勝とう福島XXI。

 時間は一定方向だけに流れているわけではない

その証拠、とまで言っていいかわかりませんが、そのヒントが。


一度引用?させてもらっていますが『司馬遼太郎が考えたこと1平成十七年一月一日発行。

とりあえず、この本は存在するぞと()

ま、ミスリードの為の偽書はありえるんですけど、俺一人を狙って偽書を作りまくるという状況もそれはそれで凄いと言うか、それはそれで必ず何かおかしなことがこの世に存在する証明というか。

で、ですね、この中の一編。司馬さんが世に出るきっかけの一つとなった同人誌近代説話について書かれた昭和36年の「こんな雑誌やめてしまいたい」。

巻末のデータによると、初出は昭和三十六年四月三十日発行?の近代説話第七集の「編集後記」

こう‐き【後記】①後世の記録。②書籍などで、本文の後に記すこと。また、その記した文章。跋ばつ。あとがき。③その箇所より後の方に記すこと。「―の通り」⇔前記[広辞苑第六版より]

※昭和43年6月3日は兄の誕生日。

ここで、ちょっと別の文章に飛びます。

もともとはロッキンオンに掲載されたインタビューだと思うのですが、これは日本人アーティストのインタビュー集『ロッキンオンファイル(宮岡さんごめん、この本、もうない・笑)に掲載されたものです。(当時、ロッキンオン・ジャパンはまだ無かったと思います)

BOØWY解散は871224(東京ドームは8844日、5日ですけど)、で、昭和36年初出のデータが載っていたのは『司馬遼太郎が考えたことⅠ』487ページですが、それとともに…。

氷室京介さんの本名はテラニシオサム(寺西修?)さん。司馬さんの文章は“同人の寺内君という人は、本当は僧職の身であり・・・”そして同じファイルの布袋寅泰さんのインタビュー。


"BOØWY 『SYMPHONIC』Vo高橋まこと Gt松井恒松 Ba氷室狂介 Dr布袋寅泰 (1984年07月28日 渋谷La.mama)"

以前も書きましたが、右はしの方、渋谷さん、というか、ロッキンオンのみなさんでしょうか?

"1986.05.06 "JUST A HERO TOUR" 札幌市民会館 Ⅰ"

"1986.05.06 "JUST A HERO TOUR" 札幌市民会館 Ⅱ"

で。

"同人の清水君なのである。この人は、世評ではずいぶんと奇人で通っているそうだ"(昭和65年)


※近代説話は11号で休刊。

氷室さんの本名は"テラニシオサム"

布袋さんの身長は187センチぐらい?六尺だとちょっと足りないか?

で、この文章が書かれた昭和36年はおそらく布袋さんが生れた年。したがって当然、同人の寺内君とは作家の寺内大吉さん、清水君は作家の胡桃沢耕史さんのことです、あくまでも。が、同人の清水君なのである。この人は、世評ではずいぶんと奇人で通っているそうだが、私はそうだと思ったことがない静かで、いつも微笑していて、全体の印象には、もって六尺の孤を託(たく)すに足るような重さがある。いつの場合でも、意見をきいているばかりで、自分の我を通さない。寺内君と私とが、やめるやめぬの議論をしていても、かれはにこにこと布袋(ほてい)のような微笑をうかべて聴いているのみなのである。

"だからぶつかるとしたら俺とヒムロックだしさ、初めはすごいぶつかって、音楽的にも人間的にも、とりあえず、このバンドでこいつが一番嫌いだ、みたいな。目も合わせない時もあった"が、やめるやめぬの議論をしてるのは、氷室さんと布袋さんではない?

"デスペナルティ  あんたのバラード (1979)"

"デスペナルティ CHU RU LU (1979)【EAST WEST'79 Ver.】"

"CHU-RU-RU"

あのですね、結論は勝とう福島Ⅰに。
時間は一定方向だけに流れているわけではない(笑)。


"それだけならいい。このふしぎな人物には、卓絶した事務的な才能がひそんでいるのだ。議論は議論、実行は実行、と考えているらしく、気がついてみると、いつのまにか、また雑誌が出ているのである。わらうべきことであった。ふたりの口舌の徒の空論は、いつもかれの頭上を通過するのみで、かれは頭を垂れて黙々と編集をし、にこにこと印刷屋に出かけ、紙屋に払いをすませ、出来あがった雑誌を袋に入れ、いちいち上書きを書いて発送し、そのあと機械のような正確さで、経費のツケを口舌の徒たちに渡す。こういうふしぎな人物がいなければ、この雑誌はとっくに休刊になっていたように思われる"

"30 FUCK OFF~LONDON GAME (1983.04.30 新宿LOFT AFROCKABILLY)"

でですね、ちょうど80年代後半から90年代にかけるこの頃が、世の中の状況がひたすら悪くなっていく時期だったのだろう、だからあちらこちらに"十"を刻み付けるためのある種国家プロジェクトとしてBOØWYは存在していたみたいに思ったこともあったんです。託す。

が、"刻みつける"はあると思うんですけど、たとえば"裏に戦いが存在した"を念頭に[※禹・Uが実在した、でもいいです]置いて、TMネットワークのシングルを並べて聴いてみてください。でも、歌詞や曲も持ち寄ってそれはないですね。"いちいち上書きをして"。小説(説話でも)にもポピュラーミュージックにもある種の型(当然オリジナルの栄光はあるとおもいます)はある、当然それを使って、という意味合いだと思います。


"TM NETWORK - TIME MACHINE"

"TM NETWORK - Here, There & Everywhere (冬の神話) [仮歌詞]"

"小室哲哉 - Blizzard (非発売)"

"小室哲哉 - Resistance (also known as a song of TM NETWORK)"

"小室哲哉 - BE TOGETHER (also known as a song of TM NETWORK)"

"小室哲哉 - All-Right All-Night (also known as a song of TM NETWORK)"

"小室哲哉 - Children of the New Century (also known as a song of TM NETWORK)"

"小室哲哉 - KISS YOU (also known as a song of TM NETWORK)"

"小室哲哉 - Here, There & Everywhere (冬の神話) (also known as a song of TM NETWORK)"

"小室哲哉 - SELF CONTROL (also known as a song of TM NETWORK)"

"小室哲哉 - HARLIE GOOD BYE (a similar intro with 「COME ON EVERYBODY」)"

and

"01 CHILDREN OF THE NEW CENTURY"

"02 KISS YOU (More Rock)"

"03 BE TOGETHER"

"04 HUMAN SYSTEM"

"05 TELEPHONE LINE"

"06 LEPRECHAUN CHRISTMAS"

"07 FALLIN' ANGEL"

"08 RESISTANCE"

"09 COME BACK TO ASIA"

"10 DAWN VALLEY (Instrumental)"

"11 THIS NIGHT"

要するに。


"02 スリル"

コーラスは小室哲哉さん。

"05 Ghetto Blaster"

ラップはマークパンサーさん。

"10 ラスト シーン"

コーラスは今井美樹さんとKEIKOさん。

藤井フミヤ&チェッカーズかの香織ゴミ処刑。

で、もちろん。

"09 Captain Rock"

ジーザスジョーンズさんとの共作。

"01 Runaway ! Johney !!!"

"04 King & Queen"

ブライアンセッツァーさんとの共作。

と、いうか、アルバム『King & Queen』は共作アルバムでしょうか(笑)?


で、ま、異質なモンだと思うけど。



今現在、アメリカなど、世界中にあるカモしれんね。


で、"全体の印象には、もって六尺の孤を託(たく)すに足るような重さがある。"

六尺の孤の意味がそもそもわかってませんけど(そもそも昭和36年の文章ではありますが・)、"託"の字を電子辞書(新漢語林)で調べると。

◆託(常音・タク/字音・タク《()薬》)-()たのむ。たよる。また、たのみ。[請託]

【プラス】[世説新語、徳行]既以納其自託、寧可以急相棄邪。(既以[すで]に其の自託を納()る、寧ぞ急を以て相棄つべけんや。)すでに頼みを引き受けたのであれば、どうして危なくなったことを理由に捨て去ることなどできようか。ことづけるよせる()身を寄せる。寄寓する。ゆだねる()。まかせる。「付託」、かこつける[※流れはぴったり()]ことよせる。「仮託」「神託」

[解字]形声。言+()。音符の(タク)は、屋内などに身を寄せる人の象形。他の事実に寄せつけて言う、かこつの意味や、ゆだねるの意味を表す。

ことづける(ことづく) ゆだねる()ことよせる。とかにも国家プロジェクトな感じは漂いますけど、やはり…

既以納其自託、寧可以急相棄邪。すでに頼みを引き受けたのであれば、どうして危なくなったことを理由に捨て去ることなどできようか 

一番の核はこれだろうなと。そうそう、上書きに関しては逆に…例えば司馬遼太郎さんにはどうも司馬遼太郎名義でない小説が存在するようですが、布袋さん、だけじゃないですけど、御本人名義でない曲がどれくらいあるんだろう、という方に興味があります、日本国内だけでなく80年以降の、70年以降?のビートルズさんも多そうですけど()


"Free as a Bird"


で、言いはりだしたのは最近ですけど、俺が子供のころ80年以降我が家の裏に住まわれていた米軍基地の偉い人奥さんは日本の方"アベさん"ジョンレノンさんだった(一度、夕暮れの島地公園で遊んでいた時、家に帰ってこられたとこをお見かけしました)。そのころの誕生日、突然母にビートルズのアルバムHELP!』のレコードをプレゼントされましたが、あれは実はレノンさんからだったのだろうと。レノンさんは母方の親戚かも。だから俺なんとなく歌声似てるとか()








でですね、こんなソノシートもあります。

で。

ちなみに、その頃の家族写真です(父方の従姉のお姉さん、兄の友人も)


で、ぽつんと、いきなり結論を置かれてもあれかもしれませんけど、ま、これは全部ですが()。

その本が今ないので不正確になりますが、司馬さんの『愛蘭土紀行』の中でレノンさんがアイルランドについて歌った歌詞がとりあげられ、「この歌詞ではアイルランドの歴史的な不幸や悲劇についてかなり率直な悲しみの表現がなされている。辛辣な表現で知られるレノンも、自らのルーツであるアイルランドについてはその辛辣さを発揮することがためらわれたのかもしれない」みたいな文章があるんです。おそらく、これは、司馬さんがレノンさんご自身から直接お聞きになったこと、ではないかと。

当然、そうすることで、"イングランドの"悪辣さをより一層際立たせる、という、辛辣さ、あり得ますが(笑)、当然。

そして、その不幸や悲劇は、いわゆるイングランドによる、ではなく人食い





"街道をゆく プロローグ 時空の旅人 司馬遼太郎"

※政治・経済評論家の田中直毅さんとの対談です。



"街道をゆく 第12回 愛蘭土紀行"

and

"01 She Loves You (disk 2)"

"02 Till There Was You (disk 2)"

"03 Twist and Shout (disk 2)"

ワット‐タイラーの乱 1381人頭税賦課への不満を誘因として、イングランド南東部を中心に全国的規模で起こった農民反乱。ロンドンの民衆も合流し、農奴制の廃止地代の引上げ禁止を国王に約束させてほぼ鎮まったが、指導者ワット=タイラー(Wat Tyler1381)はさらに要求を続ける中で殺害された。[広辞苑第六版より引用]【英史】 Wat Tylers Rebellion; The Peasants Revolt.[新和英中辞典第5版より引用]

 当然、8180の次です。

John (Winston) Lennon (194080) [リーダーズ英和辞典第2版より引用1981

勝とう福島Ⅶ。


勝とう福島Ⅹ。12月 22, 2020

5月 03, 2019 started.

Tuesday, 21 May 2013

"Vote."

Kinjiro started his reform in this way.
He let the farmers themselves select good workers.
New farm tools、newly built house、etc、he provided these to the farmers selected like that.
Of course there was a difference in their content depending on their ranking.

・・・・・・・・・

Replacing debt.

Farmers with high interest rate debt.
Kinjiro provided low interest rate loans to them from the reform cost.

However、its interest rate was not constant.
Non interest bearing or low interest rates.
Long term or short term.
He made a repayment plan according to the circumstances of each farmer.

Territory of the Utsu family consisted of three villages(about 750 people at this time).
This way might had been possible because their territory was its scale.

"Farmers there is no debt should be preferential treatment."
And at the same time Kinjiro thought so.

At the start of reform、he paid the merchant 660 ryo of the farmers' debt.

14 people who had no debt at that time.
"Next fiscal year、I will duty free them." 
He has announced so.

Of course、they were able to get a low interest rate loan.
(However、there were restrictions on its intended use.)

・・・・・・・・・

"The wealth.
It has nothing to do with the person's situation.
 
Person with an income of $100 at month.
If he to live in $99 a month、at 1 year、he will have a $12 surplus.
If he to live in $101 a month、at 1 year、he will have a $12 deficit.

Its accumulation. 
It is the positive and negative wealth ."

This is a very simple way of thinking、but Kinjiro's thought was like this.



Wednesday, 22 May 2013

Kinjiro's diary

September 9 1822(the lunar calendar).
※And of course it is written in the era name of Japan.
Naturally、this would not be the solar calendar's September 9 1822.

According to Kinjiro's diary、probably the first vote was held this day.

・・・・・・・・・

"At Yokota village.
Total number of people、15 people. 

Youhachi・5 votes 1 hoe 
Syoujirou・3 votes 2 sickles
Chuuemon・2 votes 1 sickle
Tomizou's son・2 votes 1 sickle

At Yahee's group of Higashinuma village.
Total number of people、17 people. 
(Yahee is name of a village headman.
Probably、I think it depends on the village scale、but there were multiple village headman called ”Nanushi” in one village.)

Ichizaemon・4votes 1 hoe 
Takeshichi・3 votes 2 sickles
Sannosuke・2 votes 1 sickle
Yoshitarou・2 votes 1 sickle"

Voting was thus done for each district.
Therefore、it was not unlikely that they would be selected as good workers.

・・・・・・・・・

August 1(of intercalary month) 1824.
According to Kinjiro's diary.

Kinjiro's servant named "Enzou". 
He served Kinjiro for several years at that time.

"You have already repaid all your debts、you no longer need to serve others.
Will you be an independent farmer here?"
Kinjiro heard to him.
※I do not know now about the contents of his debt.

Enzo agreed it.
Kinjiro asked to Yahee of Higashinuma village nanushi and Enzo became a farmer at there.

In fact、Kinjiro was actively encouraging new settlers at the time.
One of the reasons was the labor shortage associated with the development of new paddy fields.

And this became one of the causes of the difficulty that prevented Kinjiro's reform.
























"シャーロック・ホームズの冒険 第28話 ボスコム渓谷の惨劇 (日本語吹き替え)"













"シャーロック・ホームズの冒険 第21話 四人の署名 前編 (日本語吹き替え)"



"シャーロック・ホームズの冒険 第21話 四人の署名 後編 (日本語吹き替え)"

で。


これは2002年初頭?雑誌SIGHTのジョージハリスンさん追悼特集1ページなんですが。


1966 タックスマン】「リボルバー」収録・イギリスの重税を皮肉った今作について、ジョージは「ようやく稼いだ金のほとんどを、税金で持ってかれていることに気づいて書いた」としている。稼げば稼ぐほど税金が重くなるイギリスの税金制度は、ローリング・ストーンズなど、ビートルズ以外のミュージシャンからも非難の的となっていた。音楽面では、初期の激しいギター・サウンドと、徐々に取り入れつつあった実験要素の強いサイケデリックが絡み合った一曲になっている。91にクラプトンと日本ツアーを行なった際には、「この歌は60年代、90年代、いつだって通じるものなんだ。いつの時代にも"タックスマン(税金取り)"はいるからね」と笑っていた。

で、この"タックスマン(税金取り)"、これも実はイギリス政府のことではない、と、放り投げ。

というかですね、真っ当に暮らしている人たちほど日常生活が脅かされる、という世の中は狂っとる。是正する。

で。

今まで記録されたビートブラザーズ含むビートルズ全てのドラムはリンゴスターさん。当然、ピートベストはゴミ処刑。(8月 31, 2019)

"12 Cry for a Shadow (disk 1)"

"04 Don't Bother Me"

"20 Taxman (disk 1)"

"11 Within You, Without You [Instrumental] (disk 2)"


"18 While My Guitar Gently Weeps"


OVA 機甲界ガリアン part 3 鉄の紋章 8月 04, 2018





大魔神逆襲を鑑み(笑)、ガリアンの原作は池田大作さん。
監督はボトムズ同様村上龍さん(ボトムズは原作とコミックボンボンで連載してた漫画、プラモデルパッケージも)。

ガリアンの音楽はビートルズさん。opedは作詞作曲唄もジョージさんだと、おれが。(8月 04, 2018)

当然、何かとゴミ処刑。

で、ガリアンのBGMはレコードでもってたけど、録音したカセットは現在駄目になり。

"Panzer World Galient Opening Theme (Full Length)"

"Panzer World Galient Ending(機甲界ガリアン ED 「星の一秒」)"

"Panzer World Galient Opening Theme (English Version)"

"Panzer World Galient Ending Theme (English Version)"

"機甲界ガリアン【OST】ジョジョとチュルル"

"機甲界ガリアン【OST】勇戦ガリアン"

このジャケット画も池田大作さん。




"大魔神"




"大魔神怒る"




"大魔神逆襲"



"映画 大魔神「特撮資料 (全3作)」 完全版"

で。

これはビートルズアンソロジー発売時、ロッキンオンにポールさん、リンゴさんと共に掲載されたジョージハリスンさんのインタビューですが。




で、この前段部でハリスンさんはレノンさんについて語られています。

"恐らく僕は特異なんだろうが、僕に言わせれば奴は死んではいないんだ。"



同じ時のリンゴさんのインタビュー。

"あの当時は、レコードを作っている時はいつも4人全員がスタジオにそろってたからね。"いつも"だよ。"

これも同じ時の小野洋子さんへのインタビュー。

"私がビートルズを破壊したことになってるでしょ()ポールにしてみれば、私がジョンのパートナーになっちゃったがために、パートナーをなくしちゃったって感じだし、本当はそうじゃないんですけどね()"

"01 Real Love"

"10 Happy Xmas (War Is Over)"

and



"NHKスペシャル 「ラブ・アンド・ピースは永遠に~レノンとヨーコ・その時代~」"

最初の3:28頃、日本語での「ちょっとやってみてよ」という甘えた男性の声とレノンさんの声は(笑)。


この映像が初出だったら、"政府"とはこういうものかもしれませんが、アアイウモノではない。

で、音の差し替え前だったんだろうけど、そのライブ映像のショボさに殺意をおぼえたボブディランはゴミ処刑。


vs 9月 05, 2018


THE SMITHS、THE STONE ROSES、BLURはゴミ処刑。



7月 19, 2019 イマンさんへのプロポーズですね。これは90年代初めにロッキンオンで読んだと思うのですが、"僕はもう高く飛ぶことはないけれど、君といるだけで笑顔でいられるんだ。僕は魔法を信じる。命のエンジェル。"という訳詩(ご本人による、とか・笑)を知ってる前提で、"The Wedding Song"を聴くと、正直、未だに泣きそうになることがあります。

Thursday, 15 August 2013

lore of kamui.

This is not a accurate information、please read lightly.
 
神.

神 is God.

Pronunciation of ”神” from ancient of Japan、it is "kami".(かみ)
By the way、"神" is the Chinese character of course.

"Shin".(しん)
And there is also such a pronunciation in "神" at Japan.

Perhaps there was "kami" first as a word representing gods.
(Of course、it would be different from the concept of God in the West.) 

And then Chinese characters came to Japan.
And probably、pronunciation of ”神” was ”Shin” as a word to describe the presence that transcends the human intellect originally.
Of course Japanese would read this Chinese characters as ”Shin”.

However、although I do not know its time clearly、Japanese began to read this Chinese characters also as "Kami".

Pronunciation of ancient Japan.
Pronunciation came from China.
These two were mixed in Japan.

Therefore、there are usually several ways to read the Chinese characters at Japan.
There is no clear rule there.

※Of course、there is usually a rule that this idiom reads like this.
※At least China style there is a case in which there is more than one pronunciation.
※It is "神々・kamigami" when we translate "gods" into Japanese.
This idiom is usually read as "kamigami" ancient Japanese-style(?).
"々" is a shorthand for repeated cases.
I do not know how long this "々" is used.
I also do not know whether it is written like this in China.※
※Of course、all the pronunciation I write is that of modern Japanese standard language.

・・・・・・・・・

Pronunciation of ancient Japan、I wrote so. 

Although "passed away" already、there "is" a novelist named Kimu Tarusu san. (金達寿さん)
He is a Koreans in Japan.
※I think his nationality was North Korea.

"Bear comes out to myth of Korea、this bear is also the incarnation of God.
And Pronunciation of bear is "komu" in Korea."
(Incidentally bear is "kuma" in Japan.) 

By the way、"komu" is a representation by the Japanese style.
Pronunciation of formal Korean may be different.
Because、although I write in memory reliance、but among languages in the world、Korean has the largest number of vowels(vowel of modern Japan is 5).
 

Pronunciation of ancient Japan、I wrote so. 

Although "passed away" already、there "is" a novelist named Kimu Tarusu san. (金達寿さん)
He is a Koreans in Japan.
※I think his nationality was North Korea.

"Bear comes out to myth of Korea、this bear is also the incarnation of God.
And Pronunciation of bear is "komu" in Korea."
(Incidentally bear is "kuma" in Japan.) 

By the way、"komu" is a representation by the Japanese style.
Pronunciation of formal Korean may be different.
Because、although I write in memory reliance、but among languages in the world、Korean has the largest number of vowels(vowel of modern Japan is 5).
 
However、maybe when Japanese people at that time would try to pronounce of "komu"、it would became "komu".←That's right (lol).←?(20201216・lol)

Although subtle differences would exist of course (wo、n).
Also by era.  

※Certainly、there were a few more Japanese vowels in the past (6~7?).



Friday, 16 August 2013

fellow

There are people called "Ainu" in Japan. (アイヌ)
Of course they are Japanese.

