amaterasu kingdom dimensionsⅥ-16-5-fromⅢ-30-5&9-菅谷梨沙子のお母さんがジャニスジョプリンさんだということは梨沙子に直接聞いて知ってたけどジムモリソンさんお父さんだ。

"WIN_20260426_03_44_41_Pro"

どうにも☺️
"熊井友理奈 菅谷梨沙子 夏焼雅 須藤茉麻 徳永千奈美 (2)"
Mergedが☺️
(おはようえりε`○)。
。(おはようれいなε`○)。
(おはようさゆみε`○)。
。(おはさゆみんε`○)。
20260426☺️

20260426☺️
(おやすみれいなε`○)。
。(おやすみさゆみε`○)。
。(おやさゆみんε`○)。
。(おやすみえりε`○)。
"鈴木愛理__Merged (2)"
けっこんに☺️
みえる☺️
"WIN_20260426_03_44_48_Pro"

"01 DREAMIN'"

"10 CLOUDY HEART"

"11 HEART TO HEART"

"12 SINGLE"

"22 MIDNIGHT DATE (1984.12.06 "BEAT EMOTION TOUR" 仙台ヤマハホール)"

"14 OH!MY JULLY PartⅠ(1984.08.09 "BEAT EMOTION TOUR" 高知県民文化グリーンホール)"

"24 TEDDY BOY MEMORIES (1984.08.09 BEAT EMOTION TOUR 高知県民文化ホール)"

"Boowy  No New York"

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狂気と虚無からの生還。デヴィッド・ボウイこの10曲

2025年7月30日 20:54

 世界的にも貴重なものなので、どなたか英語版を作成してくれないかと思う。当時のテープをデジタルにして絶対的資料として添付したら話は早い。
 ところが私はこれを捨ててしまっているのだ。後年価値が爆上がりするかもしれないとは薄々思っていたし、何より自慢や記念として残しておかない理由は無い。しかし私はぜーんぶ捨てた。独占取材として週刊プレイボーイと一緒に行ったロスでの「ブラックタイ・ホワイトノイズ」の時もプレイボーイの取材子が「どんだけ凄いの俺!」と言わんばかりにツーショットを撮っているのに、私と来たら俺はいいよとにっこり断っていた。それどころか、ボウイには結婚披露宴で「オサムサン、○○サン、ゴケッコン、オメデトウゴザイマス」などというVHSを送ってくれていたのに、それもどっかに行ってしまった。ジャーナリストなら対等との矜持や見栄でそうしたのではない。なんとなく恥ずかしかった。あと、こんなもの要るのかな?俺もボウイも今を生きてるのだしなどとかっこつけて廃棄。そんなしょうない理由で、カートとかジョンライドンとかオアシスとか皆捨てた。アホでしょう?
 さて、ボウイのこの答え方の優しさと言ったらどうだろう?その謎は終わってから解説する。

1996年5月

鋭利な批評眼とインテリジェンス、心安らぐ誠意とユーモアで語り尽くした30年史。ボウイ初級者から執念のロートル・ファンまで、深い感銘を与えるデヴィッド・ボウイ2.5万字インタヴュー!

インタヴュー=増井修 通訳=STEVE HARRIS

Space Oddity. '69
Ziggy Stardust. '72
Fame. '75
TVC15. '76
Sound & Vision. '77
Heroes. '77
Ashes To Ashes. '80
Let's Dance. '83
The Wedding Song. '93
Hallo Spaceboy.'95

デヴィット・ボウイを来年でいよいよ50歳である。創作活動も30年に及ぶ。その間ごく初期の3年程を除いてずっと第一線にいたわけで、これは改めて考えると驚異的なことである。しかもさらにボウイの場合、アルバム・リリースに丸3年とインターバルをあけたことが一度もない。たいがいのアーチストに浮き沈みは避けられないものだし、ましてや何らかのアクシデントや表現欲求の枯渇によって長期のブランクに陥る例は枚挙にいとまがない。いや、それ以前にどこへともなく姿を消してしまう。「あの人は今」状態のアーチストなど数えきれないではないか。ところがボウイはどうだ。ローリング・ストーンズのように変わりたくても変われない、ある種安心商品の量産をしてきたというのならともかく、ボウイの場合はそれこそ次がどうなるか全く見えない変化に変化を重ねての30年なのである。
これは一体何なのだろうか。クオリティをすっと維持してきたということもあるだろうし、70年代に築いた絶大なる信頼とステイタスによるところも大きいたろう。
しかしそれだけでは何故ボウイは3年と表現活動から離れないでいるのかという説明にはならない。金も名誉も充分、若さゆえの衝動はもうなく、これ以上証明しなければならないものがあるとは思えないのにボウイは、自らをいまだに表現に追い込む。

そして猛反発であれ何であれ、少なくとも“問題作”と呼べるものを世に問うてくる。
根っからのアーチストというのはこういう人のことをいうわけだが、では根っからのアーチストとは何を意味することなのか。この2万字インタヴューの主要テーマはそこである。つまり、ボウイにとって表現とは、自分が自分であることをかろうじて確認できる唯一の手段であり、一生涯を投じてでも追求すべき“全き人間”への道程なのではないか。趣味や道楽では決してなく、ボウイにとっての表現はもっと切羽詰まった動因に根ざしているのではないか。しかもそれは白いキャンバスのような自分であるがゆえに、聴き手という他者を常に前提とするかたちで。
人が過去を振り返るときそこには必ず合理化という心理が働くものだが、このインタヴューでのボウイは驚くべき柔軟さと寛容さでこちらの質問を正面から受けとめ、何も隠さずに答えてくれた。内因的な狂気について、ドラッグについて、80年代の愚行について、彼がこういう形で総括をしたのは初めてである。こうしたニュートラルな視点で極めて論理的に自分の半生を振り返ることのできるボウイという人には人生へのとり組みの姿勢みたいなものすら感じ、インタヴュー終了後、晴れ晴れとした。

Space Oddity / 『SPACE ODDITY』1969
当味の僕は実存主義かぶれでね、
トム少佐ってのはポップなカミュなのさ

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●今回はですね、あなたのキャリアを振り返る形で取材を進めたいんですが、その中で特に代表的な十曲について触れていきたいんです。
「うん、どうぞ、何なりと」
●では、始めたいと思います。まずは六九年の”スペース・オディティ"なんですが、あなたのデヴイッド・ボウイというペルソナは、この曲とこの時期におけるあなたの成功と相まって出来上がったように思うんです。どうなんでしょう、この当時、あなたはデイビー・ジョーンズからデヴィッド・ボウイというペルソナを初めてまとったのだといえますか?
「まぁ……あの当時、『ああ、これからこういう方向に向かうんだろうな』って、そういう感触なら自分でもうすうす感じてたと思うけど。あの六九年当時のイギリスじゃ、あとアメリカなんかでも盛り上がってたはずだと思うけど、マルチ・メディア・イヴェントと呼ばれてたもんがあって、そういうもんと僕も関わってたんだけど、この頃、僕はそこからようやく脱し始めてたんだよ。
イッピー(政治性の強いヒッピー)やヒッピーによるトータル・コンセプト舞台芸術とでもいうようなものの絶頂期で、そういうものの他にも僕はリンゼイ・ケンプ・カンパニーという劇団とも仕事をしてたし、絵もまだやってたし、彫刻もやってた。別のバンドじゃサックス吹いて、自分のバンドじゃ歌をやったり、そんなこと風な事をしてたんだ。で、演劇的な感じのロックを作ってみようという構想がだんだん出来上がりつつあった。といっても、この頃はまだ思いつき程度のものでしかなかったんだけどね。だから、“”スペース・オディティ”じゃまだ正確なキャラクター設定とか、そういうところまでは考えてなかった」

●へえ。じゃあ、デヴィット・ボウイ=ペルソナ説についてはどうだったんですか?
「そうだな、デヴィッド・ボウイという自分についてはね、この時点じゃ語り手という意識しかなかったよ。で、今現在の僕も結局そこに戻ってきたんだなっていう気がするんだ。単なるストーリーテラーに戻ったっていうね。だから、オフ・ステージ、オン・ステージ・パーソナリティっていうのも、ジギー・スターダストのキャラクターが七〇年代になって出来上がるまでは特に考えることじゃなかったんだ」
●なるほど。この時期はあなたが初めてスターダムを手にした時期にあたるわけですけど、成功そのものはあなたの目指すところではなかったんですか?
「僕が望んでいたのは、僕の言うこと歌うことは一句漏らさず全員に真剣に聞いてもらいたいっていう。非常に尊大な態度でもって、聞かせたがってるっていう(笑)、若気の至りとでもいうか(笑)。でも、あのくらいの年頃だと、自分こそが世界を変えるんだっていう願望があるんだよね。それが若さの原動力なんだと僕は思うよ。僕はロックンロールをまるっきり作り変えてみたかったんだ。僕が本当にやりたかったのはそういうことだった。これまで見たこともないようなものを作りたかった。演劇的なものを使ったとしても、それまで試みられたこともないようなレベルにまで持っていきたかったんだよ」
●じゃあ、そうした自分と似た資質を持つアーティストは他にいるように思えました?それともまったくひとりぼっちで孤軍奮闘してるような気分だったんでしょうか?
「うーん、まぁ、ひとりぼっちのような気はしてたけど、演劇的なものに近いっていう点で特に印象的だったのはジム・モリソンだったな」
●へぇー。ジム・モリソンですか。具体的にどういうところがよかったんですか?
「フランスの実存主義的な雰囲気があってそれがいたく気に入ったんだ。っていうのは、僕は劇団で(ジャン・)ジュネだとか、そういうものをかじってたし、まぁ、当時は何をやっても実存かぶれになってたっていうことだよ(笑)。だから、トム少佐のようなキャラクターにしても、まず文字通り隔絶されて、社会と関われなくなって感情が空洞化しているような人物設定から考えてるうちに出てきたものだったからね。つまり、カミュなのさ(笑)。ポップなカミュ(笑)」
●(笑)そうか。じゃあ“スペース・オディティ”はあなたにとって、何の始まりだったんでしょう?
「まぁ、あの曲は僕にある一つの寓意というか、象徴というか、僕がその後も何度も立ち返った、もう一つの存在場所としての宇宙っていうモチーフを提供してくれたと思う。それと、作中人物との距離感を作るきっかけにもなった。この距離感を僕は自分の作品に出したかったんだよ」
●距離感と言うと?
「だから、あの時点で僕はまだジュネになりたいのか、ブレヒトになりたいのか決めてなかったんだ(笑)。それはのちのち決めることだったんだけと、そういうことだったから、とりあえずどちらとも少し距離を置きたかったし、オーディエンスからも距離を置きたかったし、結果的には、要するに自分からも距離を置きたがっていたんだなと、今になってみれば思うけど(笑)。で、そうしたパラメーター設定の中でその後しばらく活動していくことになるだろうと、何となく決めたということで、“スペース・オディティ”が一つの発端になったと言えるんだ」

Ziggy Stardust / 『ZIGGY STARDUST』1972
自分が狂気に陥るんじゃないかとすごく不安になった時期は確かにあった

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●となると次は当然七二年の『ジギー・スターダスト』から、“ジギー・スターダスト” になるんですけど––。
「だろうね(笑)」
●あれほど精巧に作り上げられ、神々しくて、存在感のあるペルソナにあなたが成り代わろうとしたのはどうしてだったのかということについてさまざまなことがこれまで言われてきましたが、その中には例えば、あなたが自分自身の中に感じる空白を埋めようとしてあれを作り出したんじゃないかという意見もあるわけです。つまり、自分のアイデンティティの不確かさを埋め合わせていくためにああいった代わりのエゴを作り上げていったんじゃないかということですけれども––。
「うん、まぁ、そういう見方は心理学的には妥当だし、説得力もあると思うけど、でもそれ以上に大きな原因となってたのは、とにかく何かすごいものを作り出したいっていう気持ちだったんだよ。僕がそもそも一番面白いと思ったのは、ああいうものを作り出すことでどんな異種交配も可能になるってことで、どんな要素を持ち込んでこようととにかく何でもありだぞっていうね。カルチャーが次から次へと吐き出していくガラクタをすべて丹念に縫い合わせて行くことでものすごい怪物が生み出せるっていうね。まぁ、でも、ガラクタといっても本当のガラクタばかりじゃなくて、例えば、あれの演劇的な要素とか衣装面とかは能や歌舞伎にものすごく触発されてるんだ。まぁ、当時、僕はお決まりの日本かぶれのフェーズに入ってたから(笑)。だけど、能や歌舞伎に触発されていただけにあれを作り始めた当初に山本寛斎と手を組めたのは本当に幸いだったよ。っていうのは、あの頃、一緒にやっていた人間の中でもジギーの容貌を決定的に左右したのは山本寛斎その人だからなんだ。それと、あの髪の毛もまた歌舞伎そのままだったし。あのつんつん赤毛は鏡獅子からとってきたものなんだ。非常に危ういイメージをかもしだせるなって思ってね。とにかく、あのキャラクターは本当に合成の極みというもんだったし、それがまたすさまじい距離感を生むんだよ。自然な感じなんか微塵もなくて、あのシギーの容貌とジギーのペルソナが持つ人工的な肌触りが僕はものすごく気に入ってた。また、あれは、ある意味ではウォーホールへの愛着から生まれたものでもあった。もちろん、僕の、きわめてイギリス的な形でのウォーホールへの愛着だけど。ま、それはともかくとして、距離感を作り出すっていうのが特にね……っていうのも、アート・スクールに身を置いていた者としてはああいうものを肌で学んでいるわけなんだ。あれこそまさに六〇年代、七〇年代初期の感んだ。といっても、当時の自分たちにはああいうものを作り出しながら多元的な世界に突入していることを全然自覚してなかったんだけどね」
●多元? っていいますと?
「つまり、七〇年代っていうのは、実は多元主義の時代だったんだよ。もはや絶対はない、あらゆるものについてそれぞれに二つ、三つ、ないしは四通りもの歴史が同時に存在しえるというね。で、それはカオス理論とかエントロピー理論の発端でもあったわけだけど、そのこと自体については七〇年代の終わりになるまで気がつかなかったんだ。とにかく、僕はそういうものをはらんだ若い社会にものすごく馴染んでいたし、多元的な社会の中で僕自身も生まれ育ったんだと思うよ。で、僕の世代の多くの人間にもそういう特徴が共通してあると思うよ。例えば、ヨーロッパだけでも、人間の発想だけを考えても現実的に大きく分断されていたし、そういう意味で六〇年代のおめでたい理想主義には納得できなかったし、異議を唱えてみたくなる。だけど、異議を唱えてからどこへ向かえばいいのかってことになると、それもまたわからなかった。だから、反乱のための反乱だったっていうか。いずれにしても二十世紀の後半においては、理想主義がうまくいかないことだけは確かなんだっていうね。まぁ、今となってはこうやって定義するのも簡単だし、それだけに振り返るっていうのも実にすばらしい作業のように思えるけど、当時は何もわからず、わけもわからずやってただけの話なんだ。一貫した考えがあったわけでもないし。ただ、イメージの流れみたいなものはあって、僕はいつだってイメージを読み取るのがうまかったんだよ。イメージをスキャンしてみては、そこから意味を組み立ててみるというね。そこでは僕の直感が働いてるんだけど、その一方で読書もよくしたし、直感と思考の双方がいつもよく行き交っていたわけで、これもまた多元的だったということになるんだよ」
●ジギー・スターダストの容貌の極端さはある距離感を作り出すためのものだったとさっき言ってましたが、あえて自分をグロテスクに提示しようという意図はなかったんですか? っていうのは、あなたはそもそも誰が見てもきれいな顔だちをしているだけにそうした表層への反発という動機はかったんでしょうか。
「えーとね……誰かが男芸者っていうようなことをすごくうまい言い回しで言ってたんだけど、ちょっとド忘れしちゃったな。あまりにも的を射ていて、読んだ時には大笑いしちゃったんだけど。要するに尻軽(bimbo)をほのめかす言い回しで韻まで踏むもんだから、おかしかったんだけど……ま、それはともかくとして、僕としては安直にいい男扱いされるのがちょっと不安だったんだ。知的な興味にしても、いつも公じゃひけらかさなかったわけだし、デヴィッド・キャシディ的な状況をたくさん見てきただけにね、ああいうことだけは絶対に避けたかったんだ。僕はいつだって“アーティスト”という看板をことさらに大きく掲げたかったんだ! そのおかげで今に至る諸々の体験をこうむることにもなったけど(笑)。
でも、そういう気持ちが強かったから、自分が思うところの自分をみんなに知ってもらいたいと願うより、妙ちきりんな新たな生物を作り出してそれに成り代わって新しいことをやりたいっていう欲求の方に拍車がかかっちゃったんだよ」

