12.タイトルなんにしよ?
Ⅰ:う~ん
幽霊話、何時も何か心にひっかかる。
霊の存在を信じる信じないとは別のトコで。
ここでは昔○○という痛ましい事件があったのだ・・・それ以来、被害女性の・・・
当時中学2年生だった男子がイジメを苦に学校の屋上から・・・それ以来、男の子の・・・
など、テレビでもたまにやりますよね。特に夏は。
まあテレビの放送作家とかが適当にでっち上げた話だったら別にいいんだけど。
それが作り話でなく実際にあった話だったら、実際にあった話を面白おかしくお化け話に脚色したものだったら、かつては生者だったその幽霊たちにもご家族はいるわけで、どんなにぼかしても地元の人間には誰のことかわかるだろうし。今となっては噂増幅装置のネットもあるし。
※ばらまけ(笑)。20180825。
例えば、イジメを苦に自殺した自分の子供が幽霊になって夜の闇を彷徨ってるなんて話を無責任にされたら、親としたらどんなに苦しいだろう。
そういえば高橋克彦さんの小説で、亡くなった自分の娘に逢いたい一心で娘の幽霊が出ると噂されている空き家を訪れる父親の短編があったなぁ。家族だったら、特に親だったら、それが幽霊でも怨霊でも本当にいるのなら、また逢えるのなら、逢いたい!と思うものなのかなぁ・・・.
Ⅱ:皆さんの部屋の窓からお月様は見えますか?
僕は見えません。
今日の深夜(午前二時頃)、ジュースを買いに表に出てみると満天のとは行かないけど、思いのほか星が見えました。
でも彼等は何故あんなにと輝くんだろう?
ン百万光年先なのかはしらないけど、こんな天の川銀河の太陽系の第三惑星の日本の関東の東京の・・・の男にまで「私はここにいるぞ!」と自己主張しちゃって。
なんだ?寂しいのか?
君達は寂しいのか?
この無限に広がる大宇宙の闇のソコココにポツネンと存在することのあまりにもな軽薄さ、希薄さにそうでもしないと自己が耐えられないのか?レゾンデートルが見つけられないのか?寂しくて寂しくて「誰か私を見つけて!ここに私は確かにいますよ!」と年がら年中輝き続けているのか?叫び続けているのか?孤独は嫌いか?怖いか?輝いて見える人間ほど闇も深い気がするのはそういうことか?
と、無理やり風呂敷をたたみまして、ギャンブルなんですけどね。
僕にはギャンブル運は全くありません。
その点、自覚アリです。
スーパーの食料品売り場のレジとかも僕が並んだ所が大概遅くなります。
それは最初にレジに並ぶ時点での注意力の無さが問題だっつう気が自分でもしますが、途中まではスムーズに流れててもドコかであるお客さんに引っ掛かって最終的に遅くなったりします。
だから、俺は並ぶレジとしてこっちを選んだ。いいか?こっちだ。だからこっちのレジに俺は並ぶ。
で、こっちのレジに並ぶと見せかけて・・・実はこっちだ!と独りで地味な抵抗をしたりもしますが、敵?もさるもの大概そっちが遅くなります。
で、それに類した話は数知れず。
だから僕はギャンブルは全くしません。
お金、集金されるだけですから。
もちろん競馬とかもしません。一度、競馬新聞の見方を教えてもらいましたがすぐに忘れました。
でも、どんなもんかとほぼ毎週競馬場に行く友達にくっついて府中の東京競馬場に行きました。
いいですね!競馬場!緑も多いし、パドックでまじかに馬見れるし(何となくだけど元気の有る無しわかる気しちゃいますネ)、もちろんレースも生で見ると凄い迫力。
あれは別にギャンブルしなくても全然楽しめる場所だと思いました。
また散歩がてら立ち寄りに電車に乗ってこようかな?と思いました。
友達には「ここまで来て馬券買わんのか?」と言われましたが。
(※ま、貧乏金なし・2013/11/24)
言葉間違ってるかもしれないけど、三連単でしたっけ?
一時期友達が100万だ40万だなんだと立て続けに当ててましたけど、あれ人気の有る無し関係なしに自分の好きな馬(騎手の人も)をず~と買い続けてたらたまにあるんですってね。
ところで付近の街並みが綺麗な気がするのは競馬で府中市の財政が潤ってるからって本当なんですかね?ギャンブル場があるトコは税収いいのかな?
