13.お茶ばのむとです


たんぽぽ娘

武蔵野の面影を残すとはこのことでしょうか。
草摺を鳴らしながら悠然といく坂東武者の騎行が偲ばれるってほどではありませんが、僕の家のまわりは都内としてはさほど人工性を感じさせない(錯覚だけど)緑が多い場所だと思います。
ビルとアスファルトの世界を離れ、夜の散歩の道すがらに畑や雑木林ごしに月をながめていると、ふと今という時代を忘れてしまうこともあります。
瞬間なんですけど自分の頭の中から"時間"という概念が消え去るんです。
もしかしたら、タイムマシン、時間旅行が実現するとはこういう事なのかもしれません。


したがってウチの周囲はなかなかどうしてな虫の多さです。
夏に、特に夜、気を抜いて窓や玄関を開けっぱなしとかでしばらく放置してしまうと「あれ?天照さま天岩戸にお隠れにでもなりました?」つう勢いで家の中で虫達の饗宴がはじまってしまいます。まったく、光がそんなに好きかい?闇を恐れるな。出てけ!って感じです。

だから夏の日差しも弱まり、秋も徐々に色をつけ、雪を踏み鳴らす冬の足音さえも聴こえる気がする季節になると、虫さんご一行も自然とご退場してくれるので「ホッ」と一息です。

だが、まだ気を抜けません。
季節のせめぎ合い、日によって寒暖の差がはげしく、寒い日は大丈夫なのですが、少し暖かい日になるとすぐに虫達が「おひさ」と呼ばれず飛び出てジャジャジャジャーンしますから。

で、小学校低学年なみの疑問です。
寒い日は虫さんたちのお姿まったく見かけませんけど何処で何してるんでしょ?
少し暖かくなるとすぐに出てくるのに。
アレってある気温以下に寒くなったらとりあえず成虫はみんな死んじゃうんですかね?
で、ある程度以上の気温になったら残した卵が孵化して速攻(とこの漢字使うのが一番気分にあうん)成虫になるんですかね?

で、飛躍です。
の虫話は適当に言ってますけど、基本的に虫の生涯は短そうですよね(ちょっと調べたら無茶長生きの虫もいるみたいだけど)。で、虫さん的には人間基準の時間軸ではなく、自分が所属する種の時間軸の中での自分の虫生が短いという認識はあるんですかね?


「え!もう終わり!?」とか思うんですかね?
たぶん思わないですよね。別段短いという認識もないですよね。あたえられた生をちゃんと最後までまっとうしようと頑張ってますよね。捕食したりされたり、手でつぶされたり、バルサン焚かれたりする中で。

そういえば、これも薄~い記憶の引出の中から出してきたモノですが、生物はそれぞれの寿命の長短関係なしに、そのスピードが違うだけで、一生中に脈打つ心臓の鼓動の平均数は一緒だ、みたいな話なかったかなぁ。

んで「~ったかなぁ」前提で話を進めるのもなんですが、だから人間基準で寿命が長い短いと思っても、その生物の身になれば何等人間と変わらぬ時間が流れているんですかね。
ま、寒くなり世界から一度消えた虫たちが、少し暖かくなると何処からかまたいてくる不思議を感じると、""から""を生み出そうとする中世の錬金術師たちの野望もちょっと理解できますね。


ちなみに「たんぽぽ娘」つうのは僕は高橋克彦さんのエッセイではじめて知った、現在絶賛絶版中のSF小説ですが、ざっくりあらすじを書くと

あるおっさんが未来からきたと言うたんぽぽのような不思議な娘と出会い、淡い恋のような交流を持つも、その娘は「もう帰らねばならない」とおっさんの前から永遠に消えてしまう。でもおっさんは気づく、あのたんぽぽのような娘は私とともに人生を歩んできた私の妻ではないかと

みたいな

↑’s万感の思いを込めて。20180819。


兜率天の巡礼

修二会(しゅにえ)、今ちょっと調べてみました。

それによると、ちゃんとした起源ははっきりしないけど、仏陀の故郷の正月にあたる(といわれる)旧暦の二月に仏を供養する目的で始められたものですと。

ほ~修二会って結構いろんな寺院で行われているんですね。
いえね。僕が知ってる修二会は"お水取り"といわれる奈良は東大寺の修二会だけでしたからね。
といってもそれも実際には見たことはなく、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の中の「奈良散歩」を読んで仕入れた知識ですけどね。


で、えっとですね、時は天平勝宝三年、奈良郊外ので厳しい修行中のさん。

この実忠さん、山中で不思議な洞窟を見つけ、中に入ってみると何とそこはさん(人称でお願いします)たちが暮らす天上の世界!!で、ちょうどそこでは兜率天さんたちによる(※映像参照で・笑。20180819)のがおこなわれており、しばらくするとそこに観世音菩薩さんが出現!!

「なんね!」と、びっくり感激した実忠さん、是非人間世界でもこの奇跡を再現したいと思います。
なので兜率天さんたちに「おいたちもこん行法ばやりたかとばってん。どがんすればよかとね?」と聞きます。

でもある兜率天さんに「悪かばってん、兜率天の一日は人間世界の四百年やけんね、君らがやるとはちょい無理っちゃなかね。行法ばやるには人間には時間がたりんたい」とさとされちゃったらしいです。

「いやばい。やりたかばい」実忠さんあきらめません。

それならばと兜率天の世界ではゆっくりとした所作で行われている懺悔の行法を、走りながらすばやく繰り返し行うことで問題解決、その行法をつつがなく人界に再現しようとしたのが"お水取り"東大寺の修二会の始まりみたいです(よね?)。

で、その後、東大寺から各地へ修二会の儀式はひろがっていったと(かな?)


