5.ええ、僕の実質上の文章歴の始まりはゴキブリからですよ



ゴキ!

今年の夏は近所の路上で妙にゴキブリを見かける。普通にうろちょろしてる。いつもは引っ込み思案のゴキ君がこんなに自己主張するのは初めてだ。何の意識改革があったのかは知らないが積極的なことはいいことだ。

が、実際問題まったくよろしくない
そういえば友達も「最近ゴキブリ多くてさぁ」と嘆いていた。
今年はゴキ君の当たり年?
なにげに最近頻繁に起こる地震と関連あったりして・・・



節穴

文字を書く(打つか?)っていいですね。それが実質をともなっていない空っぽな物でも書いてしまえばコッチのもの。それがダイヤなんだかガラスなんだか、はたまたプラスチックなんだかは僕には全くわかりません。
馬鹿。そんなん単に文章のを見抜けない奴の目が節穴なだけだろ。俺の目は誤魔化せないぜ!つう人ほど僕には本質的に騙されやすい人に見えるのは何故でしょう?

僕の目が節穴なせいでしょうか?



見えない物を見ようとする誤解 全て誤解だ

今日もシュークリームを食べてしまった。

さて、僕の文章歴もはや三ヶ月を越えました。三ヶ月といったら一年の四分の一、三年の十二分の一、五年と六ヶ月の二十二分の一じゃないですか。よくもまあ続いたもんです。

ところで、僕は文章の句読点の位置がよくわかりません。悩みます。
やっぱりこういうトコにちゃんと文章を書く訓練をしていない我流の限界があるのだな、と思います。

が、最近、句読点の位置なんかどうでもいいじゃねえかと思い始めました。
つうか違った意味で重要だなと思い始めました。
句読点を打つ位置にこそ、僕の文章の個性があるんじゃないのかなと思い始めました。
自分自身が"有る"んじゃないのかなと思い始めました。

僕は文章を書き始めて何となくわかったことがあります。
それは、文章はそれを書いた人のすべてをさらけ出す。決して隠せない。上辺だけ取り繕ったりなんだりしてもまったく無駄ってことです。

僕はここに書き始めた頃『人間にとって自分を守る最大の武器であり、世界を焼き尽くす一番の凶器になりうるのは「言葉」なのだから。』と書いてます。←自分で書いといてこの言い方もなんですけど

しかし「言葉」が焼き尽くすのは、「文章」が焼き尽くすのは、世界ではなく、その「言葉(文章)」を発した当人かもしれない。
それほど文章を書くということはきわどいことなのだ、そう感じています。

だからもし、ここにいろいろ書いている人で、僕と同じように文章を書く上での句読点の位置がよくわからずに悩んでる人がいたら言いたい「気にすんな!」と。それでいいじゃないか。それがあなたの個性だ。そこにあなたの魂がある。綺麗な文章書いたからってだからなんなの?そんなもん読んで何か心に引っかかります?心揺さぶられます?僕は何も感じんぞ。魂は震えないぞ。そんなことに怯えるのは人生の無駄だ。魂はそんな上っ面の薄っぺらいとこには決してない。他人の魂を揺さぶることができるのは、あなたの魂だけだ。


φ( ̄▽ ̄φ)が言ってましたよ。

僕よくわかりませんけど。



種をまく人

世の中には文章を書かずにはいられない人がいるらしいですね。心の中に何か魔物(才能)がみついていて、それに追い立てられるように文章を書かずにはいられない人が。僕は三ヶ月少々文章を書いてみてはっきりわかりました。残念ですが僕の中にはそのような魔物は棲みついていません。

文章を書くことは好きではありません。
書いてて一つも楽しくありません。
まあ好きだったら、楽しかったら、人生もっと早く文章を書いていたでしょうから、わかりきったことを再確認したわけです。

では何故僕は文章を書くのか?
簡単な話なんです。ここに書き始めたとき、僕は自分に一日に最低二回は文章を更新するというノルマを課したからです。僕は妙なとこだけ意思が強く、やると決めたらやるんです。
だから、どうしようもない事情でもないかぎり、毎日律儀に文章の更新をしているわけです。

もうなんか""って感じです。

ちなみに""とは、映画「戦場のメリークリスマス」の中でトム・コンティさん演じるMr.Lawrenceが、捕虜仲間?の英国軍将校に説明するに「怠惰を直す日本のやり方だ」「彼が言う(怠惰という)のは精神的なたるみのことだ」と言われています。←と字幕に書いてあります

ん?何かちがうな?

