we are amaterasu kingdom dimensionsXXXIV。
コピペ自体に試行錯誤してたころですが。赤文字まじりの文章はさらに以前の試行錯誤文章ですが、読めるなら(笑)、軽く読んどいてください。だから、考え方は、試行錯誤、徐々に照準が合ってくるで。
俺の中の試行錯誤の時期は終わってます。
(7月 31, 2018)
今読み返すと実はなにかと当てまくっていた気がする五島勉さんの、『ツングース 恐怖の黙示-遙か原爆以前に、突如、起きた核爆発の謎』昭和61年11月5日第24刷から。
ページ数は分かると思います、で毎日新聞の日付は(昭51・10・13)あ、勇敢?
“日本でも、毎日新聞と東京新聞が、それをそのまま紹介している。"書いておこう、でもこれでキー局全部出てきました(笑)?が、ですね、今は1908年に核爆発があったかどうかはさておきで…。
“七四年には最新式の測定器を持ちこみ、南北から死の森に迫った。すると、黒焦げ地帯に近づくにつれて、測定器の指針は激しく揺れだした。焼けただれ埋れ木、その下の熔けた土のサンプルを測ったら、どちらからも異常に強い放射能が検出された。自然の状態でも、地中や植物には放射能が含まれていることはある。宇宙からは、絶えず微量の放射線(宇宙線)が降ってきているからだ。だが、それはせいぜい十数ミリキューリーにすぎない。ところが、死の森の中での検出量は、強いところでは数百ミリキューリー。”1974年は1908年の66年後。2014年は1945年の69年後。2011年で66年後か?
“もちろん、浴びせられた範囲は、ひじょうに広く、約三〇〇〇平方キロにも及ぶと思われる。これと被害の激しさを合わせて考えると、ここで爆発した核物質は、広島型原爆のおよそ二〇〇〇倍の爆発エネルギーを持っていた。”
もう俺としても、ここで爆発があった前提の話ですけど(笑)、規模はそもそも違います。“が、小惑星、隕石、または彗星が、地表に衝突した跡はやはりなかった。つまり、怪物体はタイガ上空で空中爆発したことが、最終的に確かめられた。爆発の高度は、地上五〇〇メートルから一五〇〇メートルのあいだだったと推定される。”爆発条件はわりと同じだったかと。
どうしても書き方が嫌味くさくなりますが(笑)、長崎は特に山も近いですが、爆発規模が二千分の一のせいか…、あれ、言われてる爆発の二千分の一の威力、爆発高度もより高い、なら被害はどの程度だ?高度が高いとより拡散、てわけじゃないでしょ?だれか暇で優秀な方、高校生でもいいから、ちょいそれぞれの高さで、気象条件もいるんだろうけど、シミュレーションを(笑)。
で、戻し、規模が違うせいか、写真で見る限り被爆直後の長崎の山は一切燃えていないので、そもそも、焼けただれ埋れ木、その下の熔けた土が存在しないでしょうが。というか、別に観光名所でなくても、広島長崎市内の木々の樹齢を調べたらその多くが思いのほか長生きで、戦前から生えてて、年輪にも大火にあったあとは残っているかもしれないけど、これといって放射能は…みたいなの多い気するんですけど、ただするだけなので、調査できませんかね。調べればわかる。簡単。
長崎は県庁の辺りも燃えているから、そのあたりの木とか土とか、ま、浦上の山、岩屋山とかを一本一本その土、これといって当時から人が立ち入ってない場所あるでしょうし、風向きもわかるでしょうし、調べればわかる。簡単。
が、ここは超注意で、これはだから湯来町にもかかわってくるんですが、というか各地の詳細なデータは確実にすでにとっていると思いますが、ちゃんとそれぞれ突合せできるような。が。
今日は2014年12月5日の俺のパソコンで9:50分。今後、突然、長崎、広島の焼けただれ埋れ木、その下の熔けた土から高い放射能が検出された、まだ残る原爆の恐怖!という報道が製作されるかもしれない。大ウソで。がウソではない。放射能は検出される。なぜなら放射性物質を今からばら撒くから。テロ。だからばらまく人間の命は安い、というより微量な放射性物質くらいなら¥、己の欲得という意味での¥、のためにばら撒く奴なんていくらでもいるでしょう。国宝修復秘話も。
"しかし、検出されたのは、あくまでも放射能だけである。原爆爆発、あるいは原爆実験にかならず伴うはずの、放射性を帯びた重金属類の粒子は発見されなかった。ということは、それは広島原爆の二〇〇〇倍のエネルギーを持つ核爆発ではあったが、われわれの知るかぎりの原爆そのものではなかった、ということだ。"
もちろん原爆爆発、あるいは原爆実験にかならず伴うはずの、放射性を帯びた重金属類の粒子もそこで発見されるかもしれません。なぜなら発見されんとおかしいことがこれで知れわたるから。たしかにこれは高い放射能レベル(放射能だの放射性だの、区別はここでは勘弁)だが、原爆そのものではなかった、これは原爆投下によるものではない。という結論にしかならんから。したがって発見された周囲、というか半径2キロくらいではすべての地域で、発見されるはず。風向き考えればそっちの方向にも、当時から残る木々、長崎は豊富、の木々、放射性を帯びた重金属類の粒子を樹皮にとりこんでるはずでしょう、どう考えても山一面に。調査できませんかね。全部はそりゃ無理でしょうけど。可哀想だし木が。が、調べればわかる。簡単。で、先に引用した司馬さんの「別所家籠城の狂気」のラスト。
