4.まあいいではないか
Ⅰ:発光妖精とモスラ
なるほど、そう気ましたか。
これはどうあっても特製バインダーを買えってことですかな。
当初からの規定路線ですか、製造コストが安くつくとか?
おっと、これは何の話やらですな。
現在(2009年11月25日)絶賛発売中の東宝特撮映画DVDコレクション第5号「モスラ」の話なのでございます。
と言われても、やっぱり何の話やらですな。
※知りたい人は今すぐ最寄の書店へGO!
税込み1,990円也なのでございます。
どうぞこちらへいらっしゃいなのでございます。
仲間になぁ~れ~なのでございます。
死なばもろともなのでございます。※
で、華麗かつ甘美なクイックターンをここでいたしまして
なんと「モスラ」(昭和36年7月公開)には三人の小説家によって書かれた「発光妖精とモスラ」(別冊「週間朝日」発表)という原作小説があったのですな。
調べてないので、モトからあった小説を映画化したのか、モトモト映画の原作として書かれたものなのかはちょっとわかりませんけど、お三方の中にさんがいらっしゃるじゃないですか。
これは読みたいぞ!
で、秀麗かつ耽美なタッチターンをここでいたしまして
前回の「海底軍艦」のラスト、序破急つうても急すぎ、駆け足すぎないかい?と言っておいてなんですけどな、「モスラ」のラスト足踏みしすぎじゃないかい。
ま、もちろん十分面白いんですけどね。それは前提で。
なんかニューカークシティーを(無駄に)破壊しながら飛び続けるモスラさんと同じように、観ているこっちもじらされちゃったぞ!←ロリシカ国のニューカークシティーです、ニューヨークの書き間違いではなかとですよと言われても何の話やらですな。
繰り返し※~※
で、貪戻かつ淫靡なゴールタッチにたどり着きまして
このDVDコレクションのファイルなんですけどね。
データも豊富、当時の話も盛りだくさんで読んでて面白いし、付属の(かな?)当時のポスターを隅々まで見ているだけでもご飯が三杯はいけますけどね。
ただ"特撮"ってついてるからしょうがない事ではあるんですけどね。
こう円谷特技監督ばっかりクローズアップされてる気がしましてね。
もう少し監督の本多猪四郎さんのことも掘り下げて欲しいなぁって。
だって、どの映画も面白いのは怪獣たちの活躍はもちろんだけど、人間達の織りなすドラマが面白いってのも絶対にありますからね。本多さんの手腕もかなりあるんじゃないのかなぁ。
ところでフランキー堺さん演じる主役の「福田善一郎」、これは原作者の、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛、お三方の名前を組み合わせたものですな。
ちなみにこのファイルには、公開当時同時上映だった映画の名前ものっています。
で、「モスラ」と同時上映だった映画、これはちょっと面白そうだぞ。
いったいどんな映画なんだ?
しかしこれはDVD化はもとよりビデオ化もされたことないんじゃないか?
う~ん、残念。
いやね、映画の名前がね凄く気になるんですよ。
と言われても何の話やらですな。
繰り返し※~※
朝からなんですが、ふと思ってしまいました。
まあ260年間を一括りにして考えるのは非常にナンですが、例えば江戸時代。
年間、どれくらいの自殺者がいたのだろう?
単純に現在(平成二十一年度)との自殺者の人数比較は分母の絶対数が違うので意味はなく、人口に占める割合としてどれくらいの人が自ら命を絶ったのだろう。なんか、平均的に生活自体は今よりも厳しかったけど、自殺者自体は今よりも少なかったイメージがあるんですよね。
(つうてもこれは基本的に自殺ではなく刑罰ですかね)
庶民だって近松門左衛門さんの「~心中」な作品がありますし。
(これ生き残ると確かその後の処遇は苛酷なんですよね)
そういえば男が心中に誘って、まず女性を殺したら、怖くなって自分は死ねなかったって男の実話を読んだ気がします。
で、↑は限定的な話ではありますが、自殺する人がいなかったわけではないつうことはわかります。
でも江戸時代って分け方にはやっぱり無理があるのかな?
