ここがあいたから書いとこう。劇団ひとりムロツヨシ、ゴミ死刑ってことで。つきまといはいかんぞ。
アルバムからはがすと丸まってワイドスコープのようになってしまいましたが、これは祖父の自伝『過ぎし道乃里』にも書いてある、祖父が十代後半の時の脱線事故の現場写真。(白手ぬぐいが鉄道関係の仕事を始めていた祖父なのかどうかは、ちょっとわかりません。)で、これではちょっとわかりづらいですが、大正時代後半の写真としてはな妙なクリアさ、とかは思いのほかそんなものなのかもしれませんし、ボールペンとかも…。[※祖父の写真のほとんどに青のボールペンらしきもので“但し書き”が書かれている。]
あとから書き入れたのだろうと。が、延々俺に付き合ってる方はパッと見で思われるでしょうが
☆だの、10だの、3Ⅲだの、右端のスコップと木の組み合わせはⅤにも見えれば、十十にも
こじつければいろいろ怪しさ満点で(笑)。
“十二台の機関車”とかはおいといて、この機関車は問題ないですよね?
形状とか、この時代のこの場所で。で、突然ですが。
※どこかで書いた気しますけど、戦場にいったのも 私ひとりでした。20180804
電子辞書で調べる麻生太郎さん、うちの母の一つ上、ということは、小学校卒業は昭和28年3月。
すでに1歳ずれてしまった…。あのですね、お二人とも祖父と親交がおありになったようですが…。