we are amaterasu kingdom dimensionsLXIX。

で。

"ファイヤーマン 第9話 深海からの挑戦 (wikiによると1973年3月4日放送)"

"ファイヤーマン 第10話 鉄の怪獣が東京を襲った! (wikiによると1973年3月11日放送)"


2021年9月27日現在、何かと持っていませんが。

"新世紀エヴァンゲリオン 第七話 人の造りしもの"

音楽は葉加瀬太郎さん。
鷺巣詩郎はゴミ処刑。

宇多田ヒカルゴミ処刑名義の楽曲作詞作曲は全部おれの妻田村芽実(おれが楽曲制作にどれだけかかわっているかは謎・笑)。

で。

"ファイヤーマン 第11話 よみがえった岩石怪獣 (wikiによると1973年3月18日放送)"

で、ふと思っただけですが。










"ドキュメント連合赤軍「あさま山荘」事件"

※続き(の一端)は"秘密戦隊ゴレンジャー"で(笑)。20211212。

"ファイヤーマン 第12話 地球はロボットの墓場 (wikiによると1973年3月25日放送)"

奥平純三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奥平 純三(おくだいら じゅんぞう、1949年2月9日 - )は日本の新左翼活動家、革命家。日本赤軍最高幹部でテルアビブ空港乱射事件で死亡した奥平剛士は次兄で、自身も日本赤軍に所属した。

山口県下関市で生まれ、1969年京都大学工学部に入学し京大パルチザングループに所属する。1973年卒業後に建設会社に勤務するが、1974年5月に偽造旅券で出国して日本赤軍に参加。1974年9月に和光晴生らとともにハーグ事件に参加し警察官2人に発砲、1975年にクアラルンプール事件に関わった。

1976年にヨルダン入国の際に偽造旅券の容疑で日高敏彦とともに逮捕。日高は警察の取り調べ中に自殺。奥平は日高の遺体とともに同年10月13日に日本に移送された。1977年にダッカ日航機ハイジャック事件で超法規的措置で釈放され出国した。

1987年6月9日、ベネチア・サミット開催中、ローマのアメリカ大使館とイギリス大使館にロケット弾が発射された他、カナダ大使館で車が爆破されたローマ事件ではレンタカーから奥平の指紋が検出され、イタリア公安当局から奥平の犯行と断定された。

1988年4月14日、イタリアのナポリにあるアメリカ軍関連施設(USOクラブ)前における自動車爆弾テロによってアメリカ軍兵士1人を含む5人を死亡させ、4人のアメリカ軍兵士を含む15人を負傷させた容疑でアメリカ政府の(最大500万ドルの懸賞と安全な転居を保障される)「正義への報酬プログラム」により手配された。

1998年、佐々木規夫とともに他人名義の旅券を不正に取得するため東京を訪れていたことがこれまでの捜査で明らかになった。

1998年と1999年の少なくとも2回、日本に入国して重信房子と接触していたことが、2000年11月に重信の逮捕時に押収した資料から判明した。

現在も奥平の生死は不明で、国際手配されている。2010年4月以降の手配写真は1998年に撮影されたものに差し替えられた。

西條八十
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西條 八十(さいじょう やそ、新字体:西条、1892年〈明治25年〉1月15日 - 1970年〈昭和45年〉8月12日)は、日本の詩人、作詞家、仏文学者。

長男の西條八束は陸水学者。長女の三井ふたばこ(西條嫩子)も詩人。孫の西條八兄はエレキギター製作者。

生涯
東京府東京市牛込区牛込払方町(現在の東京都新宿区払方町)出身。実家は大久保周辺に土地を持つ大地主。父は設計技師で石鹸の製造販売業で財を成したが、父親の死後、家庭は没落した。1898年(明治31年)、桜井尋常小学校に入学。松井喜一校長に影響を受ける。

旧制早稲田中学校(現早稲田中学校・高等学校)在学中に吉江喬松と出会い生涯の師と仰ぐ。吉江に箱根の修学旅行で文学で身を立てたいと打ち明け、激励を受ける。中学時代に英国人女性から英語を学んだ。正則英語学校(現在の正則学園高等学校)にも通い、早稲田大学文学部英文科卒業。

早稲田大学在学中に日夏耿之介らと同人誌『聖盃』(のち『仮面』と改題)を刊行。三木露風の『未来』にも同人として参加し、1919年(大正8年)に自費出版した第一詩集『砂金』で象徴詩人としての地位を確立した。後にフランスへ留学しソルボンヌ大学でポール・ヴァレリーらと交遊、帰国後早稲田大学文学部文学科教授。戦時中は日本文学報国会詩部会幹事長として戦争協力を行い、軍人援護強化運動として「起て一億」の作詞を担当した。戦後は日本音楽著作権協会会長を務めた。1962年、日本芸術院会員。

1943年には早稲田大学時代の同級生・外池格次郎が当時町長を務めていた茨城県真壁郡下館町(後に下館市を経て現・筑西市)に疎開。以後戦後まで下館を拠点としていた。

象徴詩の詩人としてだけではなく、歌謡曲の作詞家としても活躍し、佐藤千夜子が歌ったモダン東京の戯画ともいうべき「東京行進曲」、戦後の民主化の息吹を伝え藤山一郎の躍動感溢れる歌声でヒットした「青い山脈」、中国の異国情緒豊かな美しいメロディー「蘇州夜曲」、古賀政男の故郷風景ともいえる「誰か故郷を想わざる」「ゲイシャ・ワルツ」、村田英雄の男の演歌にして船村メロディーの傑作「王将」など無数のヒットを放った。

また、児童文芸誌『赤い鳥』などに多くの童謡を発表し、北原白秋と並んで大正期を代表する童謡詩人と称された。薄幸の童謡詩人・金子みすゞを最初に見出した人でもある。

1970年(昭和45年)8月12日に急性心不全のため世田谷区成城の自宅で死去。78歳没。戒名は詩泉院釈西條八十。墓所は千葉県松戸市に在る東京都立八柱霊園である。


金子みすゞ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

金子 みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。本名、金子 テル(かねこ テル)。

大正末期から昭和初期にかけて、26歳で死去するまでに500余編もの詩を綴り、そのうち100あまりの詩が雑誌に掲載された[要検証 – ノート]とされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された[要出典]詩人。

生涯
山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)の生まれ。郡立深川高等女学校(現・山口県立大津緑洋高等学校)卒業。父は、妻(みすゞの母)の妹の嫁ぎ先である下関の書店・上山文英堂の清国営口支店長だったが、1906年(明治39年)2月10日、みすゞが3歳のときに清国で不慮の死をとげる。劇団若草の創始者である上山雅輔(本名:上山正祐)は彼女の実弟であるが、幼くして母の妹(みすゞにとっては叔母)の嫁ぎ先である上山家に養子に出されている。叔母の死後、正祐の養父とみすゞの母が再婚したため、みすゞも下関に移り住む。

