6.(注:↓の文章はまとめた当時のもの・2013/11/18)

そーいえば「もし北と交戦状態に入ったらン十分でソウルは火の海だ。お前等はそこで死ぬ」って話の続き「お前らが戦って死んで時間かせぎをしている間に態勢を整えて反撃を開始する」みたいな感じじゃなかったかな?どうだったかな?うん、前半は記憶はっきりしてるけど、後半は例によってあいまいぼんやり話七分の一で、と、いうわけで


九州島民しかこの言葉の感覚はわからないかもしれませんが、切支丹の人が書いた文章の中に天使・エンジェルのことを"よか人"って訳したモンがあるんですってね。

んで、これまた記憶たよりで書きますが、確か「以後よく広まるキリスト教」1549年のキリスト教日本伝来時に、宣教師の人達が自分らの唯一絶対の神"ゴッド"のことを日本人に説明するのに、最初"大日如来"って訳を使っていたら、僕らのご先祖さまに「なんだ、仏教の新たな一派が海を渡ってきたのか(~宗みたいな)」と勘違いされて困ったって話もあった気がします。

唯一絶対の神→大日如来
このへんのは、違う文化体系が交じり合う時の、最初の翻訳の難しさ、宿命でしょうかね。

と思ったら、マレーシアでキリスト教の聖書をアラビア語(ですかね?)に翻訳するとき、"ゴッド""アラー"と訳していたら、「アラーはイスラム教徒のみが使える言葉だ」として翻訳した聖書が没収されたって話がありました(2009年11月30付)。

で、キリスト教会側は「広く使用されている言葉だ」と反発していると。
宣教師の人達が始めて日本に来たとき"ゴッド""大日如来"と訳したっつうのは当たり前の発想だったのかな?

ん~でもこれはやっぱり別の話ですかね。
"アラー""ゴッド""ヤハベ""大日如来"

ん~でもこれこそまさに「古代ギリシアの思想を持ち込んでくると、実にはっきりと解明されるところが東洋思想には多々あるんです」「歴史的に影響があったかなかったかには全然関係なく、思想構造的に必然的な相互照明の問題なんです」「たとえば、真言密教の金剛界マンダラの成身会の『不生無礙常瑜伽』的存在地平の構造なんか、プラトンのイデア哲学やピタゴラスの世界像などを持ってくることによって初めてその独自の構造的整合性の成立が哲学的に可能になる、と私は思います」な気もしますな。

でも、これ門だったかな?確かそれ自体はそんなすごい意味でも。サンスクリットの音に漢字をあてて。夜露死苦、みたいな。20180823。

つうか、だから"(日本の)大日如来"の中にそもそも"古代ギリシアの思想"まじりの"ゴッド"が遣隋使船か遣唐使船かで万葉のか天平のかはたまた別のかの日本へドンブラコと。

ドミニコ会員ラス・カサス神父が、スペイン国王カルロス1世に新大陸でのスペイン人のインディオに対する残虐極まりない行動を報告した「インディアスの破壊に関する簡潔な報告」を書いたのは1542年。「以後予算かかる鉄砲伝来」1543年の一年前。

僕は当時の日本人(特に支配者層)が徐々にキリストに対する警戒を強めていったのもわからんでもないです。
もしかしたらその裏には、日本貿易を独占しようと「あいつらはヤバイ。排除したほうがいい。」とあらぬことまで当時の日本のお偉いさん連中にいた、何処ぞの国かの冒険商人がいたのかもしれんけど。←思いつきです


キュン


袋小路は好きですか?

僕は好きです。
ワクワクします。

え~

「そんなことでそんなに怒るなよ、大人気ない」と言ってる人が
「そんなことでそんなに怒るなよ、大人気ない」と言われるコトはわりとある話で

「え、あの女()のどこがいいの!?」と言ってる人が
「え、あの女()のどこがいいの!?」と言われるコトはわりとある話で

「あれ面白くね?」つう問いに「いや全然」と言ってる人が
「あれ面白くね?」つう問いに「いや全然」と言われるコトはわりとある話で

こういう、人それぞれの喜怒哀楽の"ツボ"って何時できんでしょうね?
生まれつき?
人生の積み重ねの間に?

