2.月刊東宝特撮映画DVDコレクションを最初から買ってたら(略)
Ⅰ:ヒトフタマルハチ
さて「日本沈没」ですよ。逆から読んだら「没沈本日」ですよ。でも本当に逆から読んだら「つぼんちんほに」とむれた靴下のようにホワっとエロスの香りが漂いますよ。エロス的人間である僕としては惹かれるものがありますよ。話がズレてますよ。全然関係ない話ですよ。そうですよ。本日(2009)12月8日(火)は東宝特撮映画DVDコレクション第6号「日本沈没」の発売日ですよ。楽しみですよ。昭和16年12月2日に大本営から南雲中将率いる帝國海軍機動部隊に対して発信された暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の実行日に「日本沈没」をぶつけてくるとは発売元さんも芸が細かいですよ。んなわけないですよ。これは考えすぎですよ。どちらにしろ「日本沈没」観賞楽しみですよ。
というわけで「日本沈没」。夜遅く観だしたら途中で眠くなっちゃったんでまだ三分の二も観てないけど、こちとら影響されやすい人間ですからね、なんかだんだん怖くなってきましたよ。がんばれよ日本海溝側!日本列島をちゃんとささえてくれ。(※ボキッ!といって沈没です)
でも映画に出てくる、内閣の皆さんに地球の構造とかを説明する学者の方は本当の先生なんですかね?わかりやすくてためになりました。もう35年以上前の映画だけど、基礎的な話だからたぶん説としてそんなに古くなっているということはないでしょう。
しかし主演(でしょ?)の小林桂樹さんをはじめ、出てくる男達がみんな格好いい、そしてみんな眉毛が太い。そういえば宇宙戦艦ヤマト初代艦長沖田十三さん(アニメ)も眉毛が豪快に太かった。
どうですかね。ここらで眉毛が太い男どものドラマを誰かつくりませんかね。
前時代的で暑苦しいだけですかね。
今の男の子達は別に懐かしのヤンキーてわけじゃなくても「おい!眉毛はどうした!?ないじゃないか」「いえ、眉毛剃ってたら失敗したんで全部剃ったんです」てな感じですからね。
昭和は遠くなりにけり。
Ⅱ:東宝特撮映画DVDコレクション
しかし、やっぱり昔の日本映画の現代劇の映像の向こう側の人たちの風俗や風景や車のデザインや小物のデザインとか見てると楽しいですね。(~の、を七回使ってますな)
「日本沈没」の中に出てくる1970年代初頭の東京の街並みの空撮映像、思わず画面を静止してまじまじと見てしまいました。(~の、を四回使ってますな)
さて、夜は(純粋に!)睡魔に襲われて寝てしまいましたが、この「日本沈没」、上映時間2時間20分以上と長い映画ですが、テンポもよく観てて飽きません。
これは、脚本を書かれた橋本忍さんの手腕なんですかね。この映画の監督で、黒澤明さんのチーフ助監督を務められていた森谷司郎さんの編集の妙なんですかね。すべてが相まってなんですかね。そのへんは僕には能力も知識もなくわかりません。まあでも、橋本忍さんのお名前はよくお見かけしますね。
ところで、「ゴジラ」からのすべての作品を時系列にそって観れば、特撮や演出の進歩や変遷がわかっていいかも!←と、思い込むことにしました
Ⅲ:エデンの東
いや~クリスマスと言ったらやっぱり北海道産のすけそうの干物ですね。
延々と千切っては食い、千切っては食いしていると気分はもうホワイトクリスマス。
鈴をシャン♪シャン♪と鳴らしながらやってくるトナカイさんの真っ赤なお鼻がに浮かびます。
あとやっぱりクリスマスと言ったら餅でしょう。
表面に軽く焦げ目がつくくらいまで焼いた餅を、これまた軽く焼いた海苔でくるみ、端にちょっと醤油をつけてムニューと食べるとジングル・ベルを楽しそうに歌う天使達の歌声が聴こえてくるようです。
そうそう、クリスマスはこれをはずしては語れませんよね。ちょっと奮発しちゃったぞ、まあクリスマスだからいいか?な八女玉露100g二千円也です。
あまり熱すぎない温めのお湯で、2分近い待ち時間を取ってお茶をいれると気分はもうホーリークリスマス。この抑え気味の苦味と甘み以上のクリスマスプレゼントがこの世に存在するでしょうか?
ちなみに急須と湯のみを前もって温めておくと美味しさ倍増、聖なる夜を一層引き立たせるぞ!