1926年(大正15年)、叔父(義父)の経営する上山文英堂の番頭格で女癖のある宮本啓喜と結婚し、娘を1人もうける。しかし、夫は正祐との不仲から、次第に叔父に冷遇されるようになり、女性問題を原因に上山文英堂を追われることとなる。みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、後ろめたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。さらにみすゞに淋病を感染させるなどした事から1930年(昭和5年)2月に正式な離婚が決まった(手続き上は成立していない)。みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も一度は受け入れたが、すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。同年3月10日、みすゞは、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺、享年28〈数え年〉、26年の短い生涯を閉じた。法名は釈妙春信尼。


ポカQさんとピャーポさんに似てらっしゃるな、とはおもおいます(笑)。





"秘密戦隊ゴレンジャー 第18話 戦慄の黒十字軍!(秘) 作戦で攻撃せよ (wikiによると1975年8月16日放送)"

で。

"秘密戦隊ゴレンジャー 第61話 桃色のKOパンチ!エンドボール勝負 (wikiによると1976年9月18日放送)"

"秘密戦隊ゴレンジャー 第62話 白い怪奇!死神館の罠 (wikiによると1976年9月25日放送)"

"秘密戦隊ゴレンジャー 第63話 黒い電光石火!飛び出す大砲(wikiによると1976年10月2日放送)"

"秘密戦隊ゴレンジャー  第64話 青いUFO !! 宇宙軍団大襲来 (wikiによると1976年10月16日放送)"

"秘密戦隊ゴレンジャー 第65話 真赤な決死隊 !! 殴りこみ黒十字城 (wikiによると1976年10月23日放送)"

"秘密戦隊ゴレンジャー 第66話 赤い人質交換 !! バットラー大爆撃 (wikiによると1976年10月30日放送)"

"秘密戦隊ゴレンジャー 第67話 真赤な特攻 !! キレンジャー夕陽に死す (wikiによると1976年11月6日放送)"

"秘密戦隊ゴレンジャー 第68話 ピンクの反乱 !! 針・針・針の大攻撃 (wikiによると1976年11月13日放送)"

で、おれは、2度のコロナワクチンも風疹のワクチンも接種済みですが(笑)。

"秘密戦隊ゴレンジャー 第7話 ピンクの月光!オオカミ部隊 (wikiによると1976年5月24日放送)"

2021年9月22日現在、秘密戦隊ゴレンジャー第2~6話は持っていませんが。

ささきいさおゴミ処刑の声はすべて西崎義展さん。

で。

印旛沼事件:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
印旛沼事件(いんばぬまじけん)とは、1971年(昭和46年)8月に発生した日本共産党(革命左派)神奈川県委員会メンバーによる同志粛清殺人事件である。

概要
日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)(以下、革命左派)(後に共産主義者同盟赤軍派と統合し連合赤軍となる)は、連合赤軍結成以前から「山岳ベース」を構築し、射撃訓練などを行っていた。

ところが、1971年(昭和46年)夏にメンバーのA(男性)とB(女性)が脱走したことにより、これらの活動が警察に漏れる可能性が出て来たため、組織防衛のためとして2人を殺害したのがこの印旛沼事件である。

永田洋子・坂口弘ら革命左派幹部は、当初は2人の殺害を念頭においておらず、ベースに連れ戻して牢獄の中で反省を促すことを計画していたと主張している。だが、赤軍派のリーダー森恒夫が2人の粛清を提案したこと、AとBの脱走後の動静に警察へのベース発覚の危機感をつのらせたことなどから、「組織防衛のため」として二人の「処刑」を決定し殺害した。

1971年8月3日、女性メンバーが酒盛りをやると称して、Bを誘い出し、睡眠薬入りの飲み物を飲んで寝静まったBを車に乗せて印旛沼近辺に連れ出した後、絞殺。8月10日、Aも誘い出したが、警戒して一切飲み食いせず、早く帰ろうとしていたため、「処刑執行役」全てがAを押さえつけて、タオルで絞殺した。2人は千葉県印旛沼に掘られた穴に埋められた。

この「処刑」によって、革命左派メンバーは「同志殺害」という一線を越えたことになり、これが後に12人を殺害する山岳ベース事件を生み出す温床となったとされる。


あのですね、"おれが言っているだけ"になりますが。


赤い、紅い、日本国(笑)。

でですね、狼は随分前に本で読んだんですけど(笑)。









で、ちなみに、早岐やす子さんは佐世保市出身ですが。

"うるせえ"てことで(以下同文てことで・笑)。


愛理と早紀はしばらくお母さんのシーナさんの生まれ故郷の伊万里に住んでたけど(知ってても知らないででも、自転車を遠乗りする二人を見かけた人多いとおもうよ)、みんな住民票ともども佐世保市に引っ越したって。

お父さんは当然鮎川誠さんシーナさんご夫婦の子供は双子の二人だけ。ちょい前、つうても、3年ぐらい前、シーナさんと3人で秩父に旅行に行ってきたと言ってたけど。

※で。




画像送ってきた笑。

もひとつ、信じる必要ないけれど、眞子は佐世保の病院で普通に栄養士してるぞ。おれこないだ会ったもん笑。20210927。



※20210928。

※20210929。

※20210930。

で。


"人形劇三国志 第二十五回『水魚の交わり』"


"人形劇三国志 第二十六回『孔明 新野を焼く』"


"人形劇三国志 第二十七回『不吉な赤い星』"


"人形劇三国志 第二十八回『淑玲 死す』"


"人形劇三国志 第二十九回『決戦!百万対一万』"

細野晴臣石橋蓮司はゴミ処刑。

声は勝新太郎さん。

で。


"ETV特集 テレビが記録した知性たち 第1回 大岡昇平 戦争文学に挑む 1999.3.5 (前半部音切れ有)"


世界中の真っ当なヤクザ(真っ当な公務員との区別がつきませんが・笑)の人たちは自警団だ、以外の考えはないですね。顔面他力完コピ(とも思わんけど)、但し、左右逆。人造売春婦ズは斎藤由貴共々処刑。3月 11, 2019

※ちなみに、おれの叔父も佐賀県警の警察官でしたが、叩き上げ、というのかな?佐世保のエンタープライズ闘争の時は機動隊、後年は地方の警察署長を、で、どうだったか(笑)?おれ優しい顔しかしらないからな(藤村さん系かも・笑)。あ、もう50年前の話で、伝聞ですけど、パチンコに行くと必ず勝つのでパチンコは止めた、て話は(関係ないですね・笑)。20210922。

※そうそう、おれの叔父の名は、佐賀には多い姓ですけど、副島ですが、子供心に名古屋章さんに、声も、似てるとおもっていました、が、今ネットでお名前しらべて、名古屋さんなんですね(藤村さんが名古屋出身・笑)。20210927

13.はい日本のみなさん夜空に注目!8月 25, 2018

満月とはいかんが綺麗なお月さん

はいみましたね

君と僕は今同じお月さんをみているわけだ

何十億年と言う悠久の流れの中のほんの一瞬の同じお月さんをみているわけだ

充分僕らはつながっているわけではないか

これはキセキ

アルゼンチンの人とは同じお月さんはみれんぞ!