Ⅲ:今日久しぶりに聴いたんです"Cry
Me A River"
もしかしたら決して良い事ではないのかもしれないけど、時が経つにつれ自分の中である風景と密接に結びついてしまう曲ってありますよね。
"Cry
Me A River"は僕にとってそんな曲の一つです。
いつも同じ一瞬。90年代中頃。深夜。西新宿の古ぼけたマンション。窓の外に煙草の煙越しにぼんやりと浮かび上がる副都心のビル群。
不思議なのは確かに当時この曲を聴いてはいたんだけど、この風景との関わりあいは別にないんです。もしかしたらまったくないかな?
あの頃、僕は起きてる間中といっていいくらい色んな音楽を聴いていました。
正直それは千切っては投げって感じの最悪な聴き方で、この曲もそんな中の一曲でした。
もちろん好きな曲の中の一曲ではありましたけど。
でも何時ごろからだろう、この曲を聴くと決まって同じ風景と匂いが頭に浮かぶようになったのは。
今ではまず思い出すことも無い、記憶の片隅へ僕を連れて行くようになったのは。
随分前に書いた文だけど、本当に『音楽って一瞬で、へたすりゃ一音で、音色だけで、忘れてた記憶のに人を連れて行きますよね。別に頼んでないのに』です。
しかし、まさかこの曲があの風景へと僕を誘うとは。
僕にとって(あくまでね)、この曲にはそんな秘密が隠されていましたか。
当時の僕は思いもしません。
多分、遠い未来、僕を過ぎ去った"今の一瞬"へと誘う鍵を秘めた曲もそうとは知らずに"今"聴いてるんでしょうね。
まあ、"今"のどの風景が"今の一瞬"となるのかは、"今の一瞬"を積み重ねながら"今"を生きている僕には知る術もないですが。
Ⅳ:オヤジ考
そうそうオヤジ。
みなさんもある程度年齢を重ねると、「ああ俺もオヤジ(オバサン)になったなぁ~」と実感する瞬間があるかと思います。
何時そう思うかは①体力の衰えを自覚した②ちょっとした物忘れがふえた③結婚し家族ができた④家族のためにも、いくつもの仮面を使い分けなければいけなくなった・・・などなど。
ま、人それぞれだと思います。
僕の場合は、"ジャニーズの人(ゴミ処刑)に全く嫉妬しなくなった自分に気づいた時"です
Ⅴ:山河燃ゆ
今日はやっぱり寒いです。
いつもより厚着して部屋でPCを使っての作業中です。
こういう時、消化する意味もこめまして、普段聴かないCDを作業のお供に流すようにしています。持ってんだから一度は聴こうと。
今は大河ドラマのテーマソングを集めたCDを流してます。
40曲近いテーマソングが収められていますが、これが思いのほか面白く、思わず作業の手を止めてそちらに気をとられてしまうこともしばしばです。というか止めました。
今、二順目を聴きながら、早めの昼食をとっています。
考えてみたら、全ての曲が一年間続く大河ドラマの顔として作られているので、訴求力のあるものばかり。
「独眼竜政宗」や「武田信玄」や「翔ぶが如く」、懐かしさで胸が熱くなります。
もちろん「徳川家康」も。
「赤穂浪士」などは実際にテレビ放送を見たことはありませんが、よくコント番組などで使われる曲はコレだったのか!と新鮮な発見もあります。
しかし一番インパクトがあったのは「山河燃ゆ」。
※死ぬ奴は死ぬ。20180825。
※どうも、おれが持ってる曲は”おれ用の別曲”という噂が。20180825
放送当時、祖父と一緒によく見てましたが、第二次大戦前後という大河ドラマにしては異例の時代背景と、僕がまだ小さかったこともあり、内容は正直よくわかりませんでした。もちろんそのテーマソングも忘却の彼方です。
しかし曲がかかった瞬間、一気にいろんな思いが溢れて来ました。
もう亡くなった祖父。昔の家。コタツ。祖父が大事にしてた懐中時計。僕が破っちゃった障子。寄りかかっては怒られた柱。赤い色のブラウン管テレビ。ドラマの中で松本幸四郎さんが演じた、二つの祖国に引き裂かれた日系2世の主人公の苦しみと悲しみ。最後の自殺のシーン。
音楽って一瞬で、へたすりゃ一音で、音色だけで、忘れてた記憶の住処に人を連れて行きますよね。別に頼んでないのに。
Ⅵ:「牡丹燈籠」だったかな?怪談
確か浪人さんがどこかのお嬢さんと恋仲になり、夜、逢瀬をかさねるも実はお嬢さんは幽霊で、んで、このままでは自分が幽霊にとり殺されるとわかって、あわてて家のまわりに幽霊が入ってこれないように御札を張って閉じこもるっての。
んで、理由はなんだったかな?結局御札ははがれて、「おのれ~」と中に入ってきたお嬢さんの幽霊にあはれ浪人さんは呪い殺されましたとさ。ちゃんちゃん。
みたいなの。わりと有名だよね。
でもね、高橋克彦さんという小説家の方のエッセイだったかな?