●やっぱり。で、あえて訊くんですけど、ジギー・スターダストの世界にはやっぱりある種の狂気が描かれていると思うんです。
「うん、っていうか、それはよく言われてることで、それっていうのもある人物が僕の兄弟の狂気について本を書いたから、みんなもその本の趣旨にそそのかされてるんだ」
●ええ、つまりは、あなたの中で息づいている、ひょっとすれば先天的な狂気があって、それと距離を置くためにもその狂気をジギーという形で吐き出さなきゃならなかったというものですよね。
「でも、所詮、そんなことは誰にもわからないことじゃないか。そういう解釈について、ある範囲内までなら説得力があると認めるのもやぶさかじゃないけど、それが真相なのかどうなのかってことになったら、それはわからないよ。今となってはあの時期の自分の思考の組立を再現することだってできないんだから、いまさら検証しようったってそれも無理な話だよ。とはいえ、すごく不安になった時期は確かにあった。僕が……っていうか、僕の親族の多くがそういうことになってるし。僕の家族には変な人が多いんだ。だから、そういうこととまったく関係がなかったとまでは言わない。でも、それが最も重要な動機じゃなかったのは確かだよ。僕がまずやりたかったこと、そして何よりもやりたかったこと、それはロックを変えることだった。それが僕にとってのプライオリティだったんだ。でも、どうしてロックを変えたかったのか、あるいはその他諸々のカルチャーに関心を持つようになってアーティストになりたいと思ったのはそもそもどうしてなのか、それはわからない。でも、社会と関わらないでいられるいい方法だと思ったのは確かだよね(笑)。普通の人のようなレベルで人と関わらなくてよかったし、仕事で束縛されて、人と話すにも束縛されて、社会的に認知されているパラメーターの枠を超えないように束縛されることがなかったから。だから、こういう道を選んだということは、そういう社会一般で通用している責任から逃れたかったっていうことなんだ。ところが、いざそうやって社会から脱落してみると、今度は自分と同じような変な連中がたくさん集まった、新しい社会に属してしまった自分がいたわけだ(笑)。で、その新しい社会では僕の狂気についての不安も少しずつ解消されていくことになったんだ。なぜかというと、そこじゃみんな狂ってたからなんだ、あははははははは」

Fame / 『YOUNG AMERICANS』1975
ジョン・レノンと話をすると、いくらしても尽きることがなくてね、議論がいつまでも成立して面白いんだ

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●面白すぎます(笑)。それでは先天性狂気の話題から移りまして、陽気な“ヤング・アメリカン” に成り代わった時代について訊きたいと思います。
「(笑)。確かにあの水平線の向こう側へ突きぬけるとある明るさがあるんだよ」
●この時期に特にアメリカ、あるいはソウルやR&Bに向かったのはどうしてなんでしょうか?
「そうだね、僕の音楽的なインスピレーションってそもそもはすべて……もちろん、僕のヴィジュアルについての感性はすべてヨーロッパ的なものだし、舞台芸術についての感性もヨーロッパ、あるいは東洋からの影響が強くて、演劇理論とか、そういう思考面でもフランスやドイツからの影響が強いんだけど、音楽については、僕のみならず当時のイギリスの人間は全員、アメリカの音楽を崇め、アメリカの音楽に取り憑かれてたんだよ。で、当時、僕がやってた音楽にはアメリカ以外からの影響はほとんどなかったと言ってもいいと思う。アメリカ以外のものが顔をのぞかせるようになったのは七〇年代中盤、後半になってからのことだからね。で、僕が初めて本格的に、身も心もどっぷりアメリカのブラック・ミュージックに浸かったのは七三年にアメリカに初めて来た時なんだ。その頃の僕はもうとにかく、ブラック・ミュージックにしか興味がなかったし、何をするにも何につけてもブラック・ミュージックだった。で、特にこの世界を紹介してくれたのがこの頃付き合い始めたカルロス・アロマーという、その後、長い間、僕のギタリストになってくれた友達だったんだ。カルロスに初めてアポロ・シアターにも連れてってもらって、僕は……僕はというと、単なる道化だったね(笑)。何せ、髪の毛はまぶしいばかりのつんつんの赤毛だし、実際、あの妙な成りが案外功を奏してみんなにもすぐに親しくしてもらえたのかもしれない。世にも奇妙な服しか持ってないんだからさ(笑)(注;当時のアポロ・シアターは黒人ばかりで白人にはなかなか行きづらいライヴ会場だった)。いずれにしても、一度連れてってもらってからはすぐに常連になっていつもいつも観に行ってたし、その後、フィラデルフィアのことを知り、フィラデルフィア・サウンドのことも知った。ギャンブル・アンド・ハフとか、オージェイズとか、そういうね。とにかく、僕はもう完全にブラック・ミュージックの虜になっちゃって、で、それが『ヤング・アメリカン』をやる動機にもなったんだ。しかも、幸いにして、あの時期に僕はルーサー・ヴァンドロスとか、ディヴ・サンボーンなどといった人たちと仕事をする機会にも恵まれたわけで、どちらも僕のバンドにいたんだからね。あの時期の僕は、すさまじいバンドを抱えていたんだよ」
●しかし、住まいまでアメリカに移したのはどうしてだったんですか?
「それはアメリカが音楽の発信地だったからだよ。すべてアメリカから来てたわけだから。そう、イギリスを完全にあとにしたのは七四年で、イギリスは若い者を食いものにする土地だから(笑)、もう少し長生きしたいと思って(笑)、そう思った時に、アメリカが新しい発想、新しい影響に限りなく恵まれているところだと思えたんだよ。特に僕の好きな作家もまた、ケルアック、バロウズなどとアメリカ人だったし、ビート・ムーヴメントの洗礼もしっかり受けてたわけだし。アメリカこそ僕にとってのゴールだったし、アメリカに行かないなんてことは絶対にありえないことだったんだ」
●「よーし、アメリカに行くぞおっ!」と決意した転機などはありましたか?
「なかった。転機があったとしたら、アメリカに来てしまったことだよ。『もう絶対にここを離れたくない!』っていうね。もう何もかもが好きで好きでたまらなかったよ。何をやっててもやり尽くせなくて、一日二十四時間、とにかくアメリカを吸収するのに精一杯だった」
●ただ、そのアメリカについての情熱もいつしか燃えつきたわけですよね。
「(笑)確かにね」
●どうしてなんです?
「まぁ、当時のすさまじいドラッグ体験をもろに潜ってしまったせいで、手のつけようもない薬物中毒に陥って、そのせいで他のものが帳消しになった……っていうか、ヨーロッパに戻るまでの間の記憶までほとんど帳消しにされちゃったよ(笑)」
●(笑)じゃあ、思い出せたらでいいので、この時期におけるジョン・レノンとのコラボレーション、“フェイム”のことで特に記憶に残るものがありましたら、教えてもらえないですか?
「そうだな、やっぱり一緒に曲を書いたプロセスそのものかな。例えば、ジョンが『ギターを持ってこなきゃ』って言ったかと思うと、セッションの途中にいきなり帰っちゃって、本当に自宅まで帰ってギターを抱えて戻って来たとかね(笑)。どうしてもそのギターで弾きたかったんだよ。それと、あの曲がすさまじく早く出来上がったことも忘れられないな。でもね、それはあの晩のノリのせいだったわけで、もう一度二人でやってああいう風にできたかというと、それは全然わからないよ。で、今となっちゃもう誰にもわからないよね。でも、あの晩のノリはもう、陽気で本当にすごいものだったんだ。楽しかったし、気の合う友達が横にいて、一緒にいてすごく楽しかったんだよ。それだけに死んだ時にはすごく寂しかったな。それにジョンは何をやるにもすごくはっきりしてて、正直だし、とにかく、おかしな奴だったんだ。僕にとっては、実際に会う機会に恵まれた音楽における神々しい人の一人だったし。だから、ジョンとの関係はものすごくかけがえのないものだったし、すごい人だと思ったよ」
●あれは、あなたの方からジョンに接触したんですよね。
「そりゃあ、もちろん、僕の方からだよ(笑)。だって、ジョンはいつだって僕のお気に入りのビートルだったんだから(笑)。当時は誰にだってビートルズのうちの好きな一人がいたし、ジョンはいつだってやることがすごいし、常に自分の枠を広げようとする姿にはすごくスリルも感じてたし。コマーシャリズムには絶対に妥協しないし、他の三人のビートルズから見れば、風変わりな、ほとんど馬鹿としかいいようがないことをあえてやってるわけだし。しかも限界をさらに推し進めていくことが一体どういうことなのかよくわかってる、ジョンはそういう人間なんだなと僕は思ってたよ。だから、そういう意味でジョンは僕にとってはこの上ない憧れであり、目標のような存在だったんだ。ああいうアーティストになりたいっていう。といっても、資質的にはかなり僕とは違うし、ジョンには一種、説教めいたところもあったからね。その点、僕が得意なのは、曖昧なことなんだ(笑)。僕にはそういうものが一番しっくりくるんだけど、ジョンはものすごくストレートで、歌についてよく言っていたのが『言いたいことははっきり言って、韻を踏ませて、バック・ビートに乗せろ!』っていう(笑)もんだったからね。で、本当にジョンってそうだったんだよ。カマをかけてくるようなところが全然ないのに、ものすごくダイレクトだった。その一方で、僕はまったくそういう風じゃないから、アーティスティックなことでジョンと話をすると、いくらしても話が尽きなくてね。議論がいつまでも成立して面白いんだ。僕なんかには相手の言ってることが自分の立脚点と違うのってすごく刺激があるし。例えば、僕がバロウズが好きなのは、読んでもよく言いたいことがわかってこないところで、ますます知りたくなるし、そうなるとどんどんその世界に引きずり込まれる気になってくるんだ。でも、ジョンなんかはあんなもんはゴミだとか言って一蹴しちゃうんだよ(笑)。あやふやなことを言ってたんじゃ世界は変わらない、人々にダイレクトな形で何がだめなのか伝えなきゃなおさらだめに決まってるよって言ってね。まぁ、そんなことがいろいろあって、ジョンといると白と黒とではっきり分かれてたから、ものすごく面白かったし、話し相手としても最高だったな。それだけに寂しくなったな。でも、ブライアン・イーノもね、別に取って代わるっていう意味じゃないけど、ある意味で、ジョンと似たところがあるよね。イーノもまたものすごく頭が切れるし、ユーモア・センスも絶妙だからさ。いずれにしても、僕なんかはそういう付き合いをものすごく大切にしているんだ。刺激になるし、仕事環境でスパーリングをしているようなもんで、そういうのって大好きなんだよ。そういうノリのコラボレーションはものすごくうまくいくことが多いし」

TVC15 / 『STATION TO STATION』1976
ドラッグをやって良かったと僕は思う。薬を通して達成できたものも確かにあるからね

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●では、七六年に移ります。
「(笑)」
●何だか、司会者のMCみたいだな(笑)。
「あはははは」
●(笑)えー、で、『ステイション・トゥ・ステイション』の“TVC15”。えーと、実はこの頃になると、あなたの薬の習慣もかなりひどくなっていたわけですけど、その反面、音楽面では特にその支障が出ているようにはどうしても思えないわけでして。
「っていうか(笑)、むしろ非常によかった、あははははは。うん、だから、息子にはいつも言ってるよ、『薬は自分をだめにする、薬などやってなくても作品はちゃんと言ける、やってない方がよっぽどまともにやれる』なんていう世間の戯言は全部でたらめだぞとね」
●(笑)
「っていうか(笑)、八〇年代にはちょっと真剣に疑いたくなったよ(笑)。『どうも先が見えてこないな、もう一回手を出すか』なんてね(笑)」
●(笑)
「でも、もう大丈夫です、先生」
●(笑)
「ははっ。まあ確かに、あの薬の迷宮からまた元に戻るにはほんとにちょっと時間がかかったよね。
でも、薬をやってよかったと僕は思う。本当にそう思うよ。だからといって、必ずしも誰かに勧めたいわけじゃない。これは飽くまでも自分で決めることなんだ。だから、人差し指を立てて『やっちゃだめだめ』って説教して回るつもりもさらさらないんだよ。僕としては薬を通して個人的に達成できたものも確かにあるからね。僕が若かった頃、つまり、十八とか十九くらいの時、仏教、それもチベット仏教にものすごく入れ込んだ時期があって、で、特に惹かれたというか、素晴らしい考え方だと思ったのは、人生がものすごくはかないものであるからものごとにあまり固執しててもしょうがないっていうものだったんだ。人生は移ろいゆくもんだというわけだから、当然、こっちは、いわゆるヨーロッパ的な観念、つまり絶対的なものや人生はかくあるべしということについての疑問が湧いて来た。で、僕のこれまでの作品を貫くようなものがもしあるんだとしたら、こういう疑問が僕のこれまでやってきたものを貫く一脈となってきたとも思うんだよ。でね、薬はやっぱり、それをあるところまでつきつめるのに大きな助けになったと思うんだよ。それに、ある風景を見た時に、その対象へのいろんな視点や深みをもたらしてくれたのも薬だと思うんだ。薬を経験してきたせいで、自分の視点を対象に合わせていろいろ調整してはさまざまなパースペクティヴを持てるようになったんだよ。で、アーティストにとってこれはすごく大切なことだからね。そういう意味じゃまったく後悔してないけど、肉体的、心理的にこうむったダメージについてはものすごく後悔している。特にそう感じるのは、どんな人間ともちゃんとした関係を持つことができなかったからなんだ。特に息子とね。だから、それなりの代償もまた伴うものではあったんだよ。自分の人生から人をどれだけ疎外していたか、それさえ気がつかないっていうね。けれども、薬にはまると、自分の身辺をめぐる問題について何一つ力が及ばなくなっちゃうんだから、そうならざるをえないんだ。そうすると、どんな関係も築きあげられないし、他人に対して思いやりも優しさも持てなくなる。そんな自分をまったく自覚できなくなるし、それが薬の弊害なんだよ」

●しかし、こうやって聞いてみると、結構、ぞっとする話ですね。
「そうだよ。ものすごくぞっとするし、それが薬の落とし穴なんだ。でも、アート面じゃこれがたまんないほどいいんだよ、あははははは」
●(笑)。
「ほんと、たまんないんだ(笑)。何かある度にまた手を出したくなる(笑)……っていうのは嘘だけと。実際、ほんとに、うちのめされてボロボロにされるような体験なんだ。でも、そこまで行っても、後悔することだけはできないんだ。個人的にね。それだけに、息子がしゃんとした奴に育ってくれて、内面的にもしっかり育ってくれて、僕としては神様にどれだけ感謝してもしたりないくらいなんだ。僕が作り出した混乱の中で育った挙げ旬にしっかり成長してくれたんだからね。幸いにしてここ十五年の間はものすごく親密に過ごしてこれたから、それはまぁ、うまくいったということなんだよ」
●ところで、問題の曲に話を戻したいんですけど––。
「そうだった(笑)」
●この曲は実際にテレビがある人物を呑み込んでしまうってことを歌ってるわけなんでしょうか?
「これはつまり……といっても、今振り返ってみて初めてわかったってもんだけど、要するにこれはヴァーチャル・リアリティ・テレビのことだったんだよ。別な世界が物理的にテレビ画面を通して提示されたってことなんだ。まあね、こんなことを思いつくような晩に僕がどんなことをやっていたのかは想像に難くないよね、あははははは。だから、発想としては、本当に恋人がテレビに吸い込まれてしまって取り戻せなくなったってものだったんだ。その後、同じような発想の映画ができたって聞いたんだけど。ホラーもので子供が出てたらしいんだけど……何て言うか、そういう発想を先取りしていた曲だったわけだよ」
●それにしても、あなたが最悪の状態に置かれていた時期こそあなたの絶頂期だったという、わりと自己中心的なファンの思い入れについてはどう思います?
「まぁ、やっぱり、みんな、アーティストが苦悩するのを見るのが何よりも好きなんだから、しようがないじゃないか。自分を切りつけるのをやめて以来、イギー・ポップが面白かったことはないだとか、そういうね。最高の理想は早死にすることだとかさ。あるいは、シド・ヴィシャスはイカレてた頃が最高だったぜとか。まぁ、僕たちがみんなで築き上げたロックの神々の住む神殿では確かにそういうことがまかり通っていると思うよ。観客が喜ぶようなことを、自分でもやってみたいこととして僕たちは自分から喜んでやってしまうんだ。でも、僕にしてみれば、もういまさらそんなものはどうだっていいよ。やっぱり今となっては、自分のごく個人的な家庭がとてもかけがえないものだし、すごくそれを享受させてもらってもいる。過去十年の間、自分の生活を落ち着かせられたことを幸いに思うし、特に妻と一緒になってからのここ七年はなおさらそうだね。それだけに、客の顧望と自分の人生を混同させるようなことは僕にはもうできないんだ」