でした


で、話はまったく変わりまして

20th Century Boy(※マークボランはゴミ処刑済。20210927)


僕はそんなに野球詳しくはないんですが、今年(2009年)の日本シリーズは北の雄「日ハム」と東の雄「巨人」の対決ですね。両方のファンの方には今月31日の札幌ドームでの開幕戦が待ちきれないことだと思います。

しかし一昔前だとこの日本シリーズはすべて東京ドームで行われていたんですよね。

上京当時、東京ドームで巨人戦と日ハム戦の料金表を見たときの不思議なせつなさは憶えております。日ハムは北海道に行って大成功でしたね。僕もダイエーが福岡に来たときうれしかったですもん。昔は九州にも西鉄とかプロ球団あったみたいですけど僕知らないし、僕にとってはダイエーが九州で初めてのプロ野球球団でした。親父と二人でよく平和台球場にダイエーの試合を見にいってました。

ただ弱かった。

僕は「王さんの悪口を言う奴は豆腐の角にパワーボムくらって泣いてしまえ」とおもわず思ってしまう男なので、王さんがダイエー監督就任当時は辛かった。

ところで、PCのHDに録画してる「長嶋と王50年目の告白」と言う番組。もう4回くらい観ちゃいましたが、王さんはもちろん長嶋さんも"物凄い"って言葉を使うのが軽薄に感じられるくらい現役当時、物凄い努力や苦悩をされていたんですね。

僕は長嶋さんの現役当時を知らないので正直そこまでの思いいれはないんですが、長嶋さんの野球人生には感銘を受けましたし、病に倒れられてからの長嶋さんのあくまでも「長嶋茂雄」という自分の運命と闘う姿勢には"物凄い"エネルギーをもらいました。

※"そういえばおれが子供の頃の町別対抗草野球大会で小島さん強打者だったよね""元西鉄の選手だからな""え!?そうだったの!?"みたいな話はこないだ父とありました。20210927。


そう言えば陳舜臣さんの「秘本三国志」という小説のラスト。五丈原での陣中、病に倒れ死を待つのみの諸葛亮の台詞として「私は運命を信じません」というのがあったよな。

「人は己の運命に打ち克つべきです」と。そうでなければ生きている意味がない。

例によって記憶頼りのあやふやなモンですけどネ。
さて、古本屋で買った「回想」て王さん現役引退当時の自伝ドコにしまいこんだかな?
番組観てたらまた読みたくなったんだけどな。

え〜。20180825。
え〜。20210927。

※そうそう、この番組、映りこみ(例えば根津甚八ゴミ処刑ズの様に)はいいとして(どうせ処刑)、中井貴一ゴミ処刑の声が誰だろう?で止まってます(サイモンアンドガーファンクルゴミ処刑に関しては弘兼憲史さんと猪瀬直樹さんで解決してるんですけど・笑)。20210927。


月世界の白昼夢


山本直樹さんの漫画「レッド」第一巻を読む。
これは連合赤軍事件のお話。

この一連の事件の最初の死者がでたのが銃奪取を目的とした交番襲撃事件。
この交番、近所なもので、よく前を通りますが当たり前だけども普通の交番。
のどかなもんです。


さて、ここんトコ、たまった昔のビデオテープをPCを使ってデジタル変換してます。
ただ、もとがアナログなので、6時間録画したテープなら取り込むのにも6時間かかる。
だから基本的に違うことしつつ流しっぱなし。
しかし、懐かしさも手伝いついつい観てしまう。
そうして思わず観てしまったのが、NHK特集“映像の20世紀”第4回「ヒトラーの野望」

もともと“映像の20世紀”は残された映像で20世紀を振り返ろうつう番組。
で、今回は恐慌後の世界に始まり、ナチスの台頭、WW2の開戦まで。

恐慌後にワシントンに集まった2万人の退役軍人を武力で鎮圧する陸軍参謀総長ダグラス・マッカーサーさん
ソ連を訪問するバーナード・ショーさん
ミュンヘン一揆の頃だか34歳当時のヒットラーさん
5・15事件直前のさんの映像と肉声(一緒に映っている女の子は犬養道子さん?)
ドイツに宣戦布告するイギリス、チェンバレン首相の(本当に)悲痛なラジオ放送

など、観所てんこ盛り。そりゃ観ちゃいます。

中でも一番印象深いのはチェンバレンさん。
世界史の授業で習った印象では、ヒトラーにいいように利用されたお人好しの無能なおじさん。
他の国の領土のドイツへの割譲とかもあっさり認めちゃったり。

でもこのラジオ音声を聴いていると、一国の利害を代表する首相という立場の中で、この人も必死に平和への道を模索していたんだな、てことは分かる。採った方法の是非は別にして。
授業の二、三行の文字だけじゃ分からないことを、この肉声は教えてくれる。

(※言葉はわからなくても、その無念さは本当に伝わってくる"音色"です・2013/11/25)

今、ないです。もしかしたらおれのデータベース、ネットで検索したら、さらに凄まじい映像てんこ盛りかもしれませんが、というか、でしょう。20180825。

しかし映像はほとんど白黒。
たまにカラーがあっても古びててやはり時代性は感じます。
風俗とは別のところで。
こりゃ歴史だなと。

で、もしも百年後“映像の21世紀”って番組ができたらどうなんだろ?
今のデジタルの画像は百年後にみても何も変わらんだろうし。
たとえば今の永田町の政局だってサッカーの試合だって百年後も変わらぬ臨場感。
とくにスーツとかフォーマルな格好は百年後もそう変わらんだろうし。
これは歴史か?白昼夢か?