ま、とにかく、僕はここに文章を書かなくなったら、人生即行文字とはおさらばな気がします。
だからそん時は、新たな自分への縛りとして小説でも書こうかなと最近思っとります。

さて、明日はもう十二月です。今年もあと一ヶ月ですよ。
一ヶ月といったら、一年の十二分の一、三年の三十六分の一、五年と六ヶ月の・・・
光陰は流れ星みたいですね。



like a rolling stone

やっぱりすっ飛ばして文書を書くと、あとで自分で読んでも話が飛躍しまくってて「なんじゃこりゃ?」ってなりますな。でも、それを狙って書いていたりもするんだけどね。スピードを上げて。その瞬間に出てくるものに賭ける。うだうだ悩まねえ。ジャン・コクトーさんの「存在することの危うさに最後の最後まで賭けるのだ」ってね。

つうか、初期衝動を思い出そうつうかね。どうも俺がここで書いた文章のピークは書き始めの八月後半から九月前半までっつう感じがしてね。もちろん文章のテクニックの話ではなくてね。そんなものは今もないけどね。なんかしゃくでね。もちろん自分の中でね。





タネ

机の上を整理していたら、裏にボールペンで細かくゴチャゴチャ書いたローソンのレシートが出てきました。

これはここの"ネタ"じゃないですか。
うわっ!懐かしいな。そうそう最初はここに何を書くか前もっていろいろ決めていた。

いえね、ここに文章を書き始めたとき、とても書き続けられる自信がなく、とにかく八月いっぱいは何とか書き切るぞと前もって書くことを決めようと思ったのだ。
でも、結局考えに考えて"ネタ"は10個も出てこなくて、「俺の人生を総ざらいしても出てくる"ネタ"はこんなものなのか~」と地味に落ち込んだものだったのだ。

まあ"ネタ"つうのはタイトルであったり、書き出しの一文であったりなんだけど、がんばって捻り出したモンだからね、見てみると一個を除き全て消費してますな。
ただ最初から一日に二回も三回も更新してるからね、一週間ほどで出し切ってます。
この時の燃え尽き感はなかなかだったと思い出しました。

まあだんだん、別に"ネタ"とかなくてもPCの前に座れば書くことはなんとかなるって感じになってはいったんだけど。



閃き

今月(2010年1月)の12日でここに書き出して一周年です。
その間に八ヶ月、一年の三分の二ほどブランクがあるけれどまあ気にしない。
一応そこを目指して書いていたので、とりあえずそこで気持ち的に一区切りです。
(※1月12付けの最初の文章の次が8月21日付けの"ゴキ!"2014/06/14)

さて今月のテーマどうしましょうかね。
う~ん、まあそのうち何か浮かぶだろうからしばらくは様子見かな。

しもそうなのかもしれませんが、こういうトコに書くときってウンウン考えても何もアイデア出てこないんですよね。ボ~としてる時にいきなり文章がダ~と最初から最後まで浮かぶ感じで。
でも僕ら一般ピーポーはそういう「閃いた!」な、"想像の翼"なんていつ何時羽ばたいちゃうか自分でもわかりませんよね。全くコントロールできない。


そのクオリティーは置いといて、僕もここに書いている文章なら、本当に全くの無から一瞬で頭の中に完成して出てくることもあります。
つうても、その出てくる対象はそれぞれだろうけど、これは特別な現象でも何でもなく、こんな経験ある人は結構多いですよね。

で、それを基本二本の指で現実に文字に起す作業と時間がもどかしいこと。

あと「うわ!湯水の如くアイデアが湧いてくる、俺って天才!!」と思ってたら単に他人の着想・発想・作品を完璧にパクッてるってことも間々あるんで注意が必要ですね。
(注:我ながらありました・2013/11/04)

ま、パクるんなら最低限相手へのリスペクトは持ちましょう。
それすらないのは、流石にただの泥棒です。



終了

つうわけでこの11日でとりあえず一段落、シーズン1終了ということで。
そこで何か変わるってこともないんですが、己への妙な決め事はリセットしようかなと。

正直、去年の年末くらいから自分が書く文章の内容の無さがどうしようもないレベルにきてる自覚もありますし。飲めるように水で薄めたカルピスの原液(かな?)をさらに薄めてしまったような。
ま、物凄く限られた時間かつ完全にノープランで文章を二つでっち上げるっつう実験としては悪くはないんですが、それはあくまでも僕個人の問題ですからね。

