11.痕跡
Ⅰ:ゴジラ
東宝特撮映画DVDコレクション、初回特価980円也か・・・←990円也でした
でも別に買わなくても観たけりゃレンタルでもいいんだよな・・・←買っちゃいました。僕のロボット、怪獣、オバケ好きは一生モンの病気です
初代ゴジラ。
ビデオで観たのは随分昔だけど、雰囲気がなんとなくB29の空襲ぽかったんですよね。
ゴジラの来襲ぶりとそれに慄く人達が。←やっぱりそう思いました
確か話の中でも「せっかく空襲を生きのびたのに、こんなんが現れて」みたいな路面電車の中かなんかでの会話がなかったかな?←電車(でしょ?)の中で「せっかく長崎の原爆を生きのびたのに」「また疎開か」みたいな会話でした
当時は、製作スタッフや役者さんのなかで、戦地だろうが内地だろうが戦争体験のない人のほうがめずらしかっただろうし、映像の、特撮の、質云々ではない"戦時の空気"のリアリィティーがそこにはありましたな。←ありました
ま、もちろん僕には空襲体験ないんで勝手なイメージですが。
で、この論法でいくと逆にB29の空襲もゴジラみたいなものとして捉えられていたつう考えもアリになっちゃうんですよね、庶民にとって。
こう、なんつうか、どうしようもない、理不尽で巨大な力っつうか。
荒ぶる神の怒り的なものっつうか。
人智ではどうしようもないものっつうか。
ちょっとこの考え方は単純化しすぎて、空襲の犠牲者の方たちに失礼で危険ですね。
それにゴジラは最終的に芹沢博士のオキシジェン・デストロイヤーで撃退したわけだし。その方法はカミカゼかもしれないけれど。←自分が開発した超兵器を悪用させないための立派な行動でした
さて明日はシネコンに映画でも観に行こうかな?←今日はもう映画はいいかな?
Ⅱ:呪文みたいに書きますよ
田中直毅さんと長田弘さんの対談集(かな?)「映画で読む二十世紀」の中の"「東京物語」と変化する社会"を読んだら、この「東京物語」の公開は昭和二十八年だと。
で、あいも変わらず前後の脈絡なく文を引用させてもらって
田中直毅さんが「昭和二十八年というと、まだ昭和初年の気分を残しており、この物語に出てくる人間関係、町のたたずまいから、たぶん昭和の戦前はこういうものだったのかなと推察できますね」
長田弘さんが「日本の近代の歴史は、普通、一九四五年、昭和二十年を境界にして、それ以前、それ以後に区切るでしょう。しかし、違う。生活の様式ということでは、明治にはじまった時代の本当の区切り目というのは、この物語が置かれている時代が本当の境界になると思う」
と、仰られているんですね。
で、話が変わりまして、この「東京物語」の翌年公開の「ゴジラ」ですよ。
で、また長田さんの「いちばんいい時期だったとよく明治生まれの人が言うのは、昭和一ケタ時代ですね。たいていそう言いますね。世の中がよかったと。それから日華事変、つまり日中戦争が起き、大東亜戦争、つまり太平洋戦争があって、昭和の戦後の時代になる」
これだ!平和な世界にいきなり現れた"ゴジラ"を、庶民から見た戦争として、この「ゴジラ」という映画は"庶民の昭和"という時代を"庶民の戦争と平和"を描いた映画だったのだ。戦争で亡くなった人への、そして永遠に過ぎ去ろうとしている"時代"への鎮魂と、永遠の平和への祈りをこめた映画だったのだ。
この「ゴジラ」に始まる昭和三十年代のゴジラ映画は"時代"を描いた映画だったのだ。
Ⅲ:こじつけ上等
初代「ゴジラ」は庶民の昭和史であった、と言う結論で。
「東京物語」の中での原節子さんと香川京子さんの「なりたかないけど、そうなっていくのよ」「いやーね、世の中って。いやーなことばっかり」という台詞。←本で読んだだけ
あれですよ。