たぶんだけどな。
Ⅳ:ボルテスV
「ボルテスV」ってロボットアニメがありましてね。
随分古いアニメで、正直僕もあんまり記憶には残ってないんですけどね。
まあ、いわゆる合体ロボットアニメでしてね。
いえね、昔フィリピン人の方がこのアニメの主題歌(英語)を軽く口ずさんでいたことがありましてね。そういえばなんですけどね、この「ボルテスV」、フィリピンでも放送されて子供を中心に絶大な人気を誇ったそうなんです。たぶん、アメリカでの「マッハGoGoGo(Speed
Racer)」みたいな感じなのでしょう。
で、テレビで随分前に観た記憶で、当たり前に話がフワフワしてるんですけどね。
あちらの学者(ここからフワフワ)の方がインタビューに答えていて「このアニメをフィリピンで放送するのは日本軍国主義の陰謀だ!」と仰るんですね。「まずこのような暴力的なアニメをフィリピンの子供達にみせて洗脳し、その後またフィリピン侵略を開始するのだ」「ボルテスVが使う必殺技の剣、この剣こそがまさに日本軍国主義の象徴ではないか!」みたいな。さすがにそれはどうだ?とはもちろん思うけど、う~ん、とも思うんですね。
底の底には日本人自身ではとても気づけない何か同じモノが流れているのかもしれませんからね。外から見た"日本"つうトコで、興味深い一つの視点ではあると思うんですね。
もちろんフィリピンの中だけでも全然違う視点を取る人も大勢いるだろうから、あくまで"一つの"ということで。主題歌を口ずさんでいた方は純粋にアニメが(たとえばバットマンとかと同じように)楽しみだったみたいだし。
それに、フィリピンは太平洋戦争でドエライ激戦地になってますからね。だって大岡昇平さんの「レイテ戦記」読んでて、レイテ島を四国、日本軍と米軍を中国軍と米軍(深い意味はございません)とかに置き換えてみたら、こりゃたまりませんよ(日本軍も米軍もフィリピンを支配者から開放してやったのだと思ってるフシがありまくりだけど)。
え~と、いまちょびっとネットで調べてみたら「ボルテスV」は70年代後半、ほぼ日本と同じ時期に放送されていますが、1999年に再放送されており、上記のインタビューはもしかしたらこっちについてかも。
Ⅴ:火の雨
そういえばさ。
古い事件現場とかで「ここで殺された被害者の怨念が」とか言う人いるけどさ、そんなこといったら東京はモトより広島・長崎、日本各地の都市とかは街全体が空襲・原爆で亡くなった方たちの無念で溢れかえってるんじゃないのかな?
そのわりには東京の下町とかは平気な顔して歩いている気がするんだけどね。
亀戸とかさ。あのへん(知識として知らないと見えないのかな?)。
そしてメジャーな(失礼な言い方だと自分でも思います)事件の現場だけ「ここで殺された被害者の怨念が」(知識として知っているか厳密な検証が不可能なものだけ見えるのかな?)。
ま、もちろん"ちゃんとした"人もいるんでしょうけどね。
そういう人には死者の悲しみに満ちた都会での生活は苦痛なのではないだろうか。
で、僕はやっぱり積もり積もった無念(怨念とは言いたくないです)だったら世の中のそこら中にありふれてあふれかえってると思うんで、特定の場所を別に気にはしませんね。
特に都会に住んでる人は過去に生きていた人達の無念の上で生活しているようなもんだし。
それを軽んじるというわけでは決してなく、気にしてもしょうがないし、この世を過ごす時間がちょっとズレただけでかつては同じ生者だった人を怨霊あつかいは失礼な気がするんですよね。
もちろん僕個人の考えで人に押し付ける気はないです。
Ⅵ:感性が呼び込む偶然は必然です
本日の昼下がり、僕とは無関係極まりない、ちょいと面倒くさいトラブルに巻き込まれそうになりましたが、三つくらいの普段ではありえない"たまたま"が重なって助かりました。
心底「ラッキー!神様ってやっぱりいるじゃん!」と思いましたが、考えてみると僕の普段の行いには神様に愛でられる要素は何もないので、"たまたま"はあくまで"たまたま"、今日の僕の三段重ねの幸運には別にどの神様の関与もないでしょう。もちろん、ちょっと面倒くさいトラブルに巻き込まれそうになった不運にも。
ま、日ごろの個人の行いの良し悪しと、その人の人知を超えた幸・不運には別に因果関係はなく、それはあくまで"たまたま"ですわね。
が、人知の範囲内の幸・不運なら日ごろの行いの良し悪しは無茶関係ありますわね。
だって別に政治に限らず、人と人との間に"デン"と横たわるのはおのおのの感情だから。
で、いつものように話が飛躍しますが、だって空襲や原爆や地震や台風や飢餓やなんやかんやで理不尽に亡くなった方たちは、皆日ごろの行いが悪かったのかっつう話ですからね。
その方たちよりも自分の方が絶対に日ごろの行いが良いといえるのかっつう話ですからね。
それはその方たちの前世の行いが悪かったからだっつう話なら僕もう眠いんでよく聴こえない。(魂はまだ品切れしてないかな?)
その方たちの先祖の行いがっつう話なら、2・4・8・16・32・64・128・256・512・1024・2028・4056・8112・16224・・・・と、こっちは増えていき、人類の総数は減っていくのでよく聴こえない。
どっちにしろよく聴こえない。
馬鹿!そもそも先祖というものは!!っつう話ならそもそも聴こえない。
その方たちの血がDNAが悪いって話なら、頑張れ。そのうち立派なSS隊員にだってなれるさ。
ただ自分の影には気をつけろ。それはホントに自分の影か?
もしも個人の一生における"ラッキー"の総量が決まっているとしたら、僕は今日だけで、まだ一月だというのに、今年(2010)の上半期分の"ラッキー"を消費してしまったでしょう(もちろん、そんなモン決まってるわけあるかいと思って書いてます)。
とりあえず世界の終わりがくるなら人知を超えたトコで脈絡なくやってほしいですね。
人知の範囲内でのカタストロフィーはやだ。
Ⅶ:うらみ
小説家の陳舜臣さんが「古来中国の詩は、男は志を表し、女は怨を詠うものだ」みたいなことをお書きになってたような気がする方向に320円ですが、愛を詠うこともやっぱり怨を詠うことなのかな?
怨て言うと何かおどろおどろしい感じになっちゃうけど、そうではなく、こう人の自然な感情としての怨みたいな。
でも、今"うらみ"を"怨み"に変換して意味みたら"憎悪"になってるなぁ。
やっぱりそうかなぁ・・・
と
話を持っていってもやっぱりちょっぴりくっきり違いますな。
愛ある怨。
丸っこい怨。
暖かい怨。
やさしいうらみ。