9.誰ぞ彼
Ⅰ:air
on the G string
寒い。
ゴミを出そうと外に出ると、シンとした朝の冷え込みに身体がブルブル震えてしまいます。
ついこないだまで「あちぃ」と汗だくで言ってたのに、ちょっと気温が下がっただけでこの体たらく、まったく人間とは不便で不完全な生き物でございます(僕の個人的根性無さを普遍的問題にすり替えてみました)。
が、この人間の身体の不便さ不完全さが、それを克服しようという人類文明の発達をよんだんでしょうかね(すり替えをこじ付けで卍固めしてみました)。
で、昨日(2009/11/15)のNHKスペシャル「リーマン予想・天才たちの150年の闘い」おもろうございました。本当はもっと深い話なんでしょうけど、だから専門的な人には物足りないのかもしれないけど、でもまったくの素人にも解りやすく、面白くこういう番組を作れるというのは本当に凄いと思います。
そういえばまだ十代の頃、僕はそのうち「神様理論」という数式が見つかるさ!とかヘラヘラ言ってました。やっぱり数式の中に万物創造者の謎は潜んでいるんでしょうかね?(↑とは一切無関係な話だけど)
「ゼータ関数の非自明なゼロ点はすべて一直線上にあるはずだ」
はたして一筋の線上の上に"神"は確かに存在しているのか?
つうても番組内容をここにちゃんと再現説明する能力はありません。
前も書いた気がするけど、僕の頭は算数レベルなんで。
99×99=9900-100+1=9801
99×98=9900-200+2=9702
後ろの数から1マイナスして、100倍し、さらに後ろの数が100になるために足りない数を足せばいいのだな。
つうことは99×94=9306か?
99×64=6336か?
98×98はどうだ?9604か?
つまり、後ろの数から2マイナスして、100倍し、さらに後ろの数が100になるために足りない数×2を足せばいいのだな。
つうことは98×32=3000+136=3136か?
つうことは・・・と、いまどき延々と考えたりしてますからね。
ま、こういうのはわりと好きなんです。
はたしてアカシックレコードの謎も解ける時がくるのか!?
と、ついでに言っとこう。
Ⅱ:アマチュアアワー
素人考え休むに似たりとは言うけれど、考えること自体が楽しいんでまあいいじゃないか。
止まってる電車のドアの外からフワフワと風船(羽虫でも可)が流れ込んできて、そのまま乗客も含めた電車の何処にも接触することなく車内の空中に留まった場合(停車している時なら人が車内の空中に固定してもいいのかな?)。
そして発車ベルがジリリンとなり、ドアがプシューとしまり、ガタン、ゴトン、と、電車がゆっくり動き出した場合、乗ってる乗客の人には自分たちではなく、車内の空中に留まってる風船の方がスーとゆっくり移動していくように見えるのかな?どうなのかな?
僕は電車に乗ってるとき、電車が駅に止まる度に「何か虫でも飛び込んでこんかな」と思ってたことがありました。
が、たまに飛び込んできても彼等は動きが忙しなくてよくわからないんですよねぇ。
電車が動き出したらすぐに何処かに止まっちゃったりするし。
やっぱりわかりやすいのは風船か?
風船の下に重しをつければ、空中の一定での固定は可能なのではないか?
