we are amaterasu kingdom dimensionsLXXXII。
※法三章は劉邦さんでしたか?20210908。
"われに陳蔡に従う者は、みな門に及ばざるなり"、ですが、とりあえず、子貢さんは"頗る理財の道に通じ、一時、天下の金は子貢の許に流れてゆく"なんですね(笑)。
ついでに、孔子さんが編纂したという『春秋』の最期は"来麟"ではなく"獲(狩)麟"な。
ラスボス処刑自動追尾コースに入ったんだろう。
※単純な話、テレビとか見ると、とても俺と同じ日本人とは思えないね(違うだろ)。よくも集めた、て感じ(ゴミ処刑)。20210608。
※"ひろゆき"ゴミ処刑ズ(いなくなった数値いるだろ?)と同種族てのはよく分る。20210908。
※"ひろゆき"ゴミ処刑ズ(いなくなった数値いるだろ?)と同種族てのはよく分る。20210908。
今の所誰かは知らんが此奴を殺れば根腐れするよ。
"ミーム いろいろ夢の旅 第25話 「生きている山・火山 -2-」"
OPEPは編曲含め辻希美のご両親三上寛さん辻典子さんご夫婦ですが、越路吹雪さんは道重さゆみ田中れいな亀井絵里のおばあちゃん。
で。
"シャーロック・ホームズの冒険 スペシャル 第31話 未婚の貴族"
オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde、1854年10月16日 - 1900年11月30日)は、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。
耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動をしたが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リー・ハーヴェイ・オズワルド(英: Lee Harvey Oswald、1939年10月18日 - 1963年11月24日)は、アメリカ合衆国ケネディ大統領暗殺事件の実行犯とされている人物。アレック・J・ハイデル (Alek J.Hidell) あるいは O・H・リー (O.H. Lee) との別名も使用していた。ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。逮捕直後にジャック・ルビーによって暗殺される。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
で、ここは、ファン対象にどうでしょうにもどりますが、四国88か所3これは逆打ちですが。
"試験に出る日本史!第一夜"
"試験に出る日本史!第二夜"
"試験に出る日本史!第三夜"
"試験に出る日本史!第四夜"
"試験に出る日本史!最終試験"
早見優さんと舘ひろしさんは仲が良いご夫婦。
で、しつこく高倉健竹下登吉田拓郎はゴミ処刑。
"街道をゆく 第48回(最終回) 濃尾参州記"
"三国志 Three Kingdoms 第85話 罵って王朗を殺す【日本語吹替版】"
魏帝国皇帝自らの"北伐"という、吹き替えですが、ご発言には、何か、現在に通じる"?"があるかもしれんね。
"三国志 Three Kingdoms 第86話 空城の計【日本語吹替版】"
"三国志 Three Kingdoms 第87話 泣いて馬謖を斬る【日本語吹替版】"
春秋戦国時代の退却戦の時でしたか、毎日野営地の竃の数を減らし、兵の数が減っていると敵に油断をさせ、みたいなのは、トイレの確認でいいのでは、と、思っておりましたが、たとえば桶の移動式簡易トイレ?
で。
そういえば。7月 31, 2018
最初は藤村さんも『街道をゆく』とか好きそうだもんな、と、単純におもってましたが、衛秀吉さんと女将の会話は司馬遼太郎さん作だと。
で、バースに豊川悦司にめちゃイケにさんまにやしきたかじんに、まともに見たこと無いからだれが出てんか知らんけどナイトスクープに、笑福亭鶴瓶に、とゴミ処刑。
"四国八十八ゕ所3 第一夜"
"四国八十八ゕ所3 第二夜"
"四国八十八ゕ所3 第三夜"
"四国八十八ゕ所3 最終夜"
森崎博之さんと大貫亜美さんは仲が良いご夫婦。
安田顕さんと吉村由美さんは仲が良いご夫婦。
ユニコーン(バンド)グレイTMレボリューションはゴミ処刑。
ユニコーングレイの曲の作詞作曲は暴威。
で、38番金剛福寺の大泉さんは八十八ゕ所1の時の映像ですが。
なにげに於38番金剛福寺とか(笑)?