"Indigenous people of Japan."
The only difference with the other Japanese、it is that they are so called.

※I think they may be called that way、but this may be irresponsible writing.
And thinking from my ancestors、their blood may flow in me.※

When translate description "indigenous people" to Japanese、it become "senjū-minzoku". (先住民族)

Meaning of "minzoku" is "race" or "ethnic group". (民族)
In short、Ainu is associated to them.

But they are no different with most other Japanese、we're the same Mongoloid in racial.
However、 all Japanese is a Mongoloid、it is not the case of course.

For example、as a simple fact、Donald Keene san of one of representative person of Japanese literature research (include Japan).
In 1922、he was born in New York.
When World War II、he fought the Japanese as a U.S. Navy officer.
And 2012、he acquire Japanese nationality.
He is Japanese、but he is not a Mongoloid. 

Ainu is a Mongoloid、however、they seem to have one genetic feature.
They has many genetic common with northern Asians than other Japanese.
 
・・・・・・・・・

"Japan is the place of originated of the human race."

By the way、I've never heard this theory until now.
Even if I've heard this theory until now、it would be definitely wrong.
※It may by some possibility be so(lol).

Japanese ancestry、they came from somewhere absolutely.
And until around enters the 20th century、the movement of common people were not many at Japan.

Therefore、the genetic bias by introduction route of people to Japan、even as it is present to some extent、I feel a natural to it.
 
Incidentally "Ainu" is not an ethnic name in first place.
This is "fellow" by Ainu language.


















































































































































































で、おれの祖父母のアルバムに貼ってあったので。

最初カムイコタンと読めませんでしたけど(今風に書けば、神居古潭ノ影でしょうか)。

◆かむいこたん【神居古潭】(アイヌ語でカムイ(神)のコタン(集落)の意)北海道旭川市西部にある石狩川上流の峡谷。奇岩が続くアイヌ伝説の舞台。【広辞苑第六版より引用】



"街道をゆく 第10回 オホーツク街道"



"街道をゆく 第3回 北のまほろば"

一応、当時(二百年以上ですけど)の津軽藩の人口は現在わかりませんが、収穫の実高は30万石以上なんですね(笑)。

でですね、声なき声の会の小林トミさんが樺美智子さんで鶴見俊輔さんとご夫婦ですが。

おれは2010年ごろ陸上自衛隊練馬駐屯地のすぐ近くに住んでいましたが。




"NHKスペシャル 「その時、日本は」60年安保と岸信介 秘められた改憲構想"

岸信介さんはアイヌのご出身でしょうか?





"沈黙の艦隊 VOYAGE1"

監督主題歌作詞作曲唄かわぐちかいじさん、音楽アマデウスヴォルフガングモーツァルトさん。

で、ホワイトベースはドック入渠中ですけど。


"機動戦士ガンダム 第29話 「ジャブローに散る!」"






"Live at Loreley Festival、Germany on June 22 1996"

クイーン(バンド)はゴミ処刑。

"01 The Wedding"

"02 You've Been Around"

"03 I Feel Free"

"04 Black Tie White Noise"

"05 Jump They Say"

"06 Nite Flights"

"07 Pallas Athena"

"08 Miracle Goodnight"

"09 Don't Let Me Down & Down"

"10 Looking For Lester"

"11 I Know It's Gonna Happen Someday"

"12 The Wedding Song"




2月 10, 2019 lives

Monday, 18 March 2013

alliance

Aizu clan was exist at inland of 200 km north of Edo.
And the Pacific Ocean side of 100 km northeast of Aizu、there was Sendai (Date) clan.
 
Largest lord of Northeast area of Japan at that time、it was Sendai clan.
200 years they had friendly relations until then.

"Aizu is the enemy of the Imperial court.
Sendai clan must subdue Aizu."
This instruction came suddenly to them from new government.

Well、there was Yonezawa (Uesugi) clan at 50 km north of Aizu.
They all too had been in a friendly relationship for 200 years.
Yes、there was no problem between them.

Sendai consulted with Yonezawa.
Then they put out a petition like this to the new government.

"Aizu had been guarding the Imperial court until quite recently.
The Emperor also trusts Aizu very much.
We have heard like that.

But they became the enemy of the Imperial court suddenly.
We are hard to convince ourself about it.
Please reconsider for punishment against Aizu."

・・・・・・・・・

Sendai exist in the Pacific Ocean side、its opposite Japan Sea side、there was Shounai (Sakai) clan.
 
"Sho(u)nai is also enemy of the Imperial court.
You must also subdue Shonai."
This was its reply.

Before the battle of Toba Fushimi、Shonai had attacked to the Satsuma mansion of Edo by the provocation of Satsuma.
(This provocation was meant to make a chance to start a war.)

・・・・・・・・・

"The destruction of the old power、it is the best way for show the change of era.
But we missed Yoshinobu.
 
Enemies who are left for us、it are Aizu and Shonai.
We must absolutely destruction them.
(Let it be done by their friendly countries.)" 
Such intention had been expressed in explicit.

”Break the situation by petition.
That is impossible.”
They realized.
  
・・・・・・・・・

There is Shiraishi basin in the middle of Aizu and Sendai.
(Sendai vassal territory.)

Incidentally、northeast area of Japan、it called "Ōu".
Most lords in Ōu、they held a meeting in Shiraishi.

"After now、this meeting will become our decision-making body.
Conquest order against Aizu and Shonai as a Emperor’s enemy.
This is clearly unfair.
We want the withdrawal of this instruction."
They notified like that to the new government.

This alliance called "Ōu Reppan Dōmei".



Tuesday, 19 March 2013

incitement

There was a man in Yoshinobu's vassal named "Shibusawa Eiichirou".
He was originally farmers of Bushu. 
Bushu(Musashi no kuni) is almost the entire Kanto Plain、but it place is the current Saitama prefecture).

When Yoshinobu was in the Kan'eiji、he formed the Shōgitai for guard of Yoshinobu.

Therefore when Yoshinobu left to Mito、the mission of them was supposed to have ended.
But after this、it was became an unexpected situation.

Persons who had antipathy to the new government、they had gathering to Kan'eiji one after another.
 
Of course they joined the Shogitai、finally their number became close to two thousand.
※I do not know now the number of people at the beginning of formation.
 
・・・・・・・・・

When yoshinobu was still stay in Edo、he was curbing Tokugawa's anti-government activities.
But after Yoshinobu was gone、its suppression disappeared naturally.
 
"The current situation.
It all is a conspiracy of Satsuma and Choshu. 
They tricked the young Emperor.
As result Tokugawa became an enemy of the court.
If you're really person of loyalty、you must destroy Satsuma and Choshu for the Emperor."

Person who wrote a manifesto like that、it appeared in Kan'eiji monks. 
Moreover、it was written in the name of the royal family、who is the head of Kan'eiji Temple.

Raid against new government soldiers by the Shogitai、it began occurred frequently.
Deaths due to it、of course there was also in Satsuma samurai.

"Please give me a little time."
When full-scale measures began to be investigated within the new government、Katsu asked so to Saigō.
In response to this、while continuing to consider measures、Saigo treated these raids as a quarrel.

・・・・・・・・・

Katsu met this monk.
This monk had become a spiritual leader of the Shogitai at that time.

"There is no reason for the government overlooking this situation.
Kan'eiji would certainly be attacked.
Right now、you guys must stop the provocation against the government."
Katsu said so.

"Why you say stupid things like that?
Why Satsuma and Choshu does not attack us until now? 
Because they do not have ability for it in the first place.

And large alliance was established in Ōu.
Their counterattack will begin soon.
We put up a united front with them.
Satsuma and Choshu will be downfall soon by it."
He said so cheerfully.

・・・・・・・・・ 
  
"Katsu is a traitor.
Do not trust what he says."
After this、he said so to the Shogitai.












































































































































































































"東京物語 小津安二郎 [COLOR] Tokyo Story Ozu Yasujiro 1953 2017 Digital Restore ENGsub"

2021年だと68年前ですね(笑)。

でですね、"トンデモ系"の歴史で、この地域には核爆発によって破壊されたとしか考えられない遺跡がある、という話を読んだことがありますが(高熱でガラス化している土でしたか、広島長崎とかでは聞いたことありませんが)。

大国主命さんて、国譲りのあともけっこうのんびり暮らされていたのかもしれませんね(笑)。

でですね、メソポタミアの原風景でしょうか(笑)?



"NHKスペシャル 四大文明 第2集 それは一粒の麦から始まった ~メソポタミア~"





で、ですね1993531日初版発行のインタビュー集70’S、その最初の章はやはり。



で、その最初はインタビューではなく、ラジオ番組『ロストレノンテープス』開始に関する88年の記事

(Scott Isler from Musician/Orion Press)

彼は気に入った本があると3冊買ってたんだよ1冊は自分が読んで、1冊は保存用の引き出しに、もう1冊は友人に送る”。で、この記事のあとは、ポールさんの87年のインタビューが続きますが…。

“僕のガールフレンドがエフトゥシェンコの詩集を送ってきてくれてさ。なかなかいかしてた。”

それを大まじめにやるんだよ。僕らそんな風に人をからかってたんだよ。”え~ちなみにこのインタビュー初出はAnthony Decurtis1987 by Straight Arrow Publishers Incと謎の気を使い。

そういえば、これでいえば、3の2:40ごろからの映像は、佐世保の石岳動植物園では?とか。

4の16:11ごろのポールさんは怒れる十代(佐世保ジョーク)ですか?とか。

言いましたが。




"よみがえるビートルズ 完全版 THE BEATLES Reborn"

しつこく、ボブディランはゴミ処刑。

で。

流石、超一流は麻酔が効いてても無関係なのか超一流な麻酔は効力が切れるのが普通の2分の1以下なのかそもそも麻酔(変形特撮編集)などしてないのか、知らんが、て話。20201229。

さておき、あのですね、おれは、テレビアニメはZガンダムの途中くらいからそんなに観なくなりましたが、たとえば、セーラームーンて観たことない、で、要するに、映画館連日大盛況なんでしょ、会食ぐらいでガタガタいうなと(飲み会もできないのはひどい話ですよ・真っ当なみなさんに一応、注意風邪ひき寝こみ正月・笑)。20201229。


-2020、01、02、16:00 (時間基準はこのブログ、+2020、01、に準拠)。1月 02, 2020



私信です。
年賀状、手書きで何かひとこととグズグズしていたら、投函されていました。
何かと大変ですけど今年もよい年でありますように。
20201224。

 
"ミーム いろいろ夢の旅 第24話 「生きている山・火山 -1-」"

"ミーム いろいろ夢の旅 第25話 「生きている山・火山 -2-」"

OPEPは編曲含め辻希美のご両親三上寛さん辻典子さんご夫婦ですが、越路吹雪さんは道重さゆみ田中れいな亀井絵里のおばあちゃん。



"NHKスペシャル ブッダ 大いなる旅路 第3巻 仏像 誕生と流転 ~ガンダーラ・バーミヤン~ 1998年6月7日放送"







勝とう福島XV。3月 09, 2021

2月 26, 2019 みなさんこんにちは、群馬県の回し者、長崎県民の王子文明でございます。

Thursday, 28 March 2013

no way

"Everyone don't know the whereabouts of Imperial prince?"

"Yes."
Yamaoka answered to Katsu.
 
"Kan'eiji's main gate had been burning by shelling.
Imperial prince took refuge in the Negishi direction at this time.
 
House of village headman of Kamiogu. (5 km north of Kan'eiji)
We have know his trace until there.

But soldiers who escaped the Kan'eiji came together there one after another.
Of course mopping-up operation had begin already.

If this situation continues Imperial prince will be in danger.
Probably Imperial prince's entourage thought so.
 
Imperial prince stay tonight in this house.
After saying so、they were disappear from there."
Yamaoka explained. 

"I do not think the government does harm to Imperial prince. 
We have to find the whereabouts of him urgently. 
Everyone do not know his whereabouts.
It is very dangerous conversely in this situation."
 
"By the way、what happened to that monk?"

"Of course he also missing now.
However、he seems not together with the Imperial prince."
 
・・・・・・・・・

"Well、is dawn soon?
I must go to the headquarters of the government troops for their victory celebration.

The Shogitai had illegal occupation the Kan'eiji of Tokugawa family temple.
And the Shogitai were significantly worsen the security of Edo city.
Above all、Imperial prince had been confinement at there by them.

The government has eliminate them.
We should have to say thank you as Tokugawa clan."

"They had nothing to do with Tokugawa.
Do you say so?"
 
"Of course.
Because it is a fact."
Katsu replied.
  
・・・・・・・・・

"By the way、do you know Echigo was joined to the alliance of Ōu?"
Katsu asked Yamaoka. 

"Yes."
 
Echigo was the Sea of ​​Japan side of north of Edo (currently Niigata).
There were many lords in Echigo.
Most of them were joined to the alliance of Ōu.
As result、they had been realized large alliance as the east Japan.

"It seems that they are planning a massive counteroffensive strategy.
Rumor has it、there was a request to participate it to Enomoto."

"Do you think that he will accept it?"

"No way.
Now is a good time to wake up from the dream."

・・・・・・・・・

Countries of inside Japan (for example Echigo、Satsuma and Tosa).
It was established around the 8th century. 
Tokugawa did not want a large lord near Edo city as a matter of security of Tokugawa.
(Echigo area was a vast at inside Japan.)



Friday, 29 March 2013

Y

"Troops which are centered on Sendai clan.
At first、they advance to Shirakawa and will ensure Shirakawa Castle."

"In response to it、Aizu troops advance to Nikko.
Many soldiers who escaped from Edo city、they are gathered in Nikko now.
Aizu troops will join them.
Then they advance to Utsunomiya in cooperation with the troops of Shirakawa、make a bridgehead in there."

"At the same time、they will extend their forces to Kouzuke of the northern area of the Kanto Plain."
 
The new government knew the details of counteroffensive strategy by interrogation and seized letter.

・・・・・・・・・

Shirakawa is located 110 km south-southwest of Sendai and 40 km southeast of Aizu.
Nikko is located in the mountains of 70 km south of Aizu.
Utsunomiya is 20 km southeast of Nikko and 60 km south of Shirakawa.

The following is my impression.

Kanto Plain has a distorted shape ”Y”.
(The east "/"is twice as long than the west "\".) 
 
Shirakawa is present in top of "/".
Utsunomiya is present in the middle of "/".
Nikko is present in the middle of the mountains of "V". 
Kozuke is area of "\". 
Of course Edo city was present in the bottom of "|". 
 
There was Sendai on extended line of "/". 

The river is also flowing to Sendai along this extended line.
(A little northwest of Shirakawa is its headwaters.)
This river had been developed as a transportation route to considerably inland.

・・・・・・・・・

"North from Shirakawa is Emishi's country."
According to the lore、from around 5 century there was a barrier of Imperial court here.
Of course、that barrier already does not exist.

”North from Shirakawa is different world.”
However、such poetic sentiment had been left in this era as well.

"Shirakawa is the entrance of Ōu."
Therefore this feeling was shared not only there people.
 
・・・・・・・・・

There was a mausoleum of Tokugawa Ieyasu on Nikko.
So Nikko was a holy place of the Tokugawa.
And also Nikko was the key point of the mountain road. 
The roads crossed here.

And if I exaggerate the route at that time、Shirakawa is the center of ”Ⅹ”.
Distance of the mountains is the most narrow at Shirakawa.
Elongated corridor is extends from there to Sendai.

Main route at that time had been through there.
※Writing in simple、currently it intersects at Koriyama 30 km north.














































































































































勝とう福島XI。


"氷室京介 LAST GIGS ドキュメンタリー"

さて、長渕剛(ゴミ処刑)の噂通りのウザさっぷりはヒシヒシと伝わって来ましたが(それだけではないですが・笑)、以前言いましたが、野村克也渡辺謙張本勲見城徹沢口靖子加賀まりこ明石家さんま所謂ファミリー含めてゴミ処刑つうことで。

で、サクサクっと、コブクロ、志村けん(いかりや長介の人形のこめかみにもダーツを突き刺し処分した)、松井秀喜、当然"本物"、ゴミ処刑つうことで。

なぜなら処刑当然のゴミだから。

こいつらは非常にタチ悪いと人外魔境のみなさんが、異様に酷い処刑のされ方をするのでしょう。

「舘ワリィ!」つうと、何様だ、という話ですが、"大門"軍団、なんだよな。

でですね、ここで子供時代に新日プロレスを観に行ったおぼろげな思い出を話すと、メインが3✕3のタッグ戦。

当然、アントニオ猪木、そりゃ燃えましたよ、ヒーローだったんでね、で、ゴングが鳴り、一斉に全員がロープに走り、セイヤッとフォール、30秒かかりましたかね?

ま、テレビ用録画はされてはおりませんでしたが、俺様に無礼を働き、一期一会に失敗したつうことで(新日は2回くらい観に行ったとおもいますが)。

他の人たちが誰だったのかまったく覚えてないので、別の試合での「藤浪さんがんばって!」という女性の大きな声援は覚えてますが、何様だ、という話ですが、チーム藤浪、ということで。

"本名"書くと外れるか(笑)、ま、異様に酷い処刑のされ方をするのでしょう、アントニオ猪木ゴミ処刑。

万邦共同宣言(除人食)。成平和。

場外乱闘中のブッチャーさんの体に触ったのはいいおもいでです(笑)。

長嶋茂雄さんと一茂(ゴミ処刑)に血縁関係一切なし。8月 12, 2018
工藤公康さんは工藤公康さん。
城島健司(一族郎党ゴミ処刑)は城島健司(一族郎党ゴミ処刑)。
原辰徳さんは原辰徳さん。
ご近所でした、植村直己さんは植村直己さんだな。



"美味しんぼ 第37話 にんにくパワー"

"美味しんぼ 第49話 牛肉の力"

"長嶋茂雄×王貞治 対談"



"トライアルTV 真髄・打つ 王貞治"












"第67回全国高校野球選手権大会 甲子園球場 決勝戦 PL学園(大阪) 対 宇部商業(山口)"

※そういえば、路上などに、タバコの吸い殻、ビールの空き缶、カップラーメンの容器、スナック菓子の袋、など、ゴミを捨てていくのは何かの美学か?当然全員処刑な。

で、ついでにそういえば、もう7、8年前だけど、大体決まった時間にいつも通り散歩してると、ちょい目の前で、不法投棄だろうが、ゴミ置き場に、腐り切った人肉でも入ってんの?つうぐらい異様に臭いポリ袋だか、捨て逃げしていく奴いたな。

歩いてると、向こうからジャンバーのポケットに手つっこんで、まあ、当時、俺はそれほど、つうか、全く重要視されていなかっただろうけど、本物だか、指だか、拳銃の形に膨らませ、とか。

ま、こいつ何日で自殺するか、通行人か家族でも殺して自爆するか、合わせ技か、つうぐらいの興味だったんじゃない?前後関係は、こういうことありすぎて、覚えてないけど、車に轢かれそうになりまくったのと同じ時期だけどね。

だんだん俺の散歩コースにそれまで無かった"痴漢注意!"て看板が増えたり。これ、"住民"から"あの辺り痴漢・不審者が出ます"って警察に数件通報あったら、そりゃ、対処するでしょ。

家の跡地は"ここだったら駐車場が儲かる"そうだぞ。古い話だけどな。20210224※


"日本縦断 大阪"


"日本縦断 奈良"

※もひとつ、そういえば、DJポリス、一番悪目立ちしてはいけない業務で、此奴等は交通整理もまともに出来んのか?とっとと処分しろよ、と、以前俺言ったな。当然ゴミは処刑って意味な。20210224※

で。

"Dreamin' LAST GIGS ver. /1985'"

で。

"まことはツェッペリンを叩かせたらマジで凄い"、と、福島時代から一緒にバンドをやっていた(確か米軍基地とかでも)土海さん(Last Gigsの時、高橋さんに頼まれてご両親を車で福島まで迎えに行かれた方)は仰られていましたが、確実に、高橋さんの容姿の時期は要注意だとおもいます(笑)。

こちらのサインは2011年7月ごろ。

最近高橋さんのブログでお見かけしましたが、土海さんもお元気でしょうか?
「ほら芝山、今なら大丈夫だぞ」とビビってるおれに言っていただけなかったら、サインもらえなかったかも(笑)。

で。

1.おれは布袋さんになりたかった。
2.ギターを弾いてて楽しいのはheaven's blue。
3.dig the new breedというか、ピーター・バラカンさんのラジオでのbbcのが、凄く、特にall mod cons から david への流れがもう、です。
4.最初にビックリしたのは日本の映画(たしか獄門島)の主題歌だったlet it beです。

で、今現在のおれにわかるのは今井寿さんだけですが(高校生だそうです)、真ん中の方は星野英彦さん、左端の方の方(笑)はヤガミトールさん?とはおもいますが、よくわかりません。

で。

BOØWYとしてのカバーでしょうか。


"01 VOICE"

"02 あの頃僕らは"

"03 シーラカンスの丘"

"04 離れていても"

"05 あしたは日曜日"

"06 Do what you want"

"07 ILLOGIC"

"08 SUNSET"

"09 眠れない夜に"

"10 時の渚"

"11 あの頃僕らは (REPRISE)"

"IMAGE DOWN (カエルの歌 Ver.)"


"松井常松 C.C.Lemonホール 20071101"

SUPERSONIC GENERATION 2月 26, 2019

"01 SUPERSONIC GENERATION"

"02 FUCK THE FAKE STAR"

"03 THEY SPY YOU"

"04 BELIEVE ME, I'M A LIAR"

"05 MYSTERY Of LOVE"

"06 WE ALL ALONE"

"07 IMMIGRANT SONG"

"08 LOVE OR DIE"

"09 SPIDER IN THE SKY"

"10 DESTINY"

and







"SSG LIVE ROCK THE FUTURE"

and








"TONIGHT I'M YOURS"

キーボードのお二人は。

"Pet Shop Boys - Go West (Official Video)"

and

"01 TONIGHT I'M YOURS"

"02 スリル"

"03 CHANGE YOURSELF !"