まあ映像そのものが今とは根本的に変わってるのかな?
2次元から3次元とかに。
しかし劣化しない(コピーすることも含め)ってことは怖いことかも。
アナログ世代が思うに。
inmyhead。20180825。
ま、だから、とりあえず溜め撮りは楽ですよね。風景はうつろうものですが。20180825。


そういえば


「ったく、くだらねえ。こんなクズ誰が観るんだよ!」と思わず言ってしまう作品ってありますよね。映画にしろ、テレビドラマにしろアニメにしろ何にしろ。

で、やっぱり僕にも「こんなクズ誰がみるんだよ!」と言ってしまう作品が間々あります。
で、僕はそう言いながらがっつり観てしまう作品も間々あります。
「くだらない×2」と言いながら延々観てしまう作品が。
一応「どこまでくだらないか確かめるために観ているんだよ」という(自分への)説明も用意はしているんです。

が、果たして本当にそうなんだろうか?
いや、確かに「くだらねえな」とは思ってる。
それは間違いない。

しかし「誰が観るんだよ!」はどうだ?
う~ん、これもそうは思ってはいるか?
だって、本当にくだらない。
観るのは人生の浪費以外の何者でもないだろう。

しかし僕は観てしまう。

誰かに強制されている訳でもなく、僕がそれを観ているコトを誰にも知られていない状況下においても、「どこまでくだらないか確かめるために僕は観ているんだよ」と自分に言い訳をしながら観続けてしまう。

いったい僕は何が怖いのだろう。
何から目を背けたいのか。

それは謎でも何でもない。答えは答えとしてそこに在る。言葉は時として本質を隠蔽する。暴くのは誰だ。裁くのは誰だ。罪びとは誰だ。罪とは何だ。

この話の流れは何だ。

みませんよ。つうか、21世紀になった頃からテレビは全然みなくなった。年齢もあるだろうけど、庶民の感覚として正常では?これを読むのも観るのも。20180825。


"ながさき原爆記録全集 第1回 海兵隊フィルム編 1 ネット用"

あのですね、マッハステムさておき、日本刀を振り下ろす様に、というか、500メートルの500メートル地点の建造物に、爆心点から45度で、最短?地形と建造物の形状しだいか?衝撃波が来るのはそうなんでしょうが、同様に、コンマ秒の差で、爆心点から、日本刀を振り下ろす様に、例えば、44.9度、44.8度、44.7度…、逆も、45.1度、45.2度、45.3度…、と、衝撃波は来るのでは?20210928。


"ながさき原爆記録全集 第7回 海兵隊フィルム 7 空撮編 ネット用"

で。




"關東大震大火實況|関東大震災映像デジタルアーカイブ Films of the Great Kanto Earthquake of 1923"

たしか高橋克彦さんの小説で、凌雲閣のエレベータはオープン早々危険を理由に使用が中止された、みたいな話があったと思いますが(不確か)、倒壊映像は震災後の撤去映像なんですね。

でですね、これまた、ふと、ですが。


九段坂の所だろう、とは思いますが。







津波はどうした?さておき、たとえば、人垣、"結果"逃げ道を塞ぐ大八車のバリケード、の大延焼、そりゃ大変。あ、旅順港封鎖作戦、多発で、やりました?

と、オーバーラップ、二重映し?この技法は何時頃確立したのでしょうか?20210928。


弦楽のためのアダージョが好き


サミュエル・バーバーさんが作曲した「弦楽のためのアダージョ」が好きです。
この曲は死者を悼む、送る時に使われることが多い、感傷的な雰囲気をった曲です。

この曲は、聴く者に人の世の、哀しさ、虚しさ、辛さ、醜さ、愛しさ、そして儚さ、あらゆる感情を呼び起こさせます。悲劇的なドラマのなラストシーンに使われることが多いのもうなずけます。

しかし私がこの曲を好きな理由はそこじゃありません。

光がみえるからです。この曲は、その音にこめられた確かな人の意思で、汚泥にまみれた人の世の、深い絶望の底の底に、希望という小さな小さなが灯っていることを確信させてくれるからです。

絶望は答えではない。

だから私もたとえ夕食のチャーハンを作るのに失敗したからといって、人の世に絶望はしません。
不味いだけで食べれるじゃないか。
前みたいに食べた直後に頭痛がしたり、吐き気がしたりしないじゃないか。完食できたじゃないか。失敗するのをみこして作る量を少なくしたのはご愛嬌さ。

大丈夫、進歩してるさ。

今度はもうちょっとちゃんとレシピを読もう。
男の手料理だと目分量はもうやめよう。
隠し味だと考え無しにソースとか入れるのはやめよう。

うん、以後気をつけよう。
だってほら、世界はこんなに美しい。


そうそう


『そう言えば陳舜臣さんの「秘本三国志」という小説のラスト。五丈原での陣中、病に倒れ死を待つのみの諸葛亮の台詞として「私は運命を信じません」というのがあったよな。
「人は己の運命に打ち克つべきです」と。そうでなければ生きている意味がない。』

つう文を以前書いたんですけどね。

ちょうど整理してたら「秘本三国志」の最終巻が出てきたんでパラパラと拾い読みしてみました。
すると、何処にもそんな台詞は"無い"ですな、まったく"無い"ですな。

で、そんな訳で、そこのトコを『そう言えば陳舜臣さんの「秘本三国志」という小説に諸葛亮の台詞として「私は運命を信じません」というのがあったよな。』に修正します。いやね、たしかね、たぶんね、その小説の中にはあったのよ。諸葛亮の台詞として、そういう言葉があったのよ。ま、もし無かった時は、僕の創作だったということでいいではないか!

あの話のオチにはこの一文が必要だったのだ!

そういえば、今、やっぱりないんですが(笑)、いつかの朝日新聞に、おれが持ってる陳さんのお写真とはまったく似ても似つかぬ見た目静止ダンディおっさんが”陳舜臣氏”として載ってました。20180825。
このお写真にも、おもうところあるのですが、それはまた。20180825。


さて、ここで子母沢寛さんの「新選組始末記」

この本は、子母沢さんが当時まだご存命だった新撰組隊士の方や遺族の方に直接取材されるなど、非常に興味深いエピソードがてんこ盛りの面白い本です。で、その記述スタイルからこの本は"ノンフィクション"という印象を読む者にあたえてきました。が、実はかなり(関係者の証言も含め)子母沢さんの創作がまじったある種"小説"ではないかと最近疑問を持たれています。←板橋の刑場(埼京線の板橋駅んトコですね)で首を切られ処刑された近藤勇の胴体を親族が掘り出すエピソードとか。

が、たとえそうであったとしても、この「新選組始末記」には武士の世の最後を駆け抜けた若者達の青春の真実が息づいています。それがどんなに血塗られたものであったとしても、視点によってはたんなるテロ集団、内ゲバ集団だったとしてもです。

会津藩家老山川浩さんが明治後に書いた(一説には弟で東京帝国大学総長の健次郎さんが書いたとも)、会津藩の京都守護職時代の記録である「京都守護職始末」に「新撰組、規律厳粛、志気勇悍、水火と雖も辞せず、後諸浪士来附するもの頗る多く、守護職の用をなせる事、亦甚だ多し」と書かれた誠の志が「新選組始末記」の中には確かにあります。

え~~と、だ・か・ら、僕が少々記憶違いしていても、なんなら創作しちゃっていたとしても、別にいいではないか!"真実""事実"の中にだけあるわけではない!!

