1.正月そうそうなんですがな話ですが

寝起

つうかね、三ヶ月ぶりくらいに酒(発泡酒500ml)飲んだわけさ。
するとそっこう撃沈、寝まくり、したがって起きまくり、なんであるならば寝まくり、つまり起きまくり。んでちょっと頭痛かったり。

でも随分アルコール飲んでなかったなと思ったらアレですわ、だから、寝まくり、したがって起きまくり、なんであるならば寝まくり、つまり起きまくり、に、なるから、つまりまだ寝るには早い変な時間に、寝まくり、したがって起きまくり、なんであるならば寝まくり、つまり起きまくり、に、なるから、アルコール摂取しなかったんだわ。
つまり、これからも、寝まくり、したがって起きまくり、なんであるならば寝まくり、つまり起きまくり、に、なるから、アルコール摂取しないんだわ。



そっこう

「そっこう○○する」
「そっこう○○した」

の、そっこう。

俺いつもこのことばを使うとき、漢字どれ使いましょ?と「?」になるん。

即効・速攻・速効・即行・・・


もちろん場合にもよるんだけど、己の気分としては"速攻"がいちばん"そっこう"としてしっくりくるのね。
でもどう考えてもこの場合の"そっこう""即効"、この場合は"即行"だよな、つうこともまあ当たり前にあるのね。

でも実際に文字にしてこう文章を見たとき、あくまで自分の中だけの話として何かしっくりこないのね。
やっぱり"そっこう"という言葉に対しては"速攻"を使いたい自分がいるのね。
でもそこで"速攻"をつかってしまうと、やっぱりこの場合の"そっこう""速攻"ではなく"即効"だよな、この場合は"即行"だよな、つう考えがどうしても頭に残る場合があるのね。


どうにも気持ち悪いのね。
というわけで、今後僕が"そっこう"をつかう時は"そっこう"に統一することにしたん。

さて、風呂はいろ。


で、風呂あがりまして、"ワタシ"なんだけどね。
いえね、これはもうナチュラルに不統一になってしまっているんだけどね、「風呂前」の文章の前半部の"ワタシ"""、後半部は""を使ってしまっているのね。

でもあくまで自分の中だけの話で、やっぱり前半部の文章の流れ・雰囲気では""、後半部では""をつかうのがどうにもしっくりくるのね。
たとえばそれを逆にしてみると、ものすごく気持ち悪いのね。
というわけで今後僕が"ワタシ"をつかう時は英語の"i (アイ)"に統一することにしたん。

とはいきませんな、やっぱり。

注!!)もちろんこの文章は「EVcafe」の村上龍さん&柄谷行人さん・坂本龍一₍ゴミ処刑₎・の鼎談の中での、坂本さんが『それから(英語の)アイ[Ⅰ]っていうのが一種非常に機能的じゃない。「私」でもないし「僕」でもないしさ。日本のアイっていうのは、たとえば川端康成みたいに、ほとんど日本の国土そのものみたいに拡散するでしょ』とおっしゃられたのをモトにさせてもらっています。



さて本を読む男で。

神坂次郎さんの「元禄畳奉行の日記」。

時は元禄、尾張名古屋の一中級武士が二十六年間延々書き続けた日記の注釈本かな?


裏に二十七年て書いてある


「元禄(御)畳奉行の日記」だった


この頃は、お犬様を筆頭に一切の殺生を禁じた(人間は別なのね)「生類憐れみの令」まっさかりのころではありますが、尾張のこの方将軍綱吉を日記でくさし、「では俺は殺生に行く」と何度も魚釣りにでかけられていますな。

この方が気骨があったというよりも、そもそも藩として地元(本音)と江戸(建前)だったんですかね。
この方も「江戸の人は気の毒だわ」と書いてます。



うぉ

ELOだ!

今かなりどうでもいいことに気づきました
これ間違って変換すると、あエロだ!になる

ん?

あれ?

"""ro"か?
"lo"""になるな

普通に「かな」で"elo"と打つと"えぉ"になると

んで

"elo"と小文字で打ちまとめて変換すると"エロ"になる

と、今かなりどうでもいいことに気づきました

ZEPPELINだ!

えっとついでにコレは"ぜっぺぃん"になりますな
何気にコレは発音難しくないですかな

WHOだ!