"仮面ライダー 第89話 恐怖のペット作戦 ライダーを地獄へおとせ!"
"仮面ライダー 第90話 恐怖のペット作戦 ライダーSOS!"
"仮面ライダー 第90話 恐怖のペット作戦 ライダーSOS!"
"湘南爆走族 ー残された走り屋たちー"
で、サエキけんぞうビートたけしたけし軍団アントニオ猪木加山雄三キャイーンピンクレディジャニーズスリラー以降のマイケルジャクソンズ志村けんいかりや長介ゴミ処刑。
荒井注(さん)ということで。
ついでに、信じる必要は一切無いが、森崎さんが"マイク(カメラも)がこんな所についてるんですか?”パソコン携帯家電など含め、タダより高い物は無い、劣等人種に人権など高尚なものは何処にも無いつうことで。
アウトブレイクを鑑みると、空調も怪しいな(笑)。
"OUTBREAK"
苦情じゃないですよ(笑)、母なる海にも多くの生物が住んでいると思いますが。
ベッキーワッキー妲己か?たいしたことないんだな。当然処刑。(8月 12, 2018)
以下同文。20210902。
で。
これは担当編集者の福島靖夫さんと司馬さんの書簡集『もうひとつの「風塵抄」』ですが、とりあえず(とりあえず)第何回か?と題名が大切なので、確認は『風塵抄』でも問題ないです(俺は処分してしまい持ってません)。で、四国八十八ゕ所3第一夜。60番札所横峰寺は冬季通行止めのため行けず、59番国分寺で放送終了。そして第二夜、50番札所繁多寺から、仕事の為札幌に帰った鈴井さんと安田さんに代り、“晴れ男”森崎さんが参加。が、いまいちノリがまわりと合わず…藤村さんが「いよいよやっかいだ、となったらここに置いていくから」
※ちょっとここで、ま、ここを読み込んでくれる方で、"いろんな意味で""引用を"そのまま読む方はいらっしゃらないでしょうが(笑)、ここで少し先走りを。
[※まず、みなさん捨身です。で、十、97(ページ)年2月13日、司馬さんが“亡くなられた”のは96年2月12日]、“大兄も、よきおとしを。(ちょっと早目ですが。)”重要です。あ、そうそう、“ちょっと早目ですが。”福島さんからの手紙の方が司馬さんの返信より日付けが1日後(日本時間でしょう、そりゃ)。
2年前に昭和天皇が"亡くなられて"いるわけですが。でですね、これ、〈十行ほど減らした〉〈このことばをよく知っていたのでしょう「新」〉と、何でかおれが〈〉を付け加えた上で、ですけど(笑)。20200731。
まず"一行十五字だったのが、一月から一行十四文字になる予定です"
十四文字で分離して①又々うつくしいワープロをよご②しました。こんどはちょっと長③かったので、<十行ほど減らし④た>のです。かえって、ひきし⑤まったと思います。新年らしく⑥、苟日新日日新又日新というこ⑦とばを、読者に送りたかったの⑧です。私の家の近所に、大正時⑨代の私立商業校(いまは市立高⑩校)である日新高校があります⑪。又、神戸新聞の前身の一つが⑫、又新日報でした。むかしの人⑬は、<このことばをよく知って⑭いたのでしょう「新」>解字す⑮ると、木と斤から成りますが、⑯辛という字をつけることで、音⑰を決めています。だから、辛や⑱斤木よりも、新らしい文字でし⑲ょう。これで、小生もぶじ新年⑳をむかえられます。大兄も、よ㉑きおとしを。(ちょっと、早目㉒ですが。)十二月十三日司馬生㉓福島靖夫様
で、それを今度は後ろから10行採り。
⑭いたのでしょう「新」>解字す⑮ると、木と斤から成りますが、⑯辛という字をつけることで、音⑰を決めています。だから、辛や⑱斤木よりも、新らしい文字でし⑲ょう。これで、小生もぶじ新年⑳をむかえられます。大兄も、よ㉑きおとしを。(ちょっと、早目㉒ですが。)十二月十三日司馬生㉓福島靖夫様
う、う、も、う、も、も、お、もうもおうもう、毛も王莽。そして辛、日本語読みでshin、これが音なので、新も当然shin、そして中国最後の王朝清もshin。つまり毛沢東は漢王朝を簒奪した王莽のように清王朝の皇位を簒奪した男。