時間という縦の流れだけではなく、横の"面"としてみても。
もちろん、これもその時代々々で、その横の"面"としてみても、その結びつきに強弱はあるでしょうが、当時の日本は実質徳川将軍家を盟主とした連合王国つう感じでしょうし、今みたいに列島津々浦々、画一的な社会ではなかったろうと。だからそれぞれの天領、それぞれの諸侯の領土で事情は様々で、自殺をする事情も数も多様性にとんでいたかも・・・
ま、どちらにしろ
←これ使ってみてわかりました、これは話を端折り、飛躍を可能にする、きわめてべんりなフレーズですね
ま、どちらにしろ、平均的な生活自体は今よりも全然厳しかっただろうけど、自殺者自体は今よりも全然少なかったイメージがあるんですよね。
そういえば、戦時下では自殺者の数は減るつう話もありませんでしたか。
で、僕の結論ですが、あるんですが書きません。失礼になるかもしれないんで。いいですよね。
Ⅲ:学
高校の頃、「東京の高校生はお前等よりも何倍も優秀だ、だからお前等は東京の高校生の何倍も努力をしなければ受験での勝利はない!さあ勉強をしろ!」と教師の方がよく言っていました。
「そうなんだ。東京の高校生ってすごいんだな」
僕はかなりボーとしてましたからね、素直に信じ込んでいました。
ま、僕の偏差値は底辺というか地べたにへばり付いていたんで、受験戦争云々かなり以前の問題でしたけどね。
で、どうしたこうしたで東京の大学に潜り込み、仲良くなったかっての東京の高校生にその話をしたら、「地方の高校生はお前等よりも何倍も優秀だ、だからお前等は地方の高校生の何倍も努力をしなければ受験での勝利はない!さあ勉強をしろ!」と言われていたとか。
そりゃそうですわな。
でも勉強を毎日キチッとできるっつうのは物凄い才能ですよね。
で、その物凄い才能を持った人間が物凄い努力もしていると。
勉強ばかりしていても小さくまとまるだけだぞっていう意見もあるけど、僕は立派な個性だと思う。たしかに偏りすぎるのは人生いろいろ問題が出てくるのかもしれないけど、これは全てのことに言えることで、勉強に限ったことではなく、別に否定すべきことではないでしょう。
わかったか受験生!!
と、このように、どうして人間は自分ができないことを人様には偉そうに言えるのでしょう?
でも最近は僕も、ロン毛に茶髪にピアスに制服のズボンは腰で穿きって子が、(大学推薦の面接のためかな?)髪をバッサリ切り黒く戻し、制服もビシッと決めて現れると「おお!大人っぽくなったなぁ。全然今のほうが格好いいぞ!」と素直に口につくようになりました。
随分オヤジっぽい感性だなとは自分でも思いますが、ホントにそう思うんだから別にいいでしょう。
(※東京に住んでた最後の頃、近所の、町のゲームセンターでバイトしてたので、わりと、近所の学校に通う高校生や中学生の子らと話す機会がありました・2014/06/15)
テレビで見ましたけど、今(2009年10月13日付)デジカメ凄いんですね。
ほ~カメラが勝手に撮影対象を動いて探して、勝手に構図を決めて、勝手にパチリと。
ほ~フレームのまわりをぼかすと、ホントだ、ミニチュアみたいに見える。
ほ~定点に置いとくと後は自動で撮り続けてくれPCで連続再生できると。
メモリーに一万枚以上、防水もばっちりと。
このへんの技術は詳しい人には当たり前のことなのかもしれないけど僕には「へ~」「ほ~」です。
は、おいといて
家電製品などについて、フィリピン人の方にこう訊かれるコトがありました。
「これは日本製かい?」
「日本製ならいいもんだろ?」
なんとなく、あらゆる分野においてメイド
イン ジャパンのクオリティーを保持、さらに磨き続けるのがこれからの日本の生き残る道って気もします。
だから間違っても偽装だなんだで自らそれを貶めちゃいかんだろうとも、他人事のように思います。ええ思うだけです。
(※最近、同時に、違う思いもあります・2013/11/16)
(※違う思いを持つにいたる過程に関しては、別に書くと思います・2014/06/15)
※組織だってやりゃ、攻撃対象を貶めることくらい”一見”簡単だ、つうことで。20180821。
※一見、つけるとあれかな?わかりますよね。20180823。
※一見、つけるとあれかな?わかりますよね。20180823。
もしかしたらそれはもうあまり実質を伴っていないモノかもしれないけど、"神話"は大切ですからね。自ら霧を晴らす必要は全くないんです。霧で誤魔化してるうちにもう一度、実質を伴ったモノにすりゃいいんです。と他人事のように思います。ええ思うだけです。でもメイド
イン ジャパンの世界でのブランド力の凄さを一番分かってないのは日本人自身な気もしますね。
「これは日本製かい?」
「日本製ならいいもんだろ?」
そう訊くと大概「ドコ製でも変わんないよ」と返されるらしいですからね。
日本人に。
今日(2009年12月2日)行ってまいりました。
東京は上野公園内国立西洋美術館で開催されている「古代ローマ帝国の遺産展」。
で、紀元一世紀前後のローマの邸宅の室内を鮮やかに彩ったであろう絵画がかなり展示されていて、どれもこれも非常に興味深く拝見させてもらいました。
で、(たぶん)すべての絵画の説明文にフレスコという表示がしてあります。
おお!これがフレスコ画か!