Sound & Vision / 『LOW』1977
『ロウ』には、あらゆる種類の批判が全てあびせられ、どこへ行っても嘲笑の的になった

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●では、ベルリン時代とアルバム『ロウ』の“サウンド・アンド・ヴィジョン”に移りますが、この時期に自転車屋の二階で隠遁生活に明け暮れる気になったのは一体どうしてだったんでしょうか?
「まあ、だから、あの当時のイギーと僕のありさまは隅々まで知られていることだし、僕たちはもう膨大に問題を抱えちゃって、薬の弊害もほんとにひどかった。だから、誘惑がちらつくような環境から抜け出すべきだと真剣に考えてどっかで体をきれいにしようと二人で決心したわけだよ。それでもって勢いんで移り住んだところが何とヨーロッパにおけるヘロインのメッカだったっていう、あはははははは」
●人生ってやっぱり因果なもんなんだなぁ。
「いやあね、もうほんとに知らなかったんだ、そんなことつゆ知らずだよ。だけど、着いてびっくり(笑)」
●(笑)ほんとに?
「ほんとにまったく。それでも、頭が変になりそうな禁を守って、二人ともよく頑張ったなと思うよ。自分にしても、ほんとにあの時は頑張ったよ、あの時の僕は偉かったよ。薬と心理的な傷の厄払いをしっかりやり遂げたと思う。普通の人の、あるいは勤め人的な環境に自分を戻したのがすごくよかったんだと思う。スーパーに行って食料品を買うこと、財布が底をついてしまったこと(笑)、そういう経験をしたのが僕にはすごくよかったんだ。もし、あれがなかったら、今の自分がどうなってたかもさっぱり想像がつかないよ」
●それに薬の後遺症からか、この頃は鬱もかなり深刻なものだったと聞いていますが、どうだったんですか?
「うん、だからすべてにおいてっていうことで、とにかく恐ろしい体験だった。だから、一口にベルリン時代がよかったとは言えないわけで、それは実際問題として、おせじにもいいもんじゃなかったからなんだ。本当にセラピー的なものだったわけで、しかも僕はこれに治しようがあるとはつゆ知らなかった。そういうことについてはまったく無知だったし、あの時代には十二段階治療法だとか、そんなものは、僕の世界じゃ存在しなかったんだよ。力をふりしぼって、一人で乗り越えなきゃならないことだったんだ」
●とはいえ、僕を含めて多くの人はこのアルバムこそがあなたの最高傑作だと考えるわけですけれども、この時点であなたの創作がある極限までいったとは思いません?
「うーん、すごく意味の深い作品だったとは思うな。っていうかね、あの当時、あの作品がどれだけの誹謗中傷を浴びたか、君が知ってるのかどうかは知らないけど、あの作品はどこへいっても嘲笑の的となったんだよ。僕がそれまで受けてきたあらゆる種類の批判のすべてがあの作品には向けられたんだ(笑)。もったいぶるな、芸術家気取りでやってんじゃない、しょぼいぞなどとね。つていうのも、当時はパンクが絶頂期にあったわけで、『ロウ』はパンクに対する究極のアンチテーゼになっていたと言ってもよかったからね。でも、ブライアン・イーノはそこんところをよく自覚してて、だからこそ、二人でやったっていうものなんだよ。別に意図的に対抗するためにやったわけじゃないけど、ここでもやっぱり多元的な原理が働いてるわけで、Aがあれば必ずBがあるっていうものなんだよ」
●当たり前のことながら、あれをもう一度作れと言っても無理な話なんでしょうね。
「その通りだよ。っていうのも、あのアルバムがそれだけあの時期特有のものだったからなんだ。あのアルバムのすごいところは、あの時代が作品の内容にもなっているところでね。それでいて、とても個人的な作品にもなっていて、それを僕はとても誇りに思ってるんだ。ああいう作品として傑作を一枚作り出せただけでも、僕としては満足なんだ。もちろん、僕の場合、傑作はもっとたくさんあるけどね(笑)。でも、あれに関してはあれがどれだけ重要なものかわかってるから、あれと関わることができただけでも誇らしく思うな。で、三年前にフィリップ・グラスがあれを初の交響楽作品にした時は、嬉しくてたまらなかったというか、ミュージシャンとしてこれ以上冥利に尽きることはなかったというものだったよ。僕も音楽の枠を少しだけでも変えるだけのことはしたんだなっていう。音楽の可能性の領域を少しだけでも僕は押し広げたんだなって。それでもって、『ヒーローズ』の方もフィリップがやってるっていう話だから、ますます嬉しいよ」

Heroes / 『HEROES』1977
この曲は、自分が滑り込んでいた深みからいつかはい出られるだろうという願望だった

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●じゃあ、その『ヒーローズ』から“ヒーローズ”なんですが、あの曲はベルリンの壁の崩壊を暗示していたなんて事を言う人もいるんですが––。
「そうそうそう、僕にはすべてわかってたんだよ(笑)。アーティストの予知夢として閃いたわけだな(笑)」
●(笑)共産主義の崩壊をすべて計算した上で書いた曲だったと。
「ぜーんぶ、この頭の中にはあったのさ(笑)」
●(笑)。まぁ、でも、あの「一日だけでも英雄になれるんだ」という歌詞については、それまでのあなたには全くなかったメッセージが出てきてますよね。
「うん、あの曲はベルリンが象徴していたものをロマン的に解釈して、その社会性を歌ったものだったからね。何にしても、僕はベルリンにものすごく惹かれてたわけだし、心理的にもベルリンが一つの救いになってたと思うんだ。一体、僕の中で何がどういう具合で働いて、どうして僕がベルリンに自分の居場所を見出すことになったのか、そこんところはよくわからないけど、ベルリンが僕に心理的に“いいもの”をもたらしてるというのはよくわかってたんだよ。いずれにしても、ベルリンはある狂った風景を象徴していたわけで、そして、あそこで僕が作り出した二人の男女はまさに僕の正気が声を上げているというものだったんだよ。あの曲は僕にとって、ちょっとだけかいまみえた希望について歌った曲だったし、自分の状態について言い及んでいたんだとも思う。だから、これもまた自分では知らずに自分の問題の核心が表層に現れた曲だったんだと思う。まぁ、結局、僕は自分に起きたことをストレートに作品にするようなことはできないわけで、自分が感じるある感触から何かしらのものが派生するだけの話なんだ。で、それがキャラクターを使った風景と勝手に生きはじめるんだ。でも、それがおうおうにして僕の精神状態を表している場合が多いってことなんだよ」
●いずれにしても、あの曲は非常に悲劇的な状況の最中においても、ある希望の可能性を見出そうとする歌ではあるんですね。
「うん、僕にとってはそういうものだったんだ。あれを僕自身の問題として投影するのは簡単だし。しかも、すごく納得のいく内容でもあったし、すべて大丈夫になるんだぞっていう願いも僕にあった。自分が滑り込んでいった深みからいつか僕もはい出られるだろうっていう」

Ashes To Ashes / 『SCARY MONSTERS』1980
過去を清算することでまた僕は空白の中に置かれてしまった。80年代に僕がやってたことは、後遺症に悩まされながらふらふら歩き回ってるようなものだった

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●それでは八〇年になりまして、『スケアリー・モンスターズ』の“アッシェズ・トゥ・アッシェズ”であなたはトム少佐を振り返ることになるわけですが––。
「そう、この曲ですでに一回振り返ってるわけで、振り返るっていうのは実に……うーん、しかし、こういう話ってどうも力が入っちゃうな! これ面白いよ(笑)」
●(笑)。
「ここでこれがあってね、あれがあってねってな調子で何でも説明したくなってくる(笑)。とにかく……、えーと、この頃にはベルリンはもうあとにして、ニューヨークに戻ってたんだけど、それは『エレファント・マン』の舞台に出演してたからなんだ。ただ、あれ(ジョン・メリック役)は肉体的にすさまじくイカれてる設定になってはいたんだけど、でも、内面的には僕自身よりよっぽど正気だったんだよなぁ……。だけどね、僕が当時、自分の中のデーモンを“スケアリー・モンスターズ”という形で厄払いしようとする作品を作っていたことを考えると、やっぱり、あの舞台とレコードは共時性をもった作品だったと言えるんだ。で、“アッシェズ・トウ・アッシェズ” はいわば、その最後の封印(クロージャ)となったわけだな。この言葉の響き、たまらないよね、そう思わない? クロージャ。ある種の、クロージャ」
●なるほど。
「まぁ(笑)、とにかく、あれでこそすべてを締めくくるのにふさわしかったというものだよ」
●クロージャと言えば、薬のクロージャについてはまだ触れてないわけですが、このアルバムではっきり片がついたことだったんでしょうか?
「まぁ、そう言いたいところなんだけど、八〇年代まで持ち越した問題ではあったんだ。とはいえ、七〇年代の頃のような弊害は全然伴わなかったけと。ごく軽く、社交としてたしなむ程度で(笑)」
●でも、やめるための何か大きな転機はあったんでしょうか?
「うん、八七年頃、いろいろ考えて……」
●八七年っていうとベルリンからもう十年も経ってしまいますけど。
「あれっ? そうか、そうそう、えーと、だから八〇年、まず、八〇年に『スケアリー・モンスターズ』をやってるうちにキャラクター設定をするのが自分にはあまりよくないことなんじゃないかと思えてきてね。それで「レッツ・ダンス」などの八〇年代前半の作品を通して、僕は自分の作品、自分のオーディエンス、自分がやっているアートなどと照らし合わせてみて、自分って一体何者なんだろうと考え続けて、八七年になって、やっと自分というものがわかってきたんだよ。で、それからは、すべてが本当に前向きに変わったんだ」
●で、その八七年の転機というのはどういうものだったんですか?
「つまり、八〇年代前半は僕はわりとあやふやなまま漂ってたところがあって、ただ、あの薬の弊害を二度と自分の生活に持ち込みたくないということだけはわかってて、で、何かが欲しいんだけと、それが何だかわからなかったんだ。それで、最初のうちはひょっとしてオーディエンスの期待に応えることなんだろうかと考えていたんだよ。それでヒット曲もたくさん演奏するようになって、僕がどうあるべきかということについて客の意見にこびるところも出てきたんだね。客に僕の何たるかをほとんど決めさせているっていう。でも、八七年になってこれは非常に嫌だと、“レッツ・ダンス”と“ジーン・ジニー”ばかり演奏するのはもうたくさんだと思い至って、僕が常に興味を持ってきたのは音楽で実験を重ねることだったとあらたてをわかったのに。だけどね、やっぱりもう自分自身に対して実験をほどこすのはこりごりで、ちょっと身動きできなくなったんだ。モンティ・パイソンに出てきたコントにも似た状態で、それはある二人組が店主を脅すコントなんだけど、店主が金を出したら店をたたき壊すぞとして、よく考えてみたらそれじゃ何だかつじつまがあわない。じゃあ、金を出さなかったら店はたたき壊さないとしたら、やっぱりこれもだめだ。それで三つ目の案として、おまえが相棒に金を出さないのなら、おれが店をたたき壊すってことで落ち着くんだけど、そういうウスノロなプロセスを経て、だんだん頭が整理されてきてやっとわかったのは、実験的な音楽は積極的にやって、けれども薬はやらなければいいんだってことだったんだよ。で、一見、馬鹿でもわかりそうに簡単な決断のように思えるんだろうけど、あれだけのダメージをこうむったあとではね、これしきの決断に至るまでかなり長い時間をかけざるをえなかったんだ」
●へぇー。で、さっきも言っていたように“”アッシェズ・トウ・アッシェズ”は、過去を清算する曲だったと思うんですけれども––。
「うん、実際、そうだったんだけど、問題は、そうすることで僕はまた空白の中に置かれちゃったことでね。もう自分自身をああいうキャラクターとして放り出すようなことはしないと、そういう決心はついたけど、それでも後遺症は残ったわけで、八〇年代に僕がやってたことは、それまでの十年の間に自分にしてきたことのせいで、神経がどこか麻痺してしまって、後遺症に悩まされながらふらふら歩き回ってるようなものだったんだ」

Let's Dance / 『LET'S DANCE』1983
ヒット曲も全てやったし、何でもごされだった。
けれども、やればやるほどますます満足できなくなっていった

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●ただ、八三年の『レッツ・ダンス』を発表した頃には、もうまったく違う人物に生まれ変わったように思えたのですが。
「うん、というのも、僕はものすごく努力していたんだよ。本当の僕になろうとものすごく努力をしていたんだ。ただ、その本当の僕が一体、誰なのかよくわからなかったから、結構しんどかった」
●(笑)。おまけに、あれでメガ・スター的存在となって、ちょっとそれまでのあなたからはとても予想できない展開を見せて誰もが驚いたわけですけど、どうでした?
「実際、自分にだって予想がつかないことだったからね。これは本当なんだけど、『レッツ・ダンス』でロケットのようにセールスがぶっ飛んじゃった時には、他の誰もと同じようにこの僕だってあれにショックを受けたんだよ。つまり、メインストリームにあそこまで切り込んだのはあれが生まれて初めてのことだったからね。それまで僕は言ってみれば、メジャーなカルトでしかなかったわけだし。で、パフォーマーとして僕はそれまでのそういう自分のステイタスにいたって満足していたんだ。だけど、そのあとで起きた『レッツ・ダンス』をめぐる騒動はやっぱり僕には馴染めないものだったし、落ち着かないものだった。とはいえ、それだってまた、僕がある決心をして歩み始めた新しい生活の現実の一部でもあったんだ。だから、あの時点では本当にまだ定まってなくて漂っている状態だったんだよ」
●けれども、あの当時、あなたはメガ・スターとして要求されることは何でもこなしたわけですよね。スタジアムもやれば––。
「そうそう、必要だと思われたことは何でもやったよ。ヒット曲もすべて演奏したし、何でもござれだった。けれども、文字通り、やればやるほどますます満足できなくなっていったんだ。アーティストとしてね。つまり、最初、僕は一人の人間になろうとしてああいうことを始めたわけで、それはそれでどうしても解決しなきゃならないことだった。でも、それをやってると今度はアーティみとしての自分がなおざりにされるわけで、今度はそれについて八三年から八七年までかけてどうにかしなくちゃならなくなったんだ。『やっぱり、これも好きじゃないどころか、とんでもなく嫌だな……っていうか、ちょっと待った、僕はそもそも何がやりたかったんだろう?』っていうね」

The Wedding Song / 『BLACK TIE, WHITE NOISE』1993
僕は伝えたかったんだ。
おーい、おれ、人を愛しちゃったよ、これってすごいぜ!

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●そして、時は九三年、あなたもようやく新しい自分のアイデンティティと折り合いがつくようになりました。
「まぁ、自分の中のすべてがうまく調和が取れると、人はそれをアイデンティティと呼ぶようなんだけど、でも、それが本当にアイデンティティということになるのかな? だから、僕としては単純に自分自身と折り合いがついたと、そう言いたいんだけど」
●はい。で、それまでの間には、ティン・マシーンもあったわけですよね。
「そう、ティン・マシーンっていうのは実は八八年まで遡るわけで、かなり早い時期からやってたんだけど、あれも実は大きな転機となったものの一つなんだよ。あれは自分を意図的にちょっとおどけた立場に置こうとした試みで、またバンドの一メンバーに徹する試みでもあったんだ。でね、これもまた音楽から僕が何を引き出していきたいのか、それを探す試みだったんだ。で、あのバンドの成果は、僕に現実感覚をもたらしてくれたことと、ものすごく親しい間柄の仲間を得られたことだった。ギタリストのリーヴス・ガブレルスとかね。リーヴスとの関係なんかは、僕の中の自を奮い立たせてくれる一方で、僕とおおっぴらにやりあうのも辞さないっていう、アーティストとの関係としては百点満点のものなんだよ。だから、あれ以来、ずっと一緒に仕事をしているし、ティン・マシーンからはそういうかけがえのないものが得られたわけで、僕はそれについてものすごく前向きに考えているんだ」
●まぁ、つまりはそれもさっき言ってた、実験はするけど、自分のペルソナで戯れるのはもうやめたという意味ですか?
「そう、その通りで、自立たない上にパーソナリティもあまり付随しない、そんな活動を何かやれないかなと考えた時、考えられるものはバンドの一メンバーに収まってしまうということだった。もちろん、メディアにとってそんなものはなかなか受け入れられないものだったし、メディアの事情だって僕にはよくわかったよ。メディアにだってプレッシャーがそれでかかるんだからね。でも、僕にとってあれはどうしてもやらなきゃならないことだったんだよ。で、ティン・マシーンは僕には大きな成果をもたらしてくれたんだ。他のみんなにはさほどでもなかったかもしれないけど、僕はあれのおかげで本当に助かったんだ」
●で、「ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ」の“ザ・ウェディング・ソング”もまた非常に大きな転機となった曲だと思えるんです。っていうのも、この曲はあなたにつきまとう神秘性を一切はぎとり、宇宙人ではない、ごくごく当たり前な地球の人としてのあなたの姿をさらした作品だったからたと思うんです。これはある程度意図して、そういう曲にしたんですか?
「うーん、そうだな、どこまで意識していたのかはわからないんだけど、自分の精神状態が活発になっているのはよくわかったよ。っていうのは、一生続き得るある関係を、僕は妻との生活の中に遂に見出したと、それがよくわかってたからなんた。それで、みんなに伝えたかったんだよ、「おーい、おれ、人を愛しちゃったよ、これってすごいせ! これってほんとにたまんないぜ!」って(笑)、いたって基本的なことをみんなにどうしても伝えなくちゃならなくなったんだ。『これはすごい! みんなやろうぜ!』っていう、もうまるで新しい流行りもんのようにね、ふれ回ったわけなんだ。じゃあ、その流行りものの中身は何だったかというと、それは“関係”というものだった(笑)。でも、僕はほんとにものすごく嬉しかったんだ。だから、できるだけシンプルに、考えられるだけシンプルに、そのことを伝えたいと思ったんだ」

