10.2010年12月04日 "内面の発見"は柄谷行人さんの「日本近代文学の起源」からその意味を勝手に剥奪させていただいて無意味な記号としてまんまパクッているので、ここでは無関係ということで脇に置いといて、"文字の発明"という言い方ではなく"文字を発見"という言い方、考え方、結局文明の機器も含めてすべては"発明"ではなくもとからそこにそうして在るものを"見えざる手"によりそうすべき時がきたので"発見"されたという考え方、順番待ち、つまりは"自己完結性"つまりは"進化"つまりは”死に至る病”という考え方、これはちょっとあんまりですね。と、いうわけで
Ⅰ:快眠
いやいやいや、だから違うんです!僕には本当にそんな気はなかったんです!!
それをあの睡魔の奴が、何処からか我が家に忍び込んで、違います!決して自分で呼び込んでなんかいません、僕はそんな安っぽい男じゃないです、本当です、いつの間にか、そういつの間にか、今、僕は「いつの間にか」を二回言いましたね、いつの間にか僕の背後にはあの怖ろしい悪魔が12月14日午前0時18分21秒の路地裏の暗闇のようにいたんです、今度の部屋は一階だから戸締りには充分気をつけていたのに!それなのに!ええ、もちろん抵抗しましたとも、1月3日午後4時56分46秒の暮れゆく太陽のように抵抗しましたとも、今、僕は「抵抗しました」を二回言いましたね、でも駄目なんです、無理なんです、わが身の非力さをこんなに怨んだことはありません、そう、アイツは必死に抗う僕を布団に押し倒し、それで死んで5時間32分14秒は経過した熊本沿岸産の鯖のような目をギョロッとさせながら「ウヒヒヒヒヒヒ」と下卑た笑いを浮かべて、ああ、その時、アイツはDの音で「ヒ」を六回言いましたね、もしかしたら最後の二回は#していたかもしれません、さらに「ウヒヒヒヒヒヒ、いいではないか、いいではないか」と淫靡な舌なめずりをして、そうだ、アイツは10対0で勝っている草野球チームの監督のようにとび出た腹をさすりながら「いいではないか」を二回言いましたね、もしかしたらその一回目は12対0で勝っている草野球チームの監督、しかもさほど腹もとび出てない、のようだったかもしれません、尚且つ「ウヒヒヒヒヒヒ、いいではないか、いいではないか、ちょちょちょ、ちょっとだけ、ちょっとだけ」と・・・え?もういいですか?
ま、そういうわけで、僕にはそんなとっとと寝ようなんて考えはまったく、そうまったく、今、僕は己の審美眼に対する海原雄山さんなみの確信を持って「まったく」を二回言いましたね、まったくなかったんです。みんな睡魔が悪いんです。いいことは全部僕のおかげ、わるいことは全部誰かのせい、なんです。けっして暴食に疲れ、傲慢にも暁に嫉妬をし、怠惰に心地よい色欲まみれな春眠を強欲に貪っていたわけではないんです。アナタが憤怒を向けるべきは僕じゃないんです。
は、すべて置いといて、いや~昨夜はよう寝ました。
でも、なんですな。これはあくまで僕限定の話ですが、食事量を減らすと睡眠時間が延びますな。
もちろん"疲れ"も重要なファクターなんでしょうが、食事量を減らすと睡眠時間が延びちゃう気がしますな。
いえね、最近(無理をしない)ダイエットをしてるんですけどね。まあ運動もしつつ、一応食事量もちょっぴり減らしますわよね。そうすると、どうにも腹が減りますわね、やっぱり。
んで、前からそうなんですけどね、そうすると僕は異常に眠くなるんです。腹が減って眠れないとか絶対にないんです。ただただ眠くなり、ひとたび寝ちゃうと中々起きないんです。可能なら延々寝ちゃうんです。
「もしかして"冬眠"てこんな感じ?」てな勢いで寝ちゃうんです。
「俺は野生動物か~」てな感じで寝ちゃうんです。
ん?
