6.TRUE BLUE
Ⅰ:だから考えることが楽しいんだから別にいいではないか
まあ"she"もしぇとしていけますかね?つまり江戸っ子という方たちは、屁をしぇと発音されるわけですね!という話も生まれてこの方きいたことないですな。
ん?おやおや?
そしてそのなかにはたくさんの、おそらくその書き手のほとんどは絶望的な戦場を戦い亡くなっただろう日本兵の日記があり、そのような日記を読んでいるとキーンさんはしらずしらず涙を流すこともあったそうです。
つうか「天才かも知れない司馬氏」。
Ⅷ:さらば青春の光
んでその前日の夜でしたか、労咳でもう起きあがれなくなっている沖田総司さんの部屋を、独りたずねてくる土方歳三さん。
でも幕末・維新期の剣術屋のみなさん、「みんないます。みんな新撰組として戦って死ぬといっています」と聞きゃしません。共に進みます。
つうかですね、ちって"chi"じゃないですか?"HITACHI"じゃないですか。
つうか"si"と"shi"な、しと違い、"ci"と"chi"な、ちには、"chi"の優位性がはっきりしてるわけじゃないですか。
いやいや明快。とおもいきや、"ci"はちではなくてしじゃないですか。そりゃ"HITACI"になるわけないじゃないですか。
つうか、ということは、はしって"haci"と書けるわけじゃないですか。
でもそれが橋なんだか箸なんだか端なんだかそれ以外の何かなんだかこれだけではよくわからないじゃないですか。
つうかしって、間の"h"音を抜けるだけではなく、最初の"s"音を"c"音に変えても無問題て、どんだけ融通がきくんですかって話じゃないですか。
つうか"ci"でしってのは、流石にキーボードで文字を打つときの便宜上ぽくて実際に使っていいもんだかどうだか僕にはよくわからないじゃないですか。
つうか何はともあれ最後の"i"音は不動じゃないですか、母音恐るべしじゃないですか。
はさておき、あれはなんて言うんでしたかね。空気が擦れるような音、極端に書けばしっ、ちっみたいな小さなっ、"xtu"な感じの音。もちろんこれはっであり"xtu"であるのであくまでこの感じの音。
んで、ちの"chi"から判断するに、この"xtu"な感じをだすためには"h"音が必要な気がなんとなくするので、僕はしは"shi"に一票です。
んで、愛川欽也さん(ゴミ処刑済)。だったと思うんですが、つまり江戸っ子。僕が子供のころクイズ番組で「商品はこちら!」てのを「しょうしんはこちら!」て言われてて、僕が親に「変だ」というと「江戸っ子はそういうもんだ」と。
つまり江戸っ子という方たちは"hi"に"s"音をたしてしまうわけですね。は行の音に"s"音をたしてしまうわけですね。つまり、しは"shi"に二票ってことですね。てことでいいんですかね?
つまり、は行の音に"s"音をたして"sha""shi""sfu""she""sho"。
う~ん"she"のシーはおいといて、"sha"のしゃ、"shi"のし、はいけますかね?"sho"のしょも大丈夫ですか?
つまり江戸っ子という方たちは、羽をしゃね、骨をしょねと発音されるわけですね!という話は生まれてこの方きいたことないですな。
ん?おやおや?
ナチュラルにふを"hu"ではなく"fu"としてしまっているではないですか。
んでどっちもふじゃないですか。
んでこのさいそこはおいといて、"sfu"だとどうにも僕には発音できんけど"shu"ならしゅっていえるじゃないですか。
つまり江戸っ子という方たちは、船をしゅねと発音されるわけですね!という話も当然生まれてこの方きいたことないですな。
つうか江戸っ子の人は東に生る、ではなく、ひがしになるって話はきくけど、はひふへほがしゃししゅしぇしょになるって話は生まれてこの方きいたことないですな。
※あずまと読んでもフレキシブルに以下同文。20180830。
Ⅱ:省エネ
つまり江戸っ子という方たちは"hi"に"s"音をたしてしまうわけですね。
は行の音に"s"音をたしてしまうわけですね。
つまり、しは"shi"に二票ってことですね。てことでいいんですかね?