“三木籠城の狂気ともいえる高潮した精神が徳川期に入ってなおこの地に息づき、浅野長矩(ながのり)の潔癖な狂気をうむとともに、その家臣団の中から赤穂義士をうんだ。"
原爆により長崎湾全体に残るだろう◆たかしお【高潮】①台風や低気圧によって、海水面が異常に高まり、海水が陸上に侵入すること。気象災害の一つ。暴風津波。[秋]②大潮。日葡辞書「タカシヲガサス」の跡にも全般的に放射性を帯びた重金属類の粒子が残ってるんでしょうね。ないとおかしい。
もちろん、原爆爆発、あるいは原爆実験にかならず伴うはずの、放射性を帯びた重金属類の粒子なんか存在しない。これがそもそもの間違いだ、トンデモだ、というなら話は別です。ただ、ここは俺にはわからん。が、正しいかトンデモかは、たぶん科学好きの中学生とかでもわかるのでしょう。まかせます。で、ま、ちゃんと内容理解していたとはいえないのですが、俺も好きで読んでいたトンデモ学会の本。あれ、やらせですよ。あの人たちもトンデモ(十)の一味。ま、根拠はまたもや直感ですけど(笑)。
で、三木籠城の狂気ともいえる高潮した精神が徳川期に入ってなおこの地に息づき、浅野長矩(ながのり)の潔癖な狂気をうむとともに、その家臣団の中から赤穂義士をうんだ。
◆広島[市][ヒロシマ]天正17年(1589)年毛利氏が築城。江戸時代には福島氏、浅野氏の城下町として繁栄。明治4年(1871)年県庁が置かれ、1889年宇品港(広島港)の築港、第五師団司令部の設置で、軍事基地的性格を加えた。【ブリタニカ国際大百科事典から抜粋】
この浅野家(当初で42万6500石)は浅野長矩の赤穂浅野家(5万3500石)の本家ですね。
◆浅野 姓氏の一つ。清和源氏。頼光の子孫が美濃国土岐郡浅野に住んで氏とした。のち尾張に住み、長勝・長政は織田・豊臣氏に臣事。長晟(ながあきら)の代から安芸広島藩主。赤穂浅野家はその分家。◆浅野長矩 江戸中期の播州赤穂藩主。内匠頭(たくみのかみ)。元禄14年(1701)3月14日、勅使接待役を務めた際に、江戸城殿中で吉良義央(きらよしなか)[※なかよし(笑)]を傷つけ、即日切腹、城地を没収。(1667~1701)で、この数字…ま石高さておき。まさか戦前の広島市の人口公称42万6500人とか?。で、5万3500人が実際の人口とか。14年(1701)3月14日、1667~1701、たとえば16は91、6+7=13、なにかとうがちたくなる数字ですし。
福島の真実〈16〉〈17〉9月 21, 2018
朝顔ですか?庭のあちらこちらに。でですね、文責100%おれですよ。”空想譚”にリアリティを持たせるには、厳密な科学考証というものが非常に重要なのかもしれませんが。こうなると、こうなる、と。
ハリボテなおれの印象はさておいても、破壊された現実の建物(チェルノブイリ含)の構造はこの解説画と一致しますか?
山岡さん一家の電気の無駄遣い(日常的光景ですが)にも意味があるのでしょう(笑)。
まさにこの映像を、ついこないだ、NHKでみました。
Ⅲ:マイナス・ゼロ
でも、言葉は悪いですが、司馬さんも子母澤さんが使われた意味での"ホラ吹き"は嫌いじゃないと思います。
井上ひさしさんが「手鎖心中」で直木賞をとられたとき、選考委員だった司馬さんの選評は『(井上さんの)うそのあざやかさには目をみはるおもいがした』『これを書いた才腕の前には、たれもが叩頭せざるをえないのではないか』『いかにも上質の滑稽であった』ですし。
それに早逝された作家、広瀬正さんのSF小説が直木賞候補(1970)になったとき、委員の中で、司馬さんのみが熱心にその作品を推されたそうです。
司馬さんは、広瀬正さんの「マイナス・ゼロ」について。
『一読者として一番面白かったのは、広瀬正氏の「マイナス・ゼロ」であった。
SFには読み方が要る。頭から空想譚に騙される姿勢で読まねばならないが、それにしてもこの人の空想能力と空想構築の堅固さにおどろいた』
『「ツィス」には圧倒的な感銘をうけた。ごく平均的にいって、人間は五官によって生存を認識している。そのうち聴覚に、外部からほんの小さな変化を、持続的そしてひろく社会一般に加えるとすれば、人間はどうなるのであろうかという空想的な実験意識が、着想になっている』
『この空想上の実験によって、人間が、簡単に個のわくをこわして集団の大わくに入り、そのわくの中で似た反応を交換しあってやがては恐慌をおこすという結果を生む』
『このときSFは、重大なリアリティを持つのである』
広瀬正さんの「エロス」について。
『私は広瀬正氏の「エロス」を推した。深読みかもしれないが、愛というこの人間現象に奇怪な衝撃力をもつものを、作者は化学的物質としてそれを抽出し、合成し、それをこの小説に登場する数人の人間の過去に対し、実験的に添加した場合、「過去」がどのように化学変化をおこすかということをSF風に考えてみた文学であるように思える』
『(この作品は)三度目の候補作である。このあまりにも現実離れした遊びの世界は二作ともおおかたの共感を得ず、こんどもそうであった』
ん~でも、司馬さんは『SF』『現実離れした遊びの世界』を『遊戯としてわりきってしまえばじつにおもしろい』と書かれていますが、本当に『遊戯としてわりきって』いたのか、すこし疑問です。
ええ、かなうことなら一度、紅茶でも飲みながら、司馬さんから『東北にあるという、ヘブライの遺跡について』の話をお聞きしたかったです。
はたしてキリストは日本に来ていたのか!!
