撮ありきの怪獣映画ではなく、「ガス人間~」のようにドラマの一部としての特撮は、もう当たり前すぎて特撮映画と認識されなくなっていったのかな?
うん、それはないな。あれかな?何となく日本が世界を先行していた怪獣映画と違い、日常の怪奇みたいなのは「トワイライト・ゾーン」とかアメリカの怪奇番組の焼き直しみたいなイメージを与えちゃったのかな?当時「トワイライト・ゾーン」とか日本でも普通にテレビ放送してたんだろうし、もっと時代が下がっても「奥様は魔女」とかやってたし。
でも、ルーツをたどれば・・・みたいなのは別にこのジャンルに限らんし、それが駄目なら「怪奇大作戦」みたいなテレビ作品が製作されるわけないな。
うん、やっぱりよくわからんな。
今回はよくわからんつうことがよくわかったな。
ただ一言、「ガス人間第一号」はおもろいです。
科学と幽玄。理性と情念。製作した人達、演じている人達にもそれはまだ現実感をともなったものだったのでしょう。違和感無く交じり合っております。絶妙です。
もしかしたら、高度経済成長と共に豊葦原端穂国に暮らしてきた人達が代々つちかって来た魔法がとける、その最後の時期ですかね?
まあ何にしろ「ガス人間第一号」はおもろいです。
Ⅷ:ピカレスク
で「だんだん斜陽に向かっていく」と昨日何気に書きましたが、この没落な感じで"斜陽"と言う言葉を日本で日常的に使うようになったのは、太宰治さんが敗戦後の社会変動の渦の中、没落していく上流階級の人々を描いた小説「斜陽」を発表されて以降ですかね。
"斜陽"が落ちぶれていくみたいな意味を持ったのは。
まあ、夕暮れな日差しとしての"斜陽"という言葉自体はそれまでも在ったんですよね。
変わらぬ日々に飽き飽きしつつ、たまには欠伸の一つもし、夢見るような夢を見て。
太宰さんはそんな"斜陽"さんが自分でも気づかなかった"落ちぶれる"という妖しく抗しがたい真の姿、真の魅力をその類まれな感性で見い出されたのだろうか?
それとも太宰さん、甘ったれた田舎のお大尽のお坊ちゃんらしく、ある時は高貴な"斜陽"さんの頬をその類まれな自尊心により引っ叩き、ある時は無垢な"斜陽"さんにその類まれな詐欺師的能力で甘言を弄し、そして"落ちぶれる"という自分色に無理やり染め上げたのだろうか?
"斜陽"さんに消える事の無い永遠の傷跡を残したのだろうか?
まあ何のことやらわからない。書いてる僕にもわからない。
※細野晴臣は一族郎党ゴミ処刑。20191123。
『不良少年とキリスト』
※檀ふみはゴミ処刑。檀家と一切関係なし。
阿川佐和子はゴミ処刑。阿川家と一切関係なし。
そういえば、高校の国語の時間に副読本の志賀直哉さんの項を読んでいると、ま、おれが知っている範囲で、丸田亜紀子もそうですが(笑)、"へえ、志賀直哉(さん)ておれが生まれた日に死んだ(亡くなった)んだ"と。
ちなみに、丸田亜紀子とは、おれの小中高の同級生で誕生日が一緒で被爆2世、で、小5ぐらいの時の給食の時間に、何でそういう話になったのか全くおぼえとらんけど、おれが"なんやこのヒバクシャ!"というと、"そがんことば言うて、わたしが将来結婚できんごとなったらひろきくんが責任ばとってくれるとね"と怒られ、"え!?いいの!?"と、おもわずおもいましたとか、中学何年生だったか(副生徒会長だっけ?)に"むかしはひろきくんば好きやった女の子多かったとよ、そいがなんね!"と怒られ、"あれ!?愛の告白だったのか!?"と、こないだおもいましたとか、季節の折々に説教を、で、いい(笑)?20210930。
12.love letters 8月 17, 2018
Ⅰ:越路吹雪さんが好き
「最初は友達としか思ってなかったんだけどさ、お前の存在が俺の中でどれほど大きくて、大切なものか気づいたんだ」
という話ではなく、越路吹雪さん。
好きです。自分にびっくりです。こんなに好きになるなんて~です。
もちろん名前は知ってましたし、「愛の賛歌」とか「ラストダンスは私に」とかも知ってました。
が、有名ドコロ10曲くらいですけど、まさかこんなにヘビーローテーションで聴くようになるとは・・・
まあ、もともと「Save the Last Dance for Me」とか原曲のポップスが大好きってのもあるとは思うんです。でもそれだけじゃなく、「人生は過ぎゆく」とかでの女の情念とか哀切をギュワっと凝縮したかのような声を聴いた瞬間もう、やられた~!!なんです。
が~ん!!てくるんです。
で、ここで、妙な方向に発想が・・・
小学校4年生くらいの時って夏のキャンプとか行くと、夜は必ず子供だけで「お前、誰が好きなんだよ。教えろよぉ」みたいな話になりませんでした?「絶対にいわないからさぁ。ここだけだから教えろよぉ」と。それで押しに負けてしゃべると、次の日にはもう参加した子供全員が知っていると。好きな女の子がいたらその子も。「絶対にいわないっていったじゃないかよぉ」と涙声で怒っても後のまつりと。
ただ、あれってわかってんですよね。教えたら絶対しゃべるって。
僕はいったこともいわれたこともあるけど、そりゃねぇ、ンなこと聞いたらね、しゃべりますよ。
おもしろいもん。
だから僕も「絶対にいうなよ。俺が好きなのは・・・」といいつつも、明日にはいわれるのはわかってんですよね。ちゃんと心の中で。それでもしゃべってしまう。しゃべらざるをえない、おかしな情熱がある。
やっぱり「愛こそ燃える火」だからか?
