理性的な人でなきゃ人工衛星は独自に作れんだろう。もちろん弾道ミサイルも作れるだろうけどね。

























































































ページ数は分かりますよね、で毎日新聞日付(511013)あ、勇敢?
日本でも、毎日新聞東京新聞が、それをそのまま紹介している。”書いておこう、でもこれでキー局全部出てきました()?が、ですね、今は1908年に核爆発があったかどうかはさておきで…。

七四年には最新式の測定器を持ちこみ、南北から死の森に迫った。すると、黒焦げ地帯に近づくにつれて、測定器の指針は激しく揺れだした。焼けただれ埋れ木その下の熔けた土のサンプルを測ったら、どちらからも異常に強い放射能が検出された。自然の状態でも、地中植物には放射能が含まれていることはある。宇宙からは、絶えず微量の放射線(宇宙線)が降ってきているからだ。だが、それはせいぜい十数ミリキューリーにすぎない。ところが、死の森の中での検出量は、強いところでは数百ミリキューリー。”
19741908年の66年後20141945年の69年後2011年で66年後か?
もちろん、浴びせられた範囲は、ひじょうに広く約三〇〇〇平方キロにも及ぶと思われる。これと被害の激しさを合わせて考えると、ここで爆発した核物質は、広島型原爆のおよそ二〇〇〇倍の爆発エネルギーを持っていた。”
もう俺としても、ここで爆発があった前提の話ですけど()規模はそもそも違います
が、小惑星隕石、または彗星が、地表に衝突した跡はやはりなかったつまり、怪物体はタイガ上空で空中爆発したことが、最終的に確かめられた爆発の高度は、地上五〇〇メートルから一五〇〇メートルのあいだだったと推定される。”
爆発条件はわりと同じだったかと。

どうしても書き方が嫌味くさくなります()長崎は特に山も近いですが、爆発規模が二千分の一のせいか…、あれ、言われてる爆発の二千分の一の威力爆発高度もより高い、なら被害はどの程度だ?高度が高いとより拡散、てわけじゃないですよね、だれか暇で優秀な方高校生でもいいから、ちょいそれぞれの高さで、気象条件もいるんだろうけど、シミュレーションを()
で、戻し、規模が違うせいか、写真で見る限り被爆直後の長崎の山は一切燃えていないので、そもそも焼けただれ埋れ木その下の熔けた土が存在しないでしょうが。というか、別に観光名所でなくても広島長崎市内の木々樹齢を調べたらその多くが思いのほか長生きで、戦前から生えてて、年輪にも大火にあったあとは残っているかもしれないけど、これといって放射能は…みたいなの多い気するんですけど、ただするだけなので、調査できませんかね。調べればわかる簡単
長崎県庁の辺りも燃えているから、そのあたりの木とかとか、ま、浦上の山岩屋山とかを一本一本その土、これといって当時から人が立ち入ってない場所あるでしょうし、風向きもわかるでしょうし、調べればわかる簡単

が、ここは超注意で、これはだから湯来町にもかかわってくるんですが、というか各地の詳細なデータは確実にすでにとっていると思いますが、ちゃんとそれぞれ突合せできるような。が。

今日は2014125の俺のパソコンで9:50分。今後、突然、長崎広島の焼けただれ埋れ木、その下の熔けた土から高い放射能が検出された、まだ残る原爆の恐怖!という報道が製作されるかもしれない。大うそで。がウソではない放射能は検出される。なぜなら放射性物質を今からばら撒くから。テロ。だからばらまく人間の命は安い、というより微量な放射性物質くらいなら¥己の欲得という意味での¥のためにばら撒く奴なんていくらでもいるでしょう。国宝修復秘話も。

しかし、検出されたのは、あくまでも放射能だけである。原爆爆発、あるいは原爆実験にかならず伴うはずの、放射性を帯びた重金属類の粒子は発見されなかった。ということは、それは広島原爆の二〇〇〇倍のエネルギーを持つ核爆発ではあったが、われわれの知るかぎりの原爆そのものではなかった、ということだ。”

もちろん原爆爆発、あるいは原爆実験にかならず伴うはずの、放射性を帯びた重金属類の粒子もそこで発見されるかもしれません。なぜなら発見されんとおかしいことがこれで知れわたるから。たしかにこれは高い放射能レベル(放射能だの放射性だの、区別はここでは勘弁)だが、原爆そのものではなかった、これは原爆投下によるものではないという結論にしかならんから。したがって発見された周囲、というか半径2キロくらいではすべての地域で、発見されるはず。風向き考えればそっちの方向にも、当時から残る木々、長崎は豊富、の木々、放射性を帯びた重金属類の粒子を樹皮にとりこんでるはずでしょう、どう考えても山一面に。調査できませんかね。全部はそりゃ無理でしょうけど。可哀想だし木が。が、調べればわかる簡単。で、先に引用した司馬さんの「別所家籠城の狂気」のラスト。

三木籠城の狂気ともいえる高潮した精神が徳川期に入ってなおこの地に息づき、浅野長矩(ながのり)の潔癖な狂気をうむとともに、その家臣団の中から赤穂義士をうんだ。”

原爆により長崎湾全体に残るだろう◆たかしお【高潮】①台風や低気圧によって、海水面が異常に高まり、海水が陸上に侵入すること。気象災害の一つ。暴風津波。[]②大潮。日葡辞書「タカシヲガサス」
の跡にも全般的に放射性を帯びた重金属類の粒子が残ってるんでしょうね。ないとおかしい

もちろん、原爆爆発、あるいは原爆実験にかならず伴うはずの、放射性を帯びた重金属類の粒子なんか存在しない。これがそもそもの間違いだ、トンデモだ、というなら話は別です。ただ、ここは俺にはわからん。が、正しいかトンデモかは、たぶん科学好きの中学生とかでもわかるのでしょう。まかせます
で、ま、ちゃんと内容理解していたとはいえないのですが、俺も好きで読んでいたトンデモ学会の本あれやらせですよあの人たちもトンデモ()の一味。ま、根拠はまたもや直感ですけど()

で、三木籠城の狂気ともいえる高潮した精神徳川期に入ってなおこの地に息づき浅野長矩(ながのり)の潔癖な狂気をうむとともに、その家臣団の中から赤穂義士をうんだ

広島[][ヒロシマ]天正17(1589)年毛利氏が築城。江戸時代には福島氏、浅野氏の城下町として繁栄。明治4(1871)県庁が置かれ1889品港(広島港)築港第五師団司令部の設置で、軍事基地的性格を加えた。【ブリタニカ国際大百科事典から抜粋】

この浅野家(当初で426500)浅野長矩の赤穂浅野家(53500)の本家ですね。
浅野 姓氏の一つ。清和源氏。頼光の子孫が美濃国土岐郡浅野に住んで氏とした。のち尾張に住み、長勝・長政は織田・豊臣氏に臣事。長晟(ながあきら)の代から安芸広島藩主。赤穂浅野家はその分家。
浅野長矩 江戸中期の播州赤穂藩主。内匠頭(たくみのかみ)。元禄14年(1701314日、勅使接待役を務めた際に、江戸城殿中で吉良義央(きらよしなか)[※なかよし()]を傷つけ、即日切腹、城地を没収。(16671701)で、この数字…ま石高さておき。まさか戦前の広島市の人口公称426500じゃないですよね。で、53500人が実際の人口とか。14年(1701314日、16671701、たとえば16916+7=13、なにかとうがちたくなる数字ですし。

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