いやいやまてまて、これ、もしかしたら江戸っ子の方たちは"hi"に"s"音をたして"shi"にしているわけではなく、"h"音がおもわず"s"音になってしまうことからの"si"かも知れないではないか。
だから、do
you know? how do you like wednesday?のwe(d)nesdayの(d)て何か言い方ありましたっけ?
つまり、は行の"h"音を"s"音に変えて"sa""si""su""se""so"。
一目瞭然、さしすせそ。
つまり江戸っ子という方たちは、羽をさね、骨をそねと発音されるわけですね!という話は生まれてこの方きいたことないですな。
そういえば特急列車「雷鳥」引退するみたいですね。
まあ"se"もせとしていけますかね?つうかそれ以外なにがありますかね?
つまり江戸っ子という方たちは、屁をせと発音されるわけですね!という話も生まれてこの方きいたことないですな。
意図的にふを"hu"ではなく"fu"にしてしまいたかったけれども、んでもってどっちもふではあるけれども、あくまでも魂は"hu"ではなく"fu"であるけれども、どうあがいても"su"はすではないですか。
でもそれが巣なんだか酢なんだか素なんだかそれ以外の何かなんだかそれだけではよくわからないではないですか。
つまり江戸っ子という方たちは、船をすねと発音されるわけですね!という話も当然生まれてこの方きいたことないですな。
つうか江戸っ子の人は東に生る、ではなく、ひがしになるって話はきくけど、はひふへほがさしすせそになるって話は生まれてこの方きいたことないですな。
ん?おやおや?
"fu"もつつがなく"su"になるとすると、江戸っ子の方たちは"f"音もおもわず"s"音にすりかわってしまうということか?
だから、do
you know? how do you like wednesday?のwe(d)nesdayの(d)て何か言い方ありましたっけ?
つまり江戸っ子な方たちは"h"や"f"などまるっこい感じの音より、そういえば特急列車「雷鳥」引退するみたいですね、"s"のようにエッジがきいた音のほうが好みということか?という話も生まれてこの方きいたことないですな。
Ⅲ:雨の坂
ドナルド・キーンさん。
1922年ニューヨーク生まれ。コロンビア大学で日本(日本文?)学を学び、太平洋戦争では海軍の日本語学校に入学したあと、海軍の情報仕官、通訳を務める。
そして戦後は日本文学研究の泰斗として活躍をされると。
でですね、ここから先は本当に僕のぼんやりとした記憶と思いつきのみで他人の思いを勝手に忖度(そんたく・ざっくりこんなもんだと決め付けること、ですか)した失礼きわまりない話です。
太平洋戦争中、キーンさんはアメリカ海軍情報仕官の軍務として、戦場に遺棄された(だけではないでしょうが)日本軍文章の翻訳・解読をされていたそう(はず)です。
でですね、ココから先はもしかしたら司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」のネタバレってやつになるかもしれません。
いまドラマを何年がかりかでやってますよね。
小説読んでなくてドラマ観ている人はここから先読まないほうがいいかも。
物語のクライマックス、日本海海戦。史実はとりあえず(僕も詳しくないし)おいといて、小説内では己の立てた作戦でロシア艦隊を文字通り消滅させた主人公秋山真之さん。
その日本を滅亡の淵から救い日露戦の勝利を決定付けた海戦後、連合艦隊旗艦三笠の艦橋で炎をあげながら沈みゆくロシア艦隊を見ながら、秋山さんは、「どうだ!みたか!やってやったわ!」と19世紀から続く西洋の圧迫をついに粉砕したと会心の笑みを浮かべ、ではなく、「もう軍人はやめよう、坊主になろう」と己の立てた作戦であまりにも多くの人が死んだ事実に衝撃を受けます。
いえね、キーンさん、軍務ですから、当然日本兵の日記だけではなく、重要な文章の翻訳・解読もされていたと思うんです。
僕の勝手な想像ですけど、中には多くの日本兵の(もちろん米兵も)運命を直接左右するような文章の翻訳・解読をされることもあったのではなかろうかと思うんです。