Hallo Spaceboy / 『OUTSIDE』1995
今の僕の役割はジャーナリストとそう変わらないものになったんじゃないかと思う

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●そして、最新作『アウトサイド』の“ハロー・スペースボーイ” はイーノとのコラボレーションとなっていて、実験的ではありますが、ベルリン時代とはまったく風合いが違いますね、安全で、しっかりした、健全な環境の中で作られたものたからだと考えてもいいと思うんですけれども、どうでしょう?
「うん、それに、このアルバムが観察や考察の中から生み出されたことを考えれば、僕の役割はジャーナリストとそう変わらないものになったんじゃないかと思うんだよ。もちろん、さまざまな観察結果の合成物ではあるけれども、どれも、ブライアンや僕が面白いと感じたり、あるいは不安を掻き立てられたり、社会の性格に確信を持てなくなるような、そういう種類の観察ばっかりなんだね。っていうのはメインストリーム・カルチャーの外側にあるものを見てるからなんだ。周縁部で起きてる出来事はどれもちょっと怖いねっていう。で、数年経つとこうした周縁での出来事が必ず中枢に潜り込んでくるだろうと考えるとなおさら怖いっていう。一体、これはどういうことを意味しているのだろうっていう、そういうところから始まったことだったんだよ」
●やっぱりセッションそのものも楽しい雰囲気で行われたんでしょう?
「うん。もう、すばらしく楽しかったよ。まるでアート・スクールに戻ったみたいで、ほとんどわけのわからないことばかりやってたし。まぁ、ある意味でこういう作業はラリるっていうことを必要とするのかもしれないけど、こういうシュールレアリスティックな心理状態に自分を追い込むことだってちゃんとできるんだからね。だから、そこに自分たちを置いてみたんだよ。『本物のアーテイストたちがお互いに切り刻みあっている状況、これを膨らませてみよう』とくれば、『じゃあ、連続殺人犯が被害者をアートのオブジェとして提示するっていうのはどうだ』、『それはすごい!』みたいなノリでね。だから、わりとそういう馬鹿げた思いつきで生まれてきたアルバムだったんだけど、そのうち、よく考えてみると今の現実からそうかけ離れたことじゃないなって気がついたんだ。ハーバン・ニーチのようなオーストリア人は血の儀式と称したものをやってるし、キキ・スミスが自分の体を裂いてみたり、フォルクスワーゲンの下に自分をよこたえて苦しんでみせるクリス・バーデンなどと、実際にどこか現実離れして、神話の迷宮にでも迷い込んでしまったとしか思えない血なまぐさい事件が現実に起きてるわけだからね。実は、二〇〇〇年を迎えるための贖罪の流血なのかなっていう。で、ある思いつきから、アルバムがこの方針に急に転がって、そこにジョイスだとかバロウズ的なものを盛り込んで、九〇年代を網羅する網の目を張りめぐらせてみたっていうことなんだ。で、このあとのアルバムもこの路線で行こうと思ってるんだよ。っていうのは、すべてあわせて五枚分と考えてるからなんだ。すでにロバート・ウィルソンとも話をつけてあって、ロバート・ウィルソンっていうのは二〇〇〇年に向けた演劇を企画している人物で、その中でこの五枚を使う予定なんだよ。ロバート・ウィルソンの演出はものすごいからね、僕としてもそれをすごく楽しみにしているんだ」
●では、最後になりますが––。
「(笑)最後までよくたどりついたもんだ」
●こうして話を聞いてきますと、あなたのこれまでの活動というのはまるで全き人間へと休みなく成長していくためのリハビリの過程のようですが、ひと通りそれを完了したと言ってもいい今のあなたの創作の動機となるのは、どういうものになるんでしょうか?
「アイロニックな観察眼だ(笑)」
●(笑)いきなりタイトルの安売りを始めないでくださいよ。
「(笑)つまり、ポスト・ロックっていうことだよ。今はすべてポスト・ロックなんだ」
●うん、なるほどね。いやぁ、お疲れ様でした。
「それにしても、すごい離れ業だったね。よくこれだけの活動をここまでまとめたもんだ。舵取りに一点の曇りなしだよ」
●四十五分で世界一周ですね。
「しかし、すごい取捨選択だった」
●どうもありがとうございます。
「うん、君、今日はすばらしかった!」
●もちろん、自分でもそう思います。
「(爆笑)」


 ボウイの映画「ムーンエイジ・デイドリーム」について私は、彼がデビュー近辺では本モノの嫌な奴だったらいいなと夢想した。遅れたデビューやブレイクからの鬱積した、同期への嫉妬や罵倒や揶揄、ゲテモノとの風評への開き直りと反撃、当時の無理解なTV司会者への同調拒絶。そうした態度があれば安心した。何故安心かというと、そのような嫌なロックスターの類型が適応されれば、ボウイもまたそこに収めることが出来たからだ。
 嫌な奴というのは自分の何かを守りたいからこそ、嫌な奴になろうとする。そこには譲れない「自分があった」ことになる。であればボウイもやはりボウイであるとの個性として捉えることが出来る。ところがこれがボウイにはそれが無かった。
 もちろん「レッツダンス」以降は彼に降りかかった批判には止めどが無かった。だがボウイは反論するどころか「そりゃそうだろうねえ」などと言っていつもやんわり認めてすらいた。作品批判はあっても人格攻撃をするものも非常に少なかった。
 では彼は予め自分が無かったのだろうか? ただのいい人だったのか?
 まず、自分が無いとの虚無への指摘に関しては明白に否定していると思われる。虚無だったからこそ何者かにならねばならない必要があったし、だからこそ変身も自由だったとの評論家的指摘は論理的には正しくても、実際は少し違うのだろう。あの名作「ブラックタイホワイトノイズ」でボウイには自身固有のメロがあると遅まきながらはっきりと気付かせた。彼特有のそのメロを特徴付けていた固有の観念は「スターマン」から続く「宇宙人を通せば地球人の諍いなど屁のごとき堕落だ」とNASAが怯えあがる性善説だったのではあるまいか。
 これは多分、人間性を解放すれば社会も必然的に善に向かうとする当時の希望に満ちたポップアートの思想に近いのだろう。
 ボウイの共作共演者を見てもらいたい。ジョンレノンだの、ミックジャガーだの、フレディーだの、スプリングスティーンだのとそうそうたるメンバーとの共作共演を果たしている。その全てがボウイのオファーによるもので、しかも悪くない出来だし共演者の誰からも後悔悪口などがない。多分世界一の共演数。マネイジメント含め、計り知れない苦労があっただろう。特にブルースに関しては彼がスタジオに入ってボウイを見るなり「誰これ?宇宙人かよ?」と言わしめたエピソードも愉快。それでも立派な作品にした。
 ボウイが好きでよかったよマジで。

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ママかはしらん、いい魔法の言葉を見つけましたよ市川哲史さんどう思います?

ゴミズは処刑ズ。

sateoki, ファティマファティスてやつですね。




































































『人類滅亡の鍵を握る ファティマ・第三の秘密 法王庁が封じ続けた今世紀最大の予言 1-127ページ』

で。2023072012:52(日本時間)。









"【期間限定フルゲーム配信】レイカーズ vs バックス(2022年12月3日 開催)※2023年7月15日 配信終了予定【NBA Rakuten】"



"【伝説】NBA史上最高の選手TOP10"
1,014,960 回視聴  2022/01/25
NBA史上最高の選手を10人ランキング形式で取り上げていきます!🏀
(AceNBA/エースNBA)

ランキング理由(個人的な意見です!):

11位以下
アキームオラジュワンを凄くTOP10に入れたかったのですが、最終的には入れない判断となりました。

10位(ティムダンカン)
ダンカンに関しては8位〜10位のどこに置くかかなり迷いました(当初は8位ダンカン、9位コービーで10位シャックでした)。ポポビッチのコーチ力やジノビリ・パーカーに支えられたこともあり他9人の選手よりもダンカン個人のピーク時の力量は低いと感じました(もちろん周りに優秀な選手が集まっていたからそこまで力を出さなくても勝てたという意見もあります)。それでも5回の優勝や15回のオールNBA・オールディフェンス選出、アドバンスドスタッツを見た時の両サイドのプレイは驚異的なのでトップ10入りは確実です。

9位(シャキールオニール)
ピーク時の圧倒的な活躍という点でダンカンを上回ると感じました。しかしキャリア後半で優勝のためにチームを転々としたこと、コービーに比べると優勝回数、ディフェンス面でのキャリアを通した力が劣ると感じたため9位に。

8位(コービーブライアント)
この8位がコービーの上限順位だと感じます。5つの優勝の内3つにてオニールというFMVPが隣にいたこと、リーグMVP獲得回数が1回に止まっていることが彼の批判としてよく挙げられますが、総じて5回の優勝と両サイドでの活躍を考慮すると歴代8〜10位には入ると思います。

7位(ラリーバード)
背中の怪我がなければ歴代トップ5にも入れた選手だと感じます。ピーク時の活躍は歴代でも最高レベルですし、プレイオフやチャンピオンシップでの結果も残しています。特に80年台のイースタンカンファレンスは激戦だったのでそこを3度も制していることは評価するべきだと思います。また効率性の観点からも史上最高レベルの上、得点以外にもプレイメイク力やリバウンド力、ディフェンス力に優れたのでこの順位です。

6位(ウィルトチェンバレン)
やはりスポーツにおける勝利数や優勝回数は無視できないので、チェンバレンとラッセルであればラッセルの方が上という考えを踏まえた順位です。この二人は人によってかなり順位の振れ幅が大きい選手ですが(60、70-読んでますよ、超速読の場合もありますが・笑/2023072009:48/日本時間-年台という他の選手とは全く違う環境のNBAでプレイしたため)、4位のマジックより高くはランク付けできないと思い二人を5位、6位に。チェンバレン個人としてはその圧倒的な個の力とゲームに与えた影響力でこの順位に。

5位(ビルラッセル)
11回の優勝というだけでトップ5に入るべき選手だと思います。歴代最高峰のディフェンダー・リーダーであり、MVP賞も5度獲得しているので個の力も侮れません。よく「ウィルトはなろうと思えばラッセルになれたが、ラッセルはなりたくてもウィルトのような得点力とリバウンド力を持つ怪物にはなれなかった」という意見を耳にしますが、個人的にはあまり賛同しません。結果としてラッセルはチェンバレンのような自己中心的なプレイでなく、チームファーストの戦い方を念頭に置き彼と比べ物にならない成功を収めたので、勝利を最終目標とするスポーツにおいてラッセルの方が上だと感じます。ただ時代背景の違い(FAが無かったことやチームが少なかったことなど)により4位以上には置けないと感じました。

4位(マジックジョンソン)
僕の中でトップ4はジョーダン、レブロン、カリーム、マジックの四人でした。しかしアコレード面や累計記録数の面からの他の3人には敵わないと判断したためマジックは4位に。それでも歴代最高のポイントガードであることは確かだと思います。

3位(カリームアブドゥルジャバー)
カリームを3位か2位に置くか迷いましたが、彼が遂げた6回の優勝の内少なくとも3つはマジックの力が大きく関わったことを考えてレブロンより下にランク付けしました。

2位(レブロンジェームズ)
個人的にレブロンはまだ2位です。もちろん累計スタッツなどのカテゴリーではジョーダンより長く安定してプレイしているので高いですが、ファイナルでの失速(2011年)や優勝回数を増やすためにチームを転々とし駒を集め続けている点が順位付けに響きました。それでも引退までにあと1、2回の優勝や歴代最高累計スコアラーというアコレードを獲得すれば十分1位になり得ると思います。

1位(マイケルジョーダン)
歴代最高です。


"42歳の“バスケの神様”が全米一の高校生をボコボコにした事件"
2,316,486 回視聴  2022/09/12
マイケルジョーダンが高校生のOJメイヨと対戦した話などを取り上げていきます!🏀
(AceNBA/エースNBA)


"【禁忌】所属チームを非情にも裏切ったNBAスター選手 10選"
345,071 回視聴  2022/08/11
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移籍を強行したNBA選手を10人取り上げていきます!🏀
(AceNBA/エースNBA)from -Ace-NBAさんのyoutubeチャンネル

-Ace-NBAと言う顔の男ゴミ処刑。2024060820:56(日本時間)。

あのですね、もう1本NBAのゲームを、ということでしたら、1ゲームそんなに長くないですし、おもしろいですし、15年前にそれが可能な環境だったら2つと言わずひたすらもあり得る、と、自分で思いますが、今現在は、もしそれが可能な時間があれば、例えば(例えば)、名探偵ポワロを観るか何かアップ予定の音楽を聴きながらアップ予定の本を読むかに時間を使います。NBAのゲームは今は週に一度の(ホントに)楽しみで(ダウンロードさせてもらってるゲーム溜まる一方ですけど・笑)。

※そうそう、匿名希望ジミヘンさんのおばあさんは日本人だそうですが確かに褐色の肌を黄色にしたらそのまま所謂日本人だなさんより質問です、素人目、どうみてもギリシャ神話チームてのは言わない約束なんですかね(笑)?2023072014:25(日本時間)。

で。2023072013:24(日本時間)。










"10/1/04 Ichiro Makes Hits-tory!"
1,540,212 回視聴  2010/09/21
2004/10/01: 
Texas Rangers 3 at Seattle Mariners 8, F --  A capacity crowd of 45,473 gathered at Safeco Field to watch Ichiro lay claim to a record that stood for 84 years, and he didn't make them wait long.  In his first at-bat in the first inning, he collected his 257th hit of the season, tying him with George Sisler, who set the season mark in 1920.  Then, in his next at-bat in the third inning, in front of three generations of the Sisler family, Ichiro collected hit No. 258, a hard grounder up the middle, and the record books were re-written.  As a side note, the hit in the first inning was Ichiro's 919th of his four-year MLB career, giving him the new record for hits over any four-year span in ML history, breaking Bill Terry's record from 1929-1932.

1920年にジョージ・シスラーにより記録されたシーズン最多257安打を84年振りに塗り替えた歴史的試合。シスラー選手の親族が見守る中での快挙達成!MLB Vaultさんのyoutubeチャンネル

人造ゴミ処刑ナンバーズさておき、この世には自分と似た人間が、ん?含めて?3人いるとか言いますが(笑)。

で。2023072013:28(日本時間)。


"イチローの芸術的(変態的)バッティング集Part2"
3,853,651 回視聴  2016/04/06
長すぎて申し訳ないです(笑)これでも半分ぐらいに削ってます(笑)
この動画から得られる収益は全てMLBの公式チャンネルに渡っております。from jukucholoveさんのyoutubeチャンネル

松井秀喜マークボラン古田敦也ゴミ処刑&処刑済。で。2023072012:50(日本時間)。

"[MLB]ミスターDHエドガー・マルティネス全ストーリー"
15,641 回視聴  2020/06/12 from ユナンスポーツさんのyoutubeチャンネル

3 年前
やはりこの人がいるからこそイチローはミスターマリナーズにはなれないんだよね

2 年前
ケングリフィージュニアの方が圧倒的に偉大だよ

@user-dy8mw3uk9b
2 年前
そこはどうなんだろ
エドガーはフランチャイズプレイヤー
ということもあるからね

@user-oo2uc8dq7s
2 年前
いや、マリナーズ公式が一位ケングリフィージュニア、2位エドガーマルティネスって言ってるんだがw

@user-dy8mw3uk9b
2 年前
そら失礼しました

やっぱりイチローより
エドガーや
グリフィーだよなあ

@user-dy8mw3uk9b
2 年前
マリナーズ公式見解は正しいです

2 年前
いや2代目や3代目として認められるんじゃない?

@user-dy8mw3uk9b
2 年前
いや同時期のプレイヤーなんで二代目三代目はないでしょうね
1位グリフィー
2位エドガー
3位ヘルナンデスとかイチローかなあ

9 か月前
今日、マリナーズが2001年以来のポストシーズン進出を決めました!!