が、本当に実行したら速攻駅員室に連れて行かれそうですな。
で
89×88=8800-88×11=7832
89×23=2300-23×11=2047
したがって
79×41=4100-41×21=3239
かける数が小さいほうを100倍し、そこから数が大きい方が100に足りない分の数を小さい方にかけた数をひけばいいと。
これはあんまり美しくないですな。
ま、規則性はあるわけだから"鍵"となる式を何個か暗記しとけば、そこから微調整で他の数もわかるけど。
暗記はなんか違うな~
Ⅲ:初めから始める数学Ⅰ・A
いや~何度も書いていますが、朝は寒いっス。
が、所詮東京。本当に寒い地域にお住まいの人には「その程度でガタガタ言うな!」と怒られてしまうくらいのレベルの寒さなんだろうとは思うけど寒いっス。過去、「朝寒い」と書いていた自分を「その程度でガタガタ言うな!」と怒鳴ってやりたいくらい寒いっス。
で、話は変わりまして、買いました。
「初めから始める数学Ⅰ・A」って参考書。
いえね。高校時代、授業中は居眠りばかり。
気づけばもう何がなにやら・・・
まあ現実に暮らしてて、三角比を使ってあの建物の正確な高さを求めよ!とか言われることなかったし。反政府ゲリラにでもなって、迫撃砲の着弾地点を計算でわりだすようなスリリングな人生とも無縁だったし。
とりあえず数学できなくても生きてはこれたと。
というほどのことではなく、今なら「趣味」として楽しく数学できるかなぁ、と。
ちょこちょこ、のんびりやります。
あったなぁ、2次関数。
Ⅳ:あれはツララなのかな?なんだろ
24時間、10分置きに最新の画像に更新される、三ツ峠山(1785m)山頂付近に設置された富士山ライブカメラ。ここ何日か、まるで鷹の爪で上からつかまれたかのような三本の鋭い氷が、その画面を覆うように垂れ下がっています。そしてそれは日増しに大きくなっていきました。
この冬はちょくちょくココをのぞいていたけれど、カメラのかなりの部分を氷が覆うなんてことはありませんでした。やっぱり最近の気温の冷え込みは厳しかったのかな?
(今見てみると三つ峠山頂は雨が降っていて、氷も少し熔けてきている感じです)
ま、今年2010年の旧暦の元旦は昨日。
旧暦での年末から年始にかけての冷え込み。そう考えるとそんなもんかな?どうかな?
というわけで、"全国平年値(1971~2000年)・月別最低気温"てのをネットでみてみました。
やっぱり何気に縦横長々日本列島。最低値は全国それぞれですが、二月が年間を通して気温最低だっつうとこも多いですね。
しかし富士山の-20度台は置いといても、北海道帯広の-13.9!(一月)はもとより、長野-4.3(一月)とか軽井沢-9.0(一、二月)、秩父でも-4.8(一月)だし、甲府では-1.6(二月)。
単純比較はあまりにも無意味と思いつつも、僕が「寒い!」と感じた今日の東京の最低気温はネットでは+7度。
そういえばいきなり僕の頭に浮びましたが、日露戦前、八甲田山で陸軍の人が雪中行軍訓練中に遭難して大部隊が全滅に近い被害を出した時、数少ない生き残りの人はもともと雪山に慣れ親しんだ人だったんじゃなかったでしたっけ。
足もまず(たしか)油紙でくるんで、それから靴を履き、冷たい水気の浸入から足を守る対策を個人的に取っていたり。
Ⅴ:逢魔が刻←※なんかくっつく20180816。
「失敗は発明の母」という言葉を最初に発したのは誰でしたか?
エジソンさんでしたか?どうでしたか?
まあエジソンさんな訳ないですわな。だって如何な天才エジソンといえども日本語喋れたとも思えんし。
というよくある展開は置いておいて、「失敗は発明の母」なんですけどね。
ま、別に「魔がさした」でもいいんですけどね。
一昨日ですな、僕はここに八甲田山事件の生存者の方の話で「足もまず(たしか)油紙でくるんで、それから靴を履き、冷たい水気の浸入から足を守る対策を個人的に取っていたり」と書いたんです。
で、ちょうどその日は結構強く冷たい雨が降っていたんです。
で、そう書いた時、思わず僕は閃いてしまったんです。
まず足をコンビニの袋でくるみ、それから靴を履けば靴がビチョビチョになっても足自体は濡れないではないか!!と。
ええ、泣くよかひっ翔べですよ。思いついたらまず実行ですよ。両足を小さめのコンビニ袋にいれて、くるぶしの上あたりできつく〆、履きつぶし気味の靴を履き、横殴りの雨の中に飛び出していきましたよ(もちろん傘はさしましたよ)。
おおっ!靴は完全に濡れているのに、足は全然大丈夫だ!つうか足先なんてちょっとポカポカ温かいじゃないか!!もしかしたらコレはビニールでくるまれて"蒸れてる"ということなのかもしれんがまあ気にしない、ポカポカ温かいじゃないか!!