というわけでシーズン2の予定は未定ではありますが、より自由にやろうかなと思っています。

まあ気づけば僕の文章歴もだいたい五ヶ月。
我流で(基本)シコシコ毎日書き続けたので、そろそろ取り返しのつかない癖がついてしまっている頃でしょう。

が、まあ気にしない。

本当は狙っていろんな文体や、いろんな内容を書いてみたい気があったんです。
私小説風であったり、ファンタジー風であったり、ルポルタージュ風であったり。
一応、特に最初の頃、書いてはみたんですが中々難しいですね。





氷雨

やってもうた。

「かえりた~い、かえれな~い、かえりたくなはぁい」とエンドレスで口ずさみながらガムシロップ1p13g(使用前)を指先でウニウニしていたら力加減を間違って破裂させてもうた。←最近プチプチ感覚でやってしまいます
おかげでPC周りがシロップまみれに、やっとこさ全部拭きとれました。はずです。
結構シロップって遠くまで飛び散るのね。

う~ん、しかし今日は何か己の体の誤作動が多いな。
頭がボーとして集中力が続かないし喉や間接も少し痛い。これは風邪ひいちゃったかな。

で、シロップの拭きとりが一段落したトコで、朝から頭の中で鳴り続けている↑の曲を聴いてみたら「あれ?」歌詞が全然違うじゃないですか。当ってるのは"かえりたくなはぁい"んトコだけ。
どうりで年配の方に「これ何て曲でしたっけ?」と歌って聴かせたら妙な顔をされたのだな。
とりあえず「氷雨だよ」つう答えはいただきましたが。

まあ変な脳内修正を加えて記憶しちゃってることって僕はよくあるんですけどね。
歌詞もそうだし、ドラマやアニメや漫画のキャラクターの名前とかも。
濁点がついたり消えたり、位置が変わったりとか。

もちろんこのHPを前から読んでくださってる方なら御存知のように、それ以外にも僕の記憶違いは日常的に多々あります。見切り発車やいい加減きわまりない、信用がおけない、馬鹿っぽく胡散臭い文章や考えがココには山と積まれています。一応五ヶ月間ほぼ毎日書き続けたからね。

でもって考えるに、そういう記憶違いなど知識の不正確さの中にこそ、人とは違う僕個人の独創が生まれうる可能性があるのではないだろうか!?
はっきり言ってそれは単なる大馬鹿者なんだろうが、そこを突き抜ける可能性も秘めているのではないだろうか!?

想像力が既成概念を凌駕するっつうかね。

と、思っとこう。


これは明日あたり熱でるかもな。




201001112033

では、とりあえずシーズン1終了ということで。

これは単なる自分の中の一区切りですが、今まで訪問してくださった方には本当に感謝でございます。今後はもしかしたら今までとは違った意味で「なんじゃこりゃ?」な文もここに書くかもしれません。だから、たまに、ゆるゆると、ときたま来ていただけたら感謝感激です。

え~僕もココに書くようになってから、いろんな人のブログとかよく読ませてもらうようになりました。日常の何気ない出来事を書かれていて、それが毎回面白く新鮮に読めるブログが沢山ありました。これはその人の文章が凄いんだと思います。

僕には文章の技術的なことはまったくわかりませんから、そこらへんに関しては何も言えません。だからもしかしたら技術的に凄いのかもしれません。

ただ、本当に何気ない日々のうつろいを書かれていて、それを毎回新鮮に面白く読めるというのは、やっぱりその人の文章が凄いとしか思えません。もちろん写真と文で「合わせ技一本!」な文章もそうです。

ちなみに僕はそのような文章を書く自信はありません。
才能が無いんだと思います。
だからココみたいに斜め向きな妙な文章を書いているわけです。
もちろんコレはコレで毎日書こうとすると大変ではありました。

明日の関東は冷たい雨ですか?
さて、とりあえず体調は別段悪くはならないけど、これといってよくなった感もない201001112033な夜です。


はよ寝たほうがよかですかね。




XIφ( ̄▽ ̄φ)☆(φ ̄▽ ̄

さて、僕がここに文章を書くようになったのが・・・え~と、実質去年の8月21日スタートだから昨日でちょうど8ヶ月ですかね。

つうことで今日から晴れてここの生活も9ヶ月目に突入!!したがって僕の文章歴も9ヶ月目に突入!!