社会が変質するちょうどその時に、人々の心の中に意識・無意識を問わずに共有されていたナニゴトかが、「ゴジラ」として結晶化したんですよ。けっして幸福だったわけではない、真実かどうかももうわからない過去への郷愁とともに、夏目漱石さんが「こころ」で明治という時代の精神の死を捉えたように、この「ゴジラ」で昭和前期という時代の精神の死を捉えたわけですよ。
んで、ボソっと。
それに、この「ゴジラ」ってアメリカとかでも確かヒットしたんですよね。
ほら、ちゃっかりリベンジもしてるし。
Ⅳ:「もはや戦後ではない」つうたのは
え~と、昭和31年の経済白書の中ですか?もともとは中野好夫さんがお書きになった評論のタイトルであると
あら?「ラドン」公開の頃?僕の思惑よりちと早いな・・・ま、いいか。
つうことは、東宝特撮映画DVDコレクション14「ゴジラ対メカゴジラ」(昭和49年3月21日公開)は当たり前に「もはや戦後ではない」ですよ。制作スタッフも代わってますよ。
したがって、そこに僕が最初の「ゴジラ」に感じた『映像の、特撮の、質云々ではない"戦時の空気"のリアリィティー』を求めるのはお門違いですよ。新しい時代の、新しい世代の、新しい空気の、新しい感覚を楽しむべきですよ。
ま、連合赤軍事件、日本列島改造論、第一次オイルショック、いろいろありまして、確かに戦後つうよりも近代日本の終りの始まりな・・・は、さて置き、怪獣さんたちなんですが、なんかもう画面の向こうの世界では存在することが当然な感じですな、出てきても誰も格別驚かない。
台風、雷、火事、怪獣、てなトコですか。
なんつうか昭和三十年代の怪獣さんたちは「のっぺらぼう」の話みたいに、怪談にでてくる妖怪や幽霊みたい。この映画の怪獣さんは「桃太郎」にでてくる鬼さん、ではなく、山に芝刈りにいった御爺さんみたい。その存在としては。僕の中で。
で、これは渋谷陽一さんがお書きになった文章だと思うんですが、記憶だよりのかなり不確か・失礼な引用になります。
60年代が終り、70年代になり、ロックもプログレやらなんやら新しい空気、新しい感覚の音楽が出てきて自分も打ちのめされ、時代は変わった、もうビートルズとか古臭くて聴けたもんじゃないと思うことがあった。でも、そこからまた月日を積み重ねてみると、当時新しい・凄いと思ったプログレなんかは(一部の例外を除き)感覚として古すぎてとても聴けたもんじゃなく、逆にビートルズはあくまでビートルズとして今でもそこにある。
(※え~いいわけではないですが、この映画の独特のスピード感は好きです、実は・2013/11/23)
Ⅴ:さて明日は東宝特撮映画DVDコレクション7「ゴジラの逆襲」が発売日されます。
いや~こうして考えると二週間って早いですねぇ。
そりゃ、気づけば今年(2009)も終わりますよ。
で、ゴジラとアンギラスによる本邦初(でしょ?)の怪獣同士のバトルをどのように演出しているのか、今から興味は深深です。そういえばウルトラマンと怪獣のバトルをプロレスとちょっと馬鹿にした感じで表現する人もいますね。←僕はプロレスで何か問題あんの?と思います
ただ、この映画が公開されたのが昭和30年。当時の日本でプロレスはどんくらいの認知度があったんだろう?結構、相撲とかを格闘演出の参考にしていたりするのかな?
で、ちょこっと調べてみたら力道山さんが日本プロレスを旗揚げしたのが昭和28年ですか。
が、どうもその前からいろんな流れはあったみたいです。
これはゴジラvsアンギラスの演出にプロレスの影響があってもおかしくはないな。
まあ結論は明日が楽しみ!ってことで。
でも「ゴジラの逆襲」は前年の「ゴジラ」が思いがけず大当たりしたので、「いいから続編つくっとけ!」と勢いで製作したような気がせんでもないですが、そんな映画の発売を50年後に楽しみにしている男がいるっつうんだから世の中捨てたもんじゃないですよ。
Ⅵ:ゴジラの逆襲
結論から申しますと、やっぱり「ノコッタ×2」との行司さんの掛け声が聴こえてきそうな二大怪獣の格闘でした。←物言いは受付ません!