ですが。2023072013:29(日本時間)。





"名探偵ポワロ 第31話 ABC殺人事件 The ABC Murders (日本語吹替え) (wikiによると1992年1月5日英国1992年10月2日日本放送)"

『名探偵ポワロ』(めいたんていポワロ、原題:Agatha Christie's Poirot)は、1989年から2013年にかけて、イギリスのロンドン・ウィークエンド・テレビ(London Weekend Television)が主体となって制作した、アガサ・クリスティ原作、探偵エルキュール・ポワロ[注 1/一般的には日本での原作の販売権を持つ早川書房が使用する「ポアロ」表記を用いるが本作は「ポワロ」表記]を主人公としたテレビドラマ。

概要
原作を重んじた丁寧な作りが放映開始当初から支持を集め、「エルキュール・ポワロ・シリーズの映像化作品における決定版」といわれる本作は、 初期は短編の映像化をメインに、短編を消化した後は長編に移行して制作された。

そのため原作全ての映像化が期待され、本作でポワロ役を演じたデヴィッド・スーシェ自身も前向きであったが、シリーズ中期以降、企画当初からのプロデューサーの退任や制作母体の変遷など苦難が続き、一時期は制作されない時期もあった(2007年に予定されていた第11シーズンの放送が2008年にズレ込み、告知のあった『オリエント急行の殺人』を含む各エピソードも先送りされるなどしていた)。こうした困難を経ながらも、長年のファンの期待に後押しされるように、断続的に制作は続けられた。

そして2013年6月、第13シリーズをもってついにほぼ全て[注 2/ドラマ化に向かない小品や、他の原作と要素が被るもの、戯曲などは映像化されていない。]の原作の映像化という偉業を達成。放映開始から24年目にしてシリーズ完結となった。

キャスト
最も原作に近いポワロとしばしば賞賛されるデヴィッド・スーシェの演技が良く知られている。スーシェは原作を徹底的に研究し、多くの俳優に演じられてきた「名探偵エルキュール・ポワロ」のイメージを決定付ける名演を見せた。

原作においては部分的な登場であった助手のアーサー・ヘイスティングズ大尉(ヒュー・フレイザー)、スコットランドヤードのジェームス・ハロルド・ジャップ警部(フィリップ・ジャクソン)、秘書のミス・レモン(ポーリーン・モラン)をほぼレギュラーとして登場させることで、ポワロを取り巻く人間関係にドラマオリジナルのキャラクター性を加えられている。彼らのユーモラスな掛け合いもドラマ版ポワロの魅力として認識されており、2004年の第9シリーズ以降登場していなかったが、最終シリーズである第13シリーズにおいて再集結を果たした。またゲストヒロインを始めレギュラー以外の登場人物の年齢が原作より高めに設定されており、「大人のドラマ」という側面が強調されている。

"12 出撃"

矢立肇富野喜幸星山博之渡辺岳夫松山祐士はゴミ処刑。

で。2023072012:56(日本時間)。













































『Game Journal No.80 ゲームジャーナル 長元記 長宗我部元親奮戦記 (本作デザイナー錦大帝氏追悼出版) 40-84ページ』

高松さんといえば、西木(?)さんですが、みなさんお元気でしょうか?

で。20211108。

ご本人が「そうだ」と仰られるのでそうだろう。戦国群雄伝シリーズのゲームデザインは高橋まことさん。

福田誠ゴミ処刑鈴木銀一郎ゴミ処刑済。

で。2023072013:38(日本時間)。



"【BS11】「中山秀征の楽しく1万歩!小京都日和」第39回『出羽の小京都山形で郷土料理を満喫する!』見逃し配信 (7月18放送分)"
2,639 回視聴  2023/07/18
中山さんが訪れた小京都は、山形県山形市。蔵王連峰を臨む盆地で、かつて城下町として栄えた町です。戦国武将の山形藩初代藩主・最上義光が、町割りや交通網などを整備して、商人の町として発展させました。中でも、着物の染料や化粧品になる紅花の出荷が盛んで、舟運で京都との交流も深かったことから、「出羽の小京都」と呼ばれています。今回中山さんは、町の各所に祀られている七福神を巡りながら、山形ならではの絶品郷土料理を満喫します!

山形の町を一望できるビルの展望台から出発した中山さん、七福神のスタンプを集めながら、山形城跡を目指します。趣ある店構えで、歴史を感じる老舗菓子店に立ち寄り、江戸時代からの伝統銘菓「のし梅」をいただきます。やさしい甘さと爽やかな酸味の美味しさが、思わず表情に表れます。この梅の和菓子が、江戸期の薬に由来していると知り興味津々。また、紅花で財を成した商人の蔵屋敷では、かつて城下町の繁栄を支えた紅花の重要性に想いを馳せます。そして、老舗の蕎麦店では、山形の夏の風物詩「冷やしラーメン」を堪能。氷を浮かべた、見た目も涼しげなラーメンに大満足です。盆地で夏は猛暑になる山形ならではの料理に納得。さらに、牛肉と里芋などを煮込んだ「芋煮」や、夏野菜と香味野菜を刻んだ「だし」、屋台のB級グルメ「どんどん焼き」、伝統菓子「ふもち」など、山形の郷土料理を大満喫!地元の方々と触れ合いながら、歴史が息づく山形の町を歩きました。

【出演】
中山秀征、小島奈津子 from 全国無料テレビ BS11さんのyoutubeチャンネル

で。2023072013:39(日本時間)。

"マジンガーZ REMASTERED 第31話 人質機械獣 電磁波作戦 (wikiによると1973年7月1日放送)"

"マジンガーZ REMASTERED 第32話 恐怖の三つ首機械獣 (wikiによると1973年7月8日放送)"

"マジンガーZ REMASTERED 第33話 大空襲!バラスKは空の無法者 (wikiによると1973年7月15日放送)"



"マジンガーZ対デビルマン (wikiによると1973年7月18日に東映まんがまつりの一編として公開)"

◆『マジンガーZ対デビルマン』(マジンガーゼットたいデビルマン、英文:Mazinger VS Devilman)は、1973年7月18日に東映まんがまつりの一編として公開された日本のアニメーション映画。

キャッチコピーは「大空に激突するぼくらの人気者」「映画だけでみられる!! ドクターヘル機械獣軍団とデーモン族妖獣の総出撃」。

概要
共に永井豪が原作を担当したテレビアニメ、『マジンガーZ』と『デビルマン』のクロスオーバー作品。世界観については『マジンガーZ』がベースとなっており、そこに本作品公開時点では放映終了していた『デビルマン』のデビルマンらがゲスト出演する形となっている。『マジンガーZ』の劇場オリジナル作品としては本作品が初であると同時に、今日では定番となっているテレビアニメの劇場公開用オリジナル作品の先駆けでもある。

本作品以前のヒーローものでのクロスオーバーは、『帰ってきたウルトラマン』におけるウルトラマン・ウルトラセブンの登場や『仮面ライダーV3』での仮面ライダー1号・仮面ライダー2号の登場といったシリーズ内での登場や、『キングコング対ゴジラ』(怪獣対怪獣)のような同ジャンルでの共演などがほとんどであったが、本作品では巨大ロボットと変身ヒーローという異色の組み合わせとなっている。以下のロボットアニメ(『マジンガーZ』や『ゲッターロボ』など)はフジテレビ系列で統一されているが、本作品の『デビルマン』だけがNET系列の作品であり、実現は難しいと思われていた。しかし、『デビルマン』のテレビ放送が終了済みであったことや原作者の希望でNET系側からの認可も降り、実現することになった。その後、局の組み合わせで『UFOロボ グレンダイザー対鋼鉄ジーグ』の企画もあったが実現せず、その代わりに作られたのがフジテレビ系列で統一された『UFOロボ グレンダイザー対グレートマジンガー』である。[要出典]

以下同文。※協力 from R-39さんのyoutubeチャンネル

本作品のもう1つの見どころとして、テレビ版に先駆けてのジェットスクランダーの登場が挙げられる。以降の劇場版マジンガーシリーズでは、テレビ版を先取りした展開が恒例となる。本作品に登場するジェットスクランダーは尾翼のマークが「Z」であるなどテレビ版とデザインが異なり、翼のポジションもマニュアル操作(テレビ版はオートマチック方式)である。『デビルマン』側においてもシレーヌのデザイン設定がテレビ版と異なる[注釈 1/テレビ版の設定は白土武、本作品は角田紘一。]ほか、デビルマン・不動明の設定もテレビ版より永井豪による漫画版に近いものになっており、魔将軍ザンニンが「悪魔の秘密を知り、悪魔の能力を得た不動明、いやデビルマン」と発言するほか、シレーヌが光子力研究所を襲撃する際の台詞も漫画版のものを引用しており、明も「デーモン・ハンター」を自称している。

企画には、双方のテレビ作品をプロデュースした有賀健のほか、『マジンガーZ』の第2話・第6話・第13話を演出した勝田稔男が企画部に配属されて初のプロデュースを担当した。勝田は本作品の後も同じく永井作品『キューティーハニー』で初のテレビ作品プロデュースを経て、永井のロボットアニメ『ゲッターロボ』・『ゲッターロボG』・『UFOロボ グレンダイザー』をプロデュースし、『マジンガーZ』の横山賢二と双璧をなす東映動画ロボットアニメのプロデューサーとなる。

なお、タイトルでは「対」となっているが、作中には兜甲児と不動明による主人公同士のバイクレースが描かれるのみで、マジンガーZとデビルマンの対決は描かれていない[注釈 2/永井は「対の字は『つい』とも読める」として二つ揃いを意味する「つい」と説明している。書籍『仮面ライダー映画大全集』では、前年に東映まんがまつりで公開されてヒットした『仮面ライダー対ショッカー』『仮面ライダー対じごく大使』に合わせたものと推測している。]。しかし、本作品以降は実際に対決しない内容であってもタイトルに「対」もしくは「VS」と付けられるクロスオーバー作品が、多々登場するようになった[注釈 3/本作品と同時上映された『仮面ライダーV3対デストロン怪人』も、脚本では『V3対ダブルライダー』というタイトルであった。]。

予告編完成前に公開された「特報」(双方ともナレーターは野田圭一が担当した[注釈 4/ただし、「特報」ラストの締め台詞のみ、甲児役の石丸博也が担当した。])では、映画では登場しなかった機械獣と妖獣が登場するほか、パイルダーを操縦している甲児がゴーグルを降ろしていないNG版が存在する。マジンガーZが機械獣にブレストファイヤーを浴びせる場面や、デビルマンが妖獣に膝蹴り・チョップ・デビルビームを浴びせる場面は、双方のオープニングアニメーションから流用している。また、「特報」のBGMでは、本編では使用されなかったテレビ版オープニングテーマ「マジンガーZ」のインストゥルメンタルを使用している。

"【予告編】マジンガーZ対デビルマン"

(略)

機械獣の案はほとんど石川賢がラフを起こし、角田紘一がアレンジを行った。from wiki.

※そうそう、期間限定でyoutubeに公開されているこの作品のコメント欄に、"懐かしい!子供の頃、テレビで夏休みとかに(これは気づかなかった・笑)よく再放送されてたのを観てました。"と、俺と同じ思いでの方が多数おられますが、あれですよね、"vs"系の?エンディングのとこは画面縦につぶれてましたよね(笑)?

※そうそう忘れてた(笑)、デーモン族復活問題は怪獣ランド方式で解決ってどっちが早いんですかね(調べればすぐですが・笑)?2023072023:12(日本時間)。

で。2023072014:17(日本時間)。

あのですね、"vs"、なんとなく(笑)。2023072013:43(日本時間)。





"鉄人28号 白昼の残月 (wikiによると2007年3月31日新宿武蔵野館公開)"

伊福部昭の曲は全て「シンフォニア・タプカーラ」や「兵士の序楽」など過去の楽曲の流用で本人の了解を得ている。from wiki.

千住明はゴミ処刑。

で。2023072013:46(日本時間)。

"全ての事はメッセージ"、でしたか(笑)。

"キャプテン翼 第46話 やった!石崎得意の顔面ブロック (wikiによると1984年8月23日放送)"

"キャプテン翼 第47話 小次郎のVサイン (wikiによると1984年8月30日放送)"

"キャプテン翼 第48話 奇跡を呼ぶトリプルシュート (wikiによると1984年9月6日放送)"

"キャプテン翼 第49話 灼熱の延長戦 (wikiによると1984年9月13日放送)"

"キャプテン翼 第50話 ああ幻のゴール!?(wikiによると1984年9月20日放送)"

"Hiroyuki Okita [Captain Tsubasa - Moete Hero  Fuyu no Lion -]"

で。2023072013:55(日本時間)。

"傘がない"

奴隷労働は悲しいねぇ。2023030508:13(日本時間)。

で。

※あのですね、実は、あれ?つけていいのか?話やすい雰囲気が素晴らしい(笑)和田アキ子さん、ゴミ処刑ズの事を話してるようで俺の事を話してるってのは、俺は分りますが、やっぱり(笑)。2023030509:14(日本時間)。

で、そうそう。

※だから俺の記憶頼りとおもいつきで書くので、詳しく正確には佐藤雅美さんの『大君の通貨』(現在持っていません2023030211:46/日本時間)などを読んでほしいんですが、日本開国後、日本と欧米の金銀の価値の相違により(たしか江戸は金本位で大阪は銀本位)、日本に来る(主に)西欧人が自国通貨を日本の小判に両替するだけで莫大な儲けが出る、結果数多の冒険投機屋が日本襲来、両替しまくり、徳川経済官僚による「この状態がン十年続けば日本から金はなくなる」という試算も出、幕府は急遽小判を改鋳、金含有量を減らすことで欧米と価値を合わせようとするも「そんな野蛮な行為は認められません」「国家間の条約で取り決めた比率を守りましょう」と失敗、「改定交渉つうても日本は何かと法整備がされてない未開の国だからねぇ、まず我々のレベルまでそこをきちんとしてくれないと」と条約を結んでおきながらその改定は失敗、で、結果、唐突に改悪された貨幣が市場に大量に出回り始めたため、日本国内で大インフレが発生、朝野を問わずうすうす以上に原因を知っている日本人の攘夷熱大沸騰、坂本龍馬さんの、実際には、土佐藩庁から隠れ切支丹の嫌疑をかけられた、亀山社中刊行の隠れ切支丹についての著作もある、隠れ切支丹研究家長岡謙吉さんがお書きになられたんでしたかの船中八策にも「欧米と貨幣の価値を合わせる」という条項があるほどの深刻すぎる事態に、で、そもそもですが(笑)、だから、明治政府がどう乗り切ったのか今現在全く知りませんが、徳川幕府が続く限り現状の速やかな打開は不可能、とりあえず、緊急避難として、金銀を貨幣として使う徳川幕府を潰す、「すいません我々はその条約無関係、比率も無関係、野蛮人ですから」と、新国家体制設立、というのは徳川含め既定路線、みたいな感じでは?と、そもそもですが(実際には明治維新20年後ぐらいでしたっけ?条約改定は・笑)。2023030212:16(日本時間)。







ありますね(笑)。2023030514:33(日本時間)。

で。2023030516:27(日本時間)。


菅谷梨沙子のお母さんがジャニスジョプリンさんだということは梨沙子に直接聞いて知ってたけどジムモリソンさんお父さんだ。8月 10, 2019

Thursday, 12 September 2013

rights of people

"Frontline commanders have the authority to withdraw at their sole discretion if the army suffers more than 30% damage in combat."
 
According to the episode I read、most European countries seem to have such "common sense".

This is very different from the common sense of the Japanese military at the time.

"The mortality rate of military officers in the Pacific War was overwhelmingly higher in the U.S. military than in the Japanese army." 

Previously、I also read an episode like this.

※Injury rate of both military officers.
And the mortality rate.
 
・・・・・・・・・ 

"Ethics of Protestantism and the spirit of capitalism" of Max Weber san.
 
I'm reading it now(at Japanese translation of course).
And had been written about the origin of basic human rights in this text.
 
"The origin of basic human rights.
It's in a law of the God.

People have an obligation to obey the law of God.
Acts that interfere with it.
No one is allowed to do that.
(include the secular power of course.)

The law of God is unhindered by anyone (※as long as it is not tinged with anti-social nature).
This is the fundamental rights of people. 
 
Such a view is present in the Protestant."

"The nation cannot save people's souls.
It can only God."

Note: This is my summary of text that has been translated into Japanese from German.
Not be accurate.

・・・・・・・・・ 

"One demands too much sacrifice from others.
This is an unforgivable act.
(It is an act that is only allowed by God.)" 

Idea like this.

"Frontline commanders have the authority to withdraw at their sole discretion if the army suffers more than 30% damage in combat."

The origin of this "common sense" may be here.

"Armor of this tank is * inches.
The thickness of this armor is sufficient to prevent enemy attacks.
Therefore your life are safe."

"The inside of the tank of the U.S.Army during World War II.
It was written so there."

※Of course、if the enemy did not launch a more powerful new weapon.
 
Previously、I also read an episode like this.

