8.fly us to the moon


トロッコ

いやいや。

朝早くから、川沿いの桜のトンネルを「春だね~」と自転車でチンタラ走ってたら、どえらいトコまで来てしまった。

いえね、最初はね、単純にこう桜を見つつ、歩行者&対向車に注意しつつ、たまに立ち止まって写メでも撮りつつ、ほんとうに「桜綺麗だね~」とチンタラ走っていたんです。

が、段々、「この桜のトンネルをどこまで行こうかな~」な考えを「どこまで行けっかな~」な想いが侵食しはじめ、気づいたら「こんなトコで引き返せるか!」になり、「限界とは自分の心の中にあるのだ~」「俺は負けん!」と独りで謎のチキンレースを開始してしまったんです。

そんでこの体たらくですよ。どえらいトコまで来てしまった。
まあ、あくまでも僕的にはですけどね。人によってはたいしたコトない距離かもしれません。
が、僕はどこまで行っても僕なんで。そう、ココまで来ちゃっても僕なんで。したがって僕的にそうなら、やっぱり僕的にはそうなんだから、どうにもどえらいトコまで来てしまった。

つうても、このたどり着いた場所に旗でも立てて「本日、本時間をもってここを我が領土とする!」と宣言し、狩猟でもしながら土着できるんなら別にいいけれど、そういうわけには残念ながらいかない。

僕がこの天の下、真に独りきりなら開き直ってやってもいいかもしれんが、さすがに親兄弟親類縁者&先祖にその手の恥をかかせられないので、やるわけにはいかない。
したがって「僕にはまだ帰れるトコがあるんだ」つうことで、来たからには戻らねばならない。

借りたモノは返さねばならない。生あるものは滅せねばならない。来た道は帰らねばならない。
これがどうにもまからない。

いやいやいやいや、休みなしに自転車こいでの帰り道、己のアホウさにマジで泣くかと思いましたよ。

そういえば似たような話昔読んだなぁ。
あれだ、芥川龍之介さんの「トロッコ」だ。あれは主人公子供だけど・・・

(たしか)遊びの延長で線路工事の人夫さん達と一緒にトロッコを押し、それに乗りを繰り返し、結果自分の村からいくつもの山を越え、そしてもう日も暮れようかという所で、人夫さんに「自分たちはトロッコでもっと先へ行く、坊主はもうお帰り」と言われ、このトロッコは自分の村へ引き返すものだとばかり思っていた主人公の子供が、あわてて暗い夜道を孤独と恐怖に耐えながら走って自分の家に帰るお話でしたか。

そんで、この子は大人になって東京に出て家族を持ち、仕事は文章を校正する人になったんだったかな?で、深夜に都会の片隅での今の苦しい生活を思うと、ふと今でもあの外灯もない暗い夜道を孤独と恐怖に耐えながら走っているような気がする、みたいな〆ではありませんでしたっけ?

いやいやいやいやいや、わかるぞ坊主!ミーツーだ、ミーツー。さぞや怖かったろう。寂しかったろう。よく孤独に耐えて走りぬいた!感動した!※死ね、と言ってると解釈していいよ。20180816。

ま、こっちはいい大人やけどね。

しかしなんだね。遠い将来、僕が深夜にふと思い出すとしても、灯り一つ無い暗い夜道ではなく、覆いかぶさらんばかりの咲き誇る桜のトンネルになるんやね。そう考えると悪くもないわね。

ま、こっちはすでに分別あるはずのいい大人やけどね。



僕は散歩が好きなんですね

たぶん散歩をするためにこの世に生まれてきたんですね。
散歩と漫画さえあれば生きていけるんですね。
だって、文章は、オハナシは、自分で書けばいいし、頭ン中で考えればいい。音楽は自分で楽器弾けばいいし、唄えばいい、でも漫画は描けんし、散歩にいたっては言わずもがなでしょう。

が、そんな僕ではありますが、最近、自転車なるものに乗る機会が増えてきたんですね。いえね、とうとう文明開化の大波が僕のトコまで押し寄せてきてですね、廃刀令もかくやという勢いで徒歩による散歩から自転車によるサイクリングに移行してしまったんですね。いや、僕はあくまでも散歩ラヴの男なんですけどね。そこんとこ、小栗上野介もかくやという信念の男なんですね。でも時代のうねりの中、歴史が大きく舵をきる時、個人の信念なんて無力なもんなんですね。どうしようもないんですね。「堕落してゆく僕を許しておくれ」と、断髪令もかくやな無念の思いで、今日も僕はサドルにドスコイと座るんですね。で、維新後、一命を許され静岡に移った徳川慶喜さんのように軽やかにペダルをこぐんですね。「風になるのだ~」みたいな。「文明のリキ最高~」みたいな。

そんな感じで、ここ何日か時間を見つけてはアッチやコッチと30~40キロ自転車で徘徊してるんです。その反動がドン!ときましたな。
つうても、前も時間を見つけては10~20キロは徒歩でアッチやコッチと徘徊していたわけだから、疲れ的には大して変わらんはずなんだけど、やっぱり使う筋肉が違うとアレなんでしょうな。それに長い上り坂を見つけると、どうしても挑戦したくなっちゃうし。
まあ、しばらくこの勢いで自転車乗り倒してたら、そのうち自然と身体が慣れるんでしょう、たぶん。