で、もともと戦争前から日本文学に惹かれていたということなんだとは思うんですが、たしか戦後すぐのころは、「日本文学を専攻している」と言うと「なんでそんなサルマネの国の学問を?」と言われることもあったとおっしゃられていた(記憶頼り・不確かです)と思いますが、それでも日本文学研究を生涯の道に選び、日本文化のすばらしさをアメリカやヨーロッパに積極的に紹介し・・・
ん~やっぱりこの流れは無理ありすぎで失礼すぎですかね。
ただ、確かに・・・例によって、今回も僕のぼんやりとした記憶で無責任に書いていますけど。
でも、戦争中、日本兵の(遺書でもある)日記を読み、米海軍士官のキーンさんが涙を流すこともあったということは間違いないんです。
戦争中、血みどろの殺し合いをしている敵兵の日記を読み、キーンさんが同じ人として涙を流すこともあったということは間違いないんです。
Ⅳ:これまたその本が今手許にないんで完全記憶たよりです
司馬遼太郎さんとリービ英雄さんの対談(90年代中頃でしょうか?)の中で、司馬さんはたしか「私がドナルド・キーンさんやサイデンステッカーさんに特別な友情を感じるのは、彼らが私の敵、マイエネミーだったからなんです。太平洋を挟んでアチラとコチラにいて、よく戦い、よく生き残ったという友情です」とおっしゃられてなかったかな?(司馬さんに実戦経験はありませんが、そういう話ではないので)
で、リービ英雄さんが「たとえば来日時の晩餐会でブッシュが倒れこんだとき、それを助け起こそうとした宮澤さんにもそういった感情があったのでは」と、「それ以降の世代には無いんでしょうね。もう敵でも味方でもない」と。
で、リービ英雄さんが「たとえば来日時の晩餐会でブッシュが倒れこんだとき、それを助け起こそうとした宮澤さんにもそういった感情があったのでは」と、「それ以降の世代には無いんでしょうね。もう敵でも味方でもない」と。
Ⅴ:というわけで、ここんとこのココの裏テーマになっている司馬遼太郎さんについて
えっとですね、司馬さんの長編小説。よくいわれることではありますが、一つの作品としてみた場合「小説として」どうなの?と、僕も思うことあるんです。イズムの話ではなく、あくまで「小説として」、構成だのなんだのの部分で、どうなの?と僕も思うことあるんです。そこんとこをわりと批判的に言われる方の文章を読んだりすると、確かにそうだよなぁと僕も思ったりするんです。
そう、思ったりもするんです。
いや、あたりまえに自分でも思ってるんです。
そりゃ思うでしょ。
でも読むとおもしろいんです。
あれ?あの人どこいったの?
あれ?この人キャラクターかわってない?
とかアレだのコレだのありつつも、どうにもおもしろいんです。
これは司馬さんの直木賞受賞を受けての文章ですかね。
直木賞選評委員であった海音寺潮五郎さんのエッセイ「天才かも知れない司馬氏」の中の『彼の作品には人を酔わせるものがある』、としか言いようがない感じでおもしろいんです。
選評「酔わせるもの」での『これは単にうまいとかまずいとかいうことと別なものである』としか言いようがない感じでおもしろいんです。
非常に短い文章ですが、まだ海のものとも山のものともな司馬さんに対し確信をもってこの感動的な文章を書いた、書けた、海音寺さんて凄いと思うんです。
『ぼくは彼は天才、あるいは天才的なものを持っている作家であると信じて疑わない』
Ⅵ:で、これもよくいわれていることだとおもうんですが
司馬さんの初期の長編小説には、海音寺さんの短編集「武将列伝」や「悪人列伝」の影響がある気もするんです。海音寺さんがある時代を生きたある人生を漢文的文章でギュワッと凝縮して凝縮して凝縮して、凝縮しきって、人間の典型として結晶化したものを、逆にパンッと破裂させてビッグバンをおこしたものが司馬さんのいくつかの長編小説かな?と思うこともあるんです。
だから「翔ぶが如く」のなんとなくな作品としての一貫性のなさは、そこんとこの司馬さんの中でのせめぎあいもあったのかな?と思うこともあるんです。と、放り投げるんです。
ま、だから、どちらにしろ、読み出すとおもしろいんですけどね。
で、それはさておき、司馬さんの奥さんの福田みどりさんは「司馬には新聞連載とかだけではなく、書き下ろしを書かせてあげたかった」みたいなことをおっしゃられてなかったかな?
