we are amaterasu kingdom dimensionsLV。
時間は一定方向だけに流れているわけではない。
その証拠、とまで言っていいかわかりませんが、そのヒントが。
一度引用?させてもらっていますが『司馬遼太郎が考えたこと1』平成十七年一月一日発行。
とりあえず、この本は存在するぞと(笑)
ま、ミスリードの為の偽書はありえるんですけど、俺一人を狙って偽書を作りまくるという状況もそれはそれで凄いと言うか、それはそれで必ず何かおかしなことがこの世に存在する証明というか。
で、ですね、この中の一編。司馬さんが世に出るきっかけの一つとなった同人誌近代説話について書かれた昭和36年の「こんな雑誌やめてしまいたい」。
巻末のデータによると、初出は昭和三十六年四月三十日発行?の近代説話第七集の「編集後記」。
◆こう‐き【後記】①後世の記録。②書籍などで、本文の後に記すこと。また、その記した文章。跋ばつ。あとがき。③その箇所より後の方に記すこと。「―の通り」⇔前記[広辞苑第六版より]
※昭和43年6月3日は兄の誕生日。
ここで、ちょっと別の文章に飛びます。
もともとはロッキンオンに掲載されたインタビューだと思うのですが、これは日本人アーティストのインタビュー集『ロッキンオンファイル(宮岡さんごめん、この本、もうない・笑)』に掲載されたものです。(当時、ロッキンオン・ジャパンはまだ無かったと思います)
BOØWY解散は87年12月24日(東京ドームは88年4月4日、5日ですけど)、で、昭和36年初出のデータが載っていたのは『司馬遼太郎が考えたことⅠ』487ページですが、それとともに…。
氷室京介さんの本名はテラニシオサム(寺西修?)さん。司馬さんの文章は“同人の寺内君という人は、本当は僧職の身であり・・・”そして同じファイルの布袋寅泰さんのインタビュー。
以前も書きましたが、右はしの方、渋谷さん、というか、ロッキンオンのみなさんでしょうか?
で。
"同人の清水君なのである。この人は、世評ではずいぶんと奇人で通っているそうだ"(昭和65年)
※近代説話は11号で休刊。
氷室さんの本名は"テラニシオサム"。
布袋さんの身長は187センチぐらい?六尺だとちょっと足りないか?
で、この文章が書かれた昭和36年はおそらく布袋さんが生れた年。したがって当然、同人の寺内君とは作家の寺内大吉さん、清水君は作家の胡桃沢耕史さんのことです、あくまでも。が、同人の清水君なのである。この人は、世評ではずいぶんと奇人で通っているそうだが、私はそうだと思ったことがない。静かで、いつも微笑していて、全体の印象には、もって六尺の孤を託(たく)すに足るような重さがある。いつの場合でも、意見をきいているばかりで、自分の我を通さない。寺内君と私とが、やめるやめぬの議論をしていても、かれはにこにこと布袋(ほてい)のような微笑をうかべて聴いているのみなのである。
"だからぶつかるとしたら俺とヒムロックだしさ、初めはすごいぶつかって、音楽的にも人間的にも、とりあえず、このバンドでこいつが一番嫌いだ、みたいな。目も合わせない時もあった"が、やめるやめぬの議論をしてるのは、氷室さんと布袋さんではない?
あのですね、結論はすでに。
時間は一定方向だけに流れているわけではない(笑)。
"それだけならいい。このふしぎな人物には、卓絶した事務的な才能がひそんでいるのだ。議論は議論、実行は実行、と考えているらしく、気がついてみると、いつのまにか、また雑誌が出ているのである。わらうべきことであった。ふたりの口舌の徒の空論は、いつもかれの頭上を通過するのみで、かれは頭を垂れて黙々と編集をし、にこにこと印刷屋に出かけ、紙屋に払いをすませ、出来あがった雑誌を袋に入れ、いちいち上書きを書いて発送し、そのあと機械のような正確さで、経費のツケを口舌の徒たちに渡す。こういうふしぎな人物がいなければ、この雑誌はとっくに休刊になっていたように思われる"
でですね、ちょうど80年代後半から90年代にかけるこの頃が、世の中の状況がひたすら悪くなっていく時期だったのだろう、だからあちらこちらに"十"を刻み付けるためのある種国家プロジェクトとしてBOØWYは存在していた、みたいに思ったこともあったんです。託す。
が、"刻みつける"はあると思うんですけど、たとえば"裏に戦いが存在した"を念頭に[※禹・Uが実在した、でもいいです]置いて、TMネットワークのシングルを並べて聴いてみてください。でも、歌詞や曲も持ち寄って、それはないですね。"いちいち上書きをして"。小説(説話でも)にもポピュラーミュージックにもある種の型(当然オリジナルの栄光はあるとおもいます)はある、当然それを使って、という意味合いだと思います。
and
要するに。
コーラスは小室哲哉さん。
ラップはマークパンサーさん。
コーラスは今井美樹さんとKEIKOさん。
藤井フミヤ&チェッカーズかの香織ゴミ処刑。
で、もちろん。
ジーザスジョーンズさんとの共作。
ブライアンセッツァーさんとの共作。
と、いうか、アルバム『King & Queen』は共作アルバムでしょうか(笑)?