本棚探せば見つかると思うんだけど・・・
ま、記憶で書くんでかなりあやふやです。
昔の映画でね、あるらしいんだけどね、御札がはがれてお嬢さんの幽霊が中に入ってくるとこまでは一緒なのね。でね、そこで当然、浪人さんは無茶苦茶拒否るんだって、「くるな~」て、お嬢さんの幽霊を。まあ当然だよね、なにせとり殺されかねん相手なんだから。でね、そこで当然、お嬢さんの幽霊はオンドロドロと「おのれ~呪い殺してくれる!」
とは、ならずに「わかりました」とスゴスゴ帰ろうとするんだって。
で、浪人さんが「助かった~」と思ってたら、このお嬢さんのお付きのおばさんの幽霊がもう怒っちゃって、浪人さんに「おい、お前!」と、「うちのお嬢様はたしかに幽霊だ」と、「だけどそれがどうした」と、「幽霊と人間が恋をしてはいかんのか!」と、もう説教をしちゃうらしいのね。
んで浪人さんも、肩をおとして帰っていくお嬢さんの幽霊の後姿をみて、「待て!」と、「その通りだ!」と、「人間と幽霊が恋をしてもいいではないか!」と。
そんでもって二人手に手をとって・・・。
ま、最終的に浪人さんが死んじゃうオチは変わんないみたいだけど。
Ⅶ:窓の外で猫が雨にぬれながら、随分せつない声で鳴き続けてるけど、何かあったのかな
あ、そうですか
「この世には何十回あっても、相手の存在が自らの人生に何の痕跡も与えぬ人がいる。その一方、たった一回の邂逅が決定的な運命をもたらす相手もいる」
という認識のうえでの
「ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということなのか」
「人間は他人の人生に痕跡を残さずに交わることはできない」
「寂しさは、その痕跡からくる」
ということでしたか遠藤さん。ま、上の文章のほうが書かれたのは後だろうけど。
いえね、今先手に取った遠藤周作さんのアンソロジーを何気に開いたらこの文章にぶつかったん。瞬間、文字が飛び込んできた感じ。たぶん、それはここで遠藤さんのそこらへんを一時期ウロウロしてたから、そのせいだとおもうけど。妙に俺もこだわっていたから「あ、そういうことか」とね。
その、寂しさ、痕跡、は誰の中にも、僕の中にもあり
そりゃあるよね、だって痛いもん。
これ読んでるアナタ、そうそこのアナタ。
痛いでしょ?なにかしらみんなあるよね?
つまりあって当然、これは否定的な話ではないと。
ただもう消せない消えないって話ですよ。
消さねばならない理由もないって話ですよ。
あ、そうそう。窓の外で猫が雨にぬれながら、随分せつない声で鳴き続けてるけど、何かあったのかなと、僕がそう書いたと同時に、猫は鳴くのをやめて何処かにいきました。まるで僕に書かせるために鳴いていたみたいです。
なんて、んなわけない。
Ⅷ:現在平成二十一年十一月十一日午前八時十六分三十二秒であります
アnコーヒーと・・・あん?
缶コーヒーとクラッカーで軽めの朝食を取っております。
少し眠いであります。
私が住む、標高三十メートルほどの雨降る世界はうっすらと靄がかかり、白っぽいいつもと違ういつもの町になっております。
しかし、思いのほか肌寒くはないのであります。これは風がないせいでありましょうか?
私にはその程度しかthe
physical worldのことを判断するはないのであります。
あ、メゾピアノからメゾフォルテへ、大地を叩く雨音が徐々に強くなってきたようであります。
しばらくは煙る時間が続くのでしょうか?
あなたのthe
spiritual worldにも冷たい雨が降っていますか?
窓の外の雨音は激しさをましていきます。
現在平成二十一年十一月十一日午前八時二十七分四十一秒であります。