あと確か、司馬さんのサラリーマン時代の部下、というか後輩、というか年若の友人で作家の三浦浩さん。三浦さんがお書きになっていたと思うんですが、三浦さんが司馬さんからきいた話で、自分は毎日、新聞連載を読んでくれる人が読んでよかったな、おもしろかったなと思えるものを書くようにしている、と読んだ気がします。
ええ、もしかしたら違う人がきいた話かもしれません。そこんとこあいまいです。
で、話はかわりまして、サラリーマン時代、あきらかに怪力乱神が好きだったとしか思えない司馬さん。
三浦さんもサラリーマン時代、そのころはもう三浦さんの上司でしたか?司馬さんが『東北にあるという、ヘブライの遺跡について話し始めた。(略)語り終えると、フラっと、行ってしまった。
ぼくは、キリストは、たぶん日本に来たんだなあ、と、そんな想いにひたっていた』と書かれています。
で、僕は司馬さんの初期の短編がすきなんです。
とくにもののけが闇を跋扈しているドロドロしたやつが。
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Ⅶ:その話じゃないですが
というわけで、互いに二十代、作家司馬遼太郎誕生以前から新聞社の部下として(仲人もしてもらってますよね)司馬さんを身近に知っている三浦浩さんは、当時の司馬さんについて『天成のコラム書き』という思いをもたれていたみたいです。
『ウマイとしか、いいようがな』いと。
で、三浦さんは何故自分はこんなに司馬さんの(ええ、もちろん当時は本名の福田さんです)コラムに感銘を受けるのか考えられたそうです。他のコラム、アメリカのコラムであったり、いろんな新聞のコラムであったりと、いったい何が違うのかと。
そして気づいたことは、司馬さんの『コラムは、どこかにフィクションめいたものが隠されているのだ。あるいは、はじめの発想にフィクションがあって、これを堅固なファクトで固めながら、コラム化しているの』だと。『つまり、このころ流行りだしたショートショートの、ノンフィクション版なのだ。どうやらそれで、ひどく面白いのだ』と。
さらに、これは後のことですが、司馬さんが『歴史小説を書き始めたときには、たいていの場合、新聞連載だったから、なおさらそう思ったのだが、これは、すぐれたコラムの集積だと感じた』と。
さて、随分前になりますが、したがって記憶たよりですが、司馬さんが亡くなられた後に沢山でた追悼集の一冊を図書館でパラパラと読んだことがあります。で、あとがきというのかな?それを三浦さんが書かれていたんです。
もしかしたら当たり前のことなのかもしれませんが、そこで三浦さんは、これは司馬さんを"追悼"した本なので、すべてそういう文章がのっています。司馬さんの仕事に対する、厳しいものを含んだ"批評"を読みたい方がいらっしゃったら、○○や△△という本がありますので、と、ちゃんと書かれていましたね。
ところで、三浦さんは司馬さんが亡くなるまで、いろいろハメをはずしては司馬さんに『こっぴっどくおこられて』いたらしいですね。
『人間、自若たるべきこと、人間、厭ふべからざること、人間、孜々たるべきこと
好漢へのセッキョウじゃ』
司馬さんの死から二年後ですか、1998年、三浦浩さん死去。
Ⅷ:さらば青春の光
あるときふと、三浦浩さんが司馬さんに『(本名である)福田定一、という名前は、いったいドコへいっちゃったんですか』とたずねられたそうです。
すると司馬さんは『不思議なことを訊かれたもんだ、という表情をして「あれは、なくなったんだよ」』と、『実にそっけなく』『淡々と』『そんな口調で』こたえられたそうです。
で、想像です。
三浦さんは『司馬遼太郎、を名乗ってから、司馬さんの中では徐々に、福田定一が薄れていって、いつのころか、法的な書類上は別にして、司馬遼太郎になり切っていたのである』とお書きになっています。