ピンボールだ

コレは"うぉ"ですな


日本語の発音的には"uwo"


あれ?

"wo"だと""か?
それとも"ぅお"
"ぅを"とか?

あれれ?

俺の中の"wo"を「かな」でどう表現すればよいのだ?特に最初。
""""のあいだの""

素直に"うぉ"

つまり"who"?

(※これならんな、どうやったんだろう?・2014/06/18)



幼児凄え

あ、そうそう。

ざっくりいくけどさ、いま幼児(男)の平均身長みたら”26ヶ月~385.097.2cm”だったのね。

で、成人男子の平均身長はだいたい171~2cmくらい。
で、その身長差はこれまた幼児を高めに設定してざっくり1.75倍くらい。
んで、俺の身長が小数点四捨五入で176cmくらい。で1.75かけまして308cm


べつに異生物でなくても、3メートル8センチのオッサンにむこうから満面の笑顔で「おお、カワイイ子だなぁ」とドスンドスンとやって来られたらやっぱり失神・失禁コースじゃね?

やっぱり幼児凄え。


では、しばし「元禄御畳奉行の日記」を読みたいと思います。

『元禄に生きた酒好き芝居好き女好きな下級武士が、太平の世の武士や庶民の生活を的確に、倦むことなく綴った稀有の記録』『尾張徳川家の無類の記録マニア朝日文左衛門の二十七年に及ぶ日記「鸚鵡籠中記」』

を神坂さんが自身の言葉で読み解いた、この「元禄御畳奉行の日記」。
読んでいてとてもおもしろく倦むことナシです。
あ、そういえばたしか今「武士の家計簿」て映画やっていますよね。
作品を観ないでいうのもなんですが、時代劇もこういう視点の多様さがでてくることはいいことです(よね)。

どわ紅茶こぼした。ぶちまけた。中惨事。

で、本が三冊ほどえらいことになりましたが一応ふき取りまして、んで、よくみれば「武士の家計簿」の監督は森田芳光さんじゃないですか。

僕は本当に洋邦問わず大して映画(今となってはテレビドラマも)観ないのですが、森田さんの作品は、映画館ではなくテレビ・ビデオ・DVDということになりますが、かなり観ていると思います。
黒沢清さん、阪本順治さん、北野武さん(ゴミ)、もちろん本多猪四郎さん・円谷英二さんコンビの作品も、映画館ではなくテレビ・ビデオ・DVDということになりますが、かなり観ていると思います。

はい、そんだけです。
では「元禄御畳奉行の日記」へ。

以下同文。めんどくさくなってますよ。20180828。


といいつつまた登場。

おやおや?ほら、またナチュラルに文章の前半の"ワタシ"""、後半が""になってしまってる。
やっぱりあれか?ワタシの"ワタシ"は英語の"i (アイ)"に統一したほうがいいのか?

もしくは誰かはよメタ・ランゲージば作らんね。



いやいや元禄の尾張名古屋は事件だらけです

でも「元禄御畳奉行の日記」。
この本が最初に世に出たのが1984年ですか?
んで今僕が読んでる文庫が1987年初版発行となっていますな。

んで解説に代えてということでしょうかね、巻尾の山崎正和さん、丸谷才一さん、木村尚三郎さんの鼎談「元禄の週刊誌記者が見た日本」がおこなわれたのが1985年(文藝春秋より転載となっています)。
これからバブルに向かっていく時期ですかね?

とりあえずざっくり、この本を読むのは""のほうがいいかも。
で、え~神坂さんがお書きになった文章を引用させていただいて。

『このころ(元禄八年・1695年ころ)を境に"花の元禄"と好景気をつづけてきた元禄の経済は一挙に下降線をたどっていく。』

で、あくまでも尾張徳川家の一下級武士の天地で、当人が見聞きした範囲での話ですが

『去月十六日と十八日に、さかな屋紋六両親も死す。一日に十八、九人づつ死す。但し、卑賤な者ばかり死す』(1716年?)※とりあえず逆スタートでいってみよう。そのほうが楽しいから。20180828。
『予が、まのあたりにみる所ばかりも莩(飢えて亡くなること)甚だ多し。間々、死する者多し。御代官衆の支配の百姓も、所々つぶれるもの多々なり。甚だ手あてなき事なり』(1715年)
『在々困窮し、首をくくり死する事、覚えずと云々。一度に十二人書付、頃日、年寄衆へ達すと』(1715年)
行き着く先は皆殺し。おまえら目線で落ちぶれようがなにしようがな。20180828。


