3.なんじゃこりゃ(注:2013/11/15)










※あれ?表紙なんだけどね、ま、気にしない。20180823。


なわばり

今まで黙っていたけれど、僕には上、下、右、左、という感覚がありましてね。
まあ、そんなん誰にでもありますわね。

で、僕が言う↑とは、あくまで""を中心とした天動説的世界感覚のコトなんですね。
つうか僕にとってあくまで世界の中心な「我が家」視点の世界認識のことなんですね。
僕が存在しているこの瞬間の世界の中心は間違いなくココなんですね。

で、おかしなことに何時までたっても僕の背中に羽も生えてこなければ、手がドリル状になることもない。天上の青を切り裂いて糸も垂れてこなけりゃ、黄泉の国への入場券もイザナギノミコトさんに買い占められちゃったのか、僕まではまわって来ない。僕が存在する世界は延々平面、地べたにへばりついてる二次元空間なんですね。
だからまあ感覚として、上、下、つうのは前、後、なんですね。上(前)、下(後)、右、左、なんですね。

んで、それはいわゆる東西南北とは一切無関係で、僕にとってあくまで世界の中心な「我が家」視点での上(前)、下(後)、右、左、なんですね。なおかつそれは、あくまで僕がこの世に生まれてきた意味、"散歩"をする圏内に限って発動される感覚なんですね。僕は散歩をする時、自然と「今日は上の方に行こ~」「久しぶりに右の方に行くか~」とか思ってるんですね。ちなみに、大体半径12~3キロ以内が僕の散歩の圏内なんですね。

でも、その圏内を越えると、それが""の延長上に在る場所でも、よく馴染んだ場所でも、そこはもう""でもなんでもないんですね。

ん~圏外でもある程度までなら基準として「我が家」を置いてるかな?どうかな?

おや?何時にもまして話がグダグダになってまいりましたが、言いたいトコはソコじゃないんでりまして、上()、下()、右、左の話です。かなりざっくり言って、僕にとって上()はわりと鄙びた方で、下(後)は繁華な方。んで、当然それにともなって右&左も決定されると。もちろん東西南北とは一切無関係に。で、もう少し細かくわかれちゃいますが、何があるというわけじゃないのに、何となく好きになれない方向とかも出てくると。

いえね、この「上()、下()、右、左」てな感覚、はっきりしないまでも結構な人にこれと近い感覚はあるような気がするんです。

で、どっちを上とするか、下とするか、方向によってその価値を高いとしているか低いとしているか、まったく平等か、好きになれない方向というものがあるか、とか、それぞれ調べていくと、結構その人の"人となり"が分かっちゃうかも!!

みたいな。


幼児洗脳の恐怖とその解除への道標たるべき一考察

私は小さい頃、野菜が嫌いでした。

したがって、食卓に野菜が出てもめったに食べませんでした。
それはそうでしょう。人間は誰だって生まれながらにして、公共の福祉に反しない限りにおいて自分の意思を貫く権利を有しているのですから。
野菜を嫌いな私がそれを食べなければいけない義理も義務もないのです。

ああ!あの大空を翔る天馬のような日々よ!
そう、私の魂は確かに自由だったのです。
しかし、そんな黄金の日々を過す中、私の魂を煉獄へと導く恐ろしい計画は静かに静かに水面下で動きだしていたのです・・・

ある日の夕食、いつものように野菜を残している私に母が言いました。
「野菜もちゃんと食べんね」〈なんという細緻かつ狡猾な切り出し方!〉
「もうお腹いっぱいたい」
そう言う私に対する母の言葉。私はこの残忍極まる言葉を一生忘れることはないでしょう。

「よかね。野菜は他の食べ物とは違う胃袋に入るけん、お腹いっぱいでも食べれるとよ」

ショックでした。

私は「お腹いっぱい」を理由にいままで野菜を食べることを拒否し続けていたのです。
それなのに人体には野菜専用の胃袋があるというのです。
野菜を食べることを拒否する言葉の接穂を失った私は、しぶしぶながらも野菜に箸をのばしました。

それからというもの、「もう食べれんたい」という私に、母は「違う胃袋にはいるけん、食べれるたい」と、パセリだのレタスだのキャベツだのブロッコリーだのホウレン草だのアレだのコレだの食わせること食わせること。私の方も「違う胃袋ならしょうがなか」と食べること食べること。

なんという悲劇!なんという非人道性!!

しかし物事には始まりがあれば必ず終わりもあります。
ついに私が魂の煉獄、心の呪縛から解き放たれる日がきました。

あれは、たしか、そうたしか、中学の学生服がようやく体に馴染んできた一年生のある秋の日の午後のことだったと思います。

ちょっと待て!
中学生になるまでお前は人体に胃袋は二つもないと気づかなかったのか?
読んでくださっている皆さんそうお思いでしょう。もっともなことです。
もちろん私にもわかっているのです。人体に胃袋が一つしかない事は。

いや、本当にわかっていたのか・・・

私の中で「胃袋は一つだけ」と「野菜は別腹」はすでになんの矛盾もなく共存してしまっていたのです。それどころか、食道を通過する時、野菜だけベルトコンベアーの様に途中で選別されている光景を想像してしまったりすることもあったのです。

これは決して私の頭の中がアメリカの綿花畑ばりに広大なお花畑だったからでも、うちの近所のノラネコ並みに強烈なマザコンだったせいでもないのです。

これこそが洗脳の真の恐怖なのです!!
このような悲劇を繰り返してはならないのです!!
そのような思いで、私は今こうして慣れぬ筆をとっているしだいなのです!!
ではなく、打ちなれぬキーボードを、たどたどしい指使いで叩いてるしだいなのです!!