これ、おうもう、この文字を抜き出せば、こういう文章になるな、で(意志の勝利・笑)。20200731。
[※清王朝の簒奪、“最終的”にという意味で捉えてください。そして辛、商王辛、昭和天皇という考えがまだないころです]
が、これは中国の方ならもうわかられてるのでしょうが…。
◆王莽:前漢末の簒立(さんりつ)者。字は巨君。元帝の皇后の弟の子。儒教政治を標榜して人心を掌握、平帝を毒殺し、幼児嬰を立て、自ら摂皇帝の位に就く。ついで真皇帝と称し、国を奪って新と号した。その政策に反対する反乱軍に敗死し、後漢が復興した。(在位8~23)(前45~後23)
◆王蒙(1934~):現代中国の作家。1956年、共産党が学術・文芸・芸術の一定範囲内での自由を保障するスローガン(百家争鳴・百花斉放)を掲げたのに応え、文芸界では(現実関与の文学)が合言葉となり、王蒙は官僚主義批判の短編(組織部に新しく来た青年)を発表して注目された。しかし翌年毛沢東が反右派闘争の発動を支持したため、一転して反革命分子として失脚。文化大革命終了後、復活して(胡蝶・1980年)など不条理な政治に翻弄される高級幹部の内面を意識の流れの手法で描いて注目された。のちに文化部長(日本の大臣に相当)となるが、(血の日曜日)事件(天安門事件)後辞任。
◆王蒙(1298~1385):元末の文人画家、浙江省の出身で、明の太祖(朱元璋)のとき、謀反事件で無実の罪を着せられ、獄死した。元末四大家と称された。つまり、★"毛(おそらく劉)も王蒙"
[※あと、これも確信をもっていいますが、王莽さんも捨身です、確実に。(前45~後23)、46から一つずれ、二分の一、と言う気は、ないことはないです]
何かを表す(ごめんね)、つうか、劣等人種の通弊ですよ。俺の許可で暴力解禁になったらあっちゅう間に総意で消される奴等。20210126。
※ネ嬉野さん(笑)。20211214.
60 大きなお荷物
59 胸の中
50 お天気屋
49 好き
"新日本紀行 第54巻 「へんろの道 ~阿波・讃岐~」"
テロップによると昭和47年8月放送ですが(建物や服装などである程度撮影時期はわかるのでしょうが)。
山岳ベース事件
山岳ベース事件(さんがくベースじけん)とは、1971年から1972年にかけて連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件。当時の社会に強い衝撃を与え、同じく連合赤軍が起こしたあさま山荘事件とともに新左翼運動が退潮する契機となった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
※すくなくとも、初代ガンダムの声優の方たちが、新左翼、特に連合赤軍と深い繋がりがある、というのは、気づいています(笑)。20210531。
"01 矢吹ジョー登場"
"02 ジョーと段平の出逢い~特別少年院への送監"
"03 同室者との対決"
"04 不気味な少年院~豚小屋の出来事~力石徹登場"
"05 トレーニング~白百合慰問公演団来る~力石との初対戦"
"06 雨のリング上~力石の出所"
"07 少年院からの出所~マンモス西との友情~デビュー戦~ウルフ金串との対戦"
"08 夜の白木邸~力石減量限界"
"09 ローリング・ファイター"
"10 ジョー vs 力石戦~世紀の対決"
"11 燃えつきた二人"
"12 力石の死~美しき狼たち~"
"13 挿入歌~K・O(ノック・アウト)"
"14 傷だらけの栄光"
"15 夕暮れ~トワイライト~"
"16 下町の人達"
"17 力石徹の思い出"
"18 挿入歌テーマ~夕焼けの街"
"19 明日への挑戦"
"20 夕暮れ~ドリーム~"
"21 白木葉子のテーマ"
"22 主題歌テーマ~男の対決~"
"23 挿入歌~果てしなき闇の彼方に"
"02 ジョーと段平の出逢い~特別少年院への送監"