"04 BEAT EMOTION"

"05 YOU"

"06 ラストシーン"

"07 さらば青春の光"

"08 サレンダー"

"09 命は燃やしつくすためのもの"

"10 CIRCUS"

"11 POISON"

"12 LONELY★WILD"

"13 バンビーナ"

"14 NOBODY IS PERFECT"

and

"01 サイバーシティーは眠らない"

"02 GET YOUR GUN"

"03 COOL CAT (Fetish-Mix)"

"04 TOGETHER"

"05 DAY BY DAY"

"06 七年目の幽霊"

"07 FUN FUN FUN (「STOLEN SONG」のテーマ)"

"08 SUGER BABY LOVE (Drive-Mix)"

"09 CRYING IN THE CHAPEL"

"10 SLASH ! CRASH ! FLASH !"

"11 SAVE ME"

"12 ESCAPE '99"

and

"DANCING WITH THE MOONLIGHT (12inch Version)"

and

"01 LEGEND OF FUTURE"

"02 C'MON EVERYBODY"

"03 GLORIOUS DAYS"

"04 MATERIALS"

"05 DANCING WITH THE MOONLIGHT"

"06 WIND BLOWS INSIDE OF EYES"

"07 WAITING FOR YOU"

"08 STRANGE VOICE"

"09 CLIMB"

"10 GUITARHYTHM"

"11 A DAY IN AUTUMN"

and



"GUITARHYTHM LIVE (1988.10.26 国立代々木競技場 第一体育館)"

and

"01 Deja-vu (in X'mas)"

"02 Deja-vu (in Paris)"

"03 Deja-vu (in sleepless night)"

and






"GUITARHYTHM REPRISE 1991.08.06 富士急ハイランド"

あのですね。

ステージ上に今井美樹さんも居られません(笑)?

でですね、以前、"スターマンのサビとオーバー・ザ・レインボウのサビは同じメロディだ"、と、レコードコレクターズで読み、"あ、言われてみれば"、と、おもったことがありますが(これ、ポップミュージックには厳しい話ですが・笑)、ボウイさんにお兄さんがいることは知ってましたけど、妹さんでしょうか?ご夫婦。


love stories 10月 13, 2018




















そうだね、”大好きな人と恋もしたいの”、みんなそう思ってたよね、わからんけど。




"海がきこえる"

"바다가 들린다 콘티 1993"

"Studio Ghibli - Ocean Waves 1993 Ending Theme (I can Hear the Sea)"

"바다가 들린다 (海がきこえる The Ocean Waves) OST -  If I Could Be the Sea (Piano cover)"

でですね。


大沢誉志幸と44マグナムはゴミ処刑。

"20 1994-LABEL OF COMPLEX (1986.08.04 新宿都有3号地'ロックステージ・イン・新宿')"

で、ここからの流れのここには、最初、ゴミのダウンタウン処刑の番組に布袋さんがゲストに出た時の映像があったんだけど、普通に見れるだろうと。

で。

「彼(氷室さん)はおれより一年…二年先輩」と布袋さんがわざと言い間違いを。

ま、BEAT EMOTIONの頃、ヒムロックの声がないと俺の思い描くものが描けない、みたいなこと仰られていましたが、学校辞めてついて行ったは本当ですね布袋さん(笑)。

つまり。





尾形春水は氷室京介さんと山下久美子さんの一人娘で、佐々木莉佳子は布袋寅泰さんと今井美樹さんの一人娘。

で。

"01 GUITARHYTHM REPRISE"

"02 BEAT EMOTION"

"03 PRISONER"

"04 SLOW MOTION"

"05 SPHINX"

"06 MERMAID'S DREAM"

"07 PARADISE"

"08 DEVIL'S SUGAR"

"09 DRIVIN' TO YOUR HEART TONIGHT"

"10 ANGEL WALTZ"

"11 YOU"

"12 GUITAR LOVES YOU"

and

"01 ROCK'N'ROSE"

"02 MAN+WOMAN IN LOVE"

"03 LIBIDO"

"04 FLY INTO YOUR DREAM"

"05 WONDERLAND"

"06 METROPOLIS"

"07 MERRY-GO-ROUND"

"08 TELEPHONE CALL"

"09 RADIO! RADIO! RADIO!"

"10 NOT FOR SALE"

"11 CITY LIGHTS"

"12 STARMAN"

and






"GUITARHYTHM ACTIVE TOUR 1991.10.21 日本武道館"

で、おれの二十歳の誕生日(笑)。

and



"布袋寅泰 LIVE IN LONDON"

and

"01 Welcome To The Jungle"

"02 It's So Easy"

"03 Nightrain"

"04 Out Ta Get Me"

"05 Mr. Brownstone"

"06 Paradise City"

"07 My Michelle"

"08 Think About You"

"09 Sweet Child O' Mine"

"10 You're Crazy"

"11 Anything Goes"

"12 Rocket Queen"

and





"GUITARHYTHM ACTIVE 1991.12.09 難波W'OHOL" 

マークボランはゴミ処刑済でブライアンフェリーはゴミ処刑。

and

"01 GUITARHYTHM REPRISE"

"02 BEAT EMOTION"

"03 PRISONER"

"04 PARADISE"

"05 DEVIL'S SUGAR"

"06 ANGEL WALTZ"

"07 LOVE THEME FROM 'BLADE RUNNER'"

"08 STARMAN"

"09 C'MON EVERYBODY"

"10 MERRY-GO-ROUND"

"11 DANCE CRAZE ~ Featuring 'BOLERO'"

"12 FLY INTO YOUR DREAM"

"13 GLORIOUS DAYS"

"14 RADIO! RADIO! RADIO!"

"15 GUITAR LOVES YOU"

"16 GUITARHYTHM"

and





"GUITARHYTHM active tour ’91~’92"

作品の導入部(A DAY IN AUTUMNのアウトロ)とツアーの導入部(LEGEND OF FUTURE)が無音ですが、おれ、30年前、LEGEND OF FUTUREにグヮオンとギターが重ねられた映像をみて感動した思い出がありますが、どうしたことでしょう(笑)。

and

"01 MILK BAR P.M.11:00"

"02 UPSIDE-DOWN"

"03 DIRTY STAR"

"04 さよならアンディ・ウォ-ホル"

"05 DIVING WITH MY CAR"

"06 PRECIOUS DEAL"

"07 EMERGENCY"

"08 ELECTRIC WARRIORS"

"09 GUILTY"

"10 I'M FREE"

"11 LONELY★WILD"

"12 WILD LOVE"

"13 MILK BAR A.M.3:00"

"14 GUITARHYTHM [MUSIC BOX]"

and

"デヴィッド・ボウイ 布袋寅泰 SPECIAL対談"

"デヴィッド・ボウイ 吉川晃司 対談(1994)"

and

"01 Kaleidoscope"

"02 Neptune"

"03 Dawn"

"04 Masquerade"

"05 Night Breeze"

"06 Chill"

"07 Tears Of Joy"

"08 Rebirth"

and


"GUITARHYTHM WILD TOUR 1993.03.15 神戸国際会館 前半部のみ"

and

"01 GUITARHYTHM WILD"

"02 UPSIDE-DOWN"

"03 DIRTY STAR"

"04 YOU"

"05 さよならアンディ・ウォーホル"

"06 PRECIOUS DEAL"

"07 EMERGENCY"

"08 C'MON EVERYBODY"

"09 MERRY-GO-ROUND"

"10 DIVING WITH MY CAR"

"11 WILD LOVE"

"12 LONELY★WILD"

"13 GUITARHYTHM [Piano Version]"

"14 SUGAR BABY LOVE (Bonus Tracks)"

"15 DANCING WITH THE MOONLIGHT [UK 7Inch Version] (Bonus Tracks)"

and





"布袋寅泰 Special"

イギーポップ細野晴臣高橋幸宏坂本龍一ゴミ処刑。
"YMO"というと松武秀樹さん渡辺香津美さん鮎川誠さんクリスモスデルさんピーターバラカンさんデビッドパーマーさんに悪いので。
で、スリラー以降のマイケルジャクソンズはゴミ処刑ですが、YMOはジャクソン5さんの変名バンド。

and

"01 Time Has Come"

"02 Serious?"

"03 Surrender"

"04 薔薇と雨"

"05 気まぐれ天使"

"06 Intermission"

"07 Siren"

"08 Outsider"

"09 さらば青春の光"

"10 Escape"

"11 Run Baby Run"

"12 Guitarhythm Forever"

and

"FLY INTO YOUR DREAM~INTERMISSION~SIREN~OUTSIDER 1994.08.20 名古屋市民会館"

"LONELY WILD~RUN BABY RUN 1994.08.20 名古屋市民会館"

and




"布袋寅泰 LIVE IN 武道館 ~GUITARHYHM CLIMAX`94~" 

"David Bowie featuring Tomoyasu Hotei - All The Young Dudes"

この日の武道館は本田くん(福島の友達)が観てます、おれは前日。

and

"The Rolling Stones featuring Tomoyasu Hotei - Respectable Tokyo Dome 14.03.06"


9月 04, 2019【情熱】はげしく燃えたつ感情。熱した感情。熱情。激情。(広辞苑第六版より引用)

Friday, 18 October 2013

corruption

From warring States period of Chinese BC until establishment of the Han Dynasty
It was a time that many great Thoughts flourished.

"Violence rules everything."
"Hundreds of thousands people are killed at one time."

And at the same time、this period was a time、a world where "the weak" are victims of "the strong".

"Acts for their own desires only.
It is not a human."

"The first place、what is a human?
And what should we do to make peaceful world?"

This period was a time that it was considered the most.

・・・・・・・・・

Long period that a world where "the weak" are victims of "the strong".
It was finally ended by establishment of the Han dynasty.
 
Era of the Han dynasty.

It was a peaceful era over the hundreds of years that people of China had.

200 years after the establishment、there was a usurpation of the Han dynasty's power by vassal.
As a result、the Han dynasty was interrupted once. (8AD-23AD)

But the Han dynasty was restored immediately.
(Although royal line was moved to the collateral line.)
 
And hundred years have passed further.
Long peace had been kept.
 
Envoy of the Roman empire visited the capital Chang'an in 166AD.
Buddhist scriptures to have been translated into Chinese.

Around this time、all things of the Han dynasty were overripe.
And corruption had begun.

・・・・・・・・・

The same year as envoy of Rome.

"First disasters of partisan prohibitions."
(党锢之禍)

The oppression that will be called that way later、it had occurred in Chang'an.



Saturday, 19 October 2013

turned himself

The imperial court group.
The inner palace group.

Broadly speaking、two factions were present in government of the Han dynasty at that time.

The imperial court group.

In short、this is the officials of the Han dynasty government.
They were  mainly made up of graduates of the University (太学・tai-gaku) of the Han dynasty.
(So to speak、a school that trains bureaucrats.)

※In the current Japanese language、its Chinese character "太学" is also written as "大学・dai-gaku" (I'm not sure about China and old Japan).
And in the current Japanese language、its Chinese character "大学" is usually used for "the University"、"the college".

The inner palace group.

In short、they were servants of the Imperial family of the Han dynasty.

Note:Man was not able to enter the inner palace.
Therefore、they were men who were castrated.
They wewe called "宦官(Kan-gan)"

・・・・・・・・・

The former was the official government of course.

However、the Emperors had absolute authority in the dynasty.
And inner palace group gradually strengthened their private influence on them.

They were able to talk with the Emperor at a place where officials can not enter.

And the Emperor's family(especially the emperor's wives and mothers.). 
In contact with them with the day-to-day.
Of course it was the latter. 
Private influence to them has also been enhanced.

A power relationship between the two had been reversed unawares.

"They're mere private servants of the Imperial family.
And yet、simply for that reason、they now own the government.
We can not tolerate this situation."

Finally、impeachment motion like that began in the imperial court group.
But this impeachment immediately failed by the counterattack of the inner palace group.

As result、many people were expelled from public office.
This was "the first disasters of partisan prohibitions".

・・・・・・・・・

However、in retrospect、everything seems to have been idyllic yet. 

"Be expelled from public office.
This is proof of the justice group."

In response to this incident、Changan citizen seems to said so.
In fact、they acted fairly and openly.

"I'm also a fellow of them.
You should banish me."

It seems that there also were people who were self-surrender so.



















































































































"美味しんぼ 第56話 飲茶 (ヤムチャ)"

"美味しんぼ 第63話 愛の納豆"

おれはいつもパックの納豆を美味しく食べていますが。

"美味しんぼ 第31話 鮎のふるさと"

しつこく、三國連太郎西田敏行一族郎党ゴミ処刑。

"美味しんぼ 第36話 スープと麺"

"美味しんぼ 第104話 二代目の腕"

で、wikiによると1942年公開の映画だそうですが、よくドイツの兵器の映像を、というのは、鹵獲品とか、可能な気がするので、さておき。




これも同じ文化圏とおもえば異とするに足りないですが。



これも1942年という時期を考慮すれば。



何かしらの茶化し、という捉え方もできますが。

で、あのですね、時期はまったく違いますが、ある意味(笑)。

と、いうことで(笑)。




アンネフランクさん(一番上のお写真は12歳だそうです)。

で、おれは以前。

勝とう福島Ⅴ。

エバ・ブラウンさんとアンネ・フランクさんて頭文字逆で一文字ずれない?8月 16, 2018

とか。

エバ・ブラウンというお名前の方は二人おられるとおもいます。ヒトラーさんの奥さんと娘さん。20200805。

6月 12, 2019 あのですね、フォン・ブラウンさんは。

など、言うたわけですが。


で。

ヘンリエッタ (マルゴット)・フランクさんがヒトラーさんとご夫婦で、ヒトラーさんのご両親 (どなたも、見比べたことないでしょ・笑)?とかも、言いましたが。

でですね、エバ・ブラウンさんとアンネ・フランクさんて頭文字逆で一文字ずれない?ですが。

日本語感覚で。

えばぶらうん。      あ"イ"う"エ"お。
いんぐりっどばーぐまん。 "バ"び"ブ"べぼ。

ふぉんぶらうん。     "ハ"ひ"フ"へほ。
はんふりーぼがーど。   ばび"ブ"べ"ボ"。

あかさたな、はまやらわ、をん。


エバブラウンさん。

イングリッドバーグマンさん14歳。








"カサブランカ(Casa Blanca,日本語字幕) "

"Charlie Parker - Jam Session (1952) {Full Album}"

"01 タイニーズ・テンポ"

"02 アイル・オールウェイズ・ラヴ・ユー・ジャスト・ザ・セイム"

"03 ロマンス・ウィズアウト・ファイナンス"

"04 レッド・クロス"

"05 グルーヴィン・ハイ"

"06 オール・ザ・シングス・ユー・アー"

"07 ディジー・アトモスフィアー"

"08 ソルト・ピーナッツ"

"09 ショウ・ナフ"

"10 ラヴァー・マン"

"11 ホット・ハウス"

"12 ウォーミン・アップ・ア・リフ"

"13 ビリーズ・バウンス"

"14 ナウズ・ザ・タイム"

"15 スライヴィング・フロム・ア・リフ"

"16 ミアンダリング"

"17 ココ"

"18 ドナ・リー"

"19 チェイシン・ザ・バード"

"20 シェリル"

"21 バジー"

"22 マイルストーンズ"

"23 リトル・ウィリー・リープス"

"24 ハーフ・ネルソン"

"25 シッピン・アット・ベルズ"

"26 バード・オブ・パラダイス"

"27 エンブレイサブル・ユー"

and

"01 アナザー・ヘア・ドゥ"

"02 ブルーバード"

"03 クラウンスタンス"

"04 バード・ゲッツ・ザ・ワーム"

"05 バルバドス"

"06 アー・リュー・チャ"

"07 コンステレイション"

"08 パーカーズ・ムード"

"09 パーハップス"

"10 マーマデューク"

"11 スティープルチェイス"

"12 メリー・ゴー・ラウンド"

"13 オーニソロジー"

"14 アウト・オブ・ノーホエア"

"15 ハウ・ハイ・ザ・ムーン"

"16 ビーバップ"

"17 スロー・ボート・トゥ・チャイナ"

"18 スクラップル・フロム・ジ・アップル"

"19 コンファメーション"

"20 チュニジアの夜"

"21 アンスロポロジー"

"22 ジャスト・フレンズ"

"23 エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー"

and

"01 That's My Home"

"02 Hobo, You Can't Ride This Train"

"03 I Hate to Leave You Now"

"04 You'll Wish You'd Never Been Born"

"05 Medley of Armstrong Hits - Part 1: I'll Be Glad When You're Dead, You Rascal You; When It's Sleepy Time Down South; Nobody's Sweetheart"

"06 Medley Of Armstrong Hits - Part 2: When You're Smiling; St. James Infirmary; Dinah"

"07 I've Got the World on a String"

"08 I Gotta Right to Sing the Blues"

"09 Hustlin' and Bustlin' for Baby"

"10 Sittin' in the Dark"

"11 High Society"

"12 He's a Son of the South"

"13 Some Sweet Day"

"14 Basin Street Blues"

"15 Honey, Do!"

"16 Snowball"

"17 Mahogany Hall Stomp"

"18 Swing, You Cats"

and

"01 Honey, Don't You Love Me Any More?"

"02 Mississippi Basin"

"03 Laughin' Louie"

"04 Tomorrow Night"

"05 Dusky Stevedore"

"06 There's a Cabin in the Pines"

"07 Mighty River"

"08 Sweet Sue, Just You"

"09 I Wonder Who"

"10 St. Louis Blues"

"11 Don't Play Me Cheap"

"12 That's My Home [Alternate Take]"

"13 Hobo, You Can't Ride This Train [Alternate Take]"

"14 I Hate to Leave You Now [Alternate Take]"

"15 You'll Wish You'd Never Been Born [Alternate Take]"

"16 Medley Of Armstrong Hits - Part 2 [Alternate Take] : When You're Smiling; St. James Infirmary; Dinah"

"17 Mississippi Basin [Alternate Take]"

"18 Laughin' Louie [Alternate Take]"

"19 Tomorrow Night [Alternate Take]"

"20 Standin' on the Corner [Blue Yodel No. 9]"

and

"01 Long, Long Journey"

"02 Snafu"

"03 Linger in My Arms a Little Longer, Baby"

"04 Whatta Ya Gonna Do?"

"05 No Variety Blues"

"06 Joseph 'n' His Brudders"

"07 Back o' Town Blues"

"08 I Want a Little Girl"

"09 Sugar"

"10 Blues for Yesterday"

"11 Blues in the South"

"12 Endie"

"13 The Blues Are Brewin'"

"14 Do You Know What It Means to Miss New Orleans?"

"15 Where the Blues Were Born in New Orleans"

"16 Mahogany Hall Stomp"

"17 I Wonder, I Wonder, I Wonder"

"18 I Believe"

"19 Why Doubt My Love?"

and

"01 It Takes Time"

"02 You Don't Learn That in School"

"03 Ain't Misbehavin'"

"04 Rockin' Chair"

"05 Back o' Town Blues"

"06 Pennies from Heaven"

"07 Save It, Pretty Mama"

"08 St. James Infirmary"

"09 Jack-Armstrong Blues"

"10 Rockin' Chair"

"11 Some Day You'll Be Sorry"

"12 Fifty-Fifty Blues"

"13 A Song Was Born"

"14 Please Stop Playin' Those Blues, Boy"

"15 Before Long"

"16 Lovely Weather We're Having"

"17 Rain, Rain"

"18 Never Saw a Better Day"

and

"01 Hello Dolly"

"02 Cabaret"

"03 Tiger Rag"

"04 When It's Sleepy Time Down South"

"05 Indiana"

"06 Muskrat Ramble"

"07 Mack The Knife"

"08 Blueberry Hill"

"09 St.James Infirmary"

"10 A Kiss To Build A Dream On"

"11 When The Saints Go Marchin'In"

"12 Jeepers Creepers"

"13 On The Sunny Side Of The Street"

"14 Ain't Misbehavin'"

"15 Panama Rag"

"16 Black And Blue"

"17 Dear Old Southland"

"18 Basin Street Blues"

"19 Lazy River"

"20 Struttin' With Some Barbecue"

and

"John Coltrane Blue Train (Music Matters) MONO 2014"

and

"The John Coltrane Quartet ‎– Africa  Brass (19612019)"

and

"01 Like Someone in Love"

"02 I Love You"

"03 Trane's Slo Blues"

"04 Lush Life"

"05 I Hear a Rhapsody"

and

"Miles Davis with John Coltrane- March 21, 1960 Olympia Theatre, Paris"

and

"Miles Davis - Sketches of Spain (1960) (Full Album)"


MILES DAVIS Super Best 1月 08, 2020

"01 マイ・ファニー・ヴァレンタイン"

"02 イフ・アイ・ワー・ア・ベル"

"03 バグス・グルーヴ"

"04 「死刑台のエレベーター」のテーマ"

"05 ウォーキン"

"06 ラウンド・ミッドナイト"

"07 オレオ"

"08 ディグ"

"09 イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド"

で。



"香港大観光旅行"

あのですね。

この方、香港観光協会の?ガイドの方と山田真貴子内閣広報官さんの声紋チェックなんて(笑)。

で、なにげに、ジャッキーチェンさんも(笑)。

でですね。



陳副主席さんと周恩来さんの声紋が一致するなら、周大人と毛沢東さんも(笑)。

で。

ドリカム(バンド)ウンナン(お笑い芸人)中山雅史小野伸二北澤豪(禁句カス)風間トオル(科捜研の女出演 at wiki)、一族郎党ゴミ処刑。

そうそう、データによると、劇場版 キャプテン翼 「最強の敵!オランダユース」の公開は1994年11月6日。


そういえば、中国の”史実の”新王朝の最末期。9月 25, 2018

反乱軍が迫る首都の長安(たしか)で、天への哭き声コンテストが開かれたと。
上手く哭けた人には官位も含め褒賞の大盤振舞だったと。

どんだけ押しても俺のお言葉がないのは”死ね”ってことだよ。

ゴミは処刑ってことで。





















































































































"シャーロック・ホームズの冒険 スペシャル 第30話 犯人は二人"