話終わりましたよ。
Ⅱ:アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
最近はないんですけどね。昔は寝相が悪うて悪うてよく寝たままベッドから転がり落ちたもんなんですよ。んでね、結構そんな時は夢の中でも崖だのビルだのから大滑落してたりするんですよね。
で、「うわ~」てな感じで目が覚めると。
あれってどうなんでしょうね。さすがに夢なんで詳細を憶えてるってわけにはいかないけど、あれは身体がベッドから落っこちた瞬間にそれまで見ていた夢を中断して落下する夢に切り替わるんですかね。
でもベッドから転げ落ちる時間なんて一秒もないでしょ?王侯貴族の寝台ってわけじゃないし(それでもそこまで高くはないですよね)。落っこちる夢を見てる時間は前フリも含めてもっと長い気がするんですよね。
まあ「邯鄲の夢」ってことなのかなぁ。
僕は夜「明日は五時に起きる」と自分に強く言い聞かせて寝れば、別に目覚ましとか使わなくても結構五時ぴったりに起きるからね。これってちゃんと脳が時間の推移を把握してるってことな気がするし。目が覚めているときはすぐに「今、何時だ?」ってなるのに。
あっ、でも体内時計では一日は24時間ではなくてもうちょっと長いって話ありましたよね。だから窓が無い部屋で何日間か過ごしていると、普通に寝起きを繰り返していても日にちの感覚がズレていってしまう、みたいな。
やっぱり自分の意思で脳に命令を出すってことが重要なのかな?
Ⅲ:Y字路
横尾忠則さんのY字路。
で、僕の(寝たのは今日になってからだから)今日みた夢の話です。
僕はY字路の入り口に立っているんです。それは何の変哲もないY字路です。ただどちらの道の行き着く先も僕にはわかりません。だってまったく知らない(記憶に無い)場所なんです。僕は散歩していて道に迷っちゃったのだろうか?まあどっちに行っても大して変わりはなさそうです。本当にありふれた昼下がりの風景です。ありふれたY字路です。でも左側の道に僕は凄く惹かれます。左側の道を行きたいと強く思います。
なのに身体が動きません。足を踏み出せません。
何故ならその道に強く惹かれるのとは別に「そっちにいったら危険だ!」「絶対に行っちゃ駄目だ!」と僕の中の何かがずっと叫んでいるからです。
この頃にはボンヤリと自分でもこれは夢だなと気づいています。でも身体が動きません。ちなみに僕が自分でこれは夢だなと気づくのは大概その中で困った状況に陥った時です。そして夢だとわかると途端に(夢の中での)心の緊張がきれます。そこで目が覚めることも多いです。でも身体が動きません。動かせません。そっちに行きたくてたまらないのに。その想いはどんどん強くなっているのに。でも身体は動きません。
Ⅳ:月の時間
は、あくまで夢ですからそんだけのこととは思います。
で、夢の話なんですよ、引き続き。
でも、その話って何だったっけかな?
いえね、夜まどろんでる時に思ったことだから、いまいち記憶が・・・
それからまた寝ちゃったし・・・
う~んとね、あれじゃないよな?これは思春期とかに皆経験があることだと思うけど。
夜、学校の宿題の文章(読書感想文とか)を嫌々書いてみたら思いもかけず会心の文章が書けて、思わず何度も読み返し、その凄まじいまでに情熱的な内容に「俺凄ぇ、天才!」と満足のウチに眠りにつくことってありませんでした?
で、朝起きたら、その凄まじいまでにお馬鹿でこっ恥ずかしい内容に「俺は何を考えていたんだ?恥ずかしい」と赤面の中にその原稿用紙をグシャっとつぶしたことが。
あれって何なんでしょうね?昼間は別にそんな文章にはなりませんもんね。やっぱり月の仕業ですかね?月が人間の内面の何かおかしな血をたぎらせてしまうんですかね?目覚めさせてしまうんですかね?