さて話をあの秋の日の午後にもどしましょう。

私はあの日の午後、グーグーなる腹の音を気にしながら、窓側から数えて4列目、前から3列目の席に座り英語の授業を受けていました。伸び盛りだった私にはお昼の購買部のパンだけではとても足りなかったのです。もちろん授業の内容など頭に入ってこようはずもありません。

それよりも近くの席に座っている周りの連中に腹の音を聞かれやしないか、そればかりを考えていました。ヒヤヒヤしていました。ああ早く何か食べたい。お腹を満たしたい。でないと皆に笑われてしまう・・・その時です。その時だったのです。ハタと気づいたのです!

ありえん


小姑魂に火をつけて

おい!なんだこの部屋は?掃除したの何時だ?何処に座ればいいんだ?この流し台のトコに溜っている洗い物は何年物だい?これカビだろ?水まわりは常に綺麗にしとかなきゃ駄目だろ!自炊はしないのかい?このキッチンでしてるわけないか?だからこんなに床にコンビニ袋が散乱してるんだな。フローリング見えねえじゃねえかよ。そんなコンビニ弁当ばっかり食べてたら駄目だろう。ちゃんと綺麗にしてさ、自炊しなよ。コンビニや外食ばかりじゃお金勿体無いし、栄養も偏るぞ。どうせ好きなもんばっかり食べてるんだろ?ちょっとは自分で料理しろ。気分転換にもなるしな。ん?俺?ああ、料理は結構するよ。ま、簡単なもんばっかりだけどね。チャーハンとか。食わせろ?ああ、ん、ま、そのうちな、機会があればな。そんなことより、なんか空気悪くないか?窓開けてくれよ。で、彼女はできたのかい?もうちょっと落ち着いてから?出会いがない?君さぁ、駄目だよそんな考え方じゃ。何時までたっても彼女なんかできるわけないよ。いいんだよ出会いなんて不純で。出会いが不純でもそっから真剣な付き合いをすればいいだけだろ。ちょっと!こんなとこにペットボトル転がってるぞ。だから常にいくつか可燃・不燃のゴミ袋用意しといてさ、別にスーパーのレジ袋でもいいからさ、どっかに吊るしといてゴミが出るたびにマメに分別するんだよ。だからそのまま入れるな。ちゃんとキャップとラベルは別にしとけ。二度手間だろ?で、何の話だっけ?ああ彼女か。だから、もっとバーンと押さなきゃ駄目だろ。ストーカーはいかんぞ!でもある程度積極的にいかないと出会いなんてあるわけないだろ?運命の人を気長に待ってたら来世になるぞ。ちょっと!こんなとこに割り箸転がってるぞ。だから常にいく・・・

と、このように、どうして人間は自分ができないことを人様には偉そうに言えるのでしょう?




そこな若いの、まあ聞きなされ。
昔々・・・
そうじゃのう、あれはまだ暴対法が施行される前だったかのう・・・

銀玉鉄砲という恐ろしく安価な銃器が世の中に大量に出回っておってのう、全国津々浦々で漢たちによるそりゃもう壮絶な銃撃戦が日々繰り広げられたものだったのじゃよ。

もちろんそれはワシの町でも例外ではなくてな、そこここには怒声をあげながら銀玉鉄砲をかまえて走っていく漢たちの姿や、"カチャ"という銀玉を発射する音があふれかえり、善良な市井の人々は恐れおののき家の雨戸をきつく閉め娘を隠し、町は禁酒法時代のシカゴなんて目じゃない無法地帯と化しておったのじゃ。

そんなある日のことじゃった。
「だれがこの町で一番の漢か決めようぜ」と言い出した者がおってのう、そうなるとワシらはもう誰も後にはひけんのじゃよ。こうして町全体をテリトリーに全員でやりあって最後に残ったものが「町一番の漢」となる勝負、バトル・ロワイヤルがはじまってしまったのじゃ。

津川雅彦さん以外、全員ゴミで。20180823。

ワシは戦った。
そう、何人もの親しき友をこの手にかけた。
しかし後悔はしておらん、ワシが手にかけた友も決してワシのことを怨んではおらぬじゃろう。
まあ、この時のワシらの心情は今の人にはとても理解できんかもしれんがのう、やるのもやられるのも紙一重、ワシらは共によく戦ったのじゃ。

幾度かの死闘のあと、気づけば日もすっかり暮れ、残っているのはワシともう一人だけじゃった。
そこでワシらは灯りがある公園に移動し最後の決着をつけることにしたのじゃ。
この決闘に勝利したものが「町一番の漢」、静寂の中にも緊張感で空気も震え、まわりにはまるでそこにおるかのようにワシが手にかけた友らの姿が浮んでおった。
「勝負は一瞬できまる」そう、ワシらにはわかっておったのじゃ。
「この手にかけた友のためにも絶対に負けられない」お互いジリジリと間合いを詰めていったその時「あんた何時まで遊んでんの!」と怒髪天をついて現れた母に耳を引っ張られて家に連れてかれたとさ。

めでたしめでたし。


恋文

おはようございます。がっつり。がっつり。がっつり。つり。寝てました。今日も一日。現か夢かわからん。ステキな一日にしましょう。が。そのまえに。また寝ましょう。いいから寝ましょう。ステキに寝ましょう。夢か現かわからん。ステキな寝にしましょう。いいからしましょう。しなさい。しろ。俺の胸がくるしいから。妙にくるしいから。なんだ。ああ。これは鯉。おや。いただきます。ではなく。恋。そうか俺は寝に恋をしたか。これははやく。はやく。はやく。はやく。はやく。逢いに行かなければ。寝に。逢いに行かなければ。まってる。寝がまってる。俺のことまってる。絶対。まってる。はやく。はやく。はやく