でも人生なにかとハメをはずしては「おい三浦!いいかげんにしないか!」と司馬さんにこっぴどくおこられ続けた三浦さんの中では、司馬さんは最後まで『なぜかはじめから』『兄貴のような』福田さんだったんですかね。で、司馬さんも、三浦さんと接している時は、司馬遼太郎ではなく、消えてなくなったはずの福田定一でいられたりしたんですかね。
あ、ちょうど、あんな感じかも。
司馬さんがお書きになった新撰組モノ。
の近藤勇さんと土方歳三さん。
お二方はおおやけの場では互いを新撰組「局長」「副長」と呼んでいるけど、二人っきりになると、多摩の幼馴染「トシ」「近藤さん」と呼び合うと。まあ「近藤さん」は普段から使っていたかもしれないけど、まあ「沖田君」が「総司」になったりもしたけれど、そんな感じ。
もちろん、想像です。
お、そういえば、あれいいですよね。
新撰組副長土方歳三さんを主人公にした、司馬さんの「燃えよ剣」のワンシーン。
これまた僕の記憶たよりで書くんで不正確ですが、時勢いよいよ利あらず、敗勢濃厚の幕府側。
この乱世に剣で名をあげたい。
新撰組もついに自分達の野望の象徴、京都を退去することになる。
そして二人でとりとめもないことを話している最中、土方さんはいきなり机に突っ伏して泣き出してしまう。沖田さんはその土方さんの嗚咽をききながら、ぼんやりと天井を見つめ
「青春は終わった」
Ⅸ:on
the wing with we fly one more time
以下は司馬さんの「燃えよ剣」のネタバレってやつですね。
(あくまで司馬さんが小説で創られた)土方歳三さん。
『俺は風まかせの凧じゃねえ。鳥だ。翼がつづくかぎり飛ぶぞ』
と、京、関東、東北とあくまでも新政府軍と戦い続け、最終的に蝦夷地、函館にたどりつきます。
で、敗残の、かもしれませんが、この地に結集した幕府軍により事実上樹立された政権の"陸軍奉行並"に就任します。
が、もちろん明治新政府がそんなもん認めるわけもなく、とっとと攻撃開始。
あたりまえに戦況は一方的なものになります。
で、このままでは追い詰められた幕府軍は新政府軍に降伏してしまう。
さすがに蝦夷地まで来てしまうと、もうあとがない。
つうわけで土方さん、「おいおい、このままでは俺も生きてあいつらに降伏することになるじゃねえか。冗談じゃねえぞ」と"最後まで戦って死ぬため"かなり絶望的な状況になっている最前線にひとり出て行こうとします。
が、その時、函館で部隊再編され土方さんのもとを離れていた新撰組の生き残りの人たちが次々と土方さんのもとに集まってきて、共に進みはじめます。土方さんは思わず「なにしてんだお前ら、もうお前ら剣術屋にどうこうできる時代じゃねえんだよ、剣ふりまわしても鉄砲のマトになるのがオチじゃねえか。邪魔だ帰れよ」と、"生きろ"と、叫びます。
え~なにげにこれって末期の日本陸軍批判だったりもしますかね。
で、端折りまして、馬上の土方さん、戦場を独り、悠然と、何事もないように進んでいきます。
そんな土方さんを、敵の銃撃にはばまれた味方だけでなく、気おされたのか、敵もただ見おくるばかりです。
そして土方さんが新政府軍の本営近くまで来たとき、やっと警護の兵に「何者か」と誰何(すいか)されます。
で、土方さん、最初は「俺は蝦夷共和国陸軍奉行並土方歳三だ」と答えようとして、こりゃ何か違うなぁと、己の野心をたぎらせた京都時代の役職「俺は新撰組副長土方歳三だ」と答えます。
え~これは流山で新政府軍に投降した近藤勇さんが、自分は新撰組局長近藤勇ではなく、旗本大久保大和だと、あくまでシラをきろうとしたことと対になっていますかね。
※キリストのような。20180830。
で、当然びっくりした警護のみなさん。
土方さんを取り囲み、銃を構え「どちらへいかれるのか?」「ん?ちょいと君たちの本営に用があってな」「何用ですか?」
「新撰組だぜ。斬り込みにきまっているだろ」