そういえば、性同一性障害とか、悩んでんのなら、皆殺にしてやるのが人情、とか、以前俺言いましたが。

で、例えそれがナンバーズでも、鬱陶しいもんは鬱陶しいと思いますが。

"仮面ライダー 第83話 「怪人イノカブトン 発狂ガスでライダーを倒せ」

"仮面ライダー 第84話 「危しライダー!イソギンジャガーの地獄罠」"

この回の監督は石森章太郎さんですが、監督補は長石多可男さん。



真希はご夫婦の一人娘。


コイツラ殺せ。12月 14, 2018

コイツラのシリコン鼻マジでムカつく。

男はわかるな。
女は本名池浦ゆりえ。24歳。9月4日生れ。A型。08078655430。au。
東京都板橋区西台5−7−4。
大腸と胃に1.5センチの癌。
エイズと、BSE、のような、致死ウイルスは、こいつら全員標準装備(人喰い以外には無関係)。

オマエらが公衆便所感を汚く臭く匂わせまくるのは事実だからかまわんが、死刑相当。

でさ、現実問題、忌野清志郎とか立川談志とか死んだゴミはとっ捕まえてどんな嬲り殺ししても自由。とっとと殺れよ。

あとついでにさ、国際派弁護士だの噺家だの、帯の番組持って、夜のランジェリーパブとか以外でいつ本業やってんの?あ、別にきいてないぞ、お仲間一同処刑ってことだ。

Aside from that、"Sawayaka Gorou"、Family register name of forgery "Yoshimoto Hiroshi 吉本浩".〒453-0016 愛知県名古屋市中村区竹橋町11−15 👈I clicked here when I clicked on the Google map suitably lazily. Naturally they are garbage (Execution). ※It ends as soon(lol). 👈無くなり次第終了(笑)。


で、ゴミ処刑は当然で。

本人がいるのに露骨な整形痕顔を晒すつうのもアホ(処刑)だけど、で、春水に教えてもらったんだけど、画像数値で輪郭修正できると(教えてもらったのはアプリの話な)。これ(笑)。
で、隣の同じくゴミ処刑女、茉穂のパーツのマネだろ?つうても茉穂もナンバーズ何人かいるけど。
要するに、修正痕と同一と差異、雰囲気じゃなく数値の問題な、以下同文に充分だろ。
ゴミはまとめて殺処分。

IQ80エタヒニンドモはやること怖いねぇ、おのれガッチャマン、は、一度その事実があれば充分なんだけどね普通。

おれの妻には確認済み。令和元年七月四日以後の"ハロプロ"全員ゴミ処刑。皆殺。

俺と妻はバカが嫌い。令和元年七月十二日以後のお笑い芸人全員ゴミ処刑。皆殺。お笑いごときついでで十分。で、今後、職業ジャンルとしての政治家が必要なのか、俺は疑問を持ちますね。ま、疑問があるなら自分で解決したほうがいいんでしょうが。 はいはい(笑)。あのですね、今もそうなんだろうけど、今後はもっとシンプル明瞭に、ン十億人単位の実質直接民主制になるだろうなと。それを可能にする条件が整う。俺は造物主だが独裁者ではない。したがってこの世界に"独裁者"は存在できない。俺がありつづけることが民主主義の永遠を担保する。これはもうすぐ終わるけどね(笑)。

で、わかるように、俺は"ハロプロ"なんて全員エイズの公衆便所なゴミとは、何かとセットで全員処刑、以外に今までもこれからも何の関係もない。迷惑。

美女学て番組は、全て、おれの妻とは一切無関係な"コント"だって。20201103

松浦バカで〜す。9月 24, 2018


で。

コイツラの無修正、整形前とかも、むちゃくちゃあるけど。取り放題。8月 13, 2018

最近値崩れひどいそうで。つうても俺のせいでもないよな。
小池百合子なんて、オマエのスカトロショーはうんざりだ、と、オマエラにも言われてるじゃん。

※所で、菅ナンチャラ首相ゴミ処刑と前田敦子ゴミ処刑はまだ分るが、加藤ナンチャラ官房長官ゴミ処刑と笑福亭鶴瓶ゴミ処刑の顔面数値一致はどう納得させた(笑)?「ついでにどうですか?」らしいけどさ(笑)。20210308。

仕事は自分らでやれっつうことですよ。8月 13, 2018

エスカレーションを表現してみました、と、後付を。死ね。
でも、確かに、まとめ売り、つうのは、安物人造慰安婦売り出すにはいい方法だね(当然もれなくゴミ処刑)。

You are already dead. 10月 16, 2018




弟夫婦のガキって兄ちゃんの子供だ。逆もまた、or、赤の他人(笑)。"英国王室"NO話しな。


直すから、悪いとこ言って。9月 01, 2018

存在。

そういえば。8月 23, 2018
一分KOだっけ。あれ撮影10時間かかったそうじゃないの。全部バレてるぞ(ゴミ処刑)。管理がしっかりしていないわけじゃなく、最初から何一つ管理されてないんだよ。

管理社会の恐怖。









実は全国のヤクザ組織の組長さん総結集とおれがいってますが(盃)。

山口組田岡組長のお孫さんで竹中組長のお子さんの田岡は、おれの大学時代の友達、つうのもあるけど、総山口組からも賛同を頂いてる(盃)。

◆やくさ‐の‐かばね【八色姓】
天武天皇が684年に整理再編した8種の姓。すなわち真人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿祢(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなぎ)。この年から翌年にかけて実際に与えられたのは上位四姓で、序列は各氏祖先の皇室に対する親疎によっている。八姓(はっせい)。

→◆や‐くさ【八種・八色】
8種類。また、多くの種類。垂仁紀「貢献る物は…并せて―あり」
【広辞苑第六版より引用】

で。


ドゴールさんの後方の絵画、ドイツあたりのヨーロッパの地図っぽいですけど、デューラーさんの版画では?とか。


第一次大戦時のゲーリングさんでは?とか。

パリ入城時のドイツ軍の皆さん凱旋門をよけて通ってる、とか。


建築家でもあったヒトラーさん、こっそり訪れたかもしれないけど、これ見よがしに凱旋門を見学する映像は存在しないのでは?とか。

先に会見場所に来ていたドイツの皆さん、この時ヒトラーさんが何も言わなかったのは、敗者という役割を演じなければならない最強の陸軍国フランスの立場を慮ったためでは、とか。

いろいろ書きましたが、現在に至るドイツや世界の将来に思いをはせられたためでは、とか、一旦話を切り。


これエッフェル塔の塔頂?ありつつ。


この映像中に人型として映ってる連中は全員ゴミ処刑済ですが。

ライトも狙った盗撮だそうだ、ま、オマエ等にプライバシーなど元々無いからな(笑)。



似非政治家芸能人著名人増毛変形含め誰が映ってるか知らんが(分りやすく映ってるでしょ)、当然、全員ゴミ処刑。

所で、菅義偉ゴミ処刑と前田敦子ゴミ処刑って顔似てない?数値ピッタリの悪意な相似点じゃないの(笑)?

所で、すでに遅いんだろうけど、くんずほぐれつ熱い吐息を二十数分間、柔道ってマスクしないでいいの(笑)?

ついでに、これは疑問で、日曜最多って、ウイルス潜伏期間が全て律儀に一週間てこと?

で、話を切り。


こういうことでしょうね。


IQ80。6月 19, 2020










現在の日本は恥知らズにも程があるね、ゴミは纏めて殺処分。

高橋英樹さんの一人娘は姜尚中さんとご夫婦の中條誠子さん。


今日朝散歩しててなんでか思い出したんだけど。9月 25, 2018

あのね、司馬さんの坂の上の雲、の旅順要塞攻略戦。

の、司馬さんの小説では、この人の登場で劇的に戦況が変わるんだけど、児玉源太郎さん。
ま、そもそもですが(笑)。

が、ベトン?コンクリートで厚く覆った、マシンガン、という言い方かな?、銃砲の配置、何か言い方ありましたよね?も完璧なロシア軍の近代要塞に、日本軍はとにかく生身での突撃を繰り返し、「兵士が出征の時、行き先が旅順とわかると途端に暗くなる」と言われていた頃の旅順、の、第六軍?何軍でしたか?の本営に督戦に来た時の話。

児玉さんは参謀部長?大山巖さんのすぐ下という階級でしたか?たしか自ら階級を下げたんですよね、その役職につくために。

※このあと佐々淳行さんの『東大落城』を読んでいたら、児玉さんのことが会話として出てきて、『秦野章警視総監は、こういう。「年次もヘッタクレもあるか。こういう時は適材適所、総力あげてやるんだ。佐々君、児玉源太郎をみてみろ。日露戦争のとき、陸軍大将なのに少将職の参謀次長、買ってでてるだろう。あの精神でやれや。こういうのを”降格抜擢”ってんだ」』20180926。

が、満州軍(※旅順方面軍の、ですね。同上)の参謀の方たちと。

「なんでこんな砲声も聞こえないような後方に本営があるんだ」「その時々の戦況に判断が左右されないためです」「バカヤロウ、おい、お前、今すぐ前線に行き戦況を報告しろ。さっさと行け」

「ところで、お台場の20ンセンチ?インチ?の大砲(榴砲?)と海軍の戦艦の砲塔を要塞攻略の為、旅順攻略軍に回してもらうことになっていたはずだがどうした?」「そんなもの必要ありません」「あ」「そんな砲弾では敵要塞のベトンは撃ち抜けません」「あ、我が陸軍所有の砲弾では撃ち抜けないから海軍に頼んだのではないか。それらの砲弾なら確実に撃ち抜けるということは専門家の判断ではっきりしている」「こんなことで海軍に頭をさげるのは陸軍の恥辱です。それに海軍が協力するとも思えません」「あ、そもそも当初の計画になかった旅順要塞を攻略することになったのは、海軍が要塞に守られた湾内から出てこないロシア極東艦隊を陸上から攻撃してほしいと頭をさげてきたからではないか。彼らもバルチック艦隊が現れる前に何とかしたいと思っているのだ。協力しないわけはないし、その協力を同じ日本軍として快く受けるのは当然ではないか。それが陸軍の恥辱になるわけはないだろう」

「動かせません」「あ」「お台場の砲は巨大すぎて移動は無理です」「すでに到着している、あとは設置だけだ、との報告を受けているが。海軍の砲塔も同様だ」「設置できません」「あ」「お台場の砲は巨大すぎて固定できないのです」「あ、コンクリートで固めれば大丈夫との報告をお前は読まなかったのか」

「威力が強すぎます」「あ」「それらの砲弾は威力が強すぎるため、我が兵士にも砲撃の被害が及ぶかもしれません。そのような危険な砲を使うわけにはいきません」
と、ここで、児玉源太郎さん、目の前の参謀の徽章を手でもぎ取り、涙を流し。

「人殺し共が」

「おい、テメエら、帝国陸軍は貴官らを陸軍大学校に学ばせた。それはいかに兵士の被害少なく目的を達成するかの方法を研鑽させるためで、貴官らを栄達させるためではない」

「たしかに、我が砲弾は玉石共に砕くかもしれん。だがこの方法なら確実に旅順要塞を落とすことができるのだ」

「貴官らの無能のため、無益に命を奪われ続けている最前線の兵士たちのことを考えろ」
ちょっと作りましたが、玉石共には我が身の不徳ですが、殺るぞ。"