と、話の流れを持っていこうと現在画策中です。

とは言うものの、亡国の臣、山川兄弟が(あえてそう書きますが)「京都守護職始末」にこめたろう、"事実"は作られた"真実"の中にだけあるわけではない!という想いを考えると、あんまり軽はずみなこと書くのも・・・


love


木村東介さんが主人をつとめる文京区は湯島、古美術の羽黒洞をジョン・レノンさんと小野洋子さんが訪ねてきたときのことを木村東介さんご自身がエッセイに書かれています。

木村さんは明治生まれで、ジョン・レノンさんのことはよく知らなかったらしいです。
だから成金のガイジン(という言い方はなさってませんが)に自分が精魂こめて集めた美術品を売りたくはなく、最初はなるべく二流品を見せようと思ったそうです。

「いくらか?」「二百万」「OK」「いくらか?」「四十五万」「OK」「いくらか?」「五十万」「OK」といった会話を何度か繰り返したあと、レノンさんの目は棚につんである箱行のいいものにとまります。

「これはなんだ?」
「これはあなたには無理で、日本の俳聖といわれた芭蕉という人の短冊である。中にかいてあるのは俳句というものだ」

しかしレノンさんは熱心に木村さんに中をみせてくれと頼んできたそうです。
それならばと木村さんは箱から出し、床にかけます。

古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉

「いくらだ?」
「二百万」

するとレノンさんはすぐに「分けてくれないだろうか?」と恐る恐る聞いてきたそうです。
木村さんが「貴方が欲しければわけてあげてもいい」と言うと、途端に目を輝かし「すぐに軸をはずしてくれ」と言うので、丁寧に巻いて二重の箱に収めてレノンさんに渡すと、レノンさんはその箱を抱きしめて離そうとしません。

そして、「ロンドンに帰ったら、この軸のために日本の家を建て、日本の茶席を造り、床の間にこの軸をかけ、池のある庭を造って日本のお茶を飲む。そしてその日から自分は英国人ではない、立派な日本人になり、日本人の心になって、この芭蕉や白隠や仙涯を見て楽しむから、私に譲ったことを嘆かないでくれ」と、レノンさんは心から木村さんに頼んできたそうです。

実はこの木村東介さんのエッセイ「ジョン・レノンと歌右衛門」は題名にあるようにここから話の核心に入っていきます。もし興味のある方は講談社文庫「ビートルズってなんだ?」に収録されているのでそちらで・・・


でも、僕がこのエッセイで一番好きなエピソードは、[おそらく)呼んだタクシーを待つ間、店(木村さんの自宅?)を出でバスの停留所あたりにレノンさんが腰掛けていたら、若い女の子たちがみんな不思議そうにレノンさんの顔を見みながら通っていくってくだりです。そりゃ1971年1月20日の昼下りに、東京は文京区湯島の天神下付近のバス停留所のトコにジョン・レノンが普通に腰掛けてるとは中々思えませんよね。

結局、木村さんが戻ってきた女性に「あの人はジョン・レノンか?」と聞かれて「そうだ」と答えるとたちまちサインを求める女性が増えてしまったみたいです


夏に放送されたのを録画しといた「若い広場・矢沢永吉からのメッセージ」を今日観ました


え~と、このインタビューが収録されたのは80年の1月で本放送が2月ですか。もう30年前と。
すごいな~言ってることがまったく古くなってない。おそらく今から30年後もまったく古くなっていないでしょう。つうかまったく言ってることにブレがない。"本質"をグワッと鷲掴みにしちゃうんだろうな。

でもインタビュアーの中部博さん26歳の「選挙に出ようと思ったことあります?」との質問に「金儲かる?ソコ」と笑って返した30歳の矢沢さん、マジでシビレます。


そういえば


以前、一回ずつ、もちろんお二方に(たぶん)一度もあったことがない別々の人に、時系列で書いて

君はある意味、ジョンレノンだからな
君はある種、長嶋茂雄だからな

と、いわれたことがあります、が、そこは少しあやふやで、もしかしたら

君はある種、ジョンレノンだからな
君はある意味、長嶋茂雄だからな

だったかもしれません、そして、これでわかることは


ジョンレノンさんは、ある意味、長嶋茂雄さん
長嶋茂雄さんは、ある種、ジョンレノンさん

長嶋茂雄さんは、ある意味、ジョンレノンさん
ジョンレノンさんは、ある種、長嶋茂雄さん

て、ことですね
もちろん僕はお二方に一度もあったことがないです

では、本日のお別れに


Nick DeCaroさんで“Under the Jamaican Moon


聴いてると、心にお月様

プカプカです

長嶋茂雄さんと一茂(ゴミ処刑)に血縁関係一切なし。8月 12, 2018

工藤公康さんは工藤公康さん。
城島健司(処刑)は城島健司(処刑)。
原辰徳さんは原辰徳さん。
ご近所でした、植村直己さんは植村直己さんだな。

で。


Saturday, 6 April 2013

people will talk

This conversation was done in ship named "Chougei Maru".
This ship was Imperial prince boarding ship.

"Hi、admiral!"

When Enomoto was try to return to his ship、he was stopped by its voice.
(Enomoto's ship was "Kaiyou Maru" of Tokugawa Navy's flagship.)

"Oh、Yamaguchi!"
Enomoto smiled.
He was the officer of the Tokugawa army of Enomoto's acquaintance.  

"Why you're here?"
 
"People will talk."
He said with a laugh. 
 
"Hey ! It’s a joke.
I have been asked to escort Imperial prince until here.
I accompany him until Ōu region、I consented it in this prerequisite."
 
"Do you go to Ōu now?"

"Yeah."
  
・・・・・・・・・

"Do you know?"
After a short pause、Yamaguchi started talking.
 
"Oguri was killed." 

"Oguri killed?Why?"

Oguri was a representative war advocate ​inside the Tokugawa.
He was dismissed by Yoshinobu for that.
After this、he was retired to his fief Gonda of Kouzuke.
He was a comrade of Enomoto.

"Why was he killed?"
Enomoto asked.

"I don't know anything.
According to rumor、he seems to had organized the anti-government group in Kozuke."
 
・・・・・・・・・

"After this、I will do small private school teacher in my country.
 
If the Tokugawa administration continued as it was、we were absolutely creating a modern nation.
They destroyed it completely.
What kind of society will they make in the future?
I want witness it."
Before leaving the Edo city、Oguri said so to Enomoto.

・・・・・・・・・

One month and a half ago、new government soldiers came to the village of Oguri.

"I was abandoned the political activity already.
I live as a farmer.
I never rebel against the government."
Oguri had notified in advance to the new government troops.

"You're the mastermind behind the antigovernment activities of Kozuke."

Around this time、the Shogitai of Kan'eiji were becoming impossible to ignore.
The new government troops had just succeeded in recapturing Utsunomiya Castle.
Collision was about to begin at also Echigo.

The new government troops was struggling with the control of the Kanto plain.

"Oguri is a rebel against the Emperor.
So we do execution him."