ついこないだ藤田嗣治さんについて書いたときにフレスコ画という単語を使ったんですけど、実はそれが何かよくわかっていなかったんです。なるほどねぇ、これがそうですか。これは早い話が漆喰ですか?それが乾く前に塗ると?ほ~やっぱり実物見んとその質感はよくわかりませんね。
まあ大理石のローマ皇帝の胸像やポンペイで発掘された生活用品のお皿などは、その辺で売ってる複製の胸像やちょっとしたレストランのお皿などが展示物に紛れ込んでいても僕には区別がつかんなぁという思いも頭をよぎりましたが、これは区別がつかないほど二千年も前にデザインとして完成されていたのだとポジティブに捉えよう。
でもスフィンクスってずいぶんメジャーな存在だったのね。
スフィンクスのテーブル脚部なんてデザイン格好よすぎでPOPでかなり欲しいんですけど。
ま、ウチに置き場はないですが。
で、あと一個だけ。
展示されている絵画の中に羽が生えた子供の天使が描かれているものが数点ありました。
これは"キリスト"の絵画様式だと捉えていいんでしょうか?
上に書いたように、展示されている絵画は紀元一世紀前後のものがほとんどだと思います。
すでにローマ帝国内で普通に天使の絵画を飾ることができるほど"キリスト"の地位は確立していたのでしょうか?それとも「羽が生えた子供の天使」という表現方法はもともと存在し、本来"キリスト"とは無関係なものだったのでしょうか?
もちろん自分では調べません。
あ
そういえば昔、僕が「こんなん今読んでんだよ~」とイタリアの方(女性好きで陽気な方でした)に塩野七生さんの「ローマ人の物語」をみせたら、「ローマ(帝国)が何で滅んだか知ってるかい?ローマの皇帝がキリスト教徒を迫害し、その行為に怒った神に滅ぼされたのさ」と(たぶん)言われてました。はい、英語だったからようわからんのです。
ま、それはさておき、さすがイタリア、(たぶん)カトリック強し!!
で、国立西洋美術館もある上野公園にはデンと西郷隆盛さんの銅像が宮城を見つめるように(適当です)建っています。
この高村光雲さん作の銅像の除幕式は明治31年の12月。
その除幕式に招かれていた西郷夫人の糸子さんはこの銅像を一目見るなり「ウチの主人はこんな人じゃないよ」と不満を口にされたとか。
そして実は西郷さんの写真といわれるものは一枚も残っていないことと相まって、西郷隆盛さんは実は伝わっているものとはまったく違う人相をしていたのではないか?つう歴史ミステリーを(一部で)発生させるモトになっています。
肖像写真だと誤解されることも多いのですが、一番"西郷隆盛"の顔として有名な肖像画は、西郷さんと面識がないエドアルド・キヨッソーネさんが、西郷さんの弟や従兄弟の顔を合成修正してこしらえたものです。絵です。
で、僕の中の西郷さんのイメージもやっぱりそれです
で、実は僕は上野の西郷さんの銅像は人生で二・三回くらいしか見たことありません。
だから初めて見たときのこともわりと鮮明に覚えています。
あれは上京してしばらくたった頃のことでした。
上野で友達と待ち合せをし、ちょっと待ち合わせまで時間があったため「せっかくだから西郷さんでも見に行くか」と今はなき聚楽台横の階段を上りました。
「誰?」
これが僕が上野の西郷像を見た瞬間感じた思いです。
そうなんです。僕の頭の中ではキヨッソーネさんが描いた"西郷隆盛"が"西郷隆盛"として不動の地位をしめています。そんな僕が上野の西郷像を見て感じた思いが「誰?」なんです。
印象つうもんは人それぞれなんで、あくまで僕の個人的感想ですが、西郷夫人の糸子さんが「ウチの主人はこんな人じゃないよ」と言われたのは、単純にあの像の顔が旦那さんにあんまり似てなかったんじゃないですかね?もちろんかもし出す雰囲気も。
つうか西郷隆盛さん、ほんとうは西郷隆永さんだぜ!て話はまた今度。
僕はとりあえず本を買ってしまう習性があります。
読むかどうかわかんなくても買ってしまいます。
したがって後になって「?」なことにもままなります。
この「西郷南洲遺訓」とかいつ買ったっけ?
しかも中の文章すべて当時のままなのね。
返り点が目に痛い。
読み下し文も併記はされとりますが、当用漢字もなんのその。
まだ英文の(短い)メールとかのほうがわかるかも。
これは英語で話しかけられてる感じかなぁ。
話の方向性と言わんとするトコは何となくわかる程度で。
然して大ハズレもあると。
でも昔の人は、もちろん寺子屋にしろなんにしろ文字を習った人つうことで、昔の人はこれを普通に読んでいたのね。
ま、これが普通だったんだから普通に読むのは普通のことで当たり前か。