で、ですね、僕は自分の靴のサイズを高校生くらいからずっと26.5だと思ってたんですね。
んでですね、二年くらい前に「ちょっと大きいなぁ」と思いながらサイズが27の靴を履く機会があったんですね。そしたらビックリ!ちょっと余裕があるのが無茶いい感じ。
この感覚を味わったあとにサイズ26.5の靴を履くと、足の指がギュ!と押しつぶされる感じがして窮屈で窮屈でたまらないんですね。そりゃそうだよな、高校時代からなら足のサイズだって大きくなっているよな、俺は本当に阿呆だな~とそれからはサイズ27の靴を履いているんですね。
んでですね、あのですね、これが滑りまくるんですね。
まるで氷上を歩いてるかのように滑りまくるんですね。
靴の中で。
そうなんす、靴と足の間に微妙な隙間があり、そこで歩くたびにビニールが"ズルッ"と滑るんです。もちろん靴と地面の間は濡れているとはいえ別に何等問題はないんです。ただ靴の中で毎回滑るんです。
これもう大変。一歩ごと"フン!"と気合を入れて歩かなければいけない。そうしないと滑って転びそう。ただし靴はちゃんと地面を踏みしめて捉えている、それなのに何か滑りそう、この感覚だけでかなり気持ち悪い。
そうこうしているうちに、ビニールでくるまれ踏ん張り続けた足も完璧に"蒸れて"グッチョリに。
※実験結果:これにしとけ
あ!でも、エジソンさんの助手の方には日本人もいたんでしたっけ?
もしかしたらエジソンさん、ちょっとは日本語分かったのかも。
Ⅵ:横流し
矢野健太郎さん(明治45年-平成5年)という数学者の方がいらっしゃってですね。
この方の著作に数学の世界への入門書として努めて平易に書かれている「数学物語」てのがあるんです。
で、この本の導入部が「動物と数」。
鳥、犬、馬、さるなどの動物に数のことがわかるのか?って話なんです。
んで、心理学の先生がいろんな実験をした結果、鳥類は2と1、3と1、3と2、4と1、4と2、4と3くらいまでの数が区別できる。←鳥に関してはこれは数えているわけではなく、見て両者が違うのがわかるという意味だそうです。
ネズミ、犬、馬などは1~3まで、まれに4までの数がわかるといわれているそうですし、猿は1~3まで、チンパンジーは1~5までの数が判断できたといわれてるそうです。
ま、動物なんて所詮そんなもんさ!と思いきや、現在の文明世界の範疇外の世界で暮らす人たちの中には一つ、二つ、沢山で済ませてしまう人たちもいて、オーストラリアとニューギニアの間の海峡の島々に住む人たちの中には、1は1、2は2、3は2と1、4は2と2、5は2と2と1、6は2と2と2・・・と数えていく人達もいるそうです。そして4までの数がわかる人は非常に少なく、7がわかる人はほとんどいないそうです。
まあ私たちの祖先もそんな感じだったのだろう、で、ここから人がどのようにより大きい数を認識できるようになったのか?と矢野さんの話は展開していくんです。
が、そこもさておき、多分この人たちの地頭つうか、もともとの脳は僕らとあんま変わりませんよね。逆に言えば、僕と全く同じ能力の僕が、この人達の部族に生まれ育てば、やっぱり4以上の数字はゴニョゴニョってなりますよね。
↑最初、狼(に育てられた)少年のように、と書こうと思いましたが、これは失礼すぎですね。僕等とはその文化の体系が違うだけなのに。
う~ん、これは狼(に育てられた)少年に失礼か・・・
やっぱり文明とは蓄積ですかね、経験も含めた知識の蓄積ですかね。それはやっぱり文字だよな。
今、僕が書いてて、アナタが読んでいるこの文字だよな。数字だって文字だし。
といきなり話を放り投げるのが、だから僕のいいところですよ。
Ⅶ:あれは表出基準がわからん
よもや「ゼータ関数の非自明なゼロ点はすべて一直線上にあるはずだ」か?
はたして一筋の線上の上に"神"は確かに存在しているのか?
こうしたどうしたで
G線上の"Air"か?
つまり
お前が"神"か?
"神"は19世紀に殺されたのではないのか?
死んだはずではないのか?
死にそこなったか?
かわいそうに
と
いうわけで
今日が終わると永遠に過ぎ去り二度と帰ってこない今日という日
いい日にしましょう
そうしましょう