で、いきなり話を矮小化しますが、イエスさんご自身が日本に来ていたことはないかもしれませんが、アチラで異端として排斥され、唐で大流行したネストリウス派かどうかはしりませんが、人としてか文物としてかはたまた両方か、かどうかはしりませんが、キリスト的なものが○○麻呂な時代の日本に来ていても、別に不思議ではないと思います。
井筒さんは司馬さんとの対談で『古代ギリシアの思想を持ち込んでくると、実にはっきりと解明されるところが東洋思想には多々あるんです』『歴史的に影響があったかなかったかには全然関係なく、思想構造的に必然的な相互照明の問題なんです』とおっしゃられています。
でも司馬さんが『長安に入った空海は、当然なことですけれども、ネストリアンのキリスト教の教会は見たらしいですし、ゾロアスター教の火のお祭りも見たはずです。ですから当然、プラトン的なものが来ていないということは、いえませんですね』といわれると、『いえません。絶対いえないと思います』と。
ま、もちろん、「~とはいえない」といいだすと、もうなんでもありじゃないか、と僕も思いますが、キリスト的なもの、ヘブライ的なものが、○○麻呂な時代の日本に来ていても、別に不思議ではないと思います。
だって嘘のような真てのもあるかもしれないし。
Ⅳ:そういえば、つうかそもそも、厩戸皇子て方がいましたね
そうそう、いやいやありました。
司馬さんの、しかも広瀬正さんの「ツィス」の選評の中にありました。
『(陳舜臣さんと)はなしが中国の詩のことになったとき、氏がなにか出典を示して、男子の詩は志をのべるもので女子の詩は怨みをのべるものだ、という意味のことをいったような記憶がある』
『むろんこんにち、女子が志をのべてもよく、男子が怨みをのべてもいい』
『薪をたたき割ったような粗論だけに、小説にもそれが大きい場所であてはまるような気がする』
『怨みものべず志ものべず、どういう衝動に駆られてか、営々として小説を書くというのは、なにかをやたらに空費するという意味で一種の壮観であるにせよ、一面なんだかつまらないような感じがしないでもない』
『江戸期の日本人の持論で、志が高く涼やかであれば技巧の拙さはかえって覆われて逆に強さを出すことさえある、というのを読んだことがある。これも小説の分野にあてはまるかもしれない』
『広瀬正氏の「ツィス」という作品は、自分の空想をどれほど精緻に計数化しうるかということに挑んだ作品で、この作業そのものが志であり、さらには社会心理学的なリアリティもあって、変に魅かれるものがあった』
でした。
いやいや司馬さん、広瀬さんの作品に変に魅かれたのは、自分と同じものを、志といってもいいですが、それをその中にみたからではないのですか?と、僕がまた勝手にいっときます。
でもこの選評は『しかしこの種のものが受賞作になるには多少先例と筋合いがちがうし、なるにしてもあと数年かかるかもしれないと思った』としめられています。
この選評を司馬さんが書いて四十年。
『この種のもの』が受賞できる時代に現在はなったのでしょうかね?
ちなみにこの翌年に亡くなられた広瀬正さんの作品への選評は、司馬さんのエッセイ「不思議な世界を構築した天才」で読めます。
(注:僕は広瀬さんの作品自体は、たぶん赤羽の本屋で少し立ち読みをしたくらいです・2013/12/05) (8月 30, 2018)
バカの夢は醒める時だ。8月 31, 2018
そういえば海水浴場の左手の高台に発電所みえましたけど、あれは火力ですかね。
海水浴場はもとからあったの?
福島の真実〈18〉〈19〉11月 05, 2018
近場じゃなく、遠出をするなら最初はやっぱり福島ですね。
福島旅行記 8月 31, 2018
1.前口上から
2011年の7月後半、僕は一泊二日で福島の友達のとこへ遊びに行きました。
その後、8月2日から9月18日にかけて、そのときのことをツイッターに連載?しました。これはその時の会話を中心にまとめたものです。
しかし、これは基本的に僕の記憶をもとに書いていて、このとおりの会話をした、とはとても言えません。
また、そのような会話は確かにしていますが、その会話をした場所を変えるなどの"編集"を意図的におこなった部分もあります。(それらの改変はツイッターの制限文字数に落とし込むという意味もありました)
何より重要なことは、これは震災から4か月後です。
まだまだ混乱が収束していない、情報が錯綜していた時期です。当然、友達と二人で震災のことと共に、原発事故に関する話をしています。
しかし、もちろん、二人とも一般人、原発についての素人です。(もちろん、友達は原発の事故以来、福島市の住人として原発の事故と向き合い続けていたわけですが)
これらは、そんな時期の素人どうしの会話だ。それを念頭において読んでほしいです。(これはもともとツイッターに分載したものだ、も)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、その時期ははっきりしないんですが(2012年の夏頃だったと思います)、こういう文章を書きました。
「今、僕は福島の原発事故についてこう思う」
この考えは今も変わっていないので、時期は逆になるのですが、それをまず再掲?します。あと、今回、文章の変更、追加も少しおこなっています。そのまま、では決してありません。
僕は、原発は徐々になくなるほうにいくほうがいいな、と思っています。ただ、「福島は危険だ」とか、そんな馬鹿な、とも思います。
もちろん、この事故の影響に対して安心しすぎるのは危険だと思います。
なにより現実に危険な場所が、それこそ、これから長い間立ち入りがむずかしい場所が現実に存在する。
それは事実です。
しかし「福島は危険だ」とか、そんな馬鹿な。
なんとなく、僕のクセとして、〇〇は〇〇、みたいなのには違和感を感じます。
当然、〇〇は〇〇な現実も世の中にはあるのでしょう。
しかし今回の事故に関しては、「正確に怖がろう」という言葉がいちばんしっくりきます。怖がり所さえ間違えなければ、現実の福島は何の問題もなく暮らしていける環境だと思います。
「正確に怖がろう」
そのためにも、正確な情報の発信と受信がとても大切になるだろうと思います。
正確な情報を発信できる専門家の方の役割がとても大切になると思います。もちろん素人の僕には何が正確な情報か、自力で判断することはまず無理です。だから、専門家が出した正確な情報を、それが正確な情報であると判断できる専門家の役割もとても大切になる、そう思います。
しかし、これは結局、素人は個々人が「この人が正確な情報を出している」「この人が正確な情報を紹介している」と自分の直感で判断するしかない。そう言っているのと同じだ、と自分でも思います。