It was decided suddenly and was carried out.



Sunday, 7 April 2013

there's one in the every crowd

"Saigo and Okubo、person of ability comparable to them exists in the Tokugawa?
No、such a person does not exist.
There is no reason Tokugawa win to them.”

When the Battle of Toba Fushimi、Yoshinobu said so.

Persons of ability comparable、probably Oguri and Katsu was so (and Yoshinobu).
But these two were political opponents.

For ratification of the treaty、the first official visit to the United States by the Tokugawa Shogunate as Japan、these two were its members.
(Katsu was the captain of a ship different from the one Oguri boarded.)

The importance of the construction of the modern state、they were people who had first feel this.

Oguri was planning the abolition of feudalism and as its consequence、transition to the county prefecture system.
However、at the same time、forces of anti-Tokugawa had increased.

"Time is too bad."
His plan was forced to retreat.

"This may be a golden opportunity.
After all、there is no change where there is no action.
Tokugawa can shift to the county prefecture system at once by suppressing this forces.
For that reason、Tokugawa needs to have the power to overwhelm them."
But Oguri began to plan it conversely.

In order to do so.
 
"Tokugawa must partnership with France."
 
Oguri was doing a joint national project with France already.
He also knew the personality of the French ambassadant well.
 
"We can trust them." 
He thought so. 
  
But Katsu rebounded to this.
Era was the era of imperialism.

"Satsuma and Choshu has partnered with the United Kingdom.
In addition、Satsuma and Choshu have a secret alliance.
There is no mistake about this observation.
 
It's already too late to conquer them by force of arms.
The Tokugawa army has already been defeated by Choshu.
It only causes irreparable situation in Japan."

Katsu thought so.
Among others、Yoshinobu thought so too.
 
"It will be a collateralized by part of national territory of Japan."
In fact、Unreasonable had been came out to his plan from inside Tokugawa.

Oguri was expelled. 

・・・・・・・・・

Before all things get more serious、Oguri built a modern dock of first in Japan with France. 
 
"The Tokugawa administration can leave this dock in Japan.
By itself、there was a meaning of the presence of Tokugawa administration."
When this dock complete、he laughed and said so.
  
・・・・・・・・・ 

"I’m sorry to stop you、I know you busy." 
Yamaguchi said so. 
 
"Not exactly."
Enomoto replied.
 
"I'm glad I could talk to you.
Sayonara." 

Enomoto did not replied.
 
"There's one in the every crowd."
Yamaguchi went into the cabin.
  
・・・・・・・・・

Later、new government was subdue opposing forces by force of arms like Oguri's plan. 











































































































































『秘本三国志 第2巻』

※そうそう、このあいだ駿河屋さんで購入したシミュレーションゲームマガジン隔月刊タクテクスno.13 january-february 1984内の森谷利雄さんの連載記事"大陸軍その光と影 その12 ワーテルロー(1)"によると、ナポレオンさんがエルバ島を脱出した後のフランスの新聞の見出しは(見開き4ページの記事中に新聞名原文はありません)。

「猛虎、檻を破る」
「悪鬼の航海は三日間」
「卑劣漢、フレジェスに上陸」
「ハゲタカ、アンチーブに達す」
「侵略者、グルノーブルに到着」
「将軍、リヨンに入城」
「ナポレオン、昨夜フォンテンヌブローで眠る」
「皇帝、今日テュイリー宮に入城の予定」
「皇帝陛下、テュイリーに入らせらる」

だそうです。ワーテルロー以後は逆進ですかね(悪鬼はピカレスクに、猛虎も語感悪くないですけど・笑)?20210927。

で。





◆邕 画数:10 
音読み:ヨウ、 ユ
ピンイン:yong1
対応する英語:former or literary name for Nann
【weblio辞書より引用】

邕【ピンイン】Yōng
1〔付属形態素〕川の名に用いる.
用例・邕江=広西チワン族自治区にある川の名.
2 〔名詞〕広西チワン族自治区南寧の別称.
【白水社 中国語辞典より引用】

◆邑部 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
邑部(ゆうぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。
康熙字典214部首では163番目に置かれる(7画の17番目、酉集の17番目)。

西安の明代城壁。古代中国では城壁で囲まれた空間が都市であった。
「邑」字は人々が集まって居住する場所を意味する。囲い(城壁や城柵)に象る「囗」とひざまずいた人に象る「卩」の会意文字。引伸して都市・みやこの意。

「邑」「都」「國(国)」はいずれも古代の都市国家を意味した。甲骨文の研究によると殷代に最も早く都市の意味を獲得したのは「邑」であり、例えば王城の商を商邑と呼んだ。周代においては諸侯の都城を「国」、諸侯の子弟や卿・大夫の封城を「邑」といい、常住して祖廟を設けた都城を「都」と呼んだ。戦国時代以降は国家の考え方が領域国家となり、郡県制に移行していったため、「國」は意味が広がって都市の意味を失い、「邑」は地方集落の意味で用いられるようになり、「都」が都市の総称となっていった。

偏旁の意符としては地名・都市名・国名を示すことが多く、またそこに居住した人の姓氏を表すようになったことから中国人の姓を示すものもある。さらには都市区画や行政区画に関することを示す。偏旁の「邑」は「阝」に変形して右側の旁に置かれ、左右構造を形成する。ちなみに「阜」の変形も「阝」であるが、こちらは左側に置かれ、占める位置が異なる。

邑部はこのような意符を構成要素に持つ漢字を収める。

部首の通称
日本:おおざと(集落の意味から「さと」、阜部の「阝」を「こざと」としたのに対して「おお」という)
中国:右耳旁(「阝」が耳の形に似ることから)
韓国:고을읍부(goeul eup bu、むらの邑部)・우부방(u bu bang、右阜旁)
英米:Radical city

◆PC電子辞書"邕"で始まる
候補件数:0件

◆血祭邕



◆くろいあめ【黒い雨】小説。井伏鱒二作。雑誌連載後、1966年刊。広島で原爆による黒い雨に打たれた姪の縁談をとおして、被災者の悲惨な状態を描いた原爆文学の代表作。
◆こく‐う【黒雨】空を暗くするような大雨。
◆こ‐くう【虚空】
①〔仏〕何もない空間。そら。仏典では、一切の事物を包容してその存在を妨げないことが特性とされる。今昔物語集[1]「―に昇りて去にけりとなむ」
②事実に基づいていないこと。架空。〈日葡辞書〉
③思慮のないさま。向う見ず。むてっぽう。狂言、鴈盗人「いや、おのれは物を言はすれば、―なことをぬかす」。(曲名別項)
◆こくう【虚空】尺八の古典本曲の根元曲の一つ。中国から尺八を伝えた覚心の弟子寄竹(きちく)の作曲と伝える。琴古流には「虚空鈴慕(こくうれいぼ)」が伝わる。
◆こくう‐かい【虚空界】〔仏〕無形・無相で、一切万有を包括する真如をたとえていう。【広辞苑第六版より引用】