Zero fighter of the Japanese fighter.
Early 1940s、this was one of the most powerful fighter.
However、the high performance of this fighter was at the expense of pilot safety (very low bulletproof with thin armor - emphasis on mobility).

※Of course.  

※But seated height of the pilot for the Zero fighter is strangely high、right?

And I will be 48 years old on October 21 of this year.※
  
・・・・・・・・・

Emperor of the Empire of Japan.
He was God for the Japanese people.
(He was not a Protestant God of course.)

※Hi、I was just given an introduction、my name is amaterasu oomikami.
It is a copy of the example sentence(lol).※



Friday, 13 September 2013

organ

At that time、"Minobe Tatsukichi" was a professor of law at the University of Tokyo.
Around 1900、he studied in Germany.
And he studied under Jellinek of public law scholar.

"For example、your nation is a monarchy.
Even so、the nation itself is the only right subjects.
King is just one of the organ of governance of the nation.
In short、the nation itself has sovereignty as a legal entity."

So-called "Nation corporation theory".
Jellinek was a advocate of this theory.

・・・・・・・・・

After returning home、Minobe tried applied this theory to the situation in Japan.
 
"The emperor is just one of the organ of governance of the empire."
He defined it so clearly.
This theory is called "the theory of the Emperor as an organ of government".
 
In 1923、he published a manual of the Constitution、including this theory. 
And his theory was widely accepted to Japanese as established theory.

However、the aspect of Japanese society gradually changed.

Great Depression that began in 1929.
It had a serious impact on Japan as with countries around the world.
Power of the military had been the rise gradually with the background of social unrest.

・・・・・・・・・ 

"Only the emperor owns the commanding authority of the armed forces.
No one is possible interfere to this. 
Because it is stated so in the Constitution."
 
To get a freehand、the military began to insist that way.
The biggest obstacle to that was Minobe's interpretation of the Constitution.

"This theory is blasphemous against the emperor.
His book should be banned."
In 1935、persecution by the military against Minobe began in earnest.

"Questions about theory should be made in an academic way."
Japanese prime minister at the time was answer so in the Diet.

Minobe was a member of the House of Lords at that time.
 
Opposition political party was collusion with the military for their administration acquisition.
They politicized this issue.
 
Following year、Minobe was hit by terrorism.
His life was saved、but he resigned the House of Lords.
 
After this、persecution against him continued until 1945.











































































































『長崎のキリシタン』


"NHK長崎・佐世保TV開局30年 新日本紀行 アンコールシリーズ 長崎編 「五島」昭和39年7月放送 / 「長崎」昭和41年4月放送"


"NHK長崎・佐世保TV開局30年 新日本紀行 アンコールシリーズ 長崎編 「西海」昭和41年5月放送 / 「対馬」昭和42年12月放送"


"NHK長崎・佐世保TV開局30年 新日本紀行 アンコールシリーズ 長崎編 「五島列島」昭和42年4月放送 / 「月夜間の港」~長崎県五島~ 昭和44年7月放送"


"NHK長崎・佐世保TV開局30年 新日本紀行 アンコールシリーズ 長崎編 「開港400年」~長崎~ 昭和45年5月放送 / 「長崎くんち」 傘鉾の舞い 昭和50年11月放送"


"NHK長崎・佐世保TV開局30年 新日本紀行 アンコールシリーズ 長崎編 「歌が生まれてそして」~長崎県奈留島~ 昭和51年4月放送 / 「女たちの季節」 石だたみの街で ~長崎~ 昭和54年6月放送"

20220208現在アンコールシリーズ最終回は持っていません、で。

yekuoy
チャンネル登録者数 3880人
28:20-29:15の間流れていた『瞳を閉じて』(荒井由実)を消去しています。
その間に流れたナレーションを下記に残しておきます。

「4月8日、奈留高校では校歌を歌わない入学式がありました。『瞳を閉じて』は、かつて分校に学んだ者だけが知っている、ひとつの”青春の歌”でした。」

消去されたせいか、かなり大幅リズミカルに音声がズレてしまっていますが(笑)。


松任谷由実こと荒井由実はゴミ処刑。
清水ミチコさんこと松任道子さんの普通の歌声ってどんな感じでしょう。20211113。

とか。

ついでに、テレビ局の方に一つ質問を。
ノッコユーミン(ゴミ処刑)の凄まじく音痴な生歌をテレビで瞬間聴いたことありますが、もしや、"差し替えのタイミング取りの為"とか言って撮った映像を、我が家のテレビでそのまま流しました?

小室哲哉さんが、安室奈美恵(ゴミ処刑)は当人の声をCDで使う場合、超大工事が必要だから大変だ、と、(※おれの換骨奪胎読書法で20220208)仰られていましたが。

ここまでド下手くそな歌をそのまま聴かせるとは、ある種清々しい、と、おれが思ったのは、差し替え前だったんだな(笑)。
例え、な、場合でも、おれ知識で、波形でやれば差し替えのタイミング取りは楽なはずだけど、実際問題映像カット割頼りとか?

最後に問題です。
おれは(主に)ガンプラを作り始めるとどうなるでしょう?
知らないオマエは蚊帳の外。(3月 17, 2019)

ありつつ、これまた"あ!!この方は!!"を連発している気がしますが(笑)、wikiをみさせてもらった限りでは、昭和51年4月放送時点では早生まれで高校2年生?

瞳を閉じて作詞作曲清水ミチコさん。

で。2023030516:33(日本時間)。

"NHK人間大学 知の現在 ~限りなき人間へのアプローチ~ 12回シリーズ 第3回 同時代史 ―「田中角栄研究」が切り開いた世界 ノンフィクション作家 立花隆 (amazonによると1996年7~9月期放送)"

"NHK人間大学 知の現在 ~限りなき人間へのアプローチ~ 12回シリーズ 第4回 宇宙 ― 科学と哲学とが出会う場所 ノンフィクション作家 立花隆 (amazonによると1996年7~9月期放送)"

千住明ゴミ処刑名義の楽曲はすべてデビッドボウイさん。

※野口聡一ゴミ処刑。2022090410:51(日本時間)。

で。


"【ゆっくり解説】あまり知られていない「8つの地獄」を解説 2022/02/05"

"【ゆっくり解説】アメリカの中国潰しが韓国に直撃して無事死亡ww 2022/09/03"

"【ゆっくり解説】ありえない衝撃行動···韓国がIMFに宣戦布告【海外の反応】【速報】【極秘解説】2022/09/04"

"【ゆっくり解説】韓国が大嫉妬し強奪声明 ! 日本の80兆円究極資源【海外の反応】【速報】【極秘解説】2022/09/03"

"【ゆっくり解説】韓国が米軍に「出て行け!」と命令!!それを聞いた米軍は「正気かよ韓国wwww」2022/09/03"

"【ゆっくり解説】韓国さんレーダー照射してないけど包括的に解決しようとか言い出す!日本との協力拡大の準備はできた!で納得すると思ってんの?【火器管制レーダー照射事件】2022/09/02"

"【ゆっくり解説】韓国経済「ほうれん草一束830円へwww」インフレが止まらず終了www 韓国ゆっくり解説(爆)2022/09/04"

"【ゆっくり解説】日韓国交の完全終了!!!【海外の反応】【速報】【極秘解説】日韓国交の完全終了!!! 2022/09/03"

"ヒュンダイがトヨタにちょっかい出した結果【ゆっくり解説】2022/09/03"


"日本にブチギレ大激怒!【ゆっくり解説】2022/09/03"

そうそう忘れてた(笑)、石原慎太郎ゴミ処刑済。以下同文。2022090415:28(日本時間)。

でですね、おれに理解できるか分かりませんが、"ロックオン"という意味でちょっとお聞きしたいのですが、そりゃ"如何にもありがた~い半島由来の仏像"が壱岐対馬に数体あっても不思議ではないですが。

"人形歴史スペクタクル 平家物語 第三部 乱 第九話 和睦への夢"

"人形歴史スペクタクル 平家物語 第三部 乱 第十話 哀れ冬姫"

"人形歴史スペクタクル 平家物語 第三部 乱 第十一話 決戦・義仲対義経"

"人形歴史スペクタクル 平家物語 第三部 乱 第十二話 落日粟津ヶ原"

"人形歴史スペクタクル 平家物語 第四部 流転 第一話 母・常磐の行方"

人形歴史スペクタクル 平家物語での、石橋蓮司ゴミ処刑の声はすべて中村玉緒さんと仲が良いご夫婦の勝新太郎さん。

で。

"街道をゆく 第29回 壱岐・対馬の道"

作り話だとしてどんな性質の旨味成分が発生するんです?
"ロックオン""自動追尾開始""必ズ死ヌ"という意味で。

で、この仏様がアナログ映像経由でぱっと見ありがたい感じがするのはバイアスですかね(ああ、いいなぁって感じで・笑)。

アレ、デジタル映像越しに"何だこんなもん"と思っちゃったんですよ(笑)。2022090414:52(日本時間)。

あれ?年代的に韓半島造形史無視とか?2022090415:02(日本時間)。

amaterasu kingdom dimensionsⅡ‐38-4。

で。

"街道をゆく 第37回 耽羅紀行"

※そういえば、うろ覚えですけど、どこかの火山、浅間山だったかもしれんけど、の、大噴火の微細な火山灰が数年だか数十年だか成層圏で地球を覆い寒冷化、アイルランドに大飢饉をもたらし、アメリカへの大量移民を産んだ、な、話があったと思いますが、今回は大丈夫なんでしょうか?20210120。ありつつ。

朴槿恵さん。

で。






"ローマの休日(Roman Holiday, 日本語字幕)"

"MASTER キートン CHAPTER:4 不死身の男"

"MASTER キートン CHAPTER:5 屋根の下の巴里"















































































































『美味しんぼ 第53話 心の味』

ジャニーズ宮沢りえ一族郎党ゴミ処刑&処刑済。

で。2023072314:34(日本時間)。

"アルプスの少女 第16話 デルフリ村 (wikiによると1974年4月21日放送)"

"アルプスの少女 第17話 二人のお客さま (wikiによると1974年4月28日放送)"

"アルプスの少女 第18話 離ればなれに (wikiによると1974年5月5日放送)"

"アルプスの少女 第19話 フランクフルトへ (wikiによると1974年5月12日放送)"

"アルプスの少女 第20話 新しい生活 (wikiによると1974年5月19日放送)"

富野喜幸宮崎駿渡辺岳夫ゴミ処刑。

で。2023070315:18(日本時間)。

ゼーゼマン家というと、ユダヤ系ですかね?

で、芝山健治の次男坊1971年10月21日生まれ芝山泰生(ひろき)は。2023072314:50(日本時間)。

"がんばれ元気 第22話 クリスマスの雪だるま (wikiによると1980年12月24日放送)"

"がんばれ元気 第23話 桜のトンネルの向うで (wikiによると1981年1月7日放送)"

"がんばれ元気 第24話 帰ってきた三島栄司 (wikiによると1981年1月14日放送)"

"がんばれ元気 第25話 さらばライバル火山尊 (wikiによると1981年1月21日放送)"

"がんばれ元気 第26話 霧の中の関拳児 (wikiによると1981年1月28日放送)"

佐世保市立花園中学校出身ですが(笑)、刑務所って健康診断とかしないんですかね(身元引受人、が、いない場合も多いでしょうし、そもそも必要なのかもわかりませんが、出所時に知らせる義務とか)?

で、パチンコの大当たりシーンらしいですが(笑)。2023072315:01(日本時間)。

"【めぞん一刻】最終回のその後を描いた『約束の向こう側』【高橋留美子】"

音楽はLe Coupleさんのひだまりの詩だと思います。

で。2023072315:04(日本時間)。


It is called "sword hunt". 10月 12, 2018

Thursday, 4 October 2012

for effort together

Although the Mori clan was able to escape the destruction caused by their defeat in the Battle of Sekigahara、their territory was reduced to one-third of what it was before the war.
As a corollary、they became unable to pay their stipends (in the form of fiefs or otherwise) to many of their vassals.

In such cases、it goes without saying that samurai often seek out other daimyo clan for their affiliations.
Simply put、the same number of daimyo that were destroyed in this battle resulted in the birth of new daimyo.
So of course it wasn't easy、but there was a place for them to be re-hired.

However、at this time、a strange thing happened in the Mouri clan.

"Neither I nor my family want a salary (own's fief).
Please take us to Choshu together.
That's all we want."
※Until then、the capital of the Mouri clan was the present-day Hiroshima city.

Saying so、many Mori samurai went to Choshu with their lord.
They abandoned the samurai class and became farmers.

In addition、the Mori clan continued to support the former Mori samurai who became ronin (masterless samurai).
Of course、the life of the head of the Mori family was also in a difficult situation.

"Please come back to the Mouri clan again.
Let's get through this difficult situation together."
Also、that's what the Mori clan said to those who couldn't find a new lord.
※I don't think this is my fiction(lol)、but at the moment I don't know what kind of status guarantee was the proposal. 2023072015:51(japantime).

Land reclamation、promotion of the industry、etc.
After a while、the Mohri clan almost recovered its previous economic situation.
On the contrary、surplus money began to pile up in their coffers.
(This surplus money will later become the funds to overthrow the Tokugawa Shogunate.)

But this is only the result.
In the beginning、it seems that the burden on the original Choshu farmers was particularly very heavy.
Yes、I think their friction and contradiction would not have been small.

"Let's get through this difficult situation together."
To tell you the truth、I felt something frivolous when I wrote those words.

However、250 years later.
"We were once the Mori clan's samurai.
Choshu is our dear hometown." 
Many people in Choshu had think so.

The future history will prove it.

※I'm not familiar with economics、but for example、create a "special account" for tax revenue from a certain industry、and it was not included in the annual budget、but was used as a reserve fund in preparation for emergencies.※

・・・・・・・・・ 

"I think the defensive facilities in this port are too inadequate."
One day、a Westerner who came to Nagasaki said to a Japanese merchant.

"Those kinds of things are for samurai to think about.
Nothing to do with us."
The merchant replied with a laugh.

Over the past 250 years、in Japan、roles have changed according to the social class to which a person belongs.
Of course、there were many exceptions for each person、but in general、military issues were issues that only the samurai had to think about.

When Hideyoshi ended Japan's Warring States period (as a result、it was only temporary)、he confiscated the weapons of non-samurai people.

The Toyotomi government actively pursued this policy to restore public order in Japan.
And this policy was inherited by the Tokugawa shogunate、which overthrew the Toyotomi government and was established.



"影の軍団 Ⅳ 第3話 微笑みが殺意を呼ぶ (wikiによると1985年4月16日放送)"



"影の軍団 Ⅳ 第4話 大奥からの依頼人 (wikiによると1985年4月23日放送)"

青木望ゴミ処刑。

で。2023072315:16(日本時間)。


"【4K】世界遺産級の江戸城 (皇居) 内堀り物語4 歴史散策 日比谷から和田倉門 パワースポット 癒しのヒーリングミュージック 皇居ランのお供に iPhone12 Pro で撮影"
3,439 回視聴  2021/05/08に公開済み
江戸城(皇居)内堀を一周歩いてみました。世界遺産級の江戸城の内堀にまつわる話を徒然に語って参ります。今回は、日比谷濠沿いから、和田倉門までの道程です。知って得するウンチク満載で、歴史散策、皇居ランのお供に最適。癒しのヒーリングミュージック付き、女子ひとり旅にも。

【BGM license free music】
魔王魂 feeling12
Watson 池と夕焼け
Bensound memories

で。2023072412:58(日本時間)。




















































































『Game Journal No.87 ゲームジャーナル 新信長風雲録』

ご本人が「そうだ」と仰られるのでそうだろう。戦国群雄伝シリーズのゲームデザインは高橋まことさん。
福田誠ゴミ処刑鈴木銀一郎ゴミ処刑済。

ジャニーズ松井玲奈久保史緒里岡部大(ここで電車が通過した)甲本雅裕波岡一喜山田裕貴松山ケンイチゆっきーキャッチャー中澤ムロツヨシ志田未来天野ひろゆき田辺誠一寺島進角田晃広浜野謙太佐藤浩市ゴミ処刑。

ここで電車が通過した。

で。2023072414:07(日本時間)。










































"新信長風雲録"

で。2023072413:49(日本時間)。

"仮面ライダー 第80話 制作No.80 ゲルショッカー出現!仮面ライダー最後の日!!(wikiによると1972年10月7日放送)"

で、繰り返しに突然ですが。2023072319:04(日本時間)。

当然(笑)、テレビ放映の時期に遊びは無いですけど、帰ってきたウルトラマン郷秀樹さんを森恒夫さん、丘ユリ子MAT隊員をおれの妻相川茉穂のお母さん大槻節子さんお父さんは植垣康博さん、という気がありますが、ここは、とりあえず(笑)。

大槻節子さんが着ておられるのはVAN73年発表の秋物。20210830。

ありつつ。2023050218:42(日本時間)。



"ULTRASEVEN Original Soundtrack (1967) Composed by Toru Fuyuki (opening song is english version - originally broadcasted in Hawaii)"

ウルトラセブンの音楽はプリンスさん。

当然、冬木透はゴミ処刑、で、たとえば、カセットテープはおれが小学校低学年の時(71年生まれ)には持っていましたが、たとえば、声紋プリンスさんと一致しませんか(笑)?