とどのつまり「この人の言うことを信用しよう」と、それぞれがそれぞれに思うことにすると。
「誰が正確なことを言っている?」
もちろん、これは専門的な知識がない素人にとっても、長い年月が答えを出して解決することなんでしょう。
しかし問題にすべきは今。
だから今は「この人の言うことを信用しよう」とそれぞれがそれぞれに思うことにする。
で、僕が信用することにした人の意見をきき、判断した結果。それが、"怖がり所さえまちがえなければ、現実の福島は何の問題もなく暮らしていける環境だと思います"です。
ただし、真逆の判断をする素人も多いでしょう。素人にとっては、この問題は感性の問題になるのかも(笑)。
まあ、それぞれの話を聞いていれば、もう事故から一年以上ですし、それを聞いていれば、だいたいわかりそうなもんだ、と僕は思います。
しかし、それも僕の感性かもしれません。
ただし、最近は僕と同じ感性の人の声がめだってきたかな?という気もします。めだつ、ではなく、ふえた、なら、感性の問題ではないですね(笑)。
とはいっても、一度事故がおこってしまうと、(たとえば)実際にはどれだけ安全だとしても、結局は周囲の大勢の人達が生活を壊され、多大な苦難に直面することになる。
これは絶対に避けられないでしょう。原発というものの宿命かもしれません。
だから僕は素人考えで、原発は徐々になくなるほうにいくほうがいいな、と、思っています。
その後、8月2日から9月18日にかけて、そのときのことをツイッターに連載?しました。
※そもそも、"とりあえず"、核兵器などこの世にない、と、言い出すようになるとは思ってもいませんでした(おもえば遠くにきたもんだ・笑)。20211205。
2.一日目 8月 31, 2018
「よ、久しぶり!」「お、ようこそ福島へ。あれ?俺が東京に住んでた頃以来だから五年ぶり?ま、車乗りなよ」「あれ、ビートルズ聴いてんの?」「うん、やっぱりなんか聴いちゃうね」「俺もちょうどビートルズ聴きながら来たんだよ」「そうなの?何聴いてたの?」「アルバムだとリボルバーとマジカル、あとはワイルマイギターとかドライブマイカーとかちょこちょこっと。あ、最近はグッドナイトが妙に好きでよく聴くね」
「ホワイトアルバムが好きなんだっけ?」
「いや別にそーいうわけでも、で、今かかってるのはサージェントと、これ青盤か?」「うん、このへん、つうか中期ビートルズがやっぱり一番好きだね。で、福島はどこ行きたいの?」
「んーやっぱり海のほうだな?遠いの?」「いや、そうでもないよ、山道だけど。ただその道、放射線量結構高いから。ホットスポットあるし。こう山ぞいに風が原発のほうから流れてきちゃうんだよ」
「やっぱり普段から放射能は気になる?」
「んーでもねー段々慣れるっつうか麻痺してきちゃうとこもあるんだよね、別に大丈夫じゃないかって。よくないんだろうけどね。でも神経質になりすぎても生活できないしさ。こんだけ放射能が漏れた。まあ、まだ止まってないけどさ、その影響なんて誰にもわかるわけないんだよね。だってこんな事故今までなかったんだから。結局、俺ら自身の体で今後あきらかにするしかないんだよね。つうわけで海目指すよ、ホットスポット通るけどいいんだよね?」
「いいよ、でもさ、海ってよく行くの?」
「震災前はね。仙台か海か、このへんだと休みに遊びに行く場所なんて限られるしさ。でも、それからは一度も行ってない」
「知り合いの人とか、みんな無事だった?」
「いや、よく飯を食べに行ってたお店の人が消息不明。全くわからず。お店も自宅も海のすぐそばだったし。新聞にさ、身元不明者の情報、服装とか、凄く細かくのってるんだ。毎日、目をこらして読んでたよ。でも、そんな人多かったよ、俺だけじゃなく。とにかく何かわかれば。でもね、あの日は寒かったんだけどね、着ていた服装とか、すごく細かく書いてあって、それを読むだけでかわいそうになるよ」
「あのさ、しつこいけどさ、俺はいいんだけど(カーナビ見つつ)海に行くにはここ通るしかないんだ。(計画的避難区域と同じレベルだったかな)ここは放射能の溜まり場になってて今でも結構線量高いんだよ。あのクルっと回った円なんてあんまり関係ないからね、高いとこは高いよ、マジでいいの?」
「いいよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「そういえばビートルズ再結成って話あるね」
「え!?そうなの!?最近うとくて・・・でもポールとリンゴだけでビートルズかぁ」
「じゃあ再結成しても観たくないか?」「むちゃ観たいよ」
「何だよ、あ、このへんだね、ホットスポットは」「ここ?」「うん」「全くわかんないね」「そりゃそうだよ、放射能目に見えないし。でもね、公表されてるホットスポットは数ヵ所だけどさ、実際は福島市内とかも含めてもっとあるよ、俺ん家とかね(笑)」
「何?やっぱりそれは自主的に調べてわかったの?」「ま、俺もそうだけどさ、自分の命が危険にさらされりゃ、そりゃ誰だって真剣に調べるでしょ」
「このあたりに住んでる人はみんな避難されてるの?」「のはずだよ、でもさ最近は避難した家を狙った空き巣がふえてるんだ。そうじゃなくてもさ、家とか土地とか財産全部を放射能に汚染されてさ、へたすりゃ全部駄目になっちゃうんだよ」
「除染とか・・・」「できればいいんだけどね」
「ん、ちょっと待って。空き巣ってさ、高濃度に汚染された盗品がどこかに流出してるかもってことか?」「物盗りは金になれば放射能は関係ないからね」「うーん大丈夫と思いたいね。そんなに空き巣増えてるの?」「ニュースになる程度にね」
「でも、やっぱり道路工事そこここでやってるね」
「道路はずいぶん綺麗になったよ。震災直後はどこも酷かったけど。で、このままいくと六号線てのにぶつかるんだ。右に曲がると原発に向かうんだけどさ、その六号線てのがラインなんだ。そこを挟んで向こうとこっちで津波の被害がまったく違って。もちろん場所にもよるんだけどさ、そこ越えたり・・・。このへんに友達が住んでるんだけど、六号線のすぐこちら側にパチンコ屋があって、もちろん最初は営業なんてできなかったけど、当然再開するじゃん、仕事なんだから。で、再開てなったらさ、そりゃ人来るでしょ。六号線を挟んで、開店前の店の前には行列ができててさ、こっちには普通の生活があって。なんか残酷だったって。誰がってわけじゃなく。そういう状況が」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
車の残骸などがあちらこちらに点在していましたが、瓦礫などはかなり片付けられていました。この町によく遊びに来ていたという友人は、車を走らせながら「自分が今どこを走っているのかわからない」と言いました。