まあ、それこそDNAあたりに書き込まれてんじゃないんか?とも思ってしまいますが。
ちょっと誰か『恋と愛とリビドーの違いについて90字以内で述べなさい(句読点は一字と含む)』です。←当然、僕は答えなんか知りませんよ

でもこれはわりと安易に優生学的なものにたどり着きやすい発想ですかね。

(※優生学てどんなんだっけ?と今おもいました・2013/11/18)


思い出


思い出した。昔、中学生の頃かな?何か普段の生活調査みたいなんに学校で記入させられて。
その内容がどんなんだったかは正直あんま覚えてません。
が、その中に「あなたの仲がいい友達を書きなさい」みたいな項目があったのは覚えてます。

んで、まあ、『友達は○○くん、○○くん・・・』と書いていくんですね。
んで、ひとり、仲はいいんだけど僕がそこに名前を書かなかった人がいるんです。

それは別にホントはそいつのコトが嫌いだから、とかではないんです。
彼は(今でも子供っぽい)僕とは違い、当時の僕にはなんか凄く大人な感じがして、僕とは無縁な世界のことも沢山知っていそうで、僕が"友達"として名前を書くのは失礼だよな、向こうは僕ととりたてて仲がいいとは思ってないよな、など思って名前を書かなかったんです。まあ劣等感ですかね。

んで、「みんな書いたか~集めるぞ~」となり、僕が集める係りだったのかな?なんかのはずみでその彼の用紙を見ちゃったんです。んで、書いてありました、わりと最初のほうに「○○くん」と僕の名前。

つ~かさ~、ま、もしかしたら必要なもんなのかもしれんけどさ~そんなもん気軽に書かせんなよ。
何?その用紙、教師とか見るんでしょ?
「なるほどAはBを友達と思ってるが、BはAを友達とは思ってないんだな。上辺は仲良さそうなのに。いや~子供の世界にもいろいろな人間模様があるね~」とか職員室で番茶でもすすりながら感慨にふけんのか?も~その後しばらく彼に対する劣等感に罪悪感がプラスされてしまったではないか。

みたいなことを思ってたと思い出しました。


友達


しかも、では僕がホイホイ名前を書いた"友達"とは何なんだ?内心低く見てんのか?そんなことはないぞ!!
"友達"とは何なんだ?

みたいなことも思ってたと思い出しました。
子供の頃の話です。

※石田くんですな(笑)。20211016。




そういえば子供の頃、4メートルとまではいかなくても、3メートルちかい高さのとこから下の道路の側溝に落っこちたことがあったなぁ。

それは親や近所の人らとの元旦の初詣の帰りで、無駄にテンションが高くなってた時で。

んで、僕がその場で考えついた「目をつぶってしばらく歩くと、次に目ば開けたときに風景が変わってて凄かばい」という、別に今とならんでも何が面白いんだか全くわからない遊びに一人で熱中していたら、を削って道を作った名残だかなんだかの下の道路の側溝に落っこちたんだ。

ま、いきなり崖?の方にフラフラと泥酔者のように千鳥足で向かっていき、そのまま迷うことなく下に落っこちた我が子を目撃した親もビックリだったでしょうが、いきなりあるはずの道がなくなった僕もビックリです。つうかもう親やご近所さんに無様な姿を見せてしまったことに対する恥ずかしさでいっぱいです。これは挽回せねば。
でも慌てて駆け寄ってきた親に向かって元気に立ち上がり「何でもなかよ」と言うものの、無茶苦茶親の顔が青ざめています。

「ほんとに何でもなかよ!大丈夫たい!」
いや本当に何でもないんです。何処もまったく痛くない。何をそんなに・・・
もしかしてこれは怒る前触れか?やばか!

のごたん遊びばしとったことのバレたら・・・

すると首筋に水が滴る感覚が。何だ?と手で触ってみたら「あっ、血だ」
もう手のひらが血でぐっちょり。

その時、僕は初詣帰りの道すがら買ったハンバーガーの袋を持っていたんですが、どうやら落っこちた時、咄嗟に両手でそれを抱え込んで守り、んでもって道路の側溝のフチで後頭部を強打!したみたいなんです。

でも、やっぱりまったく痛くないんです。だから血をみてもあんまり実感がわきません。ただただ恥ずかしく、物凄く慌ててる親に向かって「大丈夫たい。大丈夫たい」を繰り返すのみで。

そうこうしていると、不思議なことに親や周りの人の声がだんだん遠くなっていって、そんでこれだけはもう今でもはっきり覚えているんですが、世界が徐々に色を無くして、そして最後は真っ黒になって。

その後、戦争の体験談で、敵に撃たれた直後はまったく痛くなかった、みたいな話を何度か読みました。何となくわかる気がします。そして、それは今でも僕に""というものに対する感覚としての不幸な勘違いをさせているかもしれません。

は、おいといて、もう一個だけはっきり憶えていることがあります。
「救急病院」でいいのかな?元日だから確か普通の病院はやってないかなんかで、ちょっと離れたその病院へ車で行き、治療を済ませた後、家に帰ってきてから僕が命がけで守ったグチャっと潰れたハンバーガーを食べました。

色を再び取り戻した世界で食べたハンバーガーは、潰れてるうえにもう冷え切っていたけど、非常に美味しゅうございました。


さて明日は髪きりましょかね


ではお風呂はいろ。

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