ちなみにDVD付属のファイルによると、円谷英二さんは撮影当時「凄い猛犬の闘争を撮影して、その姿態をモデルにして巨獣の動きを工夫してみようと思ってる」と仰られてます
あと昭和30年(撮影は29年かも)の大阪の風景。大阪も空襲で中心地は(たぶん)焼け野原になったんでしょうけど、戦後十年で見事に復興を果たしていたんですね。素敵な街並みです。←結局、ゴジラ・アンギラス二大怪獣大暴れのせいで中之島から淀屋橋、大阪城と一面の廃墟と化してしまいますが
しかし怪獣の皆さんがどうにもこうにもお城好きっつうのは、当時の建造物で怪獣の大きさを際立たせることができるモノが他になかったという理由の他に、海外のマーケットを意識していたせいでもあるんですかね。怪獣映画は外国に売れる!外人が観る!変なモノは観せられん!そこで日本といったらお城だろう!外国の皆さん日本にはこんな凄いモンがあるんだぞ!観たいか?なら、日本にいらっしゃい!みたいな。
で、アンギラスを倒したゴジラが去った後の大阪。
主人公やヒロインが勤める会社も被害を受け、焼けたオフィスの片付けを社員総出ですることに。
僕はこのシーンに強くひかれました。やっぱり戦後まだ十年。戦争中の空襲の後の日常の風景ってこんな感じだったのかなぁと勝手にリアリティーを感じてしまいました。もし今この映画を撮ったとしたらこんなシーンは描かれなかったんじゃないのかな?同じ内容を違うシーンで撮るんじゃないのかな?と、感じてしまいました。
でもやっぱり、"人類の頼もしい味方・子供達の友達"なゴジラより、"荒ぶる神"ゴジラのほうが僕は好きですね。
ところで怪獣はお城好き!つうのを怪獣は天守閣好き!に訂正します。
日本のお城の天守閣、怪獣のマタタビ説ということで。
これで、あれだけお城好きの怪獣さんたちが何故か揃いも揃って千代田城には一切近づかない理由もクリアー。
もちろん全怪獣の皆さんが勤皇精神旺盛な可能性もありますがね。
暴れてるのは世直しの一貫だっつうことで。
Ⅶ:あの日に棄てたあの女
『あの日に棄てたあの女
今ごろ何処で生きてるか 今ごろなにをしているか
知ったことではないけれど
時々胸がいたむのさ あの日に棄てたあの女』
いえ、違いますよ・・・ってもういいですね。
遠藤周作さんの「わたしが・棄てた・女」
前読んでるんですが、引っ越す時出てきたんでなんとなく読み始めました。
で、読んでたらこの歌詞がこの小説をある種象徴するものとして文中に出てきて、で、これはディック・ミネさんの歌だってあったから、ならばと"YOUTUBE"で検索してみたら、やっぱりこんな歌は見当たりませんでした。たぶん遠藤さんの創作でしょうね。
ま、それはさておき、この「わたしが・棄てた・女」、ン年ぶりに読んだのか自分でもまったく定かではないですが、前はまったく気にせずスルーしてたけど、今回おもいっきり引っ掛ったトコがありました。
それは主人公である吉岡努と森田ミツが出会うきっかけになった、映画の人気スターや流行歌手の写真やゴシップを満載した「明るい星」という雑誌の読者交歓室に森田ミツが投稿した
「映画の大好きな十九歳の平凡な娘。若山セツ子さんのファンならお便りお待ちしていますわ。」てトコ。
若山セツ子さん。
若山さんは東宝特撮映画「ゴジラの逆襲」(昭和30年公開)でヒロイン役をやられていて僕は初めて知って、それで凄い綺麗な人がいたもんだとおもわずネットで検索しました。
ちなみに「わたしが・棄てた・女」は昭和38年に「主婦の友」に連載された作品ですが、その作品の時代設定は戦後まもなくです。で、森田ミツも
「三つ編みをした小さな頭の中で、自分が(映画スターが演じるような)大学生さんとポプラ並木道を歩けたらどんなに嬉しいだろう、そう思いつづけていた」
「一緒に大学生さんと歩けるだけで、もう自分が石浜朗の相手役をする若山セツ子のような気がする」
若山セツ子さん。
当たり前だけど、この映画の中の若山さんはどこまでも可愛らしく輝いていて、僕が検索して知ったことなんか彼女は何も知らない。だって僕にとってそれは終わった過去の出来事でも、画面の向こうの彼女にとっては希望にあふれた未来の出来事だから。
若山さんが自ら命を絶たれたのは昭和60年。
このご本の中に遠藤周作さんがお書きになっているように
「ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということなのか」
「人間は他人の人生に痕跡を残さずに交わることはできない」
なら、そして
「寂しさは、その痕跡からくる」
のだとしたら、若山さんの中にも、僕の中にも、誰の中にもそれはあり。
ま、これ読み終わりましたってことで。