◆air1 /έər, ǽr/  —n
1a 空気《AERIAL a》, 【古代哲学】 気《四元素の一つ; ⇒ELEMENT》; 圧縮空気 (compressed air); 大気 (cf. OPEN AIR); 空, 空中, 虚空; 《俗》 空調, エアコン (air‐conditioning).
・fresh [foul] air 新鮮な[よごれた]空気.
b 《特定の場の》雰囲気, 支配的な空気.
2 航空交通[輸送]; 空軍; 【郵】 航空郵便切手.
3 そよ風, 微風; 《古》 (かすかな)息.
・a slight air そよ風.
4a 電波送信媒体, ラジオ(放送), テレビ(放送).
b 《意見などの》発表, 公表.
5 [OF=place, disposition<L area] 《人柄・感情などの表われとしての》態度, そぶり, 風采, 気配, 様子, 自信たっぷりの態度; [pl] 気取った[もったいぶった]態度; 《物事の》外見, 体裁, 姿.
・with a sad air しょんぼりと.
・assume airs=put on airs=give oneself airs 気取る, いばる.
6 [It ARIA] 【楽】 歌曲, アリア, 旋律, 曲調, 合唱曲の主旋律[最高音部], エア《16 世紀末から 17 世紀初頭にかけての英国の世俗歌曲》.
・sing an air 一曲歌う.
7 [〈a〉] 【占星】 風性三角形の《双子座・天秤座・水瓶座の 3 星座の; cf. FIRE》.
8 【フット】 エア《フォワードパスを主体とした攻撃》.
airs and graces 大げさにもったいぶった態度.
BEAT1 the air.
by air 航空機で; 無線で.
change of air 転地.
CLEAR the air.
come up for air 息をするために水面に出る; 一息つく, 休憩する.
dance on air こおどりして喜ぶ, 舞い上がる.
fan the air 空を切る, 空振りする.
give air to… 〈意見など〉を発表する.
give sb [get] the air 縁を切る[切られる], 〈恋人など〉捨てる[捨てられる], 無視する[される].
grab a handful of air 《俗》 《トラックやバスで》急ブレーキをかける《手動式エアブレーキを備えていることから》.

in the air
(1) 空中に; 〈風説が〉広まって, みんなの関心事で; …しそうな気配で, 膚に感じられて.
(2) 〈人が〉どうしていいか不確かで, 迷って; 〈計画など〉まだ固まっていない, 構想中で, 検討[審議]中で.
(3) 【軍】 無防備の状態で[に].

off the air
(1) 放送されて[して]いない.
・go off the air 放送をやめる.
(2) 放送から.
・tape [record] (a program) off the air 放送番組をテープにとる[録音する, 録画する].
on the air 放送中で.
・go [be] on the air 放送する[している, されている].
・send [put]…on the air …を放送する.
out of thin air 虚空から, 何もない所から, どこからともなく.
rend the air 《文》 大きな物音をたてる.
riding the air 《俗》 〈建設作業者が〉高所で働いて.
suck air 《俗》 《こわくて》ハーハーいう.
take air 〈事が〉知れわたる.
take the air 新鮮な空気を求めて戸外に出る, ちょっと散歩[ドライブ]に出る; 《俗》 (急いで)立ち去る; 放送を始める.
take to the air 飛行家になる.
The air was blue. 《俗》 ひどくきたないことばが多かった.
tread [walk, float] on air 有頂天になる.

up in the air 《口》
(1) 〈人が〉迷って, よくわからなくて; 〈計画などが〉未定で, 未確定で, 未解決で (in the air).
・leave a matter up in the air 問題の決定を先送りする.
・leave sb up in the air 《決定が下されるまで》人を待たせる.
(2) とてもしあわせで, 有頂天になって.
(3) かっかとおこって, ひどく興奮[動揺, 混乱]して.
・go up in the air 興奮する, 立腹する; 〈俳優が〉せりふを忘れる.
vanish [disappear, melt] into thin air 跡形もなく消える.
with an air 自信をもって; もったいぶって.
—a 空気の; 航空(機)の; 空軍の; 放送の.
・air crash 航空機の墜落(事故).
・air disaster 航空機事故.
・air industry 航空産業.
—vt
1 乾燥[脱臭など]のために空気にさらす, …に外気を入れる[通す] 〈out〉; 〈シーツ・衣類などを〉温めてすっかり乾かす (cf. AIRING CUPBOARD); 〈人間・動物などを〉外気に触れさせる, 戸外で運動させる.
・air oneself 外出[散歩]する.
2 見せびらかす; 〈意見・不満などを〉世間に発表する, 公けにする, 訴える; 放送する.
・air one’s knowledge 知識をひけらかす.
・air one’s views 意見[考え]を吹聴する.
3 《俗》 〈恋人を〉捨てる.
—vi
1 〈衣服など〉戸外の空気にさらされる, 大気に触れて乾く[冷める] 〈out〉.
2 散歩[ドライブ]する〈out〉.
3 〈番組など〉放送される.
[OF,<Gk aēr]

◆void /vɔˊɪd/  
—a
1 役に立たない; 【法】 無効の (opp. valid); 無効にできる.
・NULL and void.
2 空(から)の, 空(くう)な, 中空の, 空虚な; 〈家・土地など〉空いている; 無い, 欠けた〈of pity, sense, etc.〉; ひまな (idle); 【トランプ】 ある組の札を一枚も持たない〈in spades〉.
・a void space 空間; 【理】 真空.
—n 無いこと, 欠如; [the ~] 虚空, 真空, 宇(宙); 隙間, 空所, 空隙(くうげき); 空虚な感じ; 【トランプ】 配られた札中にある組の札が 1 枚もない状態; 【印】 COUNTER2.
・an aching void in one’s heart やるせない空虚な気持.
—vt 空にする; 放出する, 排泄する; 無効にする, 取り消す; 《古》 〈…から〉取り除く, 除去する〈of〉; 《古》 立ち退く[去る].
—vi 排尿[排泄]する.
~・er n
~・ness n
[OF=empty (L vacuus); ⇒VACANT]
【リーダーズ英和辞典第2版より引用】



"三国志 Three Kingdoms 第5話 三英傑、呂布と戦う【日本語吹替版】"



"三国志 Three Kingdoms 第6話【中国語】"

◆かみ【紙】
主に植物性の繊維を材料として、アルカリ液を加えて煮沸し、さらにつき砕いて軟塊とし、樹脂または糊などを加えて漉すいて製した薄片。書画・印刷・包装などに使う。後漢の蔡倫(さいりん)の発明といわれてきたが、前漢期遺跡から古紙が出土し、前漢初期の開発。もと麻布の襤褸ぼろを原料としたが、和紙は楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・雁皮などを、洋紙はパルプ・襤褸・藁などを原料とする。ジス(JIS)には寸法についての規格があり、「A5」「B6」などという。推古紀「―墨を作り」
②(じゃんけんで)手のひら。ぱあ。【広辞苑第六版より引用】