Ⅱ:うまかっちゃんが好き
即席ラーメンのうまかっちゃん(とんこつ)が好きです。
最初に貴方に逢ったのは何時の事だったでしょう。
気づいたときには、すでに貴方は私の心の中にいました。
貴方なしでは生きていけない。
貴方と共に人生を歩んでいくのだ。
そのことに、なんの疑問も抱いていませんでした。
あくまでも私達の未来は明るく、真夏の太陽のように光り輝いていると感じていました。
でも・・・
私にも非はあります。
ある時を境に故郷を離れ、遠い異郷の地で暮らすことを選んだのですから。
しかし,そんなことで私達の関係が終わってしまうとは、とても思えなかったのです。
そう、私は世間知らずの子供でした。
異郷の地での最初の夜は不安なものです。
そんな不安からでしょうか?私は貴方に逢いたい気持ちを抑えがたく、気づけばスーパーへと足を向けていました。
しかし、いないのです。貴方がいないのです。
このスーパーだけかと思い、見知らぬ街を貴方を求めて彷徨い歩きました。
しかし何処にも貴方はいませんでした。
貴方が故郷の地を離れられない身であると知ったのはその時です。
貴方は私の前から消えてしまいました。
しかし、異郷での生活にも慣れ、新しい友人もでき、今までとは違う世界が広がるにつれ、貴方のことを思い出す事もだんだん少なくなっていきました。
もう貴方のことは忘れられる。新しい人生を生きていける。そう感じるようにもなってきていたのです。
そう、あの日がくるまでは。
眩くもせつない記憶の欠片・・・
ダイエーの特売品コーナーで貴方を見つけたとき、私がどれほどうれしかったか貴方にわかりますか?
もう、はなさない。
そんな思いで私はカートに貴方をいれました。
でも、そんな私を嘲笑うかのように、貴方はたまにしか逢いにきてはくれませんでしたね。
でもそれでもよかったんです。
逢いに来てくれるならそれでよかったんです。
貴方が悦んでくれるなら、いくらお金を使っても、それでよかったんです。
しかし、それももう過去の話。
いつからか貴方は私の前から完全に消えてしまいました。
人生で一度失ったものを、二度失うのはつらいことです。
それからというもの、私がどれだけ貴方のことを想い、身悶えする夜を過ごしてきたかわかりますか?
涙も枯れた季節をかさねてきたかわかりますか?
もういい。いつ来てくれるかもわからない貴方のことなんか、もう忘れよう。
何度もそう思いました。
貴方を忘れたい・・・
その一心で、チャルメラとんこつ味やサッポロ一番とんこつ味などに身をゆだねた夜もあります・・・
私も生身の人間です。
どちらの殿方もそれは素晴らしく、恍惚の中に忘我の時間をすごすことがあったことも否定しません。
でも駄目なんです。
貴方じゃなきゃ駄目なんです。
貴方のまるで、縮れたいん
もとい、天女の羽衣を縫うための天の糸のようなキラキラとかがやく麺。
福島出身の友達に「足の裏の匂い」とまでいわれたセクシーで危険なスープの香。
口の中に入れたときの、豊潤で力強くデリシャスでスゥィートな食感。
貴方じゃなきゃだめなんです。
おねがい帰ってきて。
突然ですが、ここでネットで「うまかっちゃん」検索。
普通に通販で買えますね。
Ⅲ:公園が好き
公園が好き。だだっ広い公園が。
もう一面に広がる芝生をみたら、たまらず子犬のように駆け出して走り回りたい。
が、いいオッサンがそんなことしたら確実に不審者待遇なので我慢×2
だから砧公園とか光が丘公園とか好き。
そういえば戦後の一時期両方とも米軍に接収されていましたっけ?どうでしたか?