現状、痛み最高潮、身体をひねるのも一苦労ですが。



「知れば迷い 知らねば迷わぬ 恋の道」©土方歳三

風になるのだ~

と、自転車を軽快にこいでたらすっ転びました。
道の真ん中でかなり豪快にずっこけました。

そこは車道や歩道の区別もたいしてないとこで、普通に車もBUIBUI!通っとります。
あやうく本当に風になるとこでした。

いやいやいやいや、やばいやばいやばいやばい、気ぃつけないといけまへんな。
まだまだ僕は死ねません。歩き足りません。だって僕の散歩圏内だけでも歩いていない路地は沢山あります。ありすぎます。

歩きたい、ああ歩きたい、歩きたい。
知らない路地から知らない路地へと歩きたい。そして迷ひたゐ。

「知れば迷い 知らねば迷わぬ 恋の道」©土方歳三に迷ひたゐ。

は、さて置き、やっぱりまだまだ全然歩き足りません。腹一分目にも到達していません。できれば世界中の路地を歩き倒したいくらいです。ちょっとそこんとこ時間軸的に"人間"として無理があるっつうんだったら、なに徐福さんを呼んできて牛丼でもおごって三神山に行ってもらい、不老不死の薬を手に入れ僕も兜率天の皆さんの仲間入りをして、それを目指せばいいことです。シンプルな話ではないですか。も、さて置き、やっぱりまだまだまだ僕は見知らぬ路地をうろちょろしたいです。単純に僕の望みはそれだけです。これからは気ぃつけないと。

いや~本当に危なかったんですよね。こけたのはもうちょっとで家っつうとこで気が緩んだ、つうより足の筋肉の疲労に自分で気づかなかったのが敗因でしょうな。坂道の上り下りを意図的に繰り返したせいか、立ち上がろうとしたら膝笑っちゃってたし。しかも、こけて初めてそのことに気づいたし。考えたら僕は自転車に関してはまだ若葉マークだもんな。結果として怪我もせずに良い経験になりました。

が、そこなんですよね。ちょっとずれてたら普通に(なんの問題もなく)走ってる自動車に轢かれても全然おかしくない状況だったんです。

つうかこれで轢かれてたら、もう自動車の運転手の人に悪すぎです。だって146%僕が悪いですもん。いきなり何もないとこでバランス崩して倒れこみましたからね。それでも悪いのは自動車だ、みたいになるでしょ。特にもし僕が死んじゃったりしたら(物騒な例えですが)、「いえ、悪いのは全部僕なんです。あの方は不運にも巻き込まれただけで」と言ってあげたいけど、それこそ「死人にくちなし」だし。何か使い方まちがっとるような気もするけど、実際そうなると僕はもう何も言えんし。

とりあえず、今回はよかった。ちゃんと気をつけよう。




三月の雨は六朝の涙に似たり、らしいですが、もちろん今は三月ではなく、「また来年」とそろそろ四月をたたんで箪笥にしまい込もうかという季節。
なんも関係ない。

でも、この三月ってのはたぶん陰暦だろうから、そう考えると関係なくもないのかもしれない。
よくわかんないけど。

ま、そもそも僕には雨霧に霞んで、六朝はおぼろげにしかみえない。
魂のまほろばなのかもしれないそこは、まるでまぼろしのよう。

つ~か、ちょいこの頃お天気さん泣き虫すぎませんかね。
君は僕か?
なにかかなしいことでもあったのかい?

親近感はわくけどさ。



告白

駄目なんです。どうしても僕は"徒歩"のことが忘れられません。今の僕には"自転車"という素敵なLoverがいるというのに、心から満ち足りて、充足した生活を送っているはずなのに、それなのに。

そう、それは最初は僕の心についた小さな小さなシミみたいな点でしかなかったんです。馬鹿らしい。どうせ日日を、日常を積み重ねているうちに、それはどんどん薄くなり、自分でも気づかないうちにそんなシミのことは忘れちゃうさ。消えてしまうさ。そう思っていたんです。

でも、駄目なんです。それは逆に僕の心を知らないうちに侵食してどんどんおおきくなり、今では何か心にぽっかりとおおきなおおきな穴があいちゃったみたいなんです。どうしても"徒歩"のことが忘れられないんです。

違います。けっして"自転車"のことを愛していないわけではありません。本当なんです。こんな便利で快適でエコな乗りもんを愛さない理由は何処にもありません。でも、駄目なんです・・・

は、置いときまくりで、僕はやっぱり"徒歩"が一番好きみたいです。
"徒歩"での、のんびりと流れる風景、それを見る僕の目の高さ、が、やっぱり僕には一番しっくりくるみたいです。

まあ、僕はチャカチャカ歩いちゃいますけどね。



心にお月様

どっちも素晴らしすぎの、いうこたない曲だけど、ベートーベンさんの"月光"よりドビュッシーさんの"月の光"のほうが僕は好きです。

天上の暗闇にただひとり輝く月光の孤高もステキだけど、暗闇を切り裂いて地上を優しくてらす月の光の信頼も悪くない。

藤田嗣治さんは君代さんと二人だけの永遠の旅の途中、月を眺められては、やっぱり"月光"ではなく"月の光"を聴かれているような気が、僕は勝手にします。


プカプカです。



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