"三国志 Three Kingdoms 第7話 孫堅の死【日本語吹替版】"



"三国志 Three Kingdoms 第8話 王允の離間の計【日本語吹替版】"

◆アル【二】中国語の二(に)。
◆刻〔刀(・)部6画/8画/教育/2579・396F〕
〔音〕コク
〔訓〕きざむ・とき

〔意味〕
①ほりつける。きざむ。「賜杯にその名を刻して記念する」「刻印・彫刻・篆刻てんこく・刻苦」
②切りきざむようである。むごい。きびしい。「深刻・苛刻かこく」

③きざみ。
㋐水時計の目盛り。「漏刻」
㋑時間の切れ目。とき。「刻限・時刻・遅刻」中国では、昔は一昼夜の百分の一、今はquarterの音訳で十五分。日本では、一昼夜の十二分の一で、十二支に配して「子ねの刻」などといい、一刻をさらに三等分して上刻・中刻・下刻とする。

〔解字〕形声。「刀」+音符「亥」(=ぶたの骨。かたい)。かたい物を小刀できざむ意。

〔下つき〕一刻・印刻・陰刻・下刻・午刻・後刻・残刻・時刻・重刻・上刻・深刻・寸刻・石刻・先刻・即刻・遅刻・中刻・彫刻・定刻・篆刻・復刻・複刻・覆刻・翻刻・模刻・陽刻・鏤刻・例刻・漏刻【広辞苑第六版より引用】



"三国志 Three Kingdoms 第9話 鳳儀亭の貂蟬【日本語吹替版】"

◆そば・める【側める】
〔他下一〕〈文〉そば・む(下二)
①横に向ける。ゆがめる。宇津保物語[蔵開上]「かうぶりも打ち―・めてさし入れ」
②憎らしい、見るにたえない様子だとして、顔や目をそむける。源氏物語[空蝉]「ひきつくろひ―・めたるうはべをのみこそ見給へ」【広辞苑第六版より引用】

◆そば‐め【側女・側妻】
①貴人の側近く仕える女。
②本妻以外の妻。めかけ。てかけ。【広辞苑第六版より引用】



"三国志 Three Kingdoms 第10話 董卓の死【日本語吹替版】"



"NHK特集 「山口組 ー知られざる組織の内幕ー」"

田岡さんご夫妻のお孫さんで竹中正久さんのお子さんはおれの大学時代の友達。
あれかね、おれが田岡のことを湯本に「人にやさしくありたいとおもってるのはわかる」と言ったのは(笑)。

※そうそう、以前、西田って西田幾多郎さんのお孫さん?と聞いたけど、一和会会長の山本広さん西田に面影似てるね(笑)。

で、三代目稲川一家総長稲川英希さん。



"稲川会 三代目稲川一家 親子縁組盃 平成16年"

角田くんでしょ(※コンタクトにしたの?・笑・20211212)。
20代のころのおれのバイト友達で、おれに「芝山くんはある意味長嶋茂雄(さん)だからな」と言ったひと。

居抜きで(盃)ということで(怒ったらいかんよ・笑)。






"シェーン(Shane,日本語字幕) 1953"

でですね。





トーマス・ジョナサン・ジャクソン(Thomas Jonathan Jackson, 1824年1月20日または21日 - 1863年5月10日)は、南北戦争時代のアメリカ連合国(南部連合)の軍人。アメリカ合衆国の歴史を代表する勇将の1人。その戦いぶりからストーンウォール・ジャクソン(Stonewall Jackson)と渾名された。ロバート・E・リーの片腕として合衆国軍(北軍)を苦しめたが、チャンセラーズヴィルの戦いで戦死した。

最期
ジャクソンの最期の地となったバージニア州ギネアステーションの農場事務所

1863年春、北軍のポトマック軍は新司令官フッカーのもとで11万の大軍に増強され、再び攻勢に出た。リーはこれに対して賭けに出る。手元にわずか18,000を残し、ジャクソン軍団28,000を西から迂回させて北軍の左翼を衝かせた。5月2日夕刻、ジャクソン軍団が北軍の側面を捉えたとき、北軍では夕食と余興にうつつを抜かしている最中であった。攻撃は奇襲となり、多くの北軍兵士が一発の弾丸も撃たずに捕虜となった。その後4日間の戦いの末、北軍は撤退に追い込まれた。

賭けは成功し、このチャンセラーズヴィルの戦いは南軍にとって輝かしい勝利となったが、一方で南軍は補いようのない損失を被っていた。戦闘が終わり司令部に帰還しようとしていたジャクソン及び司令部要員らはその一行を北軍の騎兵部隊だと誤認した南軍のノース・カロライナ連隊の将兵に止まるように命令された。しかしその将兵らは答えを聞く前に発砲し、ジャクソンは3発の銃弾を浴びてしまった(左腕に2発、右腕に1発)。この時彼に同行していた司令部要員も数人この誤射の犠牲になっている。しかも暗闇と誤射による混乱のせいでジャクソンはすぐに手当てを受けることができなかった。

その後ジャクソンは左腕切断手術を受け付近の農場事務所に収容されたが、その過程で肺炎を併発してしまい容態は徐々に悪化していった。

5月10日、ジャクソンは息を引き取った。死の床でどこか遠くの風景が見えていたのかもしれない。「川を渡って…木陰で休もう…」。それが最期の言葉だった。

ジャクソンの死の報せはリーの司令部にも届けられた。長年の友人でもあり最も信頼していた部下の喪失を、リーはこう嘆いたと伝えられる。「彼は左腕を失ったが、私は右腕を失った!」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』






ロバート・エドワード・リー(Robert Edward Lee、1807年1月19日 - 1870年10月12日)は、南北戦争の時代のアメリカの軍人、教育者。南部連合の軍司令官を務め、物量や国力において圧倒的に強大だった合衆国側の北軍を大いに苦しめた。最終的には敗北したが、アメリカ史上屈指の名将として評価が高い。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

20210928。



ジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア(英語:Joseph Robinette Biden Jr.、発音:[ˈbaɪdən]、BY-dən、1942年11月20日 – )は、アメリカ合衆国の政治家、弁護士。同国第46代大統領(在任:2021年1月20日 – )。短縮形名はジョー・バイデン(Joe Biden; 発音: [dʒoʊ ˈbaɪdən]。ニューキャッスル郡議会議員、デラウェア州選出連邦上院議員、副大統領を歴任した。2021年1月20日に78歳で大統領に就任した。ジョン・F・ケネディ以来2人目のカトリックの大統領である。
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20210929。

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