"03 同室者との対決"
"04 不気味な少年院~豚小屋の出来事~力石徹登場"
"05 トレーニング~白百合慰問公演団来る~力石との初対戦"
"06 雨のリング上~力石の出所"
"07 少年院からの出所~マンモス西との友情~デビュー戦~ウルフ金串との対戦"
"08 夜の白木邸~力石減量限界"
"09 ローリング・ファイター"
"10 ジョー vs 力石戦~世紀の対決"
"11 燃えつきた二人"
"12 力石の死~美しき狼たち~"
"13 挿入歌~K・O(ノック・アウト)"
"14 傷だらけの栄光"
"15 夕暮れ~トワイライト~"
"16 下町の人達"
"17 力石徹の思い出"
"18 挿入歌テーマ~夕焼けの街"
"19 明日への挑戦"
"20 夕暮れ~ドリーム~"
"21 白木葉子のテーマ"
"22 主題歌テーマ~男の対決~"
"23 挿入歌~果てしなき闇の彼方に"
Ⅰ:私は運命を信じません
いやいやありました。
最後ではなく、「秘本三国志(四)」の中にありました。
五斗米道つう新興の道教団体(かな?)の教母少容さんと、まだ劉備さんに仕官する前の若き諸葛亮さんの対話の中にありました。もちろん史実ではなく陳舜臣さんの創作です。
『天下に太平をひらくためには、漢王室の存続などは問題ではなく、強力な指導者が天下を統一することである。
これが少容の考え方であり、天下の英雄を物色して、曹操にその望みを託した。
そして、曹操が天下をたばね、乱世に終止符を打つように、陰ながら、いろいろと手を打った。
「そうです。あなたの打つ手をみておりますと、どうも性急にすぎます」と、諸葛亮は言った。
性急にすぎるという忠告は、だいたい老人が若者にたいして発するものである。
少容は自分の息子よりずっと若い諸葛亮に、そう言われたのだ。
少容は苦笑をうかべはしなかった。彼女はもうこの若者と、対等に話し合うべきであると思ったのだ。
「そうです。天下が統一されることは、誰もが望みます。しかし、それは難しいのです。第一に、英雄が多すぎます。第二に、それなのに抜群の英雄がおりません。これは曹公をも含めて申せることですが・・・」
「統一をあきらめよと申されるのですか?」白髪のまじった美女は訊いた。
「いつかは統一されるでしょう。この国は統一されねばなりません。それまでに何十年かかるかわからないのです。三十年、五十年・・・そのあいだも、人びとは生きて行かねばなりません。その人たちをどうするのですか?」』
という流れからの、少容さんの
『「人それぞれ運命をもっております」
「私は運命を信じません」若者は断乎として言い放った。
「人間の力は、運命にうち克つべきです」』
でした。
ちなみに続きは
『「では、どうするのですか?」
「天下を三つに分けましょう」と、諸葛亮は言った。
「天下三分?」
「三分の一ぐらいなら、どうやらたばねて行ける人間がいるでしょう。たとえば、中原の曹操と江東の孫権など。天下を統べる器量人ではありませんが、まず三分の一はまかせることができます」
諸葛亮は安定した分裂を、いったんつくり出そうという論を展開した。
いまの乱世を統一するのは至難だが、三分の状態になれば、その三つを一つにまとめるのは、べつに天才の腕を要しない。』
でした。
Ⅱ:夢が、星のように飛びます。そして堕ちるのです
陳さんは「秘本三国志」を書くにあたって、世に広がっている"三国志"に己がとらわれないように、羅貫中さんの「三国志演義」を読み返すのをわざと避けられたそうです。←ずいぶん昔、読んだことはあるそうです
そして(羅貫中さんも「三国志演義」を創作する時に用いたといわれる)正史の「三国志」「後漢書」「資治通鑑」を根本資料として使用し、それを自己流に読み、解釈し、それにご自身の推理を交えて「秘本三国志」を書かれたそうです。