近松門左衛門さん凄え

まあ正月そうそうなんですがな話ですがね。以前、俺こんなん書いたんですよ。『まあ260年間を一括りにして考えるのは非常にナンですが、例えば江戸時代。年間、どれくらいの自殺者がいたのだろう?(略)庶民だって近松門左衛門さんの「~心中」な作品がありますし』。

あのですね、そりゃまあ"心中"てのは昔からあったんでしょうけどね、これどうも『庶民だって近松門左衛門さんの「~心中」な作品がありますし』つうよりも、元禄十六年ですか?近松門左衛門さんが実際の心中事件に材をとった世話浄瑠璃「曽根崎心中」を発表したことを契機に庶民の間に爆発的な"心中ブーム"がおこったみたいなんですわ。

近松さんが世紀の"心中ブーム"の仕掛人みたいなんすわ。
んで神坂さんの「元禄御畳奉行の日記」から引用させていただいて。


『いま、私の手許にある、この年に発行された当時の情死人名簿ともいうべき「心中恋のかたまり」(上方情死人名鑑)を繰ってみると、元禄十六年から翌、宝永元年七月までの一年半に、京、大阪だけで九百余人もの心中事件があった』

まだ"心中ブーム"の序の口みたいです


もっとも、それ以前から"心中ブーム"とまではいかなくても、その下地はあったみたいなんです。


山崎正和さんによると『「曽根崎心中」にその様子が書かれていまして、こんどの心中はカッコがよかったとか悪かったとか、みんなが心中の評定をする』
『心中する当人たちも、明日は自分たちがどう評定されるであろうかと案じて死んでいく。』

そしてそれら評定する者される者たちの、まあまた適当に書きますが、永遠に続くと思われた太平の世が徐々に膿んできた、元禄という時代の(都市文化のですかね)退廃した精神を近松門左衛門さんが世話浄瑠璃として見事に圧着、具象化。

んでその後、これは丸谷才一さんの想像ではありますが『元禄時代の、少なくとも上方で心中する男女は、こういうふうに死ねば近松門左衛門は書いてくれるんじゃないか、という期待をいだいて心中したような気がします』という事態にたちいたったと。


んでね、"丑の時まいり"

これも昔からあるものではあるけれど、庶民のあいだにひろがったのは元禄の頃、近松さんが浄瑠璃にとりいれてからみたいなんだって。


近松さん凄え。


はい正月そうそうなんですがな話でした。




僕の祖父。天台宗のお坊さんだった、僕が生まれる前になくなった祖父ではなく、その人生の最後まで市井の、孤立した、一社会主義者であり、どこにでもいる平凡な人だった、祖父の方。

そんな祖父が人生の晩年にもった夢は「革命」でも「社会の変革」でもなく「もう一度勉強がしたい」でした。
八十歳まぎわに通信だったとおもいますが高校に入り直しました。ちゃんと卒業しました。

ちなみに僕は祖父とその思想について話あったことはありません。
もうこの世で話しあうこともありません。

石橋政嗣さん(ゴミ処刑)の「非武装中立論」。
今の僕の部屋のどこかにあるとおもいます。
この本は、祖父と同じ佐世保市民の石橋さんが、石橋さんに手紙を出した祖父を訪ね、贈ってくださったものらしいです。

原明の家掃除中、議員会館から祖父宛に送られてきたはがきが出てきましたが、署名入りで送られた本等とともに、あ、本島(ゴミ処刑)、で、ずい分前にまとめて燃えるゴミになりました。20180828。

でも、僕は、子供のころから、子供心にも、なんとなく祖父の思想には軽い違和感を感じていました(もちろん子供だったから、かもしれません)。

くりかえしますが、僕はけっこう偏屈だった祖父とその思想について話あったことはありません。
もうこの世でけっして話しあうこともありません。

もちろん僕にとってそのことはたいして問題ではありません。


明日晴れてたら井の頭いこうかな。


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