「あのあたりにそのお店があった」
海まで何もありませんでした。松でしょうか?海沿いに何本かたっているのが遠望できました。ひしゃげた信号機を見て、少なくともあんな高さまで水が来たんだと思いました。
海水浴場に行くと海は穏やかでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「でもあれだね、このあたりはまだ道路通行止めって多いんだね」「え?ああ、あの看板?あれ違うよ、震災直後に道路を通行止めにして、そのままなんだよ」「え?そうなの?」「だって普通に車通ってるじゃん、看板よけながら」「あ、ほんとだ」
「雨降ってきたな。もう被災地はいいでしょ、車でウロウロするのはいい気分しないよ。とりあえず仙台に行くってことで」「遠いの?」「このまま六号線北上して四号線に入って二時間ぐらいだな?」
「仙台も地震の被害は」
「うん、俺は地震の時仙台市内にいたんだけど、もうわけわからなかったよ。本震だけじゃなくて余震もでかいのが次々とおこってさ。でも地震ですぐに仙台の街全体が停電になっちゃったけど、俺が停めてた駐車場のゲートが手動で開くとこでラッキーだったよ。それで身動き取れなくなった人も結構多かったからね。で、急いで福島帰ろうとしたんだけど、道路も被害うけてるし、大渋滞だし、でかい余震は続くし、家族に連絡しようとしても電話は通じないし、ホントに何が何やら、仙台空港に向かう道には凄い数の警官がいるしさ。とんでもないことになってる、てことはわかったけど」
「仙台は津波の被害も」「うん、すぐそこまで被害にあってるよ」「そういうのって」「わかんないよ、市内も地震直後は混乱しまくってたし、少なくとも俺はわからなかった」「じゃあ、もう本当にわけもわからないうちに津波に巻き込まれた人も沢山いたんだろうね」
「俺がね、福島に帰ろうと、この辺りに来たときはもう夜だったんだ。真っ暗。車のライトぐらいでさ。でも友達がまだ明るい時間にこの道を通ったんだ、そうしたらたくさんの人がね。俺は通るのが夜になってよかったかもしれない。ところで、お前生まれ長崎じゃなかったっけ?」「うん、長崎市じゃないけど」
「原爆」「うん」「差別とか、今もさ」「聞いたことある?昔のことは俺も知らないけど、今の話として」「ないけど」「ないよ。まったくない」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「今日は車降りると雨止んで乗ると降るな、逆じゃなくてよかった。でも仙台、地震直後の話聞いてたからもっと被害が残っていると思ってたよ」「この辺は中心地だからね、復興は早かったよ。それに日本の建物は基本地震には強かったんじゃない?」
「あれは?」「あれは七夕祭りの準備だね。駅ビルの地下にレストラン街あるからさ、何か食べようよ」
「ここでいい?」「いいよ。あ、ビートルズかかってる。しかも中期。誰もかれもがビートルズ。あれかね、その再結成てので皆思わず・・・な、わけないな(笑)」「うん、当然好きで聴いてるんじゃない?まあこれは店のBGMだけど」「そりゃそうだね。あ、そういえばツイッターでさ」「あれ?ツイッターやってんの?」「うん、んでさ、俺は基本フォローしてる人のツイートを読むくらいなんだけどさ、そこに、リツイートでだったか、"音楽に疲れたらビートルズを聴く"、てのがあってさ、我々は疲れているのだろうか?」「疲れているだろ」「そりゃそうだ(笑)」
「あ、お前YouTube消した?何か自作の曲アップしてるとか言ってたじゃん。ないぞ」「あれ移動したんだ。東京帰ったらアドレスメールするよ。ま、別に新しい曲アップしたわけでもないから無理して聴かんでもいいけど」
「で、アップして何か世間的に反応あったの?」「海外から小反響があったよ、ほぼスパムだけど。でも本当に気に入ってくれた人もいたみたい」
「でさ、帰りのことなんだけど・・・高速で帰ろうと思うんだけど、福島県民は被災証明書を提示すれば高速料金無料なんだ、だからみんな高速を利用して逆に渋滞してる可能性が」
「平日だし、時間的に大丈夫じゃない?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「スムーズに流れてんじゃん」「だね。でもね、この高速道路も地震で被害受けたんだけど、この道路が文字通り震災直後の福島の生命線だったんだ。この道を運ばれてくる物資で生きのびた、みたいな。もちろん今でもだけど」
「やっぱり電気とかライフラインは全部駄目だったの?」「場所によって違いはあると思うけど、俺んとこは復旧まで電気三日、水道一週間、ガソリン一ヶ月てとこだな?その日もやっとこさ家に帰り着いて、ロウソクの灯で生活するのはまだよくて、水がとにかく貴重で一週間手も洗えなかったのがきつかったね。とりあえずホテルに送ってくからさ、で、近くによくいく居酒屋があるからそこで飲もうよ。車は代行頼むから」
「そのへんだとやっぱりある程度線量高い?」
「基本的に水素爆発前の三十倍ぐらいだと思うけど、今、俺が頭で計算してみてだけど。もちろん溜まっちゃうとこはもっと高いと思うよ。だからさ、風通しがいい場所で放射線量計ってもあんま意味ない気するんだよ。もう地べたの風通しが悪そうな場所で計んないと。そういうとこが高いんだから」
「テレビとかで今日の放射線量とか細かくやるわけ?」「細かくはないね、かなり大まかだよ、細かくは町内会の回覧板とかでやるしかないみたい」
「で、自分で家の線量計ったんだ?」「うん、検査するやつ人に借りてね。あれ結構値段高いんだよ。で、45マイクロシーベルト」
「計り間違いじゃないの?」「だって数値で出るんだよ。体温計みたいなもんだよ。つうても本当に庭のごく一部、吹き溜まりみたいなとこがピンポイントで高くなっているんだけど。ま、そのピンポイントが庭に何カ所かあるんだけどさ。でもそれ以外は本当にそこまででもないんだよ。家の中は線量ガクッとさがって0.2マイクロシーベルト位。外は呼吸してるレベルでそれの約6倍ぐらい。まあ、あくまで俺の生活環境レベルの話だけどね」
「除染は?」「現実問題、自分らでやるのは厳しいよ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あ、彼、俺の昔からの友達で東京から来てくれたんですよ。一緒に相馬まで行ってきたんです」
「ボランティアで来られたんですか?」「いえ、遊びに・・・何か失礼な言い方ですけど」
「いいえ、よく見ていって下さいね。今着ているこのTシャツ(後ろに“がんばろう福島”だったかな?)もチャリティで買ったんですよ」