僕が十代のころ、高校生のころですね、一番最初に読んだときは、一風変わった「三国志」、というか、実録、というか、なんつうんでしょ、テレビではああだけど、実は本当の水戸黄門はこうでした、みたいな感じというか、ねえねえ知ってる?横山光輝(さん)の「三国志」ではああだけど、実際の劉備はこんなんだったんだよ、と、人に話すネタモトというか、まあそんな感じで読んでたんです。
だから、この「秘本三国志」の結びの一節。
『「三国志」の物語は、中国の庶民が統一平和を念願し、祈りをこめるようにして、代々、語り継いだものである』
この言葉の意味が僕に理解できようはずがなかったんです。
ただ単に唐突感を覚えただけだったんです。
でも現在、パラパラと拾い読みしてみると、「秘本三国志」こそ『統一平和を念願し、祈りをこめるようにして書かれた物語』じゃないですか。
人が死にすぎた。
あまりにも死にすぎた。
そして今も死ぬ。
簡単に死ぬ。
人は死ぬためだけに生まれてくる。
『乱世のはじまりには、人間は禽獣のようであった。利害が反すれば、その場で人を殺し、眉一本うごかさない。人間の心がそのようであったから、世の中が乱れたのかもしれない』
しかし『「生まれたからには、生きて行かねばなりません。これが人間のさだめです」』
『孔明はながいあいだ軍隊を指揮してきた老将校に、むかしの兵卒と、いまのそれとの違いをきいたことがある。その老将校はちょっと考えてから、― いまの兵卒は、よく泣きますなぁ。敵兵の死骸を見ても涙を流すやつがふえてきましたよ。むかしの兵隊は、そんなに女々しくなかったですがねぇ』
『彼らはもはや禽獣ではなかった。そして、そのことが理想主義的現実政治家の孔明に、希望を与えてきたのである』
『人間はよくなりつつある。そう信じなければ、孔明のような仕事はできなかったであろう』
え~確かめたわけではないですが、断言できます、これは陳さんの創作です。
このような老将校の述懐は絶対になかったでしょう。
現実の孔明さんが己の死の間際に『人間はよくなりつつある』と信じることもできなかったでしょう。
『人間はよくなりつつある。そう信じなければ』
これは陳さんご自身の言葉でしょう。
で、え~、突然ですが、坂本龍馬さん。
んで、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」。
これは安部龍太郎さんの「龍馬脱藩の道」からの孫引きになりますが、司馬さんは「竜馬がゆく」を書く直前、桂浜の龍馬像を初めて訪れたときのことをのちに回想し
『ここに来て、はじめてあなたに会ったとき、名状しがたい悲しみに襲われました。そのときすでに、私はあなたの文章を通して、精神の肉声を知っていましただけに、そこにあなたが立ちあらわれたような思いをもちました』
そして
『全霊をあげて、あなたの心を書く』
んで、梅原猛さんがお書きになったのを読んだとおもうのですが、"鎮魂"てのもやっぱり重要な要素ですかね。現実とつながる"鎮魂"。
あ
そうそう
「秘本三国志」の最後。もちろん「私は運命を信じません」ではなく
『「横におなりなさい」と少容はすすめた。
「そうですね。横になっても見えますから」そう言って、孔明は横になって蒲団を胸までかぶった。
「なにをごらんになります」
「私の夢です。夢が、星のように飛びます。そして堕ちるのです、この五丈原に」』
でした。
が、ですね、陳さんの「秘本三国志」。これ、途中から、劉備が呂布におわれて曹操のもとに身を寄せるようになってから、だったか、やたら各陣営同士の密約が多くなるんです、もう談合小説と呼びたいくらいに、最初は曹操が劉備に「何としてもこの乱世を終わらせねばならん、しかし現在、この中国大陸にはあまりにも群雄が多すぎる、だから二人で組んで、その群雄を潰していこう」みたいに持ちかけ、それで劉備がある種エージェントとして袁紹のもとにいき、うまい具合に袁紹陣営をかく乱し、みたいな。読んでるときもちょっとこれは無理では?と思ってましたが、もちろん、劉備が働けば働くほど曹操の力が巨大になる、劉備も曹操のたんなるエージェントで終わる気はまったくなく、この密約はすぐに破たんします。
