因果応報。
で、ここでまた『島原・天草の諸道』、キリスト教伝来当時の島原へ。
“子供のレベルでの日本最初の西洋文化の受容は戦国期でもこの半島が最も早く最も濃密であった。”
“16世紀末、わずか30年ほどの間に島原半島では住民のほとんどである三万人ほどが信者になったといわれています。小さな村にまで教会が建てられ、キリスト教文化は日常生活にまで浸透していました。”
“キリスト教は1549年に日本に伝わり、その後急速に信者をふやしました。”
司馬さんはこの時代の日本人の精神に、キリスト教を受け入れやすい土壌があったと考えます。
“本来仏教的人格が最終の目的とするのは解脱である。キリスト教のように神に救われるという要素は仏教においてとぼしい。”
“ただ日本化した仏教には奈良平安期のころからたまたまキリスト教に似て救済思想の色彩が濃かった。
さらに忠誠心がある。忠誠心というこの甘美な精神は、中世の人々の多くに原液としてたたえられていたかとおもえる。“
“神への激烈な忠誠者としてやって来たイエズス会の会士の風姿に接した時、当時の日本人はその面からもよく理解できたようであり…。”
◆輪廻とは、車輪が回転して止まらないように、人間は前世、現世、来世の三世(さんぜ)にわたって死と再生を繰り返すという、インド古来の考え方。その際、常に因果の理法が支配しており、善因善果、悪因悪果の応報を受ける。人間の行い、すなわち業(ごう、梵語〈サンスクリット語〉ではカルマ)は、必ず相応の果報をもたらすと信じられている。このような、果てしのない輪廻転生(りんねてんしょう)を断ち切り、苦の世界を超えることが解脱(げだつ)と呼ばれて、人生の理想とされた。仏教もまた、この考え方を取り入れた。涅槃(ねはん)とはこのような解脱の境地のことをいう。[現代用語の基礎知識2011年版より]