石神井公園とか井の頭公園も好き。
石神井公園は特に三宝寺池のほうが好き。
歌川広重の描く浮世絵の中に紛れ込んだような錯覚に一瞬落ちることがあるから好き。
広重は石神井は描いてないのかな?
井の頭公園の井の頭弁天は描いてたと思ったけど。
Ⅳ:が~ん!!
僕がdavid bowieさんのアルバムで一番好きなのは間違いなく「aladdin sane」ですが、一番聴いたのはたぶん「stationtostation」か「young americans」
と思わせて、「stage」だと思います。
が、ずっと廃盤になっていた「stage」が再発された時、曲数が増えたのはいいんですが・・・
ま、コンプリートではないにせよ、実際のコンサートのセットリストに沿った曲順でってことでアルバムの曲順が変更になり、"warszawa"で始まりそのまま"heroes"とたたみかけるのもいいんですが・・・
が、初めてこのレコードに針を落として一曲目の"hang onto yourself"のイントロが鳴った瞬間、もうほんとにその瞬間の衝撃が忘れられない僕としては、やっぱりちょっぴり何となく残念です。
だって、あの時、あの瞬間の衝撃に匹敵する衝撃は人生そうそうないので。
そうなんです、僕は衝撃好きなんです。
出会い頭勝負な男なんです
が~ん!!てきたいんです。
やられた~!!てきたいんです。
いかれた~!!てきたいんです。
「最初は友達としか思ってなかったんだけどさ、お前の存在が俺の中でどれほど大きくて、大切なものか気づいたんだ」
もうこれなんのことやら僕にはまったくわからないんです。
僕はが~ん!!てくるんです
"01 Warszawa"
"02 'Heroes'"
"03 What In The World"
"04 Be My Wife"
"05 Blackout"
"06 Sense Of Doubt"
"07 Speed Of Life"
"08 Breaking Glass"
"09 Beauty And The Beast"
"10 Fame"
"11 Five Years"
"12 Soul Love"
"13 Star"
"14 Hang On To Yourself"
"15 Ziggy Stardust"
"16 Art Decade"
"17 Alabama Song"
"18 Station To Station"
"19 Stay"
"20 TVC15"
"02 'Heroes'"
"03 What In The World"
"04 Be My Wife"
"05 Blackout"
"06 Sense Of Doubt"
"07 Speed Of Life"
"08 Breaking Glass"
"09 Beauty And The Beast"
"10 Fame"
"11 Five Years"
"12 Soul Love"
"13 Star"
"14 Hang On To Yourself"
"15 Ziggy Stardust"
"16 Art Decade"
"17 Alabama Song"
"18 Station To Station"
"19 Stay"
"20 TVC15"
Ⅴ:忍夜恋曲者
平将門さんの娘さん、滝夜叉姫のお話でしたか。
曲者なのは恋ですか?
突然、脈絡なくあらわれる異性(同性でも可)ですか?
心の隙間ですか?
忍夜曲者。
気づいた時にはもう遅い。
Ⅵ:忍夜恋
おや?
ⅣとⅤで思いっきり真逆なコト書いとらんか?と自分でも思いましたが、"突然、脈絡なくあらわれる"つうことで。
が~ん!!とくるということで。
結局言ってることは同じなんだね。
つうことにしようではありませんか。
あ、そうそう、そういえば双子座。
子供のころから何か「ジェミニ」って響きが好きで、ぼんやりとうらやましかった。
Ⅶ:朧月夜
もう春ではないけれど今夜は朧な月夜の感じがいたします。
千年前の人達も、たぶん千年後の人達も、変わることなくみるだろう、朧な月夜な感じでございます。
で、武満徹さんがもう小さすぎてとても聴こえない、聴こえるはずがない音を「いや、聴こえる、絶対に聴こえるはずだ」と仰ってた、みたいなドキュメンタリーをホゲーとみてました。
でも、喋ってないコトが聞こえたり、書いてないコトが読めたりするんだから、聴こえない音が聴こえても別に不思議はないんじゃなかろうか。
Ⅷ:東京物語
ひさかたぶりに引っ越す前に住んでたあたりにいってみたとです
つうてもソコは今住んでるトコから徒歩20分くらいしかはなれとらんとです
しかも、ひさかたぶりっつうても一ヶ月くらいです
そりゃその辺通ることもあるとです
当然何も変わらんとです
気持ち涼しくなったくらいとです
でもちょびっと
ほんとうにちょびっと
なんとなくせつないね
Ⅷ:愛の賛歌
今後、俺の人生がいかなることになろうとも、一生、死ぬまで、死んでも、来世でコケとミジンコになっても、愛し続けます。