が、その後も談合はひんぱんにおこなわれます、ただ、その理由のすべてが"民を苦しめないため"
[※◆エージェント【agent】①代理店。代理人。仲介業者。②秘密情報組織の協力者。諜報員。(広辞苑第六版より)。]
陳さんは、小説ではなく歴史書の「中国の歴史」の中で、当時の史書を紹介し、"『漢書』の「地理志」によると、前漢の時代、平帝元始二年(西暦2年)の中国全土の人口は、五千九百五十九万余。"で、前漢滅亡時の戦乱(王莽の時代)を経たせいでしょう、"後漢初代皇帝光武帝が死んだ建武中元二年(西暦57年)の人口は二千百万余と激減。"しかし、"後漢第十代質帝の死んだ本初元年(西暦146年)には、それが四千七百五十六万余まで回復"しかし、それから約140年後、晋が天下統一した呉の滅亡時、呉"四代皇帝孫皓が晋に版図を献じたとき、戸数五十二万、男女人口二百三十万であった"といわれているそうです、ちなみに晋は"人口五百五十万"、つまり中国全土の人口が八百万そこそこだった、4756万余の人口が140年後に800万そこそこまで激減、『三国の乱世は(略)けっして光彩陸離たる時代ではありません。獣性がこの世を支配し、光のとぼしい、絶望の時代だったのです』と。
この秘本三国志の中では"人があまりにも死にすぎた""民を苦しめないため"に、英雄たちが談合しまくります、孔明は北伐前の足固めのため南征しますが、これは孟獲とのやらせ、でした、孟獲は事前に孔明と打ち合わせ、わざと七回捕虜になるという醜態を演じて見せます、そのことによって戦乱の拡大、被害をおさえようとします、時期はかなりさかのぼりますが、同じようなことが袁紹陣営を滅ぼしたあとの曹操の北伐でもあります、だれでしたか、どうあがいても曹操軍にはかなわない、しかし自分の部下(部族)はその力の差を理解できない、だから自分が曹操に派手に負け(できるだけ犠牲がでない様に)、死ぬことによって、力の差を理解させよう、ただし、自分が死んだ後の我が部下たちの処遇は必ず考えてくれ、民が安心して暮らせる平和な世をつくってくれ、みたいな。そして、孔明の北伐、これも司馬懿との間で"ひきわけ・勝負無し"と事前にとりきめられます、とうぜん、それはさすがに無理ないだろうか?、と、読んで思いました、が、20世紀という人が人を一番殺した時代を生きてきた陳さんは、人の死を書きたくなかったんだろうな、とも、思っていました。もちろん、ここから導き出される結論は、あまりにも荒唐無稽ですが[※今となってはそうでもないですが(笑)]、自分の現状も含めて考えると、司馬さんがお書きになった、"アジアの共産主義というのは、アジアの社会がはるかな過去から背負いこんでいる泥の中からひょいと足抜けをするための最も簡単な方法だということは、つねに忘れずにおきたいと思っている。"という言葉の意味はわかりかけてきた気がします。
[※◆【談合】(ダンコウとも)①話し合うこと。談じ合うこと。相談。②談合行為のこと。◆だん‐こう【断交】‥カウ‥交際をたつこと。特に、国交をたつこと。「経済―」(広辞苑第六版より)]
あと、陳さんの「中国の歴史(二)」は、王莽の漢簒奪までですが、最初は"大統一時代"という章で、秦の始皇帝の天下統一の時代から始まります。で、記憶だよりなのですが、天安門事件のあと、東欧の民主化が進む中で(正直まったく詳しくないのですが、民族紛争はまだはっきりと形になっていないころでしたか)、鄧小平さんが、"共産中国が存在する限り世界の人口の五分の一は共産主義者だ"と"魔術的"国家中国の面目躍如な発言をされたような気がします。当時、そう思いました。が、これは"共産中国が存在する限り、世界の人口の五分の一は人食いに屈していない"という、毛沢東さんや劉少奇さん、もしかしたら蒋介石さんも、の"志"の同志(当然、もっと多くの)としての、気概だったんだろうなと、今、すこし思います。