で、2021年8月19日現在。

"ウルトラセブン 第39話 「セブン暗殺計画 (前篇)」 (wikiによると1968年6月30日放送)"

"ウルトラセブン 第40話 「セブン暗殺計画 (後篇)」 (wikiによると1968年1968年7月7日放送)抜粋"

ウルトラセブン第40話は持っていませんし ("第48話 「史上最大の侵略 (前篇)」1968年9月1日放送"も - 後編は1968年9月8日放送、第1話は1967年10月1日放送)。

"帰ってきたウルトラマン 第38話 「ウルトラの星 光る時」 wikiによると1971年12月24日放送"

帰ってきたウルトラマンで持っているのはこの回だけですが、音楽はジョージルーカスさんとスティーブンスピルバーグさん(声紋・笑)。

当然、すぎやまこういち西田敏行冬木透ゴミ処刑。

で、"同志に総括援助として殴られ気絶し、そして次に目覚めたときには革命戦士という新たな自分に生まれ変わっている"でしたか(笑)。

で。2023052218:51(日本時間)。


なんとなく(笑)、ありつつ。

確認したら当時兄が持っていたのはウルトラマンレオのMAC基地のおもちゃでしたが。

で。

MACにもこの形状の戦闘機あるみたいですけど。

俺の記憶にある"中"はウルトラマンタロウの戦闘機なんですよね(笑)。
山本太郎&れいわ新撰組ゴミ処刑。2023052219:03(日本時間)。

で。2023052219:07(日本時間)。

"帰ってきたウルトラマン 第4話 必殺!流星キック [注釈 70/準備稿では'怪獣流れ星殺法'](wikiによると1971年4月23日放送)"

"帰ってきたウルトラマン 第51話 ウルトラ5つの誓い (wikiによると1972年3月31日放送)"

本多猪四郎さんは『ゴジラ』の監督。
すぎやまこういち冬木透ゴミ処刑。

2023052219:09現在持っている『帰ってきたウルトラマン』はこれだけ。

※そう言えば、51話の効果音、すごく臨場感がありますね(笑)。2023052306:48(日本時間)。

※要するに、歩いてるお二人は森恒夫さんのご家族。2023072319:07(日本時間)。

◆桂木 美加(かつらぎ みか、1949年3月 - )は、日本の元女優。本名、川崎 梅代。

東京都出身。豊島岡女子学園高校卒業。

人物
高校卒業後、東宝芸能アカデミー演技科に学び、在学中の1968年、日活映画『ある少女の告白 純潔』でデビュー。その後、東宝と正式に契約し、映画『呪いの館 血を吸う眼』などに出演。1971年、特撮テレビドラマ『帰ってきたウルトラマン』に丘ユリ子隊員役でレギュラー出演。当時のプロフィールでは「相当のアクションがあると聞いているので、身体のコンディションは常にベストにするつもりです」と答えている。

本作終了後は、映画『血を吸う薔薇』で学長夫人を演じるなど、映画、テレビドラマに出演するが、1974年の『ウルトラマンレオ』第35話へのゲスト出演以降、芸能活動の記録がなく、以降の消息も明らかではない。『帰ってきたウルトラマン』で共演した団時朗は「おそらく結婚されて……」と語っている。

趣味は、生け花、ドライフラワー、陸上競技など。from wiki.

桂木美加さんを大槻節子さんと言いたいわけですが、俺は最初に仮面ライダー第80話をアップした時、当然連合赤軍事件を踏まえる事ができる放映時期ですが、何となくの話の内容で(笑)。2023072319:20(日本時間)。

向かって右の方が大槻節子さんかな、と、何となく思ったわけですが(笑)。2023072319:22(日本時間)。

現在、この前後の回は所有せず(現在持っていませんが、wikiによると、1971年12月18日放送、38話「稲妻怪人エイキングの世界暗黒作戦」、1971年12月25日放送、39話「怪人狼男の殺人大パーティー」、1972年1月1日放送、40話(制作ナンバー46)「死斗! 怪人スノーマン対二人のライダー」、1972年1月8日放送、41話(制作ナンバー47)、「マグマ怪人ゴースター 桜島大決戦」)。

※で。


"仮面ライダー対ショッカー (wikiによると東映まんがまつりの一編として1972年3月18日公開)"

で。20211121。

wikiによると。2023072319:23(日本時間)。

・キャンプの娘 - 松井紀美江、村松美枝子、菅沢恵美子、相良光子 (80)

この内、wikiにリンクがあるのはお二人。


松井 紀美江(まつい きみえ、1953年10月2日 - )は、日本の女優である。本名は同じ。旧芸名は松井 きみ江(読み同じ)。

来歴
神奈川県鎌倉市出身。北鎌倉女子学園高等部卒。人間プロダクション、向日葵企画、オフィス80、MC企画(東京)、丹波プロダクション、ラヴァンスを経て、現在はエイチツーオー(2016年9月から)所属。

悪女役からコミカルな役まで幅広く演劇活動を行っている。from wiki.


早川 絵美(はやかわ えみ、1955年1月3日 - )は、日本の女優。本名、古川 恵美子(ふるかわ えみこ)。旧姓名及び旧芸名は、菅沢 恵美子(すがさわ えみこ)。

東京都出身。身長163cm、体重45kg。血液型はA型。東京家政大学短期大学部卒業。夫は俳優の誠直也。オフィスBen所属。

人物
東京家政大学附属女子高校在学中に、好きな踊りや芝居が出来るからという理由で東映演技研修所に入り、本名でテレビドラマに出演する。特技の少林寺拳法(初段)を生かし、1974年に映画『女必殺拳』(東映)で主人公を助ける女空手家・早川絵美役に抜擢され正式にデビュー。以後はその役名を芸名とする(なお当初は志穂美悦子が早川絵美を演じる予定だった)。

代表作に『ザ・カゲスター』(NET)のヒロイン・風村鈴子役がある。口を露出していることから変身後(厳密に言えば、分身)のベルスターのスーツアクターも担当した。他に『横溝正史シリーズII / 真珠郎』(毎日放送)でも、特撮を用いたオープニングなど多くの見せ場を持つ重要なキャラクター・真珠郎を演じた。

『特捜最前線』(テレビ朝日)での共演が縁で、誠直也と結婚。一女あり。自身のきょうだいは弟、妹がいる。また、1991年から1994年前半までは、「愛川 絢子」(あいかわ じゅんこ)名義で活動していた。

特技は、少林寺拳法、殺陣、太極拳。from wiki.

※俺(hs-兄も・笑)は誠直也さんは坂口弘さん(hs)、ファイヤーマン葉山マリ子役栗原啓子さんが日渡早紀(sh)さんで永田洋子さん(村上龍さんの高校の同級生に同姓同名の美少女がおられたと)で坂口弘さんと仲が良いご夫婦おれの妻飯窪春菜のご両親と言うてるわけですが、ここは、さておき(ごめんなさい・笑)。2023072319:45(日本時間)。

で。2023072321:31(日本時間)。

"ジャッカー電撃隊 第32話 どっちが本もの?! 危うしビッグワン (wikiによると1977年12月3日放送)"

及川光博さん。

とか。

"ジャッカー電撃隊 第1話 4カード!! 切り札はJAKQ (wikiによると1977年4月9日放送)"

ささきいさおゴミ処刑名義の声は全て、松本零士さんの弟、西崎義展さん。

で、ハートクイン・カレン水木ことミッチー・ラブさんは、おれの妻光井愛佳に雰囲気が似てるね(笑)。20211215。

とか。

勝新太郎座頭の市さんと対峙した"このシーンのこの方"が西崎義展さんでも個人的にはかまいませんし(笑)、王道時代劇な演出も演技も嫌いではないですが(というか、好きですが、が、より正確な表現。2023072408:27/日本時間)、役者スキルを使ってるとは思わんね、見たまゝだ。


"新・座頭市 - リマスター 第四話 月の出の用心棒 (wikiによると1976年10月25日放送)"

石原裕次郎ゴミ処刑済石橋蓮司佐々木功ゴミ処刑。2022112717:51(日本時間)。

ありつつ、あのですね、from wikiで。2023072321:57(日本時間)。

そう言えば、司馬遼太郎さんの対談で、でしたか、上杉謙信さんは出陣時、まず集合した兵士の間を馬で駆け回り分割、それを軍の区分けとした、な話を読んだ記憶がありますが、で、これは俺の成り行きによる区分けですが(笑)、まず。

・ガニコウモル(声 - 西崎章治)
・サソリトカゲス(人間態 - 大杉雄太郎 / 声 - 八代駿)
・クラゲウルフ(憑依体(中村) - 梅津栄 / 声 - 沢りつお[C 38/オープニング表記は沢りつ夫。])
・イノカブトン(人間体(イノカブトンに改造される死刑囚) - 飛世賛治[C 39/オープニング表記は「飛世賛二」] / 声 - 市川治)
・イソギンジャガー(人間体(桂木良助) - 大神信 / 声 - 辻村真人)

で。

・峰信太郎 - 佐々木功 (81)
・峰芳子 - 糸見愛 (81)

しつこく、佐々木功はゴミ処刑ですが。2023072322:17(日本時間)。

アディクトリポートさんのyoutubeチャンネルによると。2023072407:40(日本時間)。

上が"1961年頃の西崎氏"、下が"1970年代前半の西崎氏"ですが。

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-1987

あのですね。2023072407:43(日本時間)。

もともとある程度似てはいたんでしょうが、我が方の策略により、西崎義展さんのお顔に似せ佐々木功ゴミ処刑の顔を整形、で、その後は、当然、特に西崎義展さんは過ぎ去る日々と共に自由落下(笑)、という俺理論は確立しているのですが(笑)。

で。2023072408:39(笑)。

"仮面ライダー 第81話 制作No.81 仮面ライダーは二度死ぬ!!(wikiによると1972年10月14日放送)"

ささきいさおゴミ処刑名義の声は全て、松本零士さんの弟、西崎義展さん。

と、俺は言うてる訳ですが、あのですね、newyamatoさんのサイトによると西崎さんには"義展、本名弘文は長男として生まれ、弟に隆二郎、姉に陽子(小口陽子)がいる。"そうですが、もしかしたら書籍とかではお写真があるのかもしれませんが、2023072408:46(日本時間)現在、"小口陽子(さん)"でネット検索すると。

帝京大学医学部内科学講座リウマチ・膠原病グループ/研究室の小口洋子さん。

のお二人が(笑)。

で。

佐々木功ゴミ処刑。

で。2023072408:57(日本時間)。

"仮面ライダー 第82話 制作No.82 怪人クラゲウルフ 恐怖のラッシュアワー (wikiによると1972年10月21日放送)"

これまた以前の文章ですが。2023072320:56(日本時間)。

ウルトラマン第15話「恐怖の宇宙線」に多摩ネットワークのみなさんが多数参加されてるとか、以前いいましたが(歌も)。

"ウルトラマン 第15話 恐怖の宇宙線 (wikiによると1966年10月23日放送)"

小室哲哉さん。

高田純次さん(※ミツル/2023070612:02/日本時間)、浦沢直樹さん(ナオキ/2023070612:02/日本時間)。

※ちなみに、パッと見、秋元康さんにも(俺の頭の中の・笑)平井和正さんにも見えんこともない、気がする、"中村"さんは。2023072321:10(日本時間)。

梅津 栄(うめづ さかえ、1928年〈昭和3年〉[注 1/誕生年は1929年、1930年説もあるが、1995年3月13日に「森田一義アワー 笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」出演時には「66歳」と話していた。]7月5日 - 2016年〈平成28年〉8月6日)は、日本の俳優。身長167cm、体重80kg。本名:梅津 榮(うめづ しげる)[注 2/芸名と同じとする資料もある。]。 元同人会ミヤプロ、ヒトメディア所属、晩年は芸能事務所DualProduction所属であった。

来歴・人物
富山県下新川郡泊町(朝日町)出身。富山県立富山工業学校機械科を卒業。父を亡くし、紡績工場に勤めたが、1951年に俳優を志し上京、舞台芸術学院入学(2期生)。その後、木村功の付き人になる。俳優を目指した動機は、女優の桂木洋子に憧れ、ひょっとしたら共演できるんじゃないかと思ったため、と述べている。

今福将雄らとともに日本を代表する老け役の一人。老け役を演じるため、若いうちに総入れ歯にしていた。

「俺は庶民俳優だから」と称し、悪役からコミカルな三枚目・とぼけた役・シリアスな役柄等演技の幅は広く、名作からコメディまで内容を選ばなかった。若手の俳優と絡む様な映画やドラマでも決して偉ぶることなく、自分より経験の浅い俳優の演技をサポートしつつも自らの仕事を全力でこなした。

『キネマ旬報』のインタビューで、「傍役ってのは、でも、屈辱の世界ですわな」と漏らしており、少ない出演シーンで要求されるものを表現せねばならない難しさと苦労を語っている。また、新しい仕事の前日には眠れないと明かしており、「どういうのかしらん?緊張しとるんでしょうね」と話している。なおこのインタビューでは、恥ずかしいからどうしても書かないでくださいと梅津が頼んだため、生年は「昭和ひとけた」としか明かされていない。

時代劇で公家役を演じる際には江戸時代の公家の習俗を夫人の助力で調査した(「『〜おじゃる』という言葉遣いを初めて使用した」と本人がコメントしている)[要出典]。

私生活では一男一女の父。趣味は水彩画、陶器収集、書、画廊巡りで、書家としても活躍していた。 歌手の島倉千代子のファンだった。

2016年8月6日午前2時30分、肝硬変のため都内の病院で死去。満88歳没(享年89)。 葬儀は近親者で営んだ。from wiki.

ですが、この回の仮面ライダー放送日は俺の満1歳の誕生日(笑)。

で。2023072321:04(日本時間)。

ん、あれ?と、いうことは(笑)。2023072321:20(日本時間)。

新宿騒乱(しんじゅくそうらん)とは、1968年(昭和43年)10月21日に東京都新宿区で発生した新左翼による暴動事件。

事件の経過
国際反戦デー
事件が起きた10月21日は国際反戦デーにあたり、反戦運動諸団体はベトナム戦争に反対する集会を各地で開いていた。新左翼諸派も例外ではなく、1967年(昭和42年)8月8日に新宿駅で発生した米軍のジェット燃料タンク車爆発事故を捉えて、「新宿米タン闘争」と称して新宿駅での暴動を計画していた。この暴動では騒擾罪(そうじょうざい、現在の騒乱罪)が適用されたが、「騒擾罪をはねのけて闘うぞ」とアジるなど、始めから騒擾罪を覚悟しての犯行であった。

前日の20日、駅東口でベ平連・国際文化会議を中心とする街頭時局講演会が開かれ、小田実らによる抗議運動が行われていたが、これはあくまでも順法的なものであった。それに対し、新左翼の方は既に10月8日に「羽田闘争一周年」の集会後、燃料タンク車の移動妨害のため中核派・社学同・ML派とともに新宿駅構内に侵入し、144人が逮捕される事件を引き起こしており、二度目の騒擾でもあった。

反代々木系が集会後、新宿へ集結、騒擾罪適用へ
1968年(昭和43年)10月21日、中核派・ML派・第四インターは、明治公園及び日比谷野外音楽堂で集会を行った後、角材等で武装しながら続々と約2000人が新宿駅に集結し、各所で機動隊と衝突した。

21時頃、デモ隊は新宿駅東口の広場で決起集会を開き、その後再度駅構内に乱入した。電車のシートを外して、それを薪代わりにして放火し、南口を炎上させた。また、停車中の電車や信号機など駅施設に投石を繰り返した。

騒ぎはデモ隊の何倍もの数となる野次馬が2万人も集まり拡大化し構内は破壊された。新宿駅に接続する国鉄などの交通機能が麻痺状態に陥り、約150万人の通勤や通学などの利用客が影響を受けた。

警視庁公安部は10月22日0時15分になって騒擾罪の適用を決め、743人を逮捕した。電車は午前10時まで運転取りやめとなった。翌年の国際反戦デー闘争に於いても新左翼の学生数百人が駅構内に突入して破壊活動を行った。

裁判
1969年、東京地方裁判所で行われていた裁判にて、東京地方検察庁はNHK、TBSが放映したテレビニュースの録画映像を証拠として提出した。同年10月24日、両テレビ局の報道局長は報道の自由を侵害するものだとして地検に証拠申請を取り下げるよう申し入れを行ったが、対応した検事正は報道の自由を侵害するものではないとして受け入れなかった。

その他
現在声優として活躍する若本規夫が当時警察官だった頃、正規の機動隊員ではなかったが人手不足対策として編成された「特別機動予備隊」として動員され、最前線で攻防に加わっていた。後に警察官という職業が不向きであると再認識し、約1年で辞める決断をした。from wiki.