と、おそらく自己の内部に起因するであろうコトを安易に外部からの作用によるものだとすり替えて、その問題解決を図ろうとするのは僕の甘えも甚だしいですわね。ここに極まりましたわね。僕の知性の敗北ですわね。が、今現在、夜だから別にいいですわね。今現在、僕の中の何かがたぎっちゃってるからいいですわね。何かが目覚めてしまってるからいいですわね。「月の時間」だからいいですわね。「僕の時間」だからいいですわね。
でもラブレターとか書くのは夜のほうがいいんでしょうね。
今はそんな奴いても手紙じゃなくてメールだろうけど。
お!そうこうしているウチに思い出した。
あれですわ、「邯鄲の夢」ではないですが・・・
例えば熟睡中に目覚まし時計で叩き起され、「なんだ、もう朝かよ?あっという間だな」と、取りあえず目を覚ますもちゃんと起きることができず、ぼんやりとまどろんでる内にまた眠ってしまうことってありますよね。で、夢か現かってトコをさんざん彷徨ったあげく「やばい!寝坊だ!」と慌てて起きてみたらそれから10分くらいしか経ってなかったってことが。
自分的にはかなり長いコト夢をみていたつもり、はっきりと覚えてはいないけどかなりのストーリーをこなした気がする。でも現実に経過した時間は10分間。
夢ってあれですかね、いらないトコを編集してみてるんですかね。
本当は一ヶ月間の話を90分の映画に編集するみたいに。
だから自分では随分長いコト夢をみたつもりでも、現実では大して時間が経っていないんですかね。
で、夢をみている時間は脳的にはスタンバイ。
その経過感覚には現実とかなりの誤差があるものの、時間の認識はある。
僕的に時間が存在する世界。
夢をみていない時間は脳的には完全シャットダウン。
だからその間は僕の認識としては存在しない世界。
僕が未来へのタイムトラベルをしている他者の時間。
あっという間。
ゼロ。
Ⅴ:sweet
dreams (are made of this)
夢ってのは、いらないトコを編集してみてるとしてですよ。
と、いきなりそれ前提で話を始めましたが、別に(たしか)ゲッベルスさんが言ったという「嘘も百回言えば真実になる」を実践しようという企みではありません。たんなる与太話でございます。
※「だからこそ真実を、絶対悪を許さない正義を見極める力を持つことが大切なのだ」(ゲッペルス)ということでしょう。20180817。
で、寝てる時にみてる夢は、映画のように、テレビドラマのように、いらないトコを編集してみてるとしてですよ、もしかしてこれ逆じゃないですかね?映画っつうか、テレビドラマっつうか、小説つうか、漫画つうか、演劇つうか・・・まあ早い話が物話。ずっとずっと昔、人が人になったころ、そのころ人が最初に創った物話は"夢"なんじゃないですかね。
"夢"こそがすべての物話の原点なんじゃないですかね。
つまり、あくまで個々人のパーソナルな「物」であった"夢"を他者に「語」ることでそれは自己の殻を破り、自と他の境界線を融解させ、互いの自我を共振させ、そこから大小さまざまな集団がそれぞれの条件にあった幻想を共有する「物話」は始まったんじゃないですかね。
だから映画やテレビドラマの"ように"カット編集して僕たちは夢をみているわけではなく、もともと夢とはそういう具合に自分のその段階での無意識下のイマジネーションが創りだした世界から脳が冗長と判断した部分をカットしてみせるもので、夢の"ように"映画やテレビドラマは冗長な部分をカット編集して作品を製作しているというのが正しい認識なのではないでしょうかね。
何故なら人が最初に編集という行為を行なったのは夢の中なのだから。
よく言われることですが、19世紀ですか?西洋では合理主義の名の下に「神は死んだ」と言い、忘れ去ろうとし、しかし無意識からは消えず、二度の大戦という荒ぶる神としてその無意識は、あ、砂糖がない
Ⅵ:体内回帰
ということは結局、人間は破滅を志向する生き物なのだろうか?
かたちを変えた再生の象徴としての死や終りではなく、根源的な破滅や終末。
人間はそれを畏れつつも、忌つつも、無意識のうちにそれを渇望してしまう生き物なのだろうか?
母なる"無"への回帰。
と、いきなりそれ前提で話を始めましたが、別に(たしか)ゲッ(略)
で、ですね、現在僕の目の前にはうどんの玉があるんです。
もちろんそれは出来合い?のモンで、ちょっとお鍋で茹でて、ザルに入れて、サッと水ですすげばOK!!ての。
でで、ですね、現在、悩んでいるんです。
このうどんの玉、味噌汁に入れたい。凄く入れたい。味噌汁に入れて食べてみたい。入れたくて入れたくてたまらない。
あれ?どうだ?駄目か?味を想像しろ。
味噌とうどんってあうんじゃないんか?
味噌と蕎麦は微妙な気もするけど、味噌とうどんはいいんじゃないんか?
そういえば世の中には味噌煮込みうどんってあるんじゃないんか?
つうか、たまに僕も食べてるんじゃないんか?
やっぱり味噌とうどんはいけるよな?大丈夫だよな?
まあ別にあれは味噌汁にうどんが入ってるわけじゃないだろうけどさ。
と、言うわけで、別に作っておいた味噌汁の中にうどんを入れて食べてみました。
うどんと薄い味噌汁でした。
Ⅶ:今先、焼きそば食ってもうた
さすが七つの大罪の一つ"暴食"。
あなどれん。