さて本題。昨日の続きです。

兜率天さん、いくら一日が人間世界の四百年だといっても、自分等的にはただの一日ですよね。
たぶん天上界から下界を見ると、人間の行動が僕等にとっての小さな羽虫みたいに異常にチャカチャカしてすばやく見えるだけで、兜率天さん自身にとっては一生の長さの感覚は僕等人間と何等変わらないんじゃないですかね。

あれ?そもそも兜率天さんって寿命あるの?
天上人といっても懺悔の行法するくらいだから悩みも苦しみもあるでしょう。

永遠の苦悩・・・

だからそのための行法、観世音菩薩さんの降臨なのだな。
が、「助けて~ドラえも~ん」は確実にのび太を駄目にしてますよ!!

ん~でも永遠はきついわな。

だってわからんもん。
宇宙だって果てはあるだろうに、それだって想像できんのに。果てがない世界って・・・
ま、何かしらのリセットボタンは必要ですね。

ちなみに兜率天さんたちの寿命は人間の四百年を一日として、四千歳だって。



「天なお寒し自愛せよ」©山内容堂

最近、地球も体調をこわしちゃってるんですかね。

結構強い地震が福島であったんですね(2010314日)。
東京では、というか少なくとも僕は、まったく気づかなかった。
でもテレビをみてもこれといってその話題はやってないから大丈夫なのかな?
とりあえず福島の友達にメールでも送るか?

コレ、こういうの、「地震大丈夫?」みたいな気軽な感じの安否確認。阪神大震災のように真に大変な時には迷惑になったりするんですかね。まあ、そこに心配はあるんだろうけど、基本興味本位なメールが集中しちゃって、本当に大切な人からのメールや情報が届きにくくなったりしちゃうのかな。

あれ?ラジオは地震に強い感じするけど(イメージで)、メールとかネットは被災地では使えなくなるのかな?耐震とかそこらへんも考えて機器も施設されているのかな?モノには限度はあるだろうけど、どれくらいまで耐えられるものなんだろう・・・

で、話は変わりまして、地球さん。
全く休まずにクルクル自転しながらグルっと太陽の周りもまわって、なおかつこの広大すぎる空間の何処かへか移動し続ける。僕等の時間感覚では、いやアナタの感覚でもゴールは無いでしょう。辿り着くことは無いでしょう。
大変なのはわかる。でも、ちょっとは休めば?回るのも周るのも少しサボればいいじゃん。とは決して言ってあげられない。
こちとら自分が大事だからね。

でもあまり無理すんな。お体には気をつけて。





しかしなんですね、地球も"賃貸物件"と考えたほうがいいのかもしれないですね。
未来からの永遠の借り物、僕等のモノではない。人間のモノではない。
だから、その借りてるお金や維持費は払わなきゃいけない。地球にたいして。
もちろんそのお金は"地球の為"に使ってもらう。

つうてもこれ難しいかな?"地球の為"つうのを己のトコに引き寄せた、偏った特定の集団などに利用されることなく、ピンハネも無しに、純粋に大家である地球にお金を払うっつうのは。世界的同意が出来たとしても、地球さんが各々から直接お金を受け取るわけもないし、間に集金システムを挟むと、即行、不透明な金の流れって奴になりそうだし。

ただ兜率天レベルとは言わんから、せめて今の子供たちの子供たちくらいまでの地球の未来は今の大人が作ってあげないと。




偽善かもしれんけどね。

子供の頃、近所の川は沢山のゴミが浮き、妙な泡がたち、嫌な臭いがしました。
これは別に僕のトコだけじゃなく、日本全国、当時の街中の川はそんなもんだったと思います。
スモッグという言葉もまだ日常的に聞きました。
有機水銀・・・沢山の痛ましい出来事もまだ皮膚感覚をともなった痛みとしてありました。

そして今、例えば台風一過の東京の早朝、澄んだ空気、見晴らしのいい高台の場所、はっきりと見える富士山、素敵です。
もちろん街が目を覚ますと、それはすぐに靄がかかったようにぼやけてしまいますが、何も見えないというほどではありません。結構遠くまで見えます。
僕は散歩が好きです。
街中の川べりの遊歩道を歩くこともあります。
「水が澄んでいる」とまではとても言えませんが、「ゴミが浮いてない」ともとても言えませんが、別に妙な泡はたっていませんし、嫌な臭いもしません。
これは別に僕のトコだけじゃなく、日本全国、現在の街中の川は大概そんなもんだと思います。
もちろん"すべて"とはいいません。

たぶん政治家も頑張ったんでしょう。
官僚も頑張ったんでしょう。
企業も頑張ったんでしょう。
なによりそれらも含めて人間が頑張ったんでしょう。

もちろん権力闘争もしたでしょう。
金儲けもしたでしょう。
ずるいこともしたでしょう。
あくどいこともしたでしょう。
別に政治家や官僚に限らず、人間社会、皆何かしらしたでしょう。

で、その結果の一部が現在の空気や川。
もちろんまだまだこれからでしょう。
スモッグも無くなったわけじゃないし。

でも今を生きる日本の人間全部(日本人とは書きませんよ)の思いの総和の表出が現在の日本の空気や川なら、僕は"人間はまだすてたもんじゃない"に一票です。
 
が、世界はどこも同じ時間が流れているわけではないので、もちろんまだ終わった問題ではないですね。この国の経験を生かせればいいんですけどね。

それにそれが起こった構造を決して忘れてはいけないこともあるし。
それは形をかえて現在もどこか見えないトコでしているかもしれないし。



そうそう

「向かって右!」

と言われると

え?どっち?てなる



んでは


またたたたたたたたたたたた


お前はすでに読んでいる★m9( ̄▽ ̄φ)



勇気を出して、書いてみる




→Ⅲ






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