ついでに、これ飯島愛の末路。

警視庁提供。


『禹よ、反対意見は常にある、あとは決断。8月 22, 2018

求刑無視、主犯スマップ、説教しながらレイプするのが大好きな武田鉄矢、此処に名前出てる奴、女もな、一族郎党ゴミ処刑で。

レイプも殺人も共食いな。

で、なんか言いたいことあるか?聞かんけど。同姓同名とか細かいことも気にするな。

          主    文
原判決中、被告人A、同C、同Dに関する部分を破棄する。
被告人Aを懲役二〇年に、同Cを懲役五年以上九年以下に、同Dを懲役
五年以上七年以下にそれぞれ処する。
被告人A、同C、同Dに対し、原審における未決勾留日数中三五〇日を
それぞれその刑に算入する。
 被告人Bに関する本件各控訴を棄却する。
         理    由
 検察官の控訴の趣意は、東京高等検察庁検察官樋田誠が提出した控訴趣意書(東
京地方検察庁検察官北島敬介作成名義)に、これに対する答弁は、被告人Aの弁護
人近藤文子、同神谷信行、被告人Bの弁護人羽賀千栄子、同伊藤芳朗、同大沼和
子、同菅野庄一、被告人Cの弁護人荒木雅晃、同岡慎一、同吉村清人、同黒岩哲
彦、被告人Dの弁護人清水勉、同田中裕之がそれぞれ連名で提出した各答弁書に、
被告人Bの弁護人の控訴の趣意は、同被告人の弁護人羽賀千栄子、同伊藤芳朗、同
大沼和子、同菅野庄一が、被告人Cの弁護人の控訴の趣意は、同被告人の弁護人荒
木雅晃、同岡慎一、同吉村清人、同黒岩哲彦が、それぞれ連名で提出した各控訴趣
意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官樋田誠が提出した各答弁書
に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
 第一 検察官並びに被告人B及び同Cの各弁護人の各控訴趣意
 一 被告人Cの弁護人の事実誤認の主張
 所論は、要するに、以下のように主張し、原判決には事実誤認がある、というの
である。
 1 原判示第一の(1)関係
 (1) 原判決は、被告人らが原判示の下の公園に移動した後、被告人Cにおい
て、E(以下、単に「被害者」ということがある。)を猥褻目的で略取、監禁しよ
うと企てた被告人Aらの意図を察知し、自室を監禁場所に提供することを承諾した
旨判示し、被告人Cについて、右時点で被告人Aらとの間で、Eに対する略取、監
禁の共謀が成立したものと認定しているが、被告人Cは、右の段階で、Eの監禁場
所を自室とすることを承諾したことも、他の被告人らとの共謀に関与したこともな
いのに、原判決は、被告人A、同Bらの原審公判供述の評価を誤り、殊に、Eの監
禁場所の決定が被告人Aと同Bの間でなされたことを否定ないし緩和しようとして
なされた疑いが強く、信用性のない被告人Bの供述を採用するなどして、前記のよ
うに認定したものであるから、原判決には事実誤認がある。
 (2) 原判決は、被告人ら四名全員で、Eを被告人Cの居室に連行した旨判示
するが、被告人Cは、同被告人方居室へEを連行した行為には関与していないの
に、原判決は、信用性の低い被告人Bの原審公判供述や、別の日の出来事と混同し
た疑いの強いFの検察官に対する供述調書の該当部分を採用するなどして、前記の
ように認定したものであるから、原判決には事実誤認がある。
 2 原判示第二関係
 原判決は、被告人CのEに対する未必の殺意を認定したが、同被告人には、Eに
対する殺意はなかったものである。すなわち、
 (1) 原判決は、一月四日のEに対する暴行について、当初行われた暴行は、
いじめの一態様として前月下旬ころまでEに加えられた暴行と意図において変わり
がなく、暴行開始の当初から、被告人らに対し未必の殺意を認めることはできない
としながら、被告人C及び同Bについて、同被告人らが、Eに対して、その存在を
否定する方向での気持ちが高まって、Eへの強い攻撃性・排斥感をみなぎらせ、当
日の、常識では考えられない犯行に及んだと判示して、同被告人らが、暴行開始の
時点でも、未必的殺意発生につながるような潜在的殺意ともいうべき心理状態にあ
ったとし、これを暴行途中での未必の殺意発生を認定する一根拠とするのである
が、被告人Cは、Eに対する暴行の当初から、そのような特別の排斥感などを抱い
ていたものではなく、当日の暴行は、被告人Aが、賭け麻雀で大敗し、むしゃくし
ゃした気持ちをEへのいじめによって晴らそうとしたことから始まったもので、被
告人Cは個々の場面では積極的行動をとっているものの、それは被告人Aの指示な
いし主導の下に行われた、集団的暴行の雰囲気に引き込まれたものに過ぎず、原判
決の前記認定は誤りである。
 (2) また、原判決は、当日の暴行が、常識では考えられないものであり、被
告人Cにおいても、Eに対して執拗かつ強度の暴行を加えているとして、これを同
被告人に対する未必の殺意認定の一根拠とするが、当日の暴行も、その一つ一つはEに対するいじめとしてなされたもので、その以前の暴行と質的に異なるものでな
く、原判決の重視する鉄球付き鉄棒による暴行もEの太腿部に加えられており、原
判決のように、暴行の執拗さだけから殺意を認定することはできない。
 (3) また、原判決は、被告人Cらが、Eの生存に配慮をせず、かつ、その死
に無関心な態度を取り続けたことを未必の殺意認定の一根拠とするが、それは、同
被告人において、Eが死亡するなどということがおよそ念頭になかったということ
を示すものであり、無関心な態度それ自体を殺意認定の根拠とすることは誤りであ
る。
 (4) 原判決は、当日の暴行の程度は、Eの当時の衰弱度に照らすと、死の危
険を招来する高度の蓋然性を有していたもので、一連の事態の推移を目の当たりに
し、自らも、終始、積極的に加担した被告人C及び同Bにおいては、このまま暴行
を加え続ければ、Eが死んでしまうかも知れないとの考えが生ずるに至ったものと
推認するのに矛盾はない旨認定し、右認定を正当化する根拠として、「本件では、
被害者の衰弱度や死に至るかも知れないことへの認識の甘さ・希薄さが目立つけれ
ども、目前の事実そのものを知覚していることに変りはなく、ただ、その事実の持
つ心的な意味や、事実間の意味ある結び付きを切り離すという、自我の無意識な働
きがあったもので、右のような心理的な事態は、成人の犯罪においても程度の差こ
そあれ生じるもので(中略)、意識障害等の異常が一切認められない被告人らにと
って、殺意を否定する根拠とはならない」と判示しているが、右は、被害者の衰弱
度や死の危険性についての、被告人Cらの認識状況の希薄さを一方で認定しつつ、
なお、殺意を認定しようとして、証拠に基づかない特異な論理に依拠するものであ
り、被告人Cは、その発達過程において、人の死の危険性についての合理的な判断
能力を形成しえていなかったため、被害者が死に至る危険な状態にあるという事実
そのものを認識していなかったのであるから、同被告人に対して、原判決の論理は
当てはまらない。
 (5) 原判決は、被害者が、不意に転倒して室内のステレオにぶつかり、痙攣
を起こすなどした時点で、被告人らにおいて、このまま暴行を加え続ければ、Eが
死亡するに至るかもしれないことを認識したと判示しているが、被告人Cは、Eの
右転倒を仮病だと考え、その旨発言したことは、同被告人が原審公判でも一貫して
供述しているところであり、原判決も、同被告人が右の際「仮病だ」と言った旨認
定し、これを無責任な説明と評価している。同被告人は、Eの転倒を仮病と考え、
だからこそそのように発言したのであり、同被告人が、右の時点でEに対する未必
の殺意をもった、との原判決の認定は誤りである。
 以上のとおり、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があ
る。
 二 検察官の量刑不当の主張
 所論は、要するに、以下のように主張する。
 原判決は、被告人Aを懲役一七年に、同Bを懲役五年以上一〇年以下に、同Cを
懲役四年以上六年以下に、同Dを懲役三年以上四年以下にそれぞれ処する旨の判決
を言い渡したが、原判決の量刑は、著しく軽過ぎて不当である。すなわち、
 1 被告人らは、本件各犯行当時、いずれも少年であったものであるが、少年に
対し、刑事責任を追及し、刑罰を科する場合、いかなる科刑をなすべきかについて
検討すると、少年法においては、少年の保護、福祉という観点から、犯人に対し社
会復帰の機会をできるだけ与えるべきことや、刑の教育的、矯正的意義が強調さ
れ、死刑、無期刑の緩和、相対的不定期刑の特則等が設けられている。しかし、罪
を犯した少年の年齢、資質、前科、前歴、当該犯罪の罪質、動機、手段、方法の執
勧性、残虐性、被害者及び遺族の感情等を総合し、少年の保護、福祉の要請より
も、社会秩序維持の要請を優先させるべき場合にまで、犯人が少年であることの故
のみをもって、一律に寛刑を科さなければならないとする理由はない。本件のよう
な場合は、事件の重大性、凶悪残忍性、非人道性を直視し、犯人の責任に応じた厳
罰をもって臨むことこそ社会正義を実現する所以であり、少年法が、少年に対して
死刑や無期刑を科する余地を認めているのは、このような考え方に基づくものとい
うべきである。
 少年に対する保護優先主義、寛刑主義の考え方は、行き過ぎると、少年に対し法
軽視の風潮をもたらし、社会秩序の維持に回復し難い弊害をもたらすおそれが大き
く、一般予防の見地から憂慮すべき事態を招くことになる。
 本件は、少年の健全育成の側面よりも、本来の刑事責任の追及に重きを置くべき
事案であるのに、原判決は、少年法の一般的原理を強調するあまり、社会秩序維持の要請を軽視し、検察官の求刑を大幅に下回る刑を言い渡したもので、量刑につい
ての姿勢に基本的な誤りを犯している。
 2 本件各犯行は、いずれも犯情極めて悪質であるが、とりわけ、Eに対する狼
褻誘拐・略取、監禁、強姦、殺人、死体遺棄等の一連の犯行は、稀に見る重大かつ
凶悪な犯罪で、その残虐さ極悪非道さは、過去にも類例を見出だし難い。
 Eに対する右一連の犯行は、被告人A、同Cが、強姦目的で女性を物色し、たま
たま通りかかったEを拉致し、被告人ら共謀のうえ、Eを略取して強姦し、暴行、
凌辱を加え、犯行発覚を恐れて長期間監禁し、遂にはその処置に困り自己保身のた
め殺害し、死体をコンクリート詰めにして遺棄したもので、その動機は極めて反社
会的、自己中心的なものであり、その犯行態様も、Eに対し多数回にわたり常軌を
逸した暴行、凌辱等を加えた、極めて残虐かつ執拗、冷酷なもので、そこには人間
性のかけらも見られない。結果はもとよりまことに重大であり、被害者に責められ
るべき落ち度は全くなく、一七歳という春秋に富む時期に、被告人らに残虐非道の
仕打ちを受けて惨殺された無念さは測り知れない。また、被害者の両親ら遺族の被
害感情は極めて強く、検察官の求刑と原判決の量刑を知って、「裁判は自分達とは
関係のないところで行われている。到底承服できない」と訴え、司法制度全体に対
して、深い不信感、絶望感を抱いているのである。また、本件が社会に与えた影響
も極めて深刻である。
 被告人A、同Bらの犯した他の二件の強姦の各犯行も、事前に共謀して計画的に
なされた通り魔的犯行で、暴力団員の用いるような脅迫文言を申し向けたり、果物
ナイフ、繰り小刀を突き付けるなどして、被害者らの反抗を抑圧して輪姦し、被害
者らに深刻な精神的、肉体的苦痛を与えるなど、その犯情は極めて悪質であり、し
かも、そのうち一件は、Eを監禁して暴虐の限りを尽くし、Eが衰弱しきった段階
で敢行されたもので、被告人Aらは、一方でEを弄びながら、他方で、更に新たな
被害者を物色して輪姦したのであり、ここにも、同被告人らの人間性を欠如した自
己中心的態度が顕著に現れている。
 被告人A、同BらによるGに対する傷害事件も、動機において全く酌量の余地が
なく、犯行態様も一歩間違えれば、生命を奪うおそれのある危険なもので、その犯
情は極めて悪質であり、傷害の結果も重く、しかも、右犯行はE殺害の直後になさ
れたものであって、ここにも、同被告人らの根深い粗暴性を看取することができ
る。
 被告人A、同B、同Cらによる窃盗事件は、無為徒食していた同被告人らが、金
銭に窮するや、次々と窃盗の犯行に及んでいたもので、その態様も、深夜における
侵入盗や、バイクに乗って通行人の携帯物をひったくるという危険なもので、窃取
額も多額に上っており、その犯情は悪質である。
 3 原判決はEに対する事犯の全般的な情状評価を誤っている。
 (1) 原判決は、被告人らが、「当初からこれほどまでの監禁を意図していた
ものではなく、計画性のない、場当たり的な犯行が発端となっている」と判示して
いる。しかし、被告人らは、自らの獣欲を満たすため、被害者に対するリンチと輪
姦を企図したものであり、当初から相当の期間監禁することを見込んでいたと認め
られるうえ、Eを帰宅させる意思のないまま長期間、Eの自由を拘束した点を重視
すべきである。
 また、その態様は、被告人A及び同Cにおいて、強姦の被害者となるべき女性を
物色して帰宅途中のEを発見し、被告人らが意思を通じあって、Eを被告人C方に
閉じ込め、リンチや姦淫の行為に及んだ、極めて巧妙なもので、計画性がないと
か、場当たり的犯行であるなどとは到底いえない。
 (2) 原判決は、また、被告人らが、Eを監禁後、「暴行を加え続けることに
より、深刻・異常な事態への心理的抵抗感が緩んで暴行が増長され、結果としてE
を帰す方法に窮し、ずるずると監禁が長期に及ぶにしたがって、抜け道のない状態
に陥った」旨判示している。
 しかし、被告人らは、そもそも見ず知らずの女性を拉致し、強姦等を行い、凌辱
行為に及ぶことに、何ら抵抗感を有していなかったばかりか、もともと自己以外の
者については、人としての尊厳など認めていなかったのである。原判決の右判示
は、被告人らの従来からの行動や考え方を考慮に入れず、少年一般の行動様式を被
告人らの本件所為に単純に当てはめた近視眼的、皮相な見方である。
 被告人らは、EをC方に拉致したが、拉致段階から、Eをある程度の期間留め置
き、姦淫したり、虐待する意図であったと認められる。原判決の、結果としてEを
帰す方法に窮した旨の認定は誤りであり、抜け道のない状態に陥ったとの評価も根拠に欠ける判断である。
 (3) 原判決は、被告人らが、「被害者の処置に困惑し、次第に心理的閉塞感
が高じ、最終段階では、いじめを主眼とする暴行の過程において、未必的な殺意が
生じ、一挙に過激な攻撃行動として発散したものとみられる。その意味では、精神
的に未熟な少年らが事態を打開できないまま、不幸な結末に至った側面もある」と
判示する。
 しかし、被告人らは、Eを監禁中、自由に他人と交わったり、強姦を行うべく、
他の攻撃対象を求めていたことが認められるのであって、被告人らには、Eを助け
ようなどという意識は毛頭なかったのであり、心理的閉塞感が高じたと認定する根
拠は薄弱である。
 そして、Eが監禁されていた間の状況を見ると、昭和六三年一二月二六日ころか
らは、一日に牛乳二〇〇CC位を与えたのみで、同月末ころには、Eは、自分で立
つことも困難で一階の便所へ行くにも数十分かけて、這って行く程に衰弱し、昭和
六四年一月に入ってからは、牛乳も与えられず、栄養失調のためますますやせ細
り、体力もいっそう衰えるに至ったものであるが、被告人らは、そのころ、「女の
ことどうする。殺して埋めるかな」「殺すならミンチがいいですよ」、「ドラム缶
に入れて焼けばよい」「コンクリート詰めにして海に捨てれば警察にばれない」な
どと、何度も話を交わしたことが認められる。被告人らは、Eがひと思いに殺して
ほしいと嘆願するのを無視して、連日のように凄まじい暴行を加え、いわば、なぶ
り殺しにしたのであって、本件暴行をいじめとして捉えるのは筋違いである。被告
人らの殺意が未必的であるからといって、被告人らに有利な情状となるものではな
い。本件一連の経過をみれば、その計画性、巧妙さ、狡猾さのいずれにおいても、
成人の犯行に比し何ら遜色がない。本件の原因を被告人らの精神的未熟に帰し、寛
刑の理由とすることは到底できない。
 (4) 原判決は、「被告人らの非行性と社会からの逸脱度が急激に深化し、犯
行態様が大人顔負けの残虐性を有するに至った背景には、暴力団関係者からAを介
しての少年らへの働きかけに起因する生活環境の悪化と、少年らのやくざ集団への
傾斜・取り入れの作用も、間接的に関わっていたことがうかがえる」と判示する。
 しかし、被告人らが、暴力団と関わりを持ち、露店で手伝いをしていたことが、
被告人らが非行性を帯びる背景事情の一つになっていたと考えられるものの、被告
人らが非行を重ねるようになったのは、なによりも被告人ら自身の責任といわざる
を得ない。自己の境遇を乗り越えて成長する意欲があれば、いくらでも更生の機会
があったのに、被告人らは何らの努力もしなかったのであり、その責任を他者や社
会一般に転嫁することは許されない。
 4 原判決の被告人らに対する量刑は、少年によって犯された、最近の同種事件
の量刑に比しても極端に軽過ぎる。
 被告人A、同Bについて、無期懲役を選択しなかった原判決は、同被告人らの刑
責の重大性及び一般予防に配慮を欠いたことにより、他の無期懲役事件の判決に比
し極端な不均衡を招来したものであり、また、原判決の被告人Cについて懲役四年
以上六年以下、同Dについて懲役三年以上四年以下という量刑は、被害者側に多大
な落ち度があったり、限定責任能力等の酌むべき事情が存在して、本件と全く事情
を異にしながら、同程度の刑が言い渡された殺人、同未遂の事案に比して、あまり
にも軽きに失する。
 5 被告人らの個別的な情状を見ると、いずれも積極的に犯行に関与し、犯罪者
性向が極めて強固であるなど情状悪質であるのに、原判決はその評価を誤ってい
る。
 (1) 被告人Aは、小学校時代からの素行不良者で、非行を繰り返して保護観
察処分を受けるなど、保護の手がさしのべられても、これを拒絶して、暴力団構成
員となり、強姦等の悪質な事件を繰り返していたもので、その悪性は根深く、矯正
はほとんど不可能といってよい。同被告人は、被告人らのグループの中心的存在
で、本件一連の犯行の首謀者であり、犯行に当たっても常に主導的役割を演じたも
ので、各犯行に見られる同被告人の残忍性、人間性の欠如、反社会性は著しい。
 原判決は、「Aには、脳の器質性の欠陥があって、行動の制御能力や性格形成に
影響を与えており、これが本件犯行に直接関わっていたとまではいえないにして
も、シンナーの吸入とあいまって、本件における行動選択の不適切性や、暴行のも
たらす興奮や高揚が徹底的な攻撃をもたらした過程において影響を及ぼしている」
と判示する。
 しかし、原判決が依拠したH作成の鑑定書や同人の原審証言(以下「H鑑定」という。)は、同被告人の早幼児期における脳の器質性障害を強調する余り、同被告
人がシンナーを乱用したことを軽視している。H鑑定は、「Aの特異なパーソナリ
ティや行動パターンは脳障害である故の部分が大きい」というが、シンナー乱用は
同被告人の人格形成に多大の影響を与えており、特異なパーソナリティや行動パタ
ーンは自己が多年にわたり培ってきた結果というべきで、先天性あるいはそれに近
い不可抗力的要因はさほど重くみるべきでない。原判決が量刑に当たり依拠したH
鑑定には種々の疑問がある。
 また、原判決は、被告人Aの両親が私財を投げうって五〇〇〇万円を被害者の遺
族に提供したとして、これを同被告人に有利な量刑事情とするが、本件が残虐極ま
りない重大事犯であり、遺族は、なお被告人らの厳重処罰を求めていることを考え
れば、右謝罪金の支払いをもって、本来無期懲役相当の事案を有期懲役に減ずべき
理由とはなりえない。
 (2) 被告人Bは、小学四年生のころから級友等に暴力を振るい、高校に入学
してもほとんと登校せず、一学年の一一月除籍処分になり、生活は荒れ、母に対し
て暴力行為に及び、昭和六三年四月都立高校定時制へ入学したが、二か月で退学
し、非行化が顕著になった。同被告人に保護処分歴がないとはいえ、本件犯行は、
同被告人のこのような無反省な生活態度や自己中心的性格に深く根ざしたもので、
その矯正は極めて困難である。
 同被告人は、被告人らのグループでは被告人Aに次ぐナンバーツーの地位にあ
り、被告人Aの指示を受け、あるいは独自の判断で、被告人C、同Dなどのグルー
プ構成員を指揮し、被告人Aの片腕的存在であった。本件各犯行は被告人Aの主導
のもとに敢行されたものではあるが、Eに対する一連の犯行にあっては、同被告人
からEを誘拐した旨の連絡をうけるや、「さらっちゃいましょうよ」などと、同被
告人を唆す発言をし、監禁中の凌辱についても、極めて残忍な行為を積極的に行っ
ている。被告人Bは、被告人Aが怖かったからEに凌辱を加えたかのような弁解を
しているが、同被告人は、被告人Aが同席していないときにも、Eが尿をこぼした
として、被告人Cと共に、Eの顔が変形して、頬と鼻の高さが同じになるほどの暴
行に及ぶなどしているのであり、被告人B自身の残忍な性格や反社会性の故に犯行
に関与したものというべきである。そのうえ、同被告人は、原審公判において、誘
拐のことは分からなかったとか、強姦の意思はなかった、あるいは、殺意はなかっ
たなとと不合理な弁解をし、自己の責任を免れ、軽減するため、すべてを被告人A
のせいにする主張を繰り返し、反省の情が見られない。
 原判決は、「Bの未熟で偏りのある人格形成過程には、幼少時期からの両親から
受容されない家庭などといった、他律的な要因が重畳的に関わっており、この屈折
した心理がAへの無批判な追従を促した」旨判示し、同被告人の家庭環境、成育環
境等に同情すべき余地があるとの判断をし、人格形成における他律的要因や、被告
人Aに対する追従を過大に評価している。しかし、家庭的に恵まれない者は社会に
多数存在するが、これらの者でも社会に適合し、犯罪に走ることなく、一般社会人
として立派に生活しているのが通常であり、同被告人の場合、両親が離婚している
とはいえ、その愛情を受けて成育してきたのであり、同被告人が非行に走ったの
は、自らの怠惰な性格と意思の弱さに起因するのであって、原判決のように、他律
的要素に責任を転嫁すべきではない。
 また、原判決は、同被告人の「両親が法廷で被害者らに対する心からのお詫びの
心情を述べ、金額的には僅かながら、遺族らに将来償いをする資金のため預金を継
続的に開始し、今後もBを温かく支え続けることを申し出ている」と判示するが、
それは、いわば親権者として当然の責務であり、しかも、右預金は原審の結審間近
である平成二年五月から開始され、累計六五万円程度に過ぎない。また、両親のこ
れまでの同被告人に対する放任的な接し方からみると、申し出どおりの監護能力が
存在するとは到底考えられない。
 (3) 被告人Cは、怠惰な性格であって反社会性が顕著であり、その性格矯正
には長期間を要する。同被告人は、小学校の高学年から母親に対して暴力を振るう
とともに、恐喝、万引などの非行を始め、その後非行が顕著に重なっていく中で、
本件犯行に至ったもので、気ままで怠惰な生活習慣が染みついている。そして、同
被告人は、被告人ら四名の中では最年少であったものの、本件各犯行に積極的に関
与し、Eに対する一連の行為においても、他の被告人らと共に暴虐の限りを尽くし
ており、その人間性の欠如は甚だしい。原判決は、「Cは、最年少であって、可塑
性も年齢相応に想定されるうえ、性格的に被影響性・被暗示性が高く、A・Bに指
示・影響されて過激な行動に及んだ側面もある」と判示するが、同被告人が最年少であって、被告人Aらに指示されるなどして犯行に及んだ面があることは否定でき
ないけれども、同時に、同被告人は、自ら進んで被害者に対し暴行、凌辱を加えて
おり、その態様も被害者の顔面が腫れ上がるまで殴打するなど凄まじいものであ
る。また、原判決は、同被告人の「両親が陳謝の念を示している」などと判示する
が、親権者としては当然のことであり、また、同被告人が家庭内暴力を経て親の監
督、統制を離脱した従前の経緯からみて、両親の監護は期待し難い。
 (4) 被告人Dは、怠惰な性格で、反社会性が顕著であり、中学三年時には、
家庭内暴力、怠学、家出等のため、虞犯少年として保護観察処分に付されたほか、
折りたたみ式ナイフの所持及び出身中学で投石し窓ガラスを割るなどしたことで不
処分になった非行歴等もある。また、凶暴な性癖を有し、Eの殺害行為にも積極的
に関与し、同被告人の行為がEの死亡に大きく寄与したものと認められ、刑責は重
大である。しかも、原審公判では、不合理な弁解をして自己の保身に窮々としてお
り、反省の情が全くみられない。原判決は、「Dは一連の犯行への加担度は最も低
く、精神的な未熟度が甚だしく、これは恵まれない家庭、いじめを受けながら解決
策を提示しなかった学校等の他律的要因が深く関わっており、予想外の過激な攻撃
も未成熟な人格に深く根づいている」と判示するが、同被告人が非行に走ったの
は、怠惰な性格と根気のなさ、意思の弱さなど主として自己自身に起因するのであ
って、これを、家庭環境とか学校に転嫁すべきものではない。また、原判決は、母
が今後の監護を誓約していることを挙げているが、同被告人は、母との接見を拒ん
でおり、今後とも母の監督は期待できない。
 以上のとおり、原判決は、被告人らの量刑判断を誤り、不当に軽い量刑をしたも
のであり、到底破棄を免れない。
 三 被告人Bの弁護人の量刑不当の主張
 所論は、要するに、以下のように主張する。
 1 少年法は、その第一条において、同法が少年の健全な育成を期するものであ
ることを定めているが、右は、憲法二六条の教育を受ける権利の背後にある観念、
すなわち国民各自が、一個の人間として、また、一市民として成長、発達し、自己
の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に自
ら学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に
施すことを、大人一般に対して要求する権利を有することなどに裏打ちされたもの
で、この理念は、保護処分のみでなく、少年の刑事処分においても最大限に尊重さ
れなければならない。そのため、法は、少年の刑事事件全般について、できる限り
科学的かつ教育的な考慮に基づいて事件を取り扱おうとしており、このことは、少
年の刑事事件において実体面、手続面にわたり設けられている少年法、刑訴規則の
諸特則に如実に表れている。したがって、少年の刑事事件における量刑に当たって
は、少年の可塑性ないし教育可能性に照らし、あくまで犯罪に伴う道義的責任の範
囲内において、少年の福利を重視しつつ処分を選択すべきで、行為ないし結果の重
大性や社会的影響の大小によって処分を決めるべきものではない。
 原判決の被告人Bに対する量刑は、右のような観点からすると、同被告人のEに
対する未必の殺意を認めたうえ、全体として同被告人の行為に最も比重をおいて量
刑判断をした点において、不当なものである。
 2 すなわち、原判決は、被告人Bについて、同被告人が被害者に加えた暴行を
認定したうえ、暴行の過程で未必的殺意が生じたことを肯認できるとしているが、
右の認定には疑問がある。すなわち、
 (1) 殺意を認めるためには、殺人罪の構成要件の規範的要素として、自己の
行為及びその結果、並びにその間の因果関係のすべてにつき、それが人の死を生ぜ
しめる危険を有していたことを認識していたことが必要であるところ、原判決は
「Eにこのまま暴行を加え続ければ、死んでしまうかもしれないという考えが生ず
るに至ったものと推認するのに、矛盾はなく」と判示するのみで、右の点について
は判断を加えていないのに等しい。
 (2) 故意については、認容説が通説、判例であるのに、原判決は、被告人B
が被害者の死亡を認容していたか否かについては何ら認定しておらず、判例違反を
免れない。
 3 また、原判決は、被告人Bが、共犯者中で被告人Aに次ぐ地位にあったと判
示するが、右は、同被告人が原審公判で、「CとかDといるときは、僕がリーダー
で、AがいるとAが全部決めて僕は何もしなくなる」旨供述した以上のものでな
く、本件一連の犯行において、被告人Bが、ナンバーツーとして被告人Aの命令を
被告人C、同Dに伝達したり、その間を、積極的に仲立ちする面があったというものではない。また、原判決は、被告人Bが、集団内における調整役を務めたとも判
示するが、それは、同被告人と被告人C、同Dらが形成していた緩いグループの中
に被告人Aが加わったというグループ形成の経緯に関するもので、集団内における
心理的なものに過ぎず、神経症的性格構造を形成し、情性欠如を有する発達障害が
あり、他者への依存度が高いなどの屈折した精神状態にあった被告人Bが、共犯少
年らの関係を意図的に調整することなどあり得ない。また、原判決は、被告人B
が、他の共犯少年らの模倣を誘ったとも判示するが、被告人Aが同Bを含め共犯者
ら三名の模倣を誘ったというべきである。
 4 原判決は、「本件の発端においては、BがAからの相談に乗った」旨判示す
るところ、右は、「Aがホテルからかけた電話ないしI公園における会話で、B
が、女を帰さないで下さいとか、さらってしまおう、などと言った」旨の認定に符
合するものであるが、右認定は、被告人Aが、被告人Bを自分と同格の立場にあっ
たとして、本件の発端を同被告人の発言に求め、責任の半分を同被告人に負わせよ
うとし、あえて事実を歪曲して供述したことを看過したもので、事実誤認である。
 5 また、被告人Bは、本件に至るまではさしたる保護処分歴はなく、同被告人
の性格上の問題点も、家族ら周囲の者が同被告人を受容することによって、改善す
ることがほぼ確実に見込まれ、更に、同被告人は、本件後、反省を深め、人間的成
長を遂げている。原判決は、同被告人の右のような個別的情状を不当に低く評価し
て量刑したものである。
 以上の諸事情を考えれば、被告人Bを懲役五年以上一〇年以下に処した原判決の
量刑は、著しく重過ぎて不当である。
 なお、被告人Bは、原判決後、本件に対する反省をいっそう深化させ、規範意識
を高め、被害者やその家族に対する悔悟の気持ちが深まり、他者に対する愛情が発
達し、共犯少年らに対する理解が生まれ、勉学の意欲と自己洞察力も発達してき
た。このことは、同被告人の弁護人に宛てた多くの書簡の内容からも明らかに看取
することができる。同被告人の勉学の意欲は、同時に更生への意欲にも結び付くも
のである。同被告人の両親と姉は、同被告人への面会を続け、同被告人との精神的
な絆を取り戻している。両親は、原判決後も、乏しい収入の中から、将来の被害弁
償に備えて積み立てを続けている。同被告人の量刑に当たっては、このような、原
判決後の事情を考慮されるべきである。
 四 被告人Cの弁護人の量刑不当の主張
 所論は、要するに、以下のように主張する。
 1 少年法五五条による移送の主張
 年少少年に対する刑事処分による科刑は、成人を想定した刑事施設で少年を処遇
することによる弊害が少なくないところ、被告人Cの非行性が深化したのは、本件
各犯行当時の数か月のことであり、それも年上の共犯者らの影響によることが大き
く、また、原判決も、同被告人について、年齢に比較して著しく未熟、未分化な精
神状態で、その可塑性は年齢相応に想定されるなどと判示しているように、同被告