で、いいのかな?あれ?どうだ?よくわからんぞ。

いや、たま~に"以上"とか"以下"とか"未満"とか""とかよくわかんなくなるんですよね。
ま、大体そこらへんということで、最初とりあえず8月いっぱいは何とか頑張って書こうと思ってたことを考えると、よくもまあ続いております。

で、ここでの店子生活(※ocn cafe2013/11/04)と僕の文章歴は完全に重なるので、まだまだ車だったら若葉マークもとれない短い期間ではありますが、最初の頃の自分の文章を読むとやっぱり今は随分変わったなぁと自分では思います。
もちろんその時々で、狙って、実験のつもりで、意図的に、文体(なんか偉そうだ)を変えたりもしましたが、基本的には自然な、いつの間にかな変化です。

ただ、最初の頃のほうが、今よりも、全然見知らぬ、何処に存在するのかもよくわからない、いわゆる"世間"つうもんを気にして文章を書いていたような気がします。文章を自己規制していたような気がします。

今もしてないわけではないのですが、そこらへんはどんどん自由に、自分が書いて読んで気持ちいい文章を書けるようにはなってきている気がします。今、僕が書きたい文章を、書きたいように書く、と思えるようになってきています。

そんなのただの自己満じゃね~か、つうご意見もあるでしょうが、別にこれで金貰ってねえからいいじゃね~か、つうことで。どこにも対価は発生していないんで。ま、貴重な人生の中から読む時間はいただいておりますが。

つうか、だからこそ、ここを訪ねてくださって、一度きりの自分の人生の時間の一部を、僕の人生の時間と重ねていただいたからこそ、僕は自分の内のモヤモヤを何とかつかまえて言葉にして、それを読んでもらいたいんです。少なくとも今はそう思います。


ま、それがφ( ̄▽ ̄φ)☆(φ ̄▽ ̄だったりするのはご愛嬌ですよ。






付記2014/06/14

φ( ̄▽ ̄φ)☆(φ ̄▽ ̄

この絵文字の部分。
最初はocn cafeで用意された“犬”のキャラクター絵文字を使っていました。
実は、特に描き始め初期のころですが、その“犬”を自分の投影として意見をしゃべらせたりしていました。(・・・が言ってましたよ 僕よくわかりませんけど、などは、その名残です)

ただ、それはここでは再現不能です。だからもうひとつこのブログを象徴するキャラクター?
φ( ̄▽ ̄φ)☆(φ ̄▽ ̄に変更しました。

このブログのタイトルが「ときたま☆のりたま」。
で、この二人?が、ときたまクンとのりたまサンでときたま☆のりたまだ、と()
ブログのタイトル欄をφ( ̄▽ ̄φ)☆(φ ̄▽ ̄にしたり。

といっても最初からそうだったわけではなく(最初はブログ名もコロコロ変わり一定しませんでした)。が、書き始めてわりとすぐに仲良くなった方が、もう絵文字の魔術師で(公表はされていませんが中部地方にお住いの研究者の方みたいです)、その文章も、お人柄がわかる、優しい、おもしろく魅力的な文章です。

その中で、“φ( ̄▽ ̄φ)シャンシャン♪”、と、いや、ちがう、やっぱり才能ですね、この絵文字が
あり(ボウイ好きなので“φに惹かれたトコもあるかも)、それがもの凄くいい感じで、魅力的で、で「それ使わせてください」とお願いして、結果、多用、最終的にはφ( ̄▽ ̄φ)、こいつが、このブログを象徴する、みたいになりました。

あと、現時点では、俺が書く日本の文章は、下手をすれば世界中の文章の中で一番多言語に翻訳されている文章だと思います。で、こうして編集がてら読み返してみると、ここに書かれてある内容のほとんどが誰かからのカリモノですね。

自分の考えを書いていない、というわけではないんです。
ただ、その自分の考えを構築するモトとなった、それまで読んできた、みてきた、多くの人たちの意見を、そのまま、俺の名で再構成して世界に提出しているだけというか。
もちろん、その再構成の取捨選択というとこに、俺としての独自性がある、ともいえるのかもしれませんが、なにかこの文章を読んで“閃き”を感じて下さったとしても(でも)、残念ですが、それは誰かの“閃き”の俺の名による横流し、という比率のほうが高いですね。著名な方だけではなく、友達とか知合いとかのも。これがスタートラインに対する今の俺の認識です。

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