ですね(笑)。2023072321:26(日本時間)。

で、これまた"感覚"ですけど。2023072409:01(日本時間)。

"仮面ライダー 第83話 制作No.83 怪人イノカブトン 発狂ガスでライダーを倒せ (wikiによると1972年10月28日放送)"

・イノカブトン(人間体(イノカブトンに改造される死刑囚) - 飛世賛治[C 39/オープニング表記は「飛世賛二」] / 声 - 市川治)

赤い彗星池田秀一さんの若いころに似ておられるような(お隣は戸田恵子さん・笑)。

で。2023072411:46(日本時間)。

"仮面ライダー 第84話 制作No.84 危うしライダー!イソギンジャガーの地獄罠 (wikiによると1972年11月4日放送)"

唐沢寿明さんの子供時代ってこういう感じかもしれないな。

ありつつ、あのですね(笑)。2023072411:49(日本時間)。

娘を持つ母親が夫を"お父さん"と呼ぶことは、日本では日常の光景(笑)2023072411:56(日本時間)。

・イソギンジャガー(人間体(桂木良助) - 大神信 / 声 - 辻村真人)

・桂木マキ - 山田圭子 (84)

◆丘野 かおり(おかの かおり、1955年5月16日 - )は、日本の元子役、女優。本名および旧芸名は、山田 圭子(やまだ けいこ)。

東京都出身。山崎学園富士見高等学校中退。

人物
兄弟がいないため、小学2年時にわがままに育ってはいけないという両親の意向で、東映児童演劇研修所に入所。

1966年、テレビドラマ『丸出だめ夫』でデビュー。本名の山田圭子名義で『仮面ライダー』などのテレビドラマに出演。

1974年に「丘野かおり」に改名し、『ウルトラマンレオ』(TBS)にレギュラー出演。『仮面ライダー』や『ミラーマン』などの特撮テレビドラマでは悲劇的な役柄が多く、『レオ』出演時の紹介記事では「これまで影のある役柄が多かったので、今回のような明るい役はうれしいです。本来は明るい性格なので、地が出せたらいいと思ってます」と述べている。同時期、中田喜子、小林由枝らとともにTBSが自局のドラマに出演する新人を売り出す「グリーン・グループ」の第4期生に選ばれた。from wiki.

で。2023072412:04(日本時間)。






"BOØWY - BEAT EMOTION ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR 1986・12・10 日本武道館 + 1曲"

"【公式】『ちいかわ』第25話「カルメ焼き/ついにやったゾ」※1週間限定配信<923 (金)AM759まで>"

"ミラーマン 第46話 死都に愛の鐘が鳴る (wikiによると1972年10月22日放送)"


小嶋和子さん。

で、"夫が亡くなりご本人も自殺"は十分影がありすぎる役だと思いますが(笑)。20230724(日本時間)。



真希はご夫婦の一人娘。

で、この回の監督は石森章太郎さん(釣り人)ですが、監督補は長石多可男さん。2023072412:14(日本時間)。

この方。

で。2023072412:39(日本時間)。



"項羽と劉邦 第26話 襄城での虐殺【日本語吹替版】"

"関東大震災の犠牲者"☟。



"項羽と劉邦 第27話 閉じ込められた姫君【日本語吹替版】"



"項羽と劉邦 第28話 項梁逝く【日本語吹替版】"

で。2023041707:00(日本時間)。



"コンバット 第47話 傷だらけの守備隊 日本語吹替"

『いったん切り、ざっくり、俺的には。




※カッチョイイ"レジスタンス"ゴミ処刑ズな皆さんな。2023010610:25(日本時間)。

こういう流れや。








こういう流れがしっくりくるのですが。2022122612:07(日本時間)。』





"6 Juin 44, la Lumière de l'Aube"

これまた単純な疑問で、思いのほかそういうものなのかもしれませんが。

これらが攻撃で焼け爛れた遺棄車両だとするなら、周囲の木々が焼けたり焦げたりはせんのか?

※そうそう、これはたぶん、戦場全般、延焼せんのか?ありつつ、邪魔だからどけたのだな(が、こういうどけ方って持ち上げて?タイヤが動くなら人で押せそうですけど。アウシュビッツぽい収容所ではブルトーザーで死体の山を転がしてましたが-あれ?東ドイツ以東にソ連以外の連合軍て進出しましたっけ?合同調査団とかですかね?)。2022122312:45(日本時間)。


場所どこでしょうね。2022122313:24(日本時間)。

というのと、これまた思いのほか。


ヨーロッパでのレノン家は一大勢力なんですかね(笑)?が、さすがに。

※レノン家はヨーロッパを裏で牛耳る闇の一大勢力なんですかね(笑)?が、さすがに。2022122509:58(日本時間)。

ペイジさん発見!という気はないです(書いとるけど・笑)。2022122218:19(日本時間)。

※嫌味を繰り返しておくと、アメリカ軍の焼夷弾による無差別爆撃は、山に囲まれた佐世保の大空襲の場合、ものの見事に山の木々を焼かずに行政施設を中心とした主に木造家屋だけを焼いているし、山に挟まれた細長い土地の頭上500メートルぐらいで爆発した長崎原爆では(そうそう、風に流されてか、これキロ単位でズレたらしいね)、ものの見事に山の木々を焼かずに(一部焦げてる、らしい)、半径ンキロで長細ーく、家屋だけを吹っ飛ばしてる(地形はそのまま)。吹っ飛ばした衝撃波で起こるだろうコップの中のような長崎湾での高潮の形跡なし。2022122221:53(日本時間)。



※電柱電線は今撮影時期が分からない。2022122513:50(日本時間)。

※被爆直後の長崎はこのブログの中に米軍撮影のカラー映像もあるので、興味があり、まだ観てない方は、探してみてください。2022122513:55(日本時間)。

少なくとも佐世保大空襲での焼夷弾、ナパームは、家屋以外には発火延焼しない超常現象的特殊仕様か、と、取り込んで始末する。長崎原爆は光子力研究所な感じでの逆バリヤーでも発生したのかという被害状況ですよ。2022122514:36(日本時間)。




※そうそう、しつこく、だから勝とう福島(熊本加藤清正、広島福島正則)、今度の地震での熊本城の石垣の被害は甚大だそうですが、広島城の石垣(ン千度の熱戦に焼かれたであろう石垣群)、一部でも崩れたのを積みなおしたんですかね?上の構造物はすべて吹っ飛んだそうですが。俺には木々がそのまま残ってるように見えますが、浦上天主堂後ろのおそらく棚田(畑)とか。2022122514:44(日本時間)。

※で、たしか江戸時代(※これは日清戦争直前とかそういう時期だったかも。2022122521:34/日本時間)、清国使節の方が日本に来て山の上まで田んぼになっててビックリした、という話があったと思いますが、これらの棚田が元々か、戦中の食糧増産のためかは今わかりません。で。2022122515:06(日本時間)。

※パラシュート?例え山向こうに流れて行ってもその日その時の風任せは爆弾投下方法上しょうがないだろうけど、46秒?慣性の法則で爆弾投下時の方向に落下速度を加えてついてくる広島では爆発までにB29は爆発圏外に離脱できたの(核爆発による、だっけ?放射性物質を含んだ重金属粒子、当然放射線を出し続ける、てのはB29に付着してないの?山の木々が取り込んでないの?東京とか含め大量の瓦礫はどこへ?コップの中の長崎湾の汚染の経過は)?2022122510:08(日本時間)。

※そう言えば、これも記憶便りで、観測ゾンテ(デ?)だっけ?筒状の、たしか爆弾と同時に投下した、少なくとも長崎では爆発に耐えたね。随分離れた場所に流れたのかもしれないけど。2022122510:25(日本時間)。


※高度でいろいろかもしれませんが、と言うことは、少なくとも長崎では(たぶんパラシュート)、B29は風に逆らって離脱しましたかね。つうてもすぐに山蔭ですけど(たしか長崎では実際に山蔭に退避したはず。たぶんほとんど500mクラスで、そんなに高い山ないと思うので、高高度からの急降下だと大変そうですけど)。2022122510:58(日本時間)。』

amaterasu kingdom dimensionsⅡ‐54。

ありつつ。



"ワールドTVスペシャル カチンの森 KATYN 日本語吹替"

何となく(笑)。


カチンの森で多数の虐殺された死体が発見された事実を否定する気はないです。2023041707:17(日本時間)。



"項羽と劉邦 第29話 揺れる女たち【日本語吹替版】"



"項羽と劉邦 第30話 武安侯となる【日本語吹替版】"

(V)o¥o(V)

ブヒブヒズラタクズラタクズラズラタクタクズラちゃんズラズレカワイイつんく♂3猫ひろし"後輩"偽物&家族陰間に処刑ズ&フワちゃん(餓死)明石家さんま(頭後部に銃弾3発)ラジオ同類項(頭後部に銃弾3発)大森靖子(破砕機)富野喜幸(青酸カリ圧着)同類項ありぼぼ同類項(青酸カリ)偽鞘師里保出演ドラマ偽工藤遥出演ドラマライブ出演者(ハンマー)モーニング女学院出演者(ハンマー)含佐久間宣行同類項(ハンマー)ラベンダー演パクバンド(後ろから後頭部にボーガン)同類項(後ろから後頭部にボーガン)Matt(脳内臓爆弾爆裂死)木村拓哉(轢死)加藤浩次(Sliced Minced Sausages)佐藤浩市(コンテナで海中吐く)つんく♂さんズ(被爆実体験伝承者気化爆弾死)TOKIO(チェーンソー)沢田研二(ガソリン草刈り機)松浦亜弥(圧死)三浦知良(焼死)中川翔子(バール)ナンチャラ流星(バール)小野伸二(煮て焼いた)長嶋敏夫松浦鉄道運転手(銃殺)中村法道前長崎県知事(煮て焼いた)田上富久前長崎市長(焼いて煮た)宮島大典現佐世保市市長(焼いて煮た)玉木雄一郎(女好き野口聡一に突っ込みつつ焼死)野口聡一(女好き玉木雄一郎に突っ込まれつつ焼死)高橋良輔(コンテナ出航)吉永小百合(キュ!)スカトロバアサン小池百合子(キュ!)ユニコーン(水死)グレイ(ガス中毒死)TMレボリューション(電気椅子死)ムロツヨシ(ビルの15階から転落)堺雅人(ビルの31階から転落火葬)小泉純一郎(轢死)山崎育太郎(切断死)菅義偉(左顎から右頭頂部へ銃弾通過)松本人志(日本国内焼却処分)忌野清志郎(日本国内焼却処分)浜田雅功(日本国内で焼却処分)ココリコ(日本国内で焼却処分)庄司智春(縦に二分割)前原ナンチャラ(横に二分割)近藤真彦(ジッポライター引火で焼死)田原俊彦(フルスイング)野村義男(フルスイング)あべこうじ(炭疽菌)安倍昭恵(サリン)十三代目市川團十郎(13階から地獄にお引越)草彅剛(同類抗)城島健司(ケツから串刺)松井秀喜(口から串刺)香取慎吾(火葬)山本太郎(火葬)れいわ新撰組(火葬)山口智充(水葬)甲本雅裕(火葬)中村獅童(火葬)宇梶剛士(水葬)ささきいさお(水葬)ビビる大木(土葬)木村祐一(土葬)三谷幸喜(圧着土葬)加山雄三(君はミキサー)谷村新司(君はミキサー)雲南内村ナンチャラ(君はミキサー)吉田拓郎(君はミキサー)吉田栄作(君はミキサー)モモクロ(みんなミキサー)宇多田ヒカル(君はミキサー)松本(切断)哉&同類工(引き延ばし切断)頁出川哲郎(水没49秒10秒インターバル6回目のチャレンジ直前に頓死)内山信二(水没49秒10秒インターバル6回目のチャレンジ中に頓死)あおい輝彦(脳脊髄液垂れ流し)真野恵里菜(脳脊髄液垂れ流し)ジミー大西(縦分割)村上ショージ(縦分割)ドリカム(横分割)aids中山雅史(横分割)北澤豪(横分割)キンキキッズ(心臓爆裂)小泉進次郎(血液何リットル抜けるだろう)茂木敏充(日本時間2025100919:5742秒命乞い開始28.5秒後おケツに大穴終了)大野雄二(焼死)宮崎駿(焼死)細野晴臣(焼死)上祐史浩(サリン)佐藤優(サリン)ジャニーズニュース(圧縮)片山さつき(1体5分割)栗山茂樹(頭部粉砕)B'z(首切断)習近平(出し汁)西島秀俊(SMS)TAO(釜茹)TKO(茹で缶)泉健太(脳に新種のカビ)河村勇輝(コーラ)藤井聡太(お茶)藤井フミヤ(8分割の7分割)井萩麟(田楽)馬飼野康二(田楽)串田アキラ(狭間)邪禿巣嵐(皮剥き)久石譲(轢死)押井守(糞死)橋下徹(緑茶ぐり深蒸し100g1000円)内田樹(1分3秒水泳大会)ブライアンフェリー(熊)所ジョージ(熊)ルナシー(瀘亡)ミスターチルドレンゴミ処刑済(エイズ発症屑)エアロスミス(1K備蓄米1/24円 of K¥2000也)グレン的ロック(🎯)イギーポップ(🐗)キンクス(蛆虫百万匹)ブラー(生ごみの火)ボブデュラン(吊)中島みゆき(刺身)サザンオールスターズ(蒲鉾)仲井戸麗市(日本国内焼却処分)川田龍平(ぶらんにゅーAIDS)原田知世(緊縛失態)渡辺謙(轢死)渡辺杏(轢死)餓鬼(轢死)チャー(ぐりキロ4000円)ニューエスト系(飯核)キースエマーソン(クリスタルナハト)バービーボーイズ(機雷)すかんち(地雷)ストリート・スライダース(ポン酢)玉川徹(蒲鉾)大島優子(箱)遠藤遼一(羊羹)横川さつき(ビルの31階から転落火葬)小池恋(ビルの31階から転落火葬)田中和夫(ビルの31階から転落火葬)斉藤由貴(ビルの31階から転落火葬)同類項(ビルの31階から転落火葬)志田未来(汚染水)佐橋佳幸(鮫)クラッシュ(🚙)南原清隆(あーよく寝た五反田アンジェリーク20251224心臓大静脈GPS付小型爆弾搭載含)シブがき隊(Interligensia264)木村マモル(串)中田敦彦(キャノーラ油)藤森慎吾(サラダ油)小栗旬(2025112715:19/日本時間カルピス含放射性重金属粒子)星山博之(総括)堀江貴文(コンテナ)ひろゆき(コンテナ)℃-ute(前3人後2人銃殺)雨上がり決死隊(乾燥機)モリッシー(AIDS大腸癌)&ザスミス(AIDS大腸癌)斉藤由貴(コンテナ詰)つぶやきシロー(コンテナ詰)劇団ひとり(コンテナ詰)ゆず(偃月殺法且コンテナ詰)はなわ(鼻輪)ヒロミ(菌垉)南野陽子(鼻輪)スキマスイッチ(36.395884, 135.220422-410人)細野晴臣(焼死3分21秒)高橋幸宏(チェーンソー横3分21秒)坂本龍一(寒中潜水3分21秒)モッズ(バンドチェーンソー横3分21秒)亀井理那(窒息死)上戸彩(釘が飛び出た金属バットでナンバーズ一人あたり顔面2回フルスイング)AKB峰岸ナンチャラ(釘が飛び出た金属バットでナンバーズ一人あたり顔面2回フルスイング)スピッツ(30°59'42.6"N 130°42'32.7"E)矢島舞美(AIDS大腸癌喉頭癌)岡井千聖(AIDS大腸癌喉頭癌)萩原舞(AIDS大腸癌喉頭癌)クレバ(低回転)山下達郎(沈下トラック)ストーンローゼ巣(期待のニュー罐)竹内まりや(強制ハンガーストライキ13日48秒0046)ナンチャラ狩るティエイト(バー蚊)と愉快な統一教会(気苦労ご苦労)被害者(バー貨)ビースティボーイズ(🚊)BAD2(🚙)かまいたち(ナイフ)ナイツ(チェーンソー)C-C-B(醢z)浅井健一(🚊)チバユウスケ(油)松任谷由実(洗)麒麟 (オワコン癩鼻)山田悠介(節黍卯化)U2(ira)綾瀬はるか(すり身)中島みゆき(すり身)渡辺岳夫(斜め下り45度)エアロスミス(吸えロ馬水)石原さとみ(headhunting)同類項ゴミ処刑済含処刑済。

そうそう、不倫相手初恋の人初めての人などとか忘れてるな(笑)。つうても何で此奴等ここまで同じ顔同じ体形同じ言動になれるのかね?劣等人種的特徴?当然皆殺。

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