人は可塑性に富み、保護処分によって矯正することが妥当である。
 同被告人は、原判示第四の二件の強姦及び第五の傷害等を内容とする非行事実に
より中等少年院へ送致され、その在院中に本件一連の犯行が発覚したものであると
ころ、原判決は、そのことを同被告人に対し刑事処分が相当である理由の一つに挙
げるが、同被告人には、それまで、交通短期保護観察処分に付されたほか保護処分
歴はなく、中等少年院へ送致されて二か月後に本件が発覚したのであるから、保護
処分による更生が失敗したわけでもない。
 原判決は、本件が凶悪、重大な事件であることを刑事処分が相当である大きな理
由とするが、結果の重大性のみから、応報的な意味で刑事処分を選択することは誤
りである。原判決は、また、同被告人が、監禁場所の提供等発端において重要な寄
与をしたと認定するが、それが誤りであることは、事実誤認の主張の項で述べたと
おりである。更に、原判決は、同被告人について、「Aの指示を受けないでBとと
もに積極的・能動的に著しく度を越えた暴行を繰り返した」とか、「監禁過程全般
で、Bと共同して被害者に手ひどい暴行を繰り返した」等と認定しているが、同被
告人は、被告人Aの指示がない場面でも、被告人Bの指示により被害者に暴行を加
えたもので、単独で暴行を加えたことはない。被告人Cの暴行はあくまで被告人A
あるいは同Bの指示によってなされた追従的なものである。
 また、原判決は、被告人Cについて、「殺害についての関与も重大で、被害者の
気持ちを全く思いやらない無慈悲、冷淡な態度が際立っている」旨判示し、刑事処
分が相当である理由の一つとする。 同被告人が、暴行の過程において、時に積極的行動をとっていることは否定でき
ないが、それは、被告人Aの主導で行われた集団的暴行の雰囲気に引き込まれて行
ったに過ぎず、被告人Cが無慈悲、冷淡な態度をとったというのも、同被告人の著
しい精神的、人格的未熟性の故であることを考えると、同被告人に対しては、保護
処分が相当であることが明白である。
 更に、原判決が認定するように、犯行後、同被告人が、人間性に目覚めた成長を
遂げ、罪の責任の自覚を深め、両親も被害者らに対する陳謝の念を示し、監督、監
視の至らなかったことを反省し、同被告人と共に一生をかけての贖罪を誓っている
ことなど、本件犯行後の情状も考慮されなければならない。また、同被告人に対
し、その行為や結果の重大性など自己の責任を自覚・涵養せしめるためにも、収容
期間を弾力的に運用することができ、個別的処遇が可能である保護処分が妥当であ
ることが明らかである。
 以上要するに、少年の犯した犯罪が重いから、処分もそれに見合って重くしなけ
ればならないという考えは、少年法の目的に照らして許されず、同被告人について
は、保護処分が相当であり、同被告人の事件を東京家庭裁判所に移送すべきである
のに、同被告人に対し刑事処分を科した原判決には、量刑不当がある。
 2 原判決の量刑が重過ぎて不当である旨の主張
 原判決は、被告人Dを懲役三年以上四年以下に処しながら、同被告人より一年年
少であり、可塑性に富む被告人Cを懲役四年以上六年以下に処したが、前項におい
て述べた諸事情、とりわけ被告人Cは、あくまで追随的に犯行に及んだものである
こと、被告人Dとの刑の均衡などを考慮すると、被告人Cに対する原判決の量刑
は、重過ぎて不当である。
 なお、原判決後、同被告人の両親が贖罪のため、私財を投じて資金を捻出し、こ
れを被害者の遺族に提供する用意をし、また、同被告人の更生のため、保護環境改
善の努力を重ねていることなどを考慮されたい。
 第二 当裁判所の判断
 原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を合わせて、以下順次検討す
る。
 一 被告人らの身上、経歴について
 1 被告人A関係
 被告人Aは、昭和四五年四月三〇日、証券会社に勤務する父とピアノ教師をして
いた母の長男として東京都区内で生まれた。父母の確執などで家庭は円満ではなか
ったが、父は証券会社の営業マンとして成績をあげて高収入を得、母もピアノを教
えて相応の収入を得ていた。
 同被告人は、地元の小学校を経て、昭和五八年四月足立区内の中学校に入学し、
同校卒業後、昭和六一年四月都内の私立高校に柔道の特待生として推薦入学した。
小学校の当時から、万引き、学校内での器物損壊などの問題行動がめり、いわゆる
番長として他の児童を圧倒し、家庭内暴力で父が学校へ相談に行ったこともあった
が、中学時代は、柔道に打ち込み、出場した各大会で優勝、準優勝するなどして活
躍し、格別の問題行動もなく中学生活を送った。柔道の関係で入学した高校では、
練習が厳しく、先輩のいじめを受けたことなどから、入学した年の九月には柔道部
を退部し、翌昭和六二年三月には同校を退学し、自宅近くのタイル工業所に就職し
た。そのころ、暴走族に加わり、同年二月傷害、翌三月建造物侵入、暴力行為等処
罰に関する法律違反(学校荒らし)等、同年六月窃盗、建造物侵入、暴力行為等処
罰に関する法律違反(前同)等の各非行を犯し、同年七月保護観察処分に付され
た。
 その後は、暴走族をやめ、約一年間ほどは、保護観察の成績も良好で、タイル工
として真面目に働き、雇主からもその勤務ぶりを評価された。高校在学中交際を始
めた被告人Dの姉との結婚を夢見て、約二〇〇万円ほどの貯金もし、昭和六三年五
月には、長野県内の自動車教習所で合宿生活を送って運転免許を取得し、同年七月
父にねだり、新車(三五〇万円)を買ってもらった。しかし、同年八月ころから、
タイル工業所の給料が安いと不満を持ち、仕事を怠けるようになり、保護司の指導
も受け付けず、そのころ、中学時代の同級生を介して知った暴力団関係者に、一日
三万円になる仕事があるなどと持ちかけられて的屋の仕事を始め、以後、同人のも
とで偽のブランド商品の販売や街頭での花売り、同人の経営する花屋「J」の店
番、暴力団組事務所の当番などをするようになり、そのころからシンナーの吸引を
反復するようになった。
 2 被告人B関係 被告人Bは、昭和四六年五月一一日、東京都区内で生まれたが、父母の折り合い
が悪く、両親は同被告人の幼少時に別居し、同被告人は母の許で成育し、この間、
昭和五六年八月小学校四年時に一時父と同居したこともあったが、二か月後に再び
母の許へ戻った。地元の小学校を経て、昭和五九年四月足立区内の中学校に入学し
たが、スポーツに優れ、小学生のころから野球チームに所属し、中学校入学後は陸
上部にも所属した。中学校時代には、格別の問題行動は見られなかったが、昭和六
一年一月スキーで右足の複雑骨折をし、以後スポーツで活躍する場を失い、昭和六
二年三月中学校を卒業し、同年四月都内の私立高校に入学したものの、勉学の意欲
がなく、次第に怠学が多くなり、同年一一月除籍処分となった。その後一時電工見
習いとして働いた後、昭和六三年四月都立の定時制高校へ入学したが、二か月ほど
で登校意欲を失い、学籍はあるものの長期欠席の状態が続いていた。同年五月ころ
から、無為徒食の生活を続け、同年七月バイクの無免許運転の非行を犯し、同年一
〇月一四日交通短期保護観察処分に付されている。
 3 被告人C関係
 被告人Cは、昭和四七年一二月一六日、当時診療所の事務員をしていた父と看護
婦をしていた母の次男(長男はF、昭和四七年一月二一日生)として東京都区内で
生まれ、地元の小学校を経て、昭和六〇年四月足立区内の中学校へ入学した。小学
校在学中、恐喝、万引きなどの非行があったが、中学校進学後、母への暴言、暴力
が激しくなり、更に父にも反発するようになった。昭和六三年三月中学校を卒業
し、同年四月都立の化学工業系の高校へ進学したが、無断外泊、怠学、不良交友、
家庭内暴力等が激しくなり、同年九月には同校を退学した。同年夏ころから、同被
告人や兄Fの居室が不良交友仲間のたまり場となっていたが、両親は、暴力を振る
われ、なす術のない状況であった。なお、昭和六三年一一月一八日、自動二輪車の
無免許運転の非行で交通短期保護観察処分に付されている。
 4 被告人D関係
 被告人Dは、昭和四六年一二月一八日、東京都区内で生まれたが、父母は、昭和
五一年一〇月に別居したうえ、その二年後に離婚し、父は離婚後間もなく死亡して
おり、同被告人は、姉と共に母の手で育てられた。昭和六二年三月足立区内の中学
校を卒業し、同年四月都立の工業高校定時制に入学したものの、一週間で登校しな
くなり、同年九月同校を退学し、その後、何か所かで働いたことはあるが、いずれ
も長続きしなかった。この間、昭和六一年一〇月虞犯(怠学、家庭内暴力)の非行
により保護観察処分に付され、更に、昭和六二年六月虞犯事件により、昭和六三年
三月暴力行為等処罰に関する法律違反(学校荒らし)の非行により、それぞれ不処
分となっている。
 二 被告人ら相互の関係
 被告人らは、いずれも地元の同じ中学校の出身で、被告人Aが最年長で、被告人
B、同Dは、被告人Aの一学年下であり、被告人Cは、更に被告人B、同Dの一学
年下の関係にある。
 足立区○○×丁目×番×号所在被告人Cの父K方の二階の二室は、同被告人と兄
Fの居室に当てられていたが、両親が共働きで留守がちであったことや、同被告人
の家庭内暴力が激しく、両親もなす術のない状況であったため、前記のように、昭
和六三年夏ころから不良交友の仲間らのたまり場となっていた。
 被告人Bは、Fと同学年で、同年夏ころから頻繁にC方へ出入りするようにな
り、被告人Cは、Fを通じて被告人Bと親しくなった。また、そのころ、被告人D
も同学年の被告人B及びFらを通じてC方に出入りするようになった。一方、被告
人Aが、被告人Dの姉と親密な交際をしていたこと、被告人らは、同じ中学校の先
輩、後輩の関係にあったことなどから、かねて互いに見知っていたが、被告人A
が、同年一〇月ころ、Fの盗まれたバイクを探すのを手伝ったことから、同被告人
がC方に出入りするようになり、同被告人は、これを機に他の被告人らに急速に接
近し、同被告人を中心とした非行集団が形成された。
 被告人Aは、集団内において他の仲間を圧倒し、常に主導的、積極的役割をつと
め、優位性を誇示し、非行仲間らから恐れられる存在であった。また、被告人B
は、被告人Dと同学年であるが、受動的で、自発性に乏しく、能力的にも劣る被告
人Dや、年下の被告人Cに比べ、集団内の力関係では、被告人Aに次いで優位な立
場にあった。
 被告人B、同C、同Dらは、昭和六三年一一月から一二月ころにかけて、被告人
Aを通じて暴力団関係者と関わりを持つようになり、暴力団関係者の経営する前記
花屋「J」へ出入りし、その手伝いや暴力団組事務所の当番なども勤めるようになった。
 三 本件一連の犯行の概要について
 本件各犯行は、
 1 被告人ら四名が、共謀のうえ、昭和六三年一一月二六日女子高校生E(当時
一七歳)を猥褻目的で略取し、同日から昭和六四年一月四日までの間、Eを監禁し
(原判示第一の(1))、右監禁中の昭和六三年一一月二八日ころ、被告人ら四名
が、L、Gと共謀のうえ、Eを強いて姦淫し(原判示第一の(2))、昭和六四年
一月四日被告人ら四名が共謀のうえ、未必の殺意をもって、Eを殺害し(原判示第
二)、同月五日、被告人A、同B、同Cが、Fと共謀のうえ、Eの死体を遺棄した
(原判示第三)(なお、以上のE関係の一連の犯行については、後記四に詳述す
る。)ほか、
 2 被告人B、同Cが、Lらと共謀のうえ、昭和六三年一〇月二三日午前二時こ
ろ、路上に駐車中の軽乗用自動車一台(時価四〇万円相当)を窃取し(原判示第六
の一)、被告人A、同B、同Cが、Lと共謀のうえ、同月二六日午前零時三〇分こ
ろ、店舗内に窓ガラスを割って入り込み、ジャンパーほか一四四点(時価合計二〇
〇万五七五五円相当)を窃取し(原判示第六の二)、
 3 被告人A、同Bが、Cと共に、同年一一月八日午後七時過ぎころから、被告
人Aの運転する普通乗用自動車で姦淫の相手を探して走行中、午後八時ころ、自転
車で帰宅途中の当時一九歳の女性を認めるや、Cと共謀のうえ、被告人Aが自車を
幅寄せして自転車の進路を妨害して停止させ、被告人Bが、自転車の鍵を抜き取る
などして、同女を無理やり自車後部座席に乗せ、午後八時三〇分ころ、走行中の車
内において、被告人Aが、同女に対して、「aに行くか。それとも栃木の山奥へ行
くか」「俺は最近少年院を出てきたばかりだ」などと申し向けて同女を脅迫し、そ
の反抗を抑圧して、午後九時三〇分ころ、同女をホテルへ連れ込み、被告人A、
C、被告人Bの順に強いて同女を姦淫し(原判示第四の一)、
 4 いずれもEを監禁中の、同年一二月三日午後六時ころから午後七時五分ころ
にかけて、被告人A、同Bが、共謀のうえ、四回にわたり、自転車で通行中の女性
から、現金合計七万二三〇〇円及び物品二七点(時価合計約四万五八〇〇円相当)
をひったくり窃取し(原判示第六の三の1の(一)ないし(四))、同日午後九時
三〇分ころ、被告人Aが、自転車で通行中の女性から、現金約二万六〇〇〇円及び
物品六点(時価合計二〇〇〇円相当)をひったくり窃取し(原判示第六の三の
2)、同月五日午後八時三五分ころから午後九時三〇分ころにかけて、被告人A、
同Cが、Gと共謀のうえ、二回にわたり、自転車で通行中の女性から、現金合計約
一万九〇〇〇円及び物品二七点(時価合計九一〇〇円相当)をひったくり窃取し
(原判示第六の三の3の(一)、(二))、同月七日午前二時五〇分ころ、被告人
A、同Bが、共謀のうえ、自転車で通行中の女性から、現金約三万円及び物品合計
七点(時価約二〇〇〇円相当)をひったくり窃取し(原判示第六の三の4)、
 5 同じくEを監禁中の、同月二七日午前零時過ぎころから、被告人A、同B
が、C、Dと共に、被告人Aの運転する普通乗用自動車で、姦淫の相手を探して走
行中、午前二時三〇分ころ、帰宅途中の当時一九歳の女性を認めるや、C、Dと共
謀のうえ、同女を取り囲んで右自動車の後部座席に乗せ、しばらく走行した後に停
車した車内において、被告人Bが繰り小刀を左手に持ち、被告人Aが果物ナイフを
同女の膝付近に突き付け、「ここまで来れば分かるだろう。男と女のやることだ」
「先輩に女を連れてこいと言われたので、連れて行かなければならない。それが嫌
なら俺たちとやれ」などと申し向けて同女を脅迫し、その反抗を抑圧し、午前四時
ころ、同女をモーテルへ連れ込み、被告人A、同B、C、Dの順に、強いて同女を
姦淫し(原判示第四の二)、
 6 Eの死体遺棄の犯行の翌日である、昭和六四年一月六日午後一一時ころから
翌七日午前二時三〇分ころまでの間、被告人A、同Bが、Cと共謀のうえ、被告人
Aらにおいて、暴力団関係者の意を受けて結成しようとしたグループに、Gが入ら
なかったことなどに立腹して、同人に対し、手拳や椅子等で顔面、頭部、肩部等を
多数回殴打する暴行を加え、加療約四週間を要する全身打僕の傷害を負わせた(原
判示第五)、という事案である。
 四 E関係の事案の詳細について
 ところで、本件各犯行のうち、被告人ら四名共謀のうえなされた原判示第一の
(1)、(2)、第二のEに対する猥褻目的略取、監禁、強姦、殺人、被告人A、
同B、同Cら共謀のうえなされた同第三のEに対する死体遺棄の各事犯は、とりわ
け重大な事案であるばかりでなく、犯行期間も長期に及び、その経緯、態様も複雑であるので、以下に右一連の犯行の詳細を示すこととする。
 1 Eを猥褻目的で略取、監禁するに至った経緯
 被告人Aは、同Cと共に、昭和六三年二月二五日夕刻、通行人からひったくりを
し、あるいは若い女性を狙って姦淫をしょうとして、それぞれ原動機付自転車に乗
って、埼玉県三郷市内を徘徊中、自転車でアルバイト先から帰宅途中のEを認める
や、被告人Aが、被告人Cに「あの女、蹴飛ばしてこい」と指示し、これに従っ
て、同被告人が、Eもろとも自転車を蹴倒して側溝に転倒させ、その場を離れた
後、被告人Aは、なにくわぬ顔をしてEに近づき、言葉巧みに、「今、蹴飛ばした
のは気違いだ。俺もさっきナイフで脅かされた。危ないから送ってやる」などと申
し向けて、Eを信用させ、近くの倉庫内へ連れ込み、一転して「自分はさっきのや
つの仲間で、お前を狙っているやくざだ。俺は幹部だから俺の言うことを聞けば命
だけは助けてやる。セックスをさせろ」「声を上げたら殺すぞ」などとEを脅迫し
て関係を迫り、同日午後九時五〇分ころ、タクシーでEを原判示のホテルへ連れ込
み姦淫した。
 被告人Aは、同日午後一一時ころ、右ホテルから、かねて被告人らのたまり場に
なっていた被告人Cの家へ電話し、被告人Bに「狙っていた女を捕まえてセックス
した」などと話したが、同被告人が「女を帰さないでください」などと言ったこと
から、同被告人と待ち合わせることとし、同被告人や、被告人Aとはぐれて帰宅していた被告人C、同被告人方にいた被告人Dの三名が、連れ立って約束の待合わせ場所へ赴き、被告人A及び同被告人の連行するEと合流した。
 被告人Aは、被告人Bらに「やくざの話で脅かしているから、話を合わせろ」な
どと言い含め、被告人らはEを連れて、翌二六日午前零時三〇分ころ、原判示のI
公園へ赴いた。同所で、被告人Aは、ジュースを買いに行くという名目で、被告人
C、同D及びEのいる所からやや離れた自動販売機の置かれた場所付近に、被告人
Bと共に行き、同被告人に「あの女どうする」と尋ねると、同被告人が「さらっち
ゃいましょうよ」などと言ったことから、同被告人と意思相通じて、Eを猥褻目的
で略取、監禁することとした。
 更に、被告人ら及びEは、同公園から被告人Cの自宅近くの下の公園に移動した
が、この間、被告人Cは、被告人A、同Bらの意を受けて、Eを自室に監禁するこ
とについて了承し、被告人Dもそれまでの成り行きから、被告人Aらの意図を了解
し、かくて、被告人ら四名は、Eを猥褻目的で略取、監禁することについて順次共
謀を遂げ、被告人Aにおいて、Eに対し、「お前は、やくざに狙われている。仲間
がお前の家の前をうろうろしているから匿ってやる」などと虚偽の事実を申し向け
て脅迫し、被告人ら四名でEを被告人Cの自宅二階六畳間居室へ連行し、同日から
昭和六四年一月四日までの間、同所にEを監禁した。
 2 Eの監禁中になされたEに対する強姦の犯行及び右監禁中の被告人らの行為
等について
 前記の経過で、Eを被告人Cの自室に連行した後、被告人らはEを交替で監視す
ることとしたが、同月二八日ころの深夜、被告人らのほか、不良仲間のL、Gが被
告人Cの居室にたむろしていた際、被告人Aは、仲間らにEを輪姦させようと企
て、他の被告人らや、右L、Gらと意思相通じ、こもごも覚せい剤を飲み半狂乱に
なったように装い、Eに襲いかかり、必死に抵抗するEの口や手足を押さえ付け、
Eに馬乗りになるなどの暴行を加えて、その反抗を抑圧し、Eの着衣をはぎ取り、
被告人Aが、他の被告人らやL、Gらにも裸になれと命じ、これを受けて被告人
A、同B以外の者は着衣を脱ぎ捨て、G、L、被告人Dの順に強いてEを姦淫し、
その際、被告人Aは、剃刀を持ち出してEの陰毛を剃り、更に、その陰部にマッチ
の軸木を挿入して火をつけるなどの凌辱に及び、Eが熱がるのを見て被告人らで打
ち興ずるなどした。
 同年一二月上旬ころ、Eが逃走を試み、警察への通報を図ったことに腹を立て、
被告人A、同B、同CがEの顔面を手拳で多数回にわたり殴打し、被告人AがEの
足首にライターの火を押し付け、火傷を負わせるなどした。被告人らは、この後
も、時に、その不良仲間を加えるなどして、Eを全裸にしてディスコの曲に合わせ
て踊らせたり、自慰行為を強要したり、Eの顔にマジックペンで髭を描いて興じた
り、Eの陰部に鉄棒を挿入して何回も出し入れしたり、肛門に瓶を挿入したり、ま
た、シンナーを吸引させ、ウイスキー、焼酎などの一気飲みを強要し、寒気の厳し
い夜中、Eを半裸体でベランダに出し、牛乳、水などを多量に飲ませ、煙草を二本
一度にくわえさせて吸わせるなど度重なる暴行、凌辱を繰り返した。
 同月中旬から下旬にかけてのころ、被告人AがEのこぼした尿を踏んだということを口実に、被告人B、同Cにおいて、Eの顔面等を手拳で多数回にわたり殴打
し、Eの顔面が腫れ上がり変形したのを見て、同被告人らは、「でけえ顔になっ
た」などと言って哄笑した。右暴行の場には、被告人Aはいなかったが、翌日、被
告人Cは、「あんまり面白いからAにも見てもらおう」などと言って、自慢気に、
被告人AにEの顔を見せた。被告人Aは、その変りように驚いたものの、自らも、
これに触発されたように、Eを多数回殴打するとともに、太腿部、手のE等に揮発
性油を注ぎライターで点火し、火が消えると更に同様の行為を繰り返し、Eに火傷
を負わせた。このころ、Eは、度重なる暴行に耐えかねて、「もう殺して」などと
哀願することもあった。
 被告人Aらは、同月中旬ころから、主にFにEの監視役をさせるようになった
が、そのころからEは少量の食物しか与えられず、更に、同月末ころには、わずか
の牛乳を与えられる程度になり、栄養障害と被告人らの度重なる暴行により、心身
ともに極度の衰弱状態に陥り、食欲も減退し、顔面は腫れ上り、手足等の火傷は膿
み爛れて異臭を放つなどし、階下の便所へ行くことも困難で、終日監禁場所である
被告人Cの居室で横臥している状況であった。
 3 Eに対する殺人の犯行について
 昭和六四年一月四日、被告人Aは、前夜来から当日早朝にかけて行った賭け麻雀
に大敗した後、被告人D方に赴いたところ、被告人B、同Cらが被告人Dと共に居
合わせた。被告人らは、同所でファミコンゲームなどをして遊んだが、被告人A
は、麻雀に負けた鬱憤をEへのいじめによって晴らそうと考え、「久し振りに、E
をいじめに行くか」などと言い出し、まず、被告人C、同Dを先に被告人C方へ行
かせ、若干遅れて被告人Bと共に自らも被告人C方へ赴いた。被告人らは、このよ
うにして相前後して、被告人C方に集まったが、Eは、被告人らの暴行等により変
形するほどに顔が腫れ上り、手足等の一部は焼け爛れて化膿し、栄養障害に陥り、
極度の衰弱状態で横臥していた。
 被告人A、同B、同Cは、午前八時ころから、被告人Cの居室において、Eに対
し、B羊羹を与え、これは何だと問い、被害者がB羊羹と答えると、何でBを呼び
捨てにするんだなどと因縁をつけ、再び同様の質問をし、EがB羊羮さんと答える
と、何で羊羮にさんをつけるんだなどと詰り、Eへのいじめを開始し、被告人A、
同B、同Cにおいて、Eに対し、顔面等を多数回にわたり手拳で殴打し、背部を足
蹴りするなどの暴行を加え、被告人A、同Bにおいて、被告人Aがいじめの小道具
に買い求めていた蝋燭に点火し、Eの顔面に蝋を垂らして、顔一面を蝋で覆いつく
し、両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てるなどして打ち興じたが、E
は、これに対して、ほとんど反応を示さず、されるがままになっていた。被告人D
は、右暴行の始め、Fと共に隣室にいたが、このころ被告人Aの指示を受けた被告
人Cに呼ばれて、同被告人の室へ入り、他の被告人らと合流した。被告人Aは、衰
弱して自力で階下の便所へ行くこともできないEが、飲料パックに排出した尿のこ
とについて、わざと、「やばいよ、そんなものを飲んじゃあ」などと言って、被告
人B、同Cらに対し、暗にEに右尿を飲ませるよう示唆し、これを受けて被告人
B、同Cらは、Eに、飲めと強く言って、右パック内の尿をストローで飲ませた。
次いで、被告人B、同Cが、Eの顔面を回し蹴りし、Eが倒れると無理やり引き起
こして、更に蹴りつけるなどしたところ、Eが何ら身を守ろうとしないうえ、不意
に転倒して室内のステレオにぶつかり痙攣を起こすなどした。
 被告人らは、遅くとも、このころまでには、このまま暴行を加え続ければEが死
亡するかも知れないことを認識したが、その後も、Eが死に至ることの危険を認識
しながら、被告人B、同Cにおいて、転倒したEを殴打し、蹴りつけるなどしたの
を始めとして、更に、Eに対し、以下のような激しい暴行を加え続け、そのため、
Eは鼻口部から出血し、崩れた火傷の傷から血膿が出、血が室内に飛び散るなど凄
惨な状況となった。
 被告人Dは、素手では、血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、ガムテ
ープでこれを留めたうえ、手拳でEの腹部、肩などを力まかせに数十回強打し、被
告人A、同B、同Cらもこれに倣って、拳をビニール袋で包み、次々にEの顔面、
腹部、太腿部等を手拳で殴打し、足蹴りするなどし、更に、被告人Aが、鉄球を含
む総重量が約一・七四キログラムもあるキックボクシング練習器の鉄製脚部を持ち
出し、その鉄球部分でゴルフスイングの要領でEの太腿部等を力まかせに多数回に
わたり殴打し、被告人B、同C、同Dらも、これに倣ってこもごもEの太腿部等を
右鉄球で数十回殴打し、被告人Dは、肩の高さから右鉄球をEの腹部めがけて二、
三回落下させた。被告人Aは、繰り返し揮発性油をEの太腿部等に注ぎ、ライターで火を点けるなどしたが、Eは、最初は手で火を消そうとするしぐさをしたもの
の、やがて、ほとんど反応を示すこともなくなり、ぐったりとして横臥したままに
なった。
 右の一連の暴行は、当日の午前八時ころから同一〇時ころまで、約二時間にわた
って間断なく続けられた。このようにして、被告人らは、Eに原判示のとおりの重
篤な傷害を負わせ、そのころから、同日午後一〇時ころまでの間に、原判示の経過
で、Eを死亡させて殺害した。
 4 死体遺棄の犯行について
 被告人A、同B、同Cは、同月五日、被告人らが出入りしていた暴力団関係者の
経営する花屋「J」にいた際、FからEの様子がおかしいとの電話連絡を受けて、
被告人Cの居室へ赴き、Eが前記の暴行により死亡していることを知ったが、犯行
の発覚を恐れ、同日午後六時ころ、Fと共謀のうえ、死体を遺棄しようと企て、E
の死体を毛布で包み、大型の旅行鞄に入れてガムテープを巻きつけ、被告人Aが、
かつての仕事先から貨物自動車を借り出したり、セメントを貰い受け、近くの建材
店から砂やブロックを盗み出し、右自動車でEの死体と付近で取ってきたごみ入れ
用のドラム缶を同被告人方前に運び、同所でコンクリートを練りあげ、Eの死体の
入った鞄を右ドラム缶に入れたうえ、コンクリートをドラム缶に流し込み、更にブ
ロックや煉瓦を入れて固定し、ドラム缶に黒色ビニール製ごみ袋を被せ、ガムテー
プで密閉した後、被告人A、同B、同Cが、同日午後八時ころ、右ドラム缶を積載
した貨物自動車で、原判示江東区内の工事現場横の空地へ至り、同所に右ドラム缶
を投棄し、Eの死体を遺棄した。
 五 被告人Cの弁護人の事実誤認の主張及び被告人Bの弁護人の量刑不当のうち
殺意に関する主張について
 1 被告人Cの弁護人の事実誤認の主張1について
 関係証拠によれば、前記のとおり、被告人らがEを猥褻目的で略取、監禁する過
程で、被告人Cにおいて、自室を監禁場所として提供することを承諾し、同被告人
を含む被告人ら全員が右犯行について、順次共謀を遂げたこと、被告人Cが、他の
被告人らと共にEを同被告人の居室へ連行し、被害者を略取する実行行為に関与し
たことは、いずれも優に認めることができる。以下、若干付言する。
 被告人Cは、自分は、被告人Aからの電話で被告人B、同Dらと約束の待ち合わ
せ場所へ赴き、Eを伴った被告人Aと一緒になったが、その後、友人から借りて乗
っていた原動機付自転車を返しに行き、そこで酒を飲むなどし、その後の記憶はは
っきりしないけれども、そのまま他の被告人らのもとへは戻らなかった。翌朝一〇
時ころかに、自宅へ戻ったら、Eが自分の居室にいたなどと供述する。
 しかし、前記のとおり、そもそも、被告人Cは、同Aの指示を受け、自転車で帰
宅途中のEを自転車もろとも蹴飛ぱして本件に発端から関与し、その際は、いった
ん被告人Aと別れたものの、他の被告人らと自室でたむろしている際、被告人Aか
ら電話がかかったときには、同被告人が未だEを確保していることを知って、被告
人B、同Dと同様、被告人Aが自分たちにEをあてがい、姦淫させてくれるのでは
ないかという期待を抱いて、被告人Aとの待ち合わせ場所に赴いているのであっ
て、その後、Eが被告人Cの居室へ連行されるまでの過程で、被告人Cが事の成り
行きを見極めようともせず、他の被告人らやEと別れて別行動をとり、自宅へも直
ぐに戻らなかったということ自体、甚だ不自然であり、当夜の一連の事態の推移、
その過程で同被告人の果たした役割、そもそもEの連行場所が、同被告人自身の居
室であることなどの事実に加え、被告人A、同Bらの各原審公判供述中の関係部
分、Fの検察官に対する供述調書を含む原判決挙示の関係証拠を合わせ考えれば、
Eが被告人Cの自室に連行されるまでの間に、被告人らのたまり場になっていた右
自室へEを略取、監禁することについて、被告人Cと他の被告人らとの間で合意、
了解がなされ、被告人Cが他の被告人らと共にEを自室へ連れ込んだことはこれを
認めるに十分であり、右に沿わない被告人Cの関係各供述部分は信用することがで
きないから、原判決に所論の事実誤認があるとはいえない。論旨は理由がない。
 2 被告人Cの弁護人の事実誤認の主張2及び被告人Bの弁護人の量刑不当のう
ち殺意に関する主張について
 関係証拠によれば、前記のとおり、被告人C、同Bにおいて、被告人A、同Dと
共謀のうえ、Eに対し、未必の殺意をもって原判示の暴行を加え、Eを殺害したも
のであることは、優にこれを認めることができる。以下、若干付言する。
 (1) 関係証拠によれば、前記のとおり、Eは、昭和六四年一月四日以前の段
階で長期間にわたり監禁され、その間に、被告人らから度重なる強度の暴行を受けて顔面、手足等多数箇所に受傷し、前年の一二月中旬ころからは、食物も満足に与
えられなかったことや、衰弱に伴う食欲の減退等により、極端な栄養障害に陥り、
同月下旬ころには、自力で階下の便所へ行くことも困難な程で、極度の衰弱状態に
陥っていたことが明らかである。
 (2) そして、昭和六四年一月四日当日、被告人らは、前記のように極度の衰
弱状態にあったEに対し、顔面等を多数回にわたり手拳で殴打したり、回し蹴りし
たりし、更に、顔面、腹部、太腿部等をビニール袋で覆った手拳で殴打し、足蹴り
するなどし、前記のような重量のある鉄球で太腿部等を力まかせに多数回にわたり
殴打し、揮発性油を太腿部等に注ぎ、ライターで火を点けるなどの暴行を加えてい
るところ、その間、Eは、被告人らの加害行為に対し殆ど反応を示さなくなり、被
告人らのなすがままになっていたこと、右暴行は、約二時間にわたり、何ら手加減
することなく行われた強度のものであることが認められ、前記のように、Eが、す
でに極度の衰弱状態にあったこと、執拗で凄まじい暴行の態様、これに対するEの
反応振りなどの諸状況に照らせば、被告人らの右暴行の過程で、Eが客観的に生命
の危殆に瀕する状況に陥ったことが明らかである。
 (3) ところで、右のような暴行が行われている過程で、被告人らにおいて、
Eの死の危険を認識するに至ったことは、被告人らが捜査段階で共通して供述して
いるところであり、被告人Aの原審公判供述によれば、右暴行の終りころ、及び右
暴行終了の直後、被告人らが連れだってサウナへ出かける途中、被告人Aが、しき
りに他の被告人らに対し、Eが死ぬのではないかと話していたことも認められる。
右各供述は、前記のような客観的状況に沿い、極めて自然で合理的なものであり、
十分信用することができる。
 そして、本件の経緯から考えて、被告人らに、右一連の暴行の当初の段階から、
Eに対する具体的な殺意があったとは認められないが、暴行を継続する過程で、遅
くとも、被告人B、同Cにおいて、Eの顔面を回し蹴りし、Eが倒れると無理やり
引き起こして更に蹴りつけるなどした際、Eが何ら身を守ろうとしないうえ、不意
に転倒して室内のステレオにぶつかり痙攣を起こすなどした段階では、被告人らに
おいて、Eの死の危険を認識するに至ったものと認めるに十分であるところ、被告
人らがその後も、Eの死の危険を顧慮することなく、あえて、Eに対し、執拗、強
度の暴行を加え続けたことが明らかで、被告人C、同Bを含む被告人らが、意思相
通じて、Eに対し未必の殺意をもって原判示の暴行を加え、Eを殺害したことに疑
いを容れる余地はない。
 (4) 被告人Cの弁護人は、同被告人は、その発達過程において人の死の危険
性についての合理的判断能力を形成し得ていなかったため、被害者が死に至る危険
な状態にあるという事実そのものを認識していなかったなどと主張する。しかし、
同被告人が、精神的に未成熟であることが認められるとはいえ、同被告人の知能は
平均よりやや低い程度で格別問題はなく、これまでに非行や問題行動があるとはい
え、それなりに社会生活を送ってきた同被告人の事実認識の能力そのものが格段に
劣る訳ではなく、同被告人が、前記の客観的諸状況を認識しながら、Eの死の危険
を認識し得なかったとは到底認められない。その他、同被告人の弁護人は、原判決
の判示部分の一部をとらえて、種々論難するけれども、いずれも理由がなく、採用
することはできない。
 (5) 被告人Bの弁護人は、原判決は、故意について認容説をとっていないな
どとして、原判決には判例違反があるというのであるが、原判決は、「罪となるべ
き事実」の第二において、「被告人ら四名は、このまま暴行を加え続ければあるい
はEが死亡するに至るかもしれないことを認識しながら」「あえて」その後も、原
判示のとおりの暴行を加えた旨判示し、被告人らにおいて、被害者が死亡するに至
るかもしれないことを認識し、かつ、これを認容していたことを明確に判示してい
るのであり、所論は原判決の判示部分の一部をとらえ、原判決を論難するものに過
ぎない。同被告人の弁護人の殺意に関するその他の所論を検討しても、原判決の認
定に誤りはなく、所論は採用の限りではない。
 以上のとおり、論旨はいずれも理由がない。
 六 検察官並びに被告人Bの弁護人(ただし、殺意に関する主張部分を除く。)
及び同Cの弁護人の各量刑不当の主張について
 1 少年犯罪と刑事処罰のあり方について
 (1) 被告人らは、本件各犯行当時、被告人Aにおいて一八歳、同Bにおいて
一七歳、同Cにおいて一五歳ないし一六歳、同Dにおいて一六歳ないし一七歳で、
いずれも少年であったものであり、被告人C、同Dは、現段階においても、未だ少年である。
 <要旨>(2) そこで、所論の当否を検討するに先立ち、ここで、現に少年であ
り、あるいは、犯行当時少年であったも</要旨>のに対する刑事処罰のあり方につい
て、当裁判所の見解を示しておくこととする。
 まず、少年については、その健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の
矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特
別の措置を講ずること等を目的として少年法が設けられ(同法一条)、犯罪少年
は、すべて家庭裁判所の調査、審判に付されたうえ、原則として保護処分をもって
その教化改善を図ることとされているが、調査又は審判の結果、死刑、懲役又は禁
錮にあたる罪の事件について、その罪質及び情状に照らして刑事処分を相当と認め
るときは、家庭裁判所は、これを検察官に送致すべきものとされ(同法二〇条、二
三条)、検察官は、右のようにして送致を受けた事件について、公訴を提起するに
足りる犯罪の嫌疑があると思料するときは、公訴を提起しなければならないものと
されている。
 そして、その結果、少年に対し刑事処分をもって臨むのが相当とされる場合であ
っても、死刑、無期刑の緩和(同法五一条)、不定期刑の採用(同法五二条)な
ど、成人事件とは異なる特別の規定が設けられており、また、検察官に送致のう
え、刑事裁判所に公訴が提起された場合であっても、少年の被告人を保護処分に付
するのが相当であると認めるときは、事件を家庭裁判所に移送しなければならない
ものとされている(同法五五条)など種々の配慮がなされており、少年の刑事事件
の審理、量刑に当たっては、これらの点を慎重かつ十分に考慮しなければならな
い。
 少年犯罪に関する手続構造は、以上のとおりであるが、このことは、少年に対し
ては、成人に比べて、常に、一律に軽い量刑をもって臨めば足りるということを意
味する訳のものではない。犯罪の内容が重大、悪質で、法的安全、社会秩序維持の
見地や、一般社会の健全な正義感情の面から、厳しい処罰が要請され、また、被害
者の処罰感情が強く、それが、いたずらな恣意によるものではなく、十分首肯でき
るような場合には、それに応じた科刑がなされることが、社会正義を実現される所
以であり(少年法も、前記のとおり、罪を犯すとき一八歳に満たない者に対する死
刑、無期刑の緩和を定めながら、罪を犯すとき一八歳以上の者に対しては、そのよ
うな緩和規定を設けていない。)、そこにも犯罪少年の処遇を国の司法機関である
裁判所に委ねた大きな意義があるものといわなければならない。
 これを看過して、少年に対し、以上の諸観点から遊離した著しい寛刑をもって臨
むのは、一般社会の刑事司法に対する信頼を揺るがせるばかりでなく、少年に対
し、自己の罪責を軽視させ、いたずらに刑事処分に対する弛緩した意識を抱かせる
など、少年自身の更生のためにも適当とは思われない。また、刑罰といえども、一
般予防的、応報的側面ばかりでなく、受刑者の教化改善、更生を図ることが重要な
目的とされているのであって、当該少年の特性を配慮しつつ、事案にふさわしく社
会感情にも適合した量刑がなされ、その執行を進める中で、少年に自己の罪責に対
する反省と社会の一員としての自覚を促し、改善更生に努めさせることは、広く少
年法の理念に沿う所以でもある。
 少年犯罪に対する刑事処分の量刑に当たっては、以上のような諸点を考慮したう
えで、少年の未熟性、可塑性などその特性にも適切な考慮を加えつつ、事案の程
度、内容等と均衡のとれた科刑がなされるよう特段の配慮がなされるべきである。
 なお、ここで付言しておくと、以上に述べたところは、少年法二〇条、二三条の
検察官送致、並びに同法五五条の家庭裁判所への移送を決定するに当たっての相当
性判断の基準についても妥当するものというべきである。したがって、少年につい
ては、保護処分によっては矯正の見込みがないと考えられる場合にのみ刑事処分に
委ねるべきであり、およそ保護が可能である限り刑事処分を避けて保護処分を採る
べきであるとする見解には賛同できない。
 以下においては、このような観点にたって、原判決の被告人らに対する量刑の当
否について検討する。
 2 被告人らに共通する情状について
 本件一連の犯行の概要及びE関係の事案の詳細は、先に三、四で判示したとおり
であり、被告人らは、前記のとおり、被告人Aを中核とする非行集団を形成し、被
告人ら全員又はその一部の者が、時に他の不良仲間も加わるなどして共謀のうえ、
もしくは単独で、昭和六三年一〇月下旬から昭和六四年一月上旬にかけて本件各犯
行を重ねたものであるが、ここで、各事犯において被告人らにおおむね共通する情状について検討する。
 (1) E関係の犯行の情状について
 Eに対する猥褻目的略取、監禁、強姦、殺人、死体遺棄の事犯の内容は、先に四
において見たとおりで、Eの監禁中、被告人らによりなされた輪姦の犯行や、Eに
対する暴行、凌辱の数々の所為は、常軌を逸した異常、残忍、凶悪なもので、徹底
的にEを辱めて打ち興ずるなど、そこには人間性のかけらも見られない。
 更に、E殺害当日の犯行は、被告人らの度重なる暴行により、すでに、顔面は腫
れ上がって変形し、火傷は多数箇所にわたって膿み爛れるなどし、食物もほとんど
与えられないまま、衰弱しきって終日ただ横臥しているのみの状態にあったEに対
し、被告人Aを中心に、あたかも、被告人らが互いに、その残忍、凶悪さを競い合
うかのように、約二時間にわたり、執拗かつ強度の凄まじい暴行を加え続け、未必
の殺意をもってEを殺害したもので、その凄惨な犯行状況には、慄然とした思いを
抱かずにはいられない。そして、Eが死亡するや、犯行発覚を免れるため、その死
体をコンクリート詰めにするという異常な方法で空地に投棄するなど(ただし、被
告人Dは、右死体遺棄の犯行には関与していない。)、被告人らの本件一連の犯行
には、Eの人間としての尊厳に対する一片の配慮をも窺うことができない。
 被告人らは、Eを猥褻目的で略取してから殺害するまで、四〇日間にわたって被
告人Cの居室に監禁したものであるが、被告人らが、このように長期にわたる監禁
を意図していたものではないとしても、被告人らのたまり場になっていた被告人C
方に、Eを連行して監禁するという犯行態様それ自体、及びその後の事態の推移に
照らすと、そもそも、当初の段階において、Eを早期に解放するという考えが、被
告人らにあったとは認められない。また、監禁が長期化したのは、Eを解放するこ
とにより、犯行が発覚することを恐れ、更にはEの傷が重くなり衰弱が進んだため
その処置に窮した結果であるという面があるとしても、それは被告人らの手前勝手
な事情というべきである。そのうえ、被告人らは、Eに対する女性としての興味を
失った後も、ただ単にEの自由を拘束していたというのではなく、被告人らの暴
行、虐待等により、顔面が腫れあがり、火傷は膿み爛れるなど、醜く変ったEを疎
ましい存在と考えて、日常会話の中で、Eの死やその死体処理の話を交わすなどし
つつ、更に執拗、冷酷、残虐極まりない暴行、凌辱を加え続け、ついにEを殺害し
ているのであり、その間の経過に、被告人らに同情すべき点があるとは思われな
い。
 また、被告人Aが、暴力団関係者と接近し、他の被告人らも被告人Aを介して暴
力団関係者と関わりを持つに至ったことが、被告人らの生活環境を悪化させ、その
非行性をいっそう深化させたものと認められるけれども、たやすく暴力団関係者に
接近し、あるいは、その働きかけに応じて感化された被告人ら自身の責任も見過ご
すことができない。
 そして、被告人らが、犯行時いずれも少年であり、その資質、生育歴、家庭環境
等から、成熟度において劣るものがあったこと、Eに対する暴行、凌辱は、このよ
うな被告人らが、集団心理も加わって、互の行為に刺激され、影響され、虚勢を張
り合って、とりわけ激しいものになったという面があること、更には、世上に氾濫
する、乱れた性風俗や、殺伐な人命軽視の場面を興味本位に扱った、低俗で刺激的
なマスメディアの諸情報に、被告人らが無批判に汚染されていたであろうことなど
が認められるけれども、これらを理由として、その罪責を大幅に軽減するのが相当
であるとは認め難い。
 (2) Eの遺族の被害感情等について
 Eの両親は、昭和六三年一一月二五日以降、Eが帰宅しないまま連絡もないた
め、同月二七日警察へ捜索願いを出し、以後Eの無事を祈り続けたものであるが、
この間、被告人Aらは、同年一一月末から一二月一六日ころにかけて、三回にわた
り、Eに、「家出しているんだから捜索願いを出さないで」とか、「捜索願いを取
り下げて」などという電話を自宅にかけさせ、Eの所在を捜索されるのを阻止しよ
うとし、また、そのころ、被告人Cの母は、たまたま自宅にEがいるのを知って、
E方へ偽名で電話したが、Eの両親は、右偽名を頼りに諸所へ電話をかけるなどし
たものの徒労に終り、やがて、Eの所在についてこれといった手掛かりもなくな
り、心痛の日々を送っていた。そして、平成元年三月二九日、Eの死体が入れられ
たドラム缶がようやく発見されるに至り、翌三〇日父が検分した際には、Eの死体
は、腐敗して、すでに親でさえ、直ちにEと判別しがたいほどに変わり果ててい
た。Eの母は、悲嘆の余り、病に倒れ、今日においても、なお神経科に通院加療を
続けている状況である。 手塩にかけて育て上げてきた一人娘を卒然として手許から取り上げられ、不安焦
燥に居たたまれない長い日々を送らされた挙句、無惨にもEを殺害されるに至った
両親ら遺族の被害感情は、極めて厳しく、被告人らに対し、激しく厳罰を求めてお
り、Eの父は、当審証言においても、被告人らに対する原判決の科刑は余りにも軽
過ぎるとして、強い不信と不満の情を切々と吐露している。Eは、被害当時、卒業
を間近にした高校三年生で、すでに就職も内定し、将来への夢をふくらませていた
ものであるが、本件について、何らの落ち度もなく、たまたまアルバイト先からの
帰宅途中、被告人Aに目をつけられたことから、事件に巻き込まれ、被告人らから
長期間監禁され、堪え難い数々の暴行、凌辱を受け、遂に、凶悪、無残な犯行の犠
牲になり、春秋に富む若い生命を絶たれたもので、まことに、あわれというほかな
く、E自身の無念さはもとより、両親ら遺族の心情は察するに余りがあり、その被
害感情の厳しさは十分に理解することができる。
 (3) E関係以外の犯行の情状について
 E関係以外の各犯行は、被告人Aについて、Eに対する各犯行の前後及びその犯
行中になされた強姦二件、傷害一件、窃盗九件(うち、店舗荒らし一件、ひったく
り八件)の事犯、被告人Bについて、同じく強姦二件、傷害一件、窃盗七件(う
ち、自動車盗一件、店舗荒らし一件、ひったくり五件)の事犯、被告人Cについて
Eに対する各犯行の前及びその犯行中になされた窃盗四件(うち、自動車盗一件、
店舗荒らし一件、ひったくり二件。ただし、同被告人は強姦二件、傷害一件の犯行
にも共犯として関与しているが、すでに家庭裁判所の審判を経ているため、訴因と
されていない。)の事犯である(被告人Dは強姦一件の犯行に共犯として関与して
いるが、すでに家庭裁判所の審判を経ているため、訴因とされていない。)。
 これらの犯行は、被告人Aが、単独でした窃盗一件(ひったくり)のほかは、そ
れぞれの被告人が他の被告人や不良仲間らと共謀のうえ敢行したものである。
 各犯行の概要は、前記三記載のとおりであるが、当時一九歳の女性二人に対する
各強姦の犯行は、被告人Aが運転する自動車で、姦淫の相手を物色しながら走行
し、右被害者らを認めるや、無理やり右自動車に乗せ、脅し文句を並べたり、繰り
小刀や果物ナイフを突き付けるなどして、その反抗を抑圧してホテルやモーテルへ
連れ込み、被告人らや共犯者で順次輪姦したという、相手の人格を全く無視した、
自己本位の計画的で凶悪な犯行であり、各被害者に与えた心身の傷痕は深く、この
二件の強姦事件だけをとっても、その犯情は極めて悪質である。
 傷害の犯行は、被害者が被告人らの不良仲間であるが、被告人Aが暴力団関係者
から唆されて結成しようとしたM会なる下部組織に、被害者が加入しなかったこと
等に立腹し、被告人らが共同して被害者に対し、三時間余にわたり、一方的に執拗
で手酷い暴行を加え、加療約四週間を要する全身打僕の傷害を負わせ、更に、被害
者に「一〇〇万円で許してください。それができない場合は荒川へ入ります」など
という誓約書を書かせたりして荒川に連れ出し、厳冬の川中へ入らせるなどのリン
チを加えたもので、動機、態様とも悪質で、これまた、犯情は甚だよくない。
 各窃盗の犯行中、店舗荒らしの事犯は夜間の侵入盗で、被害額も時価合計二〇〇
万円余の多額であり、ひったくりの事犯は、夜間通行中の女性を対象に、バイクを
運転して近づき、その所持品を奪い取るという強盗まがいの大胆かつ危険なもの
で、しかも、連続的に犯行に及ぶなど、これら各事犯の犯情も悪質といわなければ
ならない。
 (4) 本件の社会的影響について
 本件が、不良仲間の少年らによって犯された、女子高校生に対する猥褻目的略
取、監禁、強姦、殺人、死体遺棄等の事件で、大都会の住宅密集地の少年の居室内
に長期間にわたって被害者を監禁し、暴行、凌辱をほしいままにした挙句に殺害し
たという、犯行態様において、凄惨、残忍を極め、そのうえ、死体をコンクリート
詰めにして投棄するなど、常軌を逸した異常かっ重大な事犯であったことから、世
人の大きな注目と関心を集め、これが一般社会に与えた衝撃は極めて深刻で、その
影響も甚大であり、本件量刑に当たっては、この点についても十分な配慮を要する
ものといわなければならない。
 3 被告人らの個別的情状及び被告人Cの弁護人の家庭裁判所への移送の主張に
ついて
 (1) 被告人Aについて
 被告人Aは、被告人ら四名中の最年長者であり、本件一連の犯行について、終
始、主導的地位にあったもので、E関係の各犯行にあっては、自転車で帰宅途中の
Eを認めるや、被告人Cに指示して、Eを自転車もろとも蹴飛ばさせ、犯行の発端を作り、Eをホテルに連れ込んで姦淫した後、被告人らのたまり場になっていたC
方へ電話して、他の被告人らを呼び出し、意思相通じてEを猥褻目的でC方へ略取
して監禁し、他の被告人らや不良仲間にEを姦淫させようと企てて、Eに対する輪
姦の犯行に及び、以後Eに対する手酷い暴行、凌辱の所為を主導的、積極的に行
い、凌辱行為の方法の多くも、被告人Aが案出し、E殺害の犯行も、その発端は、
同被告人が、麻雀に大敗した鬱憤ばらしに、Eをいじめようと考えたことから始ま
ったものである。
 その犯行態様が常軌を逸した異常かつ残忍なものであることは前記のとおりであ
るが、被告人Aは、右犯行の中心となり、自ら、あるいは他の被告人らを指示する
などして、積極的、主導的に犯行を遂行しており、死体遺棄の犯行も、被告人Aが
中心になって遂行したものである。その他、E関係の事犯と前後し、あるいはEの
監禁を続けている間に、被告人Aによってなされた強姦、傷害、窃盗等の各犯行に
ついても、同被告人が主導的にこれを遂行しているのであり、同被告人の果たした
役割、犯行態様、その危険性、被害者に与えた衝撃の程度、全体の犯行回数等を考
えると、E関係の各犯行と併せ、同被告人の犯情は甚だ悪質である。そして、同被
告人のこれまでの非行歴、暴力団関係者への接近状況、同被告人が、他の被告人ら
や不良仲間らに与えた影響などをも考えると、同被告人の罪責は、極めて重大であ
り、被告人四名の中でも、ひときわ抜きんでているというほかはない。
 なお、証人Hの原審公判供述、同人作成の鑑定書によれば、被告人Aには、脳の
器質的障害(早幼児期脳障害)があり、それが、同被告人の人格の偏りに影響を与
えていることが窺われるけれども、すでに、前記一の1で見たとおり、同被告人
は、中学時代には、柔道に打ち込んで、優れた成績をあけ、格別の問題行動もなく
三年間の中学生活を送り、また、本件一連の犯行が始まる三箇月位前まで、タイル
工業所で働いていた約一年間余は、真面目な働き振りを雇主からも評価されている
程であって、その他これまでの生活歴から窺われるところによれば、同被告人に脳
の器質的障害があったとしても、同被告人自身の自主的な努力によってこれを克服
し、正常な社会生活を送っている時期が多々あるのであるから、同被告人に脳の器
質的障害があることを過大視するのは相当ではない。
 他面、関係証拠によれば、同被告人は、昭和六三年夏ころないし遅くとも一〇月
ころから、シンナーを盛んに吸引するようになり、幻覚などの中毒症状がでて、本
件犯行後の平成元年一月一二百足立区内の病院で受診し、シンナー中毒と診断さ
れ、服薬治療を受けていること、同被告人がシンナーの吸引を止めた後において
も、なお、幻覚が消失しなかったことなどが認められ、同被告人のシンナー中毒の
症状はかなり重かったことが窺われるのであって、本件各犯行の直ぐ前から始まっ
た同被告人のシンナー吸引が、人格水準の低下を招き、本件一連の犯行に影響を及
ぼしたことも否定することはできない。
 一方、同被告人の両親が、五〇〇〇万円を贖罪のためEの遺族に提供したこと、
強姦の被害者中一名及び傷害の被害者との間で示談が成立していること、同被告人
が本件を深く反省し、弁護人の熱意を込めた厳しい指導を受け、文通、面会、読
書、写経等を通じ、原判決後もいっそう内省を深め、人間的成長の跡が相当に窺え
ることなど、同被告人のため斟酌できる事情もある。
 (2) 被告人Bについて
 被告人Bは、前記のとおり、被告人らの非行集団内における力関係では、被告人
Aに次ぐ立場にあったことが認められる。同被告人の弁護人は、原判決のその旨の
判示部分を論難するけれども、関係証拠によれば、前記のように、そもそも、被告
人らの非行集団が形成される過程で、被告人Aが右集団に加わる前は、被告人B
が、被告人Cや同Dに対して優位な立場にあり、集団内で中心的存在であったこと
が認められ、被告人Aが、右非行集団に加わった後においても、被告人Bが、被告
人C、同Dらに対する関係では、従前と同様の立場にあったことは、本件一連の犯
行遂行過程における被告人Bの言動、その果たした役割等からもこれを窺うに十分
であり、被告人B自身も、原審公判において、被告人Aがいないところでは、自分
がリーダーということになる旨供述し、集団内で被告人Aに次ぐ立場にあったこと
を自認しており、他の被告人らも、同様、これを窺わせる供述をしているのであつ
て、原判決の判示に誤りがあるとは認められない。
 また、被告人Bの弁護人は、Eに対する一連の犯行の発端において、被告人Bが
被告人Aの相談に乗ったことはなく、同被告人に対し原判決の認定するようなこと
も言っていないというが、関係証拠によれば、前記四の1で判示したとおり、被告
人Bが、被告人Aに対して積極的に被害者を略取することを提案したことなどもこれを認めるに十分であり、以上の認定に沿わない被告人Bの原審公判供述は採用で
きない。
 そして、本件一連の犯行において、被告人Aが、終始、主導的、中心的立場にあ
って行動したことは明らかであるが、被告人Bも、Eに対する各犯行において、被
告人Aのいない場面でも、前認定のとおり、被告人Cらと共に、Eに対し、積極的
に強度で執拗な暴行に及んでおり、被告人Bが、被告人Aに追従してした暴行、凌
辱の数々も、やむなく被告人Aの指示に従ったというようなものではなく、自ら積
極的な攻撃に及んでいるのであって、手加減をした節などは窺われない。
 被告人BがE関係の事犯において果たした役割、犯行の内容、同事犯の悪質重大
性などのほか、前記のとおり、被告人Bが、右以外の事犯においても、被告人Aら
と、悪質な二件の強姦及び傷害の各犯行に加わり、そこでも同被告人に次いで犯行
遂行上において重要な役割を果たしていること、更に、前記ひったくり等の窃盗事
犯を重ねていることなどを総合して考えると、被告人Bの罪責は、被告人Aに次い
で重大である。
 一方、強姦の被害者中一名及び傷害の被害者との間で示談が成立していること、
被告人Bの両親は、原判決後も、引き続きEの遺族に対する賠償金の積み立てを続
け、現在では一六一万円余に達していること(遺族は、現段階ではその受領を拒絶
している。)、同被告人が、本件を深く反省し、原判決後も、弁護人の熱心な指導
を受けて、勉学、読書、写経などを続け、いっそう内省を深め、成長の跡が相当に
窺えることなど、同被告人のため斟酌できる事情もある。
 (3) 被告人Cについて(家庭裁判所への移送の主張に対する判断を含む。)
 被告人Cの弁護人は、同被告人については、原判決を破棄したうえ、家庭裁判所
へ移送して、保護処分に付するのが相当であるとして、種々の主張をする。
 そこで、検討すると、すでに詳述したとおり、被告人Cの関与した各犯行中にあ
っても、Eに対する一連の猥褻目的略取、監禁、強姦、殺人、死体遺棄の事犯は、
常軌を逸した悪質重大な犯行であり、その社会的影響は甚だ大きく、また、被害者
の遺族の被害感情は極めて強く、現段階においても、全くそれが癒されていない。
そして、右一連の犯行においては、被告人Aが、他の被告人らに指示するなどして
主導的にこれを遂行したことは、前判示のとおりであるが、被告人Cにおいても、
単に被告人Aに指示されて、不本意ながら、これに従っていたというのではなく、
被告人Bと同様に、自ら積極的に犯行に関与し、被告人Aのいない場面において
も、被害者に対し、手加減なく強度の暴行を加えているのであって、被告人Cの罪
責は重大といわなければならない。しかも、先に見たように、同被告人は、小学校
当時から、恐喝、万引きなどの非行が始まり、以後その非行は収まらず、家庭内暴
力、怠学等を重ね、本件当時、同被告人の居室は非行集団のたまり場となり、被害
者に対する監禁、強姦、殺人等の犯行の場となったのであって、これに対する両親
の監督も全く及ばない状況であったのである。
 少年犯罪と刑事処罰のあり方について先に述べたところを踏まえて、これらの状
況を考えると、同被告人が、被告人らの中で最年少であり、本件犯行当時一五歳な
いし一六歳であったことなどを考慮しても、同被告人について、保護処分が相当で
あるとは到底認められず、所論は失当である。
 被告人Cについての、個別的情状は、右所論に対する判断中で記載したとおりで
あるが、原判決後、同被告人の両親が、自宅を売却し、その中から一〇〇〇万円を
Eの遺族への賠償金として提供するため積み立てていること(遺族は、現段階では
その受領を拒絶している。)、同被告人が、本件を反省し、原判決後も弁護人の熱
心な指導等により、内省を深め、勉学、読書、短歌などを通じて自省の日を送り、
成長の跡が相当に窺えることなど、同被告人のため斟酌できる事情もある。
 (4) 被告人Dについて
 被告人Dは、Eに対する一連の犯行(ただし、死体遺棄の犯行を除く。)につい
て、他の被告人らに比べれば、加担度は低く、いずれかといえば、追従的であった
ことが認められるけれども、おおむね、右各犯行に終始関与し、監禁中の見張り役
をしばしば受け持ち、Eに対する強姦の犯行の際には、E姦淫の実行行為に及んで
おり、更に、E殺害の犯行の際には、前認定のとおり、素手では、血で汚れるとし
て、ビニール袋で覆った手拳でEの腹部、腰部などを力まかせに多数回殴打した
り、他の被告人らに倣って、前記鉄球でEの太腿部等を多数回殴打したり、右鉄球
を肩の高さからEの腹部目がけて落下させるなどの凄じい暴行に及ぶなどしてい
る。
 また、同被告人には、前記のとおり、家庭内暴力等の虞犯事件により保護観察に付されたり、その後も、虞犯や暴力行為等処罰に関する法律違反の非行により二回
不処分とされるなどの非行歴があり、その生活態度も著しく不良であったことが認
められる。
 一方、同被告人は、本件当時一六歳ないし一七歳で、被告人Cに次いで年少であ
り、社会性の乏しさや未熟さがみられること、弁護人の努力もあって、現在では本
件をそれなりに反省し、自戒している状況が窺われるなど、同被告人のため斟酌で
きる事情もある。
 4 被告人らに対する量刑について
 (1) まず、先に、3の(3)において、被告人Cの弁護人の所論について判
断したとおり、同被告人を保護処分に付するのは相当でなく、また、被告人Dにつ
いても、これまで判示した諸事情を考慮すると、被告人Cと同様、保護処分に付す
るのが相当とは到底認められない。
 (2) そこで、次に、原判決の被告人らに対する量刑の当否について検討す
る。先に詳述したEに対する一連の犯行の常軌を逸した悪質・重大性、各被告人の
果たした役割、加害行為の態様、結果の重大性、遺族の被害感情、社会的影響の大
きさ、その他記録に表れた一切の状況、被告人A、同Cについては、右のほか、そ
れぞれその関与した犯行の犯情の悪質性、その他の諸般の事情を総合して考える
と、前記の被告人らのために斟酌できるすべての情状を十分考慮してみても、被告
人Aを懲役一七年に、同Cを懲役四年以上六年以下に、同Dを懲役三年以上四年以
下に処した原判決の量刑は、著しく軽過ぎて不当である。
 しかしながら、被告人Bについては、先に述べたとおり、同被告人の犯情も極め
て悪質で、その罪責は重大であるが、被告人Bと同Aとでは、犯情において明らか
な差があり、被告人Bのために酌量できる前記の諸情状をも合わせ考慮すると、同
被告人について、無期懲役刑を選択して処断するのは相当でない。同被告人に対
し、有期懲役刑を選択したうえ、少年法五二条により、長期、短期とも少年に対す
る有期懲役刑の最高刑である懲役五年以上一〇年以下に処した原判決の量刑はやむ
を得ないもので、これが著しく軽過ぎて不当であるとはいえないとともに、重過ぎ
るともいえないしなお、被告人Bは、現在は、成人に達しているが、原判決の当否
を審査することを目的とする当審としては、原判決言い渡しの時点を基準としてそ
の当否を判断しなければならず、また、原判決を破棄しなければ明らかに正義に反
するような原判決後の事情も存在しない。)。したがって、被告人A、同C、同D
についての検察官の論旨はいずれも理由があるが、被告人Bについての検察官の論
旨及び被告人B、同Cの各弁護人の論旨は、いずれも理由がない。
 よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により、原判決中、被告人A、同C、同
Dに関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して、更に判決することとし、
同法三九六条により、原判決中、被告人Bに関する本件各控訴を棄却することとす
る。
 七 被告人A、同C、同Dに関する自判
 被告人A、同C、同Dにつき、原判決が認定した罪となるべき事実に、原判決が
適用した法令(ただし、原判決五〇丁裏六行目及び七行目に「同法六〇条、二〇四
条、罰金等臨時措置法三条一項一号」とある部分は、「同法六〇条、平成三年法律
第三一号による改正前の刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六
条、一〇条による。)」と改める。)を適用し(なお、原判決五一丁裏四行目に
「被告人Dの判示第一ないし第三」とある部分は「被告人Dの判示第一、第二」の
誤記と認める。)、原判決と同様の科刑上一罪の処理、刑種の選択、併合罪の加重
をした刑期の範囲内で、なお、被告人C、同Dは少年であるから、少年法五二条に
従い、同被告人らをそれぞれ主文掲記の刑に処することとし(被告人Aについて、
無期懲役刑をもって処断するのが相当と考える余地もないとはいえないけれども、
同被告人のため斟酌できる別記の諸情状を考慮すると、現段階で、同被告人に無期
懲役刑を科するのは、なお躊躇せざるを得ず、同被告人については、有期懲役刑を
選択したうえ、その処断刑の最上限である懲役二〇年に処するのが相当であ
る。)、刑法二一条を適用して、被告人A、同C、同Dに対し、原審における未決
勾留日数中三五〇日をそれぞれその刑に算入し、被告人A、同Cの原審における訴
訟費用、被告人Dの原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但書を
適用して、同被告人らに負担させないこととする。
 よって、主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 柳瀬隆次 裁判官 宮嶋英世 裁判官 中野保昭)

"大丈夫。いざとなったら殺してコンクリート詰めにして、最寄りの警察署の前にでも転がしてればバレナイから"。此奴等は殺しても罪には問われません。』


で、そりゃもう、なんとなく。



おはよう


はい。8月 31, 2018

これ全世界駄々漏れだよね。

おれがいってるつうことで。
おれの妻ハロプロは。
モーニング娘。は春水万梨愛美希朱音まで。
ベリーズ工房全員。
中島早貴と鈴木愛理。
三好絵梨香。岡田唯。

スマイレージ全員。
宮崎梨緒。
まで。この子らの都合はどうでもいい。おれには関係ないから。

篠田麻里子と生田絵梨花はおれの妻。本物。

和田彩花 わたしならTRIP

他、大売り出しバッタモン系(全員エイズ、調べてみろ。オマエラしか伝染らんけど。)は当然アンジュルム改名後加入者含め全員ゴミ処刑。

”夫”はセットの人造偽物ズ共々ゴミ処刑。以下同文。

以上。

そういえば、(ここでは)突然ですが、今のフランスのマクロン大統領はプーチンさんメルケルさんご夫婦のお子さん。

それがこの世界(もしかしたらサザエさん化)。

ちなみに、ここんとこのおれの楽しみは、最近(つうても多分10年ぐらい前)のサザエさんのアニメをまとめてみること。

おそらく真にニュータイプな世の中とは、サザエさんでしょう。

で。









"Oasis MTV Unplugged 23.08.96 Remastered"

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