「このお店は地震大丈夫だったんですか?」「いえ、もう大変でしたよ。その時はとてもまた営業できるようになるとは思いませんでした。でもみんなが協力してくれて」
「助け合いですよね」「困った時はお互い様ですからね」「がんばりましょう。ほら、福島東北人はあったかいんだよ(笑)」
「おい、何食べる?」「牛タン食ってからたいして時間たってないが、あ、壁、ちょっとヒビ入ってる、つうても表面の塗装が剥げちゃってるだけか、シシャモある?」
「そういえばさ、俺、地震の時、仙台市内のビルの七階にいたんだけどさ、もうすごい揺れで、電気は切れるは、天井は落ちるわ、でも、ほら、少し前に結構でかい地震あったじゃん。俺、最初、あれの余震だと思ったんだよ。で、近くにいた人にそれを言うと、"まったく揺れが違います、駄目だ!"てその人叫んでさ。瞬間死を意識したよ。おばあさんが座って数珠だして祈りを始めるし。で、揺れも随分長かったけど、ようやくおさまって、外に出ると、ガラスは散乱してるわ、路上にうずくまって泣き叫ぶ人はいるわ、これは現実か?と。でも、思うんだけどさ、どの建物も中は結構ひどかったと思うんだ。でも建物自体はあの地震をはね返したからね。日本の今の耐震技術は凄いよ」
「仙台、街に活気あったね」
「うん、復興に向けてね。福島はさ、どうしても原発の問題があるから、先が見えないんだよ。俺はまだいいよ、仕事も問題ないし、逆に忙しくなったぐらいだし。でもほとんどの人はさ、先が見えないんだよ。とにかく原発の事故を何とかして欲しいよ。放射能漏れ続けて復興できるかよ。でも怖いのはこれからだよ。まだ心に残っている希望が完全に壊れた時が。自殺する人も増えてるんだ。生きるすべを全部奪われたら死ぬしかない。だから国とかさ、無責任にできもしないことだけは言って欲しくないよ。眉唾だと思っても、もうそこに希望を持つ、持たざる得ない人が沢山いるんだよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ありがとうございました」「がんばって下さい」
「な、もうちょい飲もうぜ」「いいけど、外あんまり人歩いてないね」
「田舎の平日の夜だぜ、こんなもんだろ」「そうだね」
「んじゃ、そこに飲み屋あるからさ、そこ行こうぜ」「ああ、いいよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「最後の焼きそばはいらなかったんじゃないか?」
「かもしれん」
「あのさ、たとえばさ、あの側溝のとことか放射線量高かったりするの?」「計ったわけじゃないからあれだけど、可能性はあるね。ああいうとこに溜まるからね」
「でもいいとこだね」「いいとこだよ。あ、このお店のお菓子凄くおいしいんだよ」「ほー何か有名なの?」「ここさ、俺が生まれた町なんだ。小学校入ったぐらいまでここにいた」「そうなんだ。あれ?あっちの空だけ異様に明るいね」「ああ原発のほうだね」「へーやっぱり昼夜たがわずの作業か?」「いや、さすがに違うだろ。別の光だよ」「でもさ、もしかしたらさ、微量の放射線は体にいいって話あるじゃん。何十年かしたら福島だけ異様に長寿になってるかもしれないよ。長生きしたけりゃ福島にいけ!って世界中の人が我も我もと福島を訪れる。福島大人気になってるかもしれないよ。て、俺も無責任なこと言ってるな」
「お前は国じゃないからいいだろ」「だな」
「しかし今日は早朝からひたすら移動し続けたから結構きてるな。明日はどうする?」「まあ何か考えとくよ。じゃあ俺は運転代行呼んで帰るから」
「おう、今日はありがとう」
※この友人の発言、数字とかやたら細かく、不自然かもしれませんが、本当にこういう計算がパッとできるやつです。おれはあとでメールで確認しましたけど。ちなみにおれのほうが少し年上なので、実際の口調はおれのほうがちょっと威張り気味かもしれません。そうでもないか(笑)?
もひとつちなみに、彼の従姉妹は、奥さん?楽天の三木谷さん(お金の管理にうるさいそうです。当然ですね。)のどうやら文字通りの参謀で、90年代中ごろ、「おれの従姉妹が友人たちと会社を立ち上げたので、そこでバイトをする」と。で、「とてもついていけん」と言ってましたがどうだろう(笑)。そうそう立ち上げ当初、おれを音楽家として売り込んでくれたんだ(笑)。おれの行動力の欠如。まだ楽天になる前の話です。で、仙台への車中、「三木谷さんは、もちろん東北全部を支援したいけど、残念だが私達の現在の力でそれは無理だ。だから宮城、仙台を中心とした地域の復興に全力を尽くす、と言ってる(友人同士の会話です)みたいだよ。」と(※スーツとか着てるので"どうしたの?"と聞くと"従姉妹に誘われたので今からヒルズに飯食いに行く"みたいなことはたまにありました、余計なお世話ですが・笑・20211205)。
500億円。「やっぱり有難いよ」と、同じ仙台への車中で、孫正義さんの寄付にも感謝していました。
この時、「また頑張って働けばいいや」と、孫さんが仰られていたのは、おれも、おぼえてます。
で、おれの友達は当然福島市民です。
20180831。
3.二日目 8月 31, 2018
さて、ラジオ。
高校野球福島予選準決勝。郡山の球場で、昨日の雨をうけての再試合と。
やっぱり昨日はかなり雨降ったんだ。
今日も局地的な大雨が予想されると。
ま、局地的つうてんだから、そこにぶちあたらないことを期待しよう。
んでは出かけますかね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まだ来てない、時間ちょっと早いな。
何週間かぶりの休みをわざわざとってもらって悪いんだけど。
しかし暑いね福島。
んーでも昨日のお店の人。
避難所や仮設住宅でこれから必要になる物資のことをかなり詳しく話してくれたけど、こっちから話をふらなかったらそんな話たぶん自分からはしなかっただろうな。
みんな個々で当たり前に自分が出来ることをやってるんだろうな。
あ、来た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「で、4時過ぎぐらいに郡山にいたいと」
「できればね」
「つうわけでだ、福島市の西にさ、磐梯吾妻スカイラインつう紅葉がきれいな、まあ夏もこれからだけど、そういう有料道路があるんだけど、今無料開放されてるんだ。そこ通って猪苗代湖に行って、ぐるっとまわって郡山に行けばちょうどいい時間になると思うんだ。」
「んじゃ、それで」
「でもさ、最初に原発の事故を知った時はどう思ったの?」
「それどころじゃなかったよ」
「ん?」
「だってさ、ライフラインが全部駄目で食べるものもないんだよ。今日明日を生きることで精一杯だったから原発の事故を気にする余裕なんてなかったよ。あくまで俺の場合は、だけどね。そーいえばさ、地震の時お前はどうだったの?東京も地震すごかったんでしょ?」