で、"全体の印象には、もって六尺の孤を託(たく)すに足るような重さがある。"
六尺の孤の意味がそもそもわかってませんけど(そもそも昭和36年の文章ではありますが・笑)、"託"の字を電子辞書(新漢語林)で調べると。
◆託(常音・タク/字音・タク《(入)薬》)❶よ-る(依)。たのむ。たよる。また、たのみ。[請託]
【プラス】[世説新語、徳行]既以納其自託、寧可以急相棄邪。(既以[すで]に其の自託を納(い)る、寧ぞ急を以て相棄つべけんや。)➡すでに頼みを引き受けたのであれば、どうして危なくなったことを理由に捨て去ることなどできようか。❷ことづ—ける。❸よせる(寄)。身を寄せる。寄寓する。❹ゆだねる(委)。まかせる。「付託」、❺かこつ—ける[※流れはぴったりと(笑)。]。ことよせる。「仮託」「神託」
[解字]形声。言+乇(音)。音符の乇(タク)は、屋内などに身を寄せる人の象形。他の事実に寄せつけて言う、かこつの意味や、ゆだねるの意味を表す。
❷ことづ—ける(ことづく) ❹ゆだねる(委)。❺ことよせる。とかにも国家プロジェクトな感じは漂いますけど、やはり…
既以納其自託、寧可以急相棄邪。すでに頼みを引き受けたのであれば、どうして危なくなったことを理由に捨て去ることなどできようか。
で、言いはりだしたのは最近ですけど、俺が子供のころ、80年以降、我が家の裏に住まわれていた米軍基地の偉い人、奥さんは日本の方"アベさん"はジョンレノンさんだった(一度、夕暮れの島地公園で遊んでいた時、家に帰ってこられたとこをお見かけしました)。そのころの誕生日、突然母にビートルズのアルバム『HELP!』のレコードをプレゼントされましたが、あれは実はレノンさんからだったのだろうと。レノンさんは母方の親戚かも。だから俺なんとなく歌声似てるとか(笑)。
でですね、こんなソノシートもあります。
で。
ちなみに、その頃の家族写真です(父方の従姉のお姉さん、兄の友人も)。
で、ぽつんと、いきなり結論を置かれてもあれかもしれませんけど、ま、これは全部ですが(笑)。
その本が今ないので不正確になりますが、司馬さんの『愛蘭土紀行』の中でレノンさんがアイルランドについて歌った歌詞がとりあげられ、「この歌詞ではアイルランドの歴史的な不幸や悲劇についてかなり率直な悲しみの表現がなされている。辛辣な表現で知られるレノンも、自らのルーツであるアイルランドについては、その辛辣さを発揮することがためらわれたのかもしれない」みたいな文章があるんです。おそらく、これは、司馬さんがレノンさんご自身から直接お聞きになったこと、ではないかと。
当然、そうすることで、"イングランドの"悪辣さをより一層際立たせる、という、辛辣さ、あり得ますが(笑)、当然。
そして、その不幸や悲劇は、いわゆるイングランドによる、ではなく、人食い。
※政治・経済評論家の田中直毅さんとの対談です。
"街道をゆく 第12回 愛蘭土紀行"
and
ワット‐タイラーの乱 1381年人頭税賦課への不満を誘因として、イングランド南東部を中心に全国的規模で起こった農民反乱。ロンドンの民衆も合流し、農奴制の廃止、地代の引上げ禁止を国王に約束させてほぼ鎮まったが、指導者ワット=タイラー(Wat Tyler~1381)はさらに要求を続ける中で殺害された。[広辞苑第六版より引用]【英史】 Wat Tyler’s Rebellion; The Peasants’ Revolt.[新和英中辞典第5版より引用]
当然、81は80の次です。
John (Winston) Lennon (1940‐80) [リーダーズ英和辞典第2版より引用] (1981~)