「ま、こっちと比べりゃとは思うけど、無茶苦茶怖かったよ。さすがにあんな揺れは体験したことなかったし。あ、そうだ、その直前なんだけどね、俺が住んでるアパート、外に共同の洗濯機とランドリーがあるのね。ちょうどその時洗濯しててさ、両手ふさがってめんどくさいから扉のロックをわざと出して、半開きじゃないけど引っ掛ける状態にしてたのね。足とかで開けられるように」
「そしたらいきなり何処からかドリルで穴開けてるような振動音がし始めてさ、最初どこで音が鳴っているのかわからなかったんだ。で、これ、この扉が鳴っているんだ、と、気づいたけど、もちろん何で鳴っているのかもわからなくて」
「で、しばらくするとその鳴りもおさまったからさ、不思議だなと思いつつも、まあいいかと扉をしめて、そしたらしばらくすると揺れがはじまってさ。まあそのうちおさまるだろうと思ったけど、おさまらないどころか、どんどん揺れがひどくなっちゃって、あわてて外に出たら、もう周りの建物があきらかに揺れてるし。コレハヤバイと声にだしていっちゃったよ」
「で、その夜が、川越街道も凄い渋滞。歩行者の列もとぎれない。レンタカー屋も長蛇の列でさ。後で聞いたら、20~30キロ歩いて帰ってきたってザラみたい」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あんまり車走ってないな、無料なのにな」
「まあ平日だし」
「でもここは観光地なんだよ。でだな、ここをもう少しいくと、つばくろ谷という、紅葉が非常に美しい、まあ夏もこれからだけど」
「それもあるんじゃない?」
「まあ観光シーズンではないけどさ・・・で、んな風光明媚な場所があるからさ、ちょっとそこに寄ろうよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「おお、すげー、つうか、こえー、この谷の深さってどれぐらい?百メートルぐらい?もっと?つうか、目測ってなにげにあんまりあてにならなくない?んー確かに紅葉の時に来たらさらによさそー、でもさーああいうとこにあんなデカイ橋架けるんだから凄いねー。ちょい橋から下の写真撮ってくるー」
「なに橋の上をあっちこっちとフラフラ徘徊してんだよ、あらぬ誤解を受けるんじゃないかと心配したじゃないか。まあ、物凄いへっぴり腰で手だけ伸ばして下の写真撮ってる姿見て、ああ、大丈夫だと思ったけどな。で、撮れたの?」
「うん、欄干がばっちし」
「でさ、この道ちょうどのぼりきったあたりに浄土平という、あ、ここらあたり熊でるから」
「え!熊出んの?」
「普通に出るよ。で、浄土平という場所があってだな、そこは火山性のガスが発生してるせいで樹木が生きていけないんだ」
「ほー」
「結構幻想的な風景だよ。そこにレストランあるからさ、そこで飯食おうよ」
「ホントだ、危険!火山性ガス発生!みたいな看板もたくさんあるし、風景一変、荒涼としてきたな」
「うん、ここで窓あけるとガスで危険だよ。で、もうちょいで着くから」
「何か見るトコあるの?」
「吾妻小富士つうて、富士山のミニチュアみたいな山に登れるよ」
「うん、ここで窓あけるとガスで危険だよ。で、もうちょいで着くから」
「何か見るトコあるの?」
「吾妻小富士つうて、富士山のミニチュアみたいな山に登れるよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「この駐車場も無料か、ホントにどこも無料なんだな。それなりに車はとまってる、ん、やっぱり福島ナンバーが多いか?つうても県外もちらほら、まあ、どこも割合的にはこんなもんか?でも、このスカイラインが現在無料とか県外の人に知られているのかね?」
「どうだろう、で、どうする?」
「とりあえず登ろうよ、あれでしょ」
「こうして見ると隕石でも落下したみたいだけど、これってもともとは火口?」
「だろ、よく知らないけど。あっちの山はまだ噴煙あげてるし」
「でも昔の人の浄土のイメージってこんなんなのか?浄土って極楽でしょ?ここはどちらかと言えば賽の河原のような」
「このあたりだけじゃないからさ。湿原があったり、五色沼って不思議な沼があったり、浄土平は自然ゆたかでね。あとはまあ、ここから見る紅葉がホントにきれい。まあまだ夏もこれからだけどだ(笑)」
「秋にもう一度来い、と」
「ところで何でそんなへっぴり腰で写真撮ってんの?もっと近づいて撮れば?」
「いや、落ちたら」
「大丈夫、落ちねえよ」
「いや、わからん」
「つうか落ちたってそのへんにひっかかるって」
「いや、ひっかからんかったらどうする」
「これふちにそってぐるっと一周できるけど、どうする?」
「いや、飯食おう」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「何でかしらんが、いつもここにくるとソースカツ丼食べちゃうんだよ」
「ほーじゃあ俺もそれにするか、でも今んとこ雨降らんでよかったね」
「何か降りそうではあるんだけどね、後はここ反対方向に下っていけば猪苗代に出るから」
「しかし昨日から考えると福島ってデカイね、九州なら何県突き抜けてるんだか、てな距離走ってるよ。まあ九州の上の方の話だけど。ところで猪苗代って、会津とかにも行けるの?」
「4時前後に郡山にいたいんでしょ?会津はちょっと遠いな」
「遠いかい?」
「うん、でもこないだ会津遊びに行ったんだけどさ、まあ閑散として閑古鳥鳴いてた。観光客いなかったよ。会津は放射能関係ないんだけどね。少なくとも関東とかとたいしてかわらないよ」
「放射線量の高低てさ、山とかも関係する?」
「んーどうだろう、関係ないことはないだろうけど、やっぱり風と雨じゃない?水素爆発の時に大気中にばらまかれた放射能が風で運ばれて、雨で地面に落ちて、低いところに水たまりとしてたまって、それを土が吸収してしまったってのがほとんどだと思うけど。じゃ、行くかい」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あ、猿」
「え、猿?」
「ほら、猿」
「ほんとだ猿」
「ん、あそこにも猿」
「あれ?あれも猿?うわ、猿。猿。猿。すげーいる。顔赤」
「え、でもなんで猿」
「猿だから猿だろ」
「いや、何でこんなところに猿?」
「だってここ熊でるんでしょ?猿がでてもおかしくは」
「熊はでるよ、でも猿がでるなんて聞いたことないよ」
「熊の方がでられても困ると思うけど」
「大丈夫だよ、よっぽど腹減ってないと人間なんて襲わないよ。しかし猿がこんなところにいるか?」
「あれじゃない?車の交通量が減って猿が進出してきたとか」
「いや、そもそもここ猿がいるには標高高すぎだろ。上に行くにしたがって餌少なくなるんだからさ」
「ほーなるほど」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「もう少し行けば猪苗代湖見えてくるから」
「あれ?今止まってたの石川県警のパトカーだったよ」
「ああ、応援で来てくれてるんだよ。震災直後はもっと多かったけど、今でも原発の避難区域の警備で県内の警察は人手不足なんだと思うよ」
「しかし、福島はどこに行っても田園風景だね」
「米どころだからね、みんな夜明け前から大切に育ててるんだ。お、ほら、目の前、あれ猪苗代湖だよ。で、会津はあの山の向こう」
「また山越えるのか、やっぱり福島はでかいな」
「ちょっと猪苗代湖畔を走るか?」
「ぐるっと一周とか」
「無理だよ、猪苗代湖でけえぞ」
「このへんヘビでるから、って、ヘビじゃねえか」
「うわマジだ、おいおい」
「あとマムシもでるから気をつけろ。でも水は温かいな、これ泳げるよ」
「うわマジだ、おいおい」
「あとマムシもでるから気をつけろ。でも水は温かいな、これ泳げるよ」
「何か遠浅な感じでよさげだね」
「いや、いきなりストンと深くなったりするんで、指定された場所以外で泳ぐのは結構危険だよ。あ、ヒグラシ鳴いてんな」
「これヒグラシって言うんだ?」
「うん、秋のセミなんだけど、このへんは涼しいからね」
「ふーん、東京はさ、7月も終わろうつうのにセミ鳴いてないんだよ、蚊もあんまりいない。しかし、いいとこだね、福島」
「いいとこだよ。でもね、やっぱり考えるよ、もう一度原発で爆発があったらどうしようって。俺は福島好きだからさ、ここで頑張る、放射能なんかに負けねえって、そう思うけどさ。でも、もし、また、あの水素爆発みたいなことがあったらさ、それでもそう言えるのか、やっぱり考えるよ。もちろんわかるよ、そのおかげで現在こんなに快適で豊かな生活ができてるって。それはわかる。」
「だから俺はさ、あの福島の原発を世界遺産に登録してほしいよ(笑)豊かで便利な生活を追求した結果、人間はこんなことをやらかしちゃいましたって、世界遺産に登録して永遠に後世に残してさ。だってこんなこと一度で十分すぎるだろ。そこは肝に銘じた上でさ、快適で豊かな生活を追求してほしいよ」
「さて、もうちょい時間あるな。ここに来る途中に野口英世記念館てのがあったじゃん、ちょいあそこによろうよ。それでいい時間だよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
え?これ野口英世の生家?移築とか再現とかでなくここがそうなの?
んで、あれが、あの有名な囲炉裏?
んで、あれが、あの有名な囲炉裏?
ほー、いやね、ま、そんなにね、野口英世のイメージてもともとないんだけどね。
もっと、なんつうかね、雪深い山奥の小さな家を想像してたんだけどね。
まさか猪苗代湖畔のこんな開放的な場所にあるなんてね。
もっと、なんつうかね、雪深い山奥の小さな家を想像してたんだけどね。
まさか猪苗代湖畔のこんな開放的な場所にあるなんてね。
まあ、もちろん、来た時の季節とか天候とか時代によってイメージなんて変わるもんなんだろうけどね。
しかし、ずいぶん明るい感じがするところじゃないか。
しかも思ったよりも家でかいし。
しかし、ずいぶん明るい感じがするところじゃないか。
しかも思ったよりも家でかいし。
ん、ここに書いてあるか?
この家屋はだいたい二百年前の江戸時代につくられた、ほー。
でも、これが、当時のこのあたりの農家の一般的な大きさ?
柱とか梁とか随分太いけど。
この家屋はだいたい二百年前の江戸時代につくられた、ほー。
でも、これが、当時のこのあたりの農家の一般的な大きさ?
柱とか梁とか随分太いけど。
「このくらいの大きさの家じゃないと冬の積雪にたえられないの?」
「どうだろう?でも、俺らが今越えてきた山の向こうの福島市とかはそうでもないけど、このあたりは確かに雪結構積もるよ」
「どうだろう?でも、俺らが今越えてきた山の向こうの福島市とかはそうでもないけど、このあたりは確かに雪結構積もるよ」
「え?福島の中だけでも気候ってそんなに違うの?」
「かなり違うよ、福島市なんてたいして雪つもんないよ。でもこのへんは豪雪地帯だと思う、だからこのへんの民家って雪が屋根の上に積もらないように三角形、すごい急勾配になってんだよ」
「そうなんだ」
「車で走ってれば普通に見れるよ」
「でも、この野口さん紹介のビデオ、随分と、これから、ってところで終わらない?」
「ここから成し遂げた業績は展示室で観てくれってことじゃない?」
で、野口英世さんの生家横の記念館展示室に設置されている、ボタンを押すと身振り手振りでいろいろなことを説明をしてくれる、妙にリアルでちょっと怖い野口英世ロボット。
「なあ、ここ押すと、野口さん何か毎回違う人生のアドバイスをしてくれるらしいぞ」
「マジですか。んでは早速ポチッとなと」
「ありがとうございました、肝に銘じます(笑)」
(内容はすっかり忘れました・笑)
「んで、どうする、そこでラーメンでも食う?」
「まだ入らんよ」
「んじゃ、郡山に向かうか?今から向かえばちょうど4時前後に着くよ」
「そうしよう、でも結局雨降らんでよかったね」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ここが郡山開成山公園。ここ野球場ある?」
「あるよ、何で?」
「いや、朝のラジオでここで甲子園の予選の準決勝がおこなわれてるって、まあ、もう試合終ってるだろうけど、でも二日間どうもありがとう」
「おう、気をつけて」
「またね」
わ、雨むちゃ降ってる。な、快速な帰り道でした。
追記:現在の(2013/11/06)記憶たよりで書くので、不正確さは増しますが、そういえば「この時、車のありがたさが本当によくわかった」と友達が言っていたのを思い出しました。
この日は寒く電気も止まっていたけど、車で暖がとれた。
またカーナビでテレビが見れたので、それで詳しい状況が理解できた。
津波のことは、それで初めてわかった。
そのような話だったと思います。
ラジオ、テレビなら車で早い段階で聴けた、見れた、と思いますが、そこらへんの僕の記憶はぼんやりです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、福島から東京にもどった後、「浄土平って結局なんじゃ?」と、図書館で本を借り、読み、書き、で、引き続きツイッターで書き続けました。
内容的には浄土平から泥縄に展開し、途中で終ってます。
内容的には浄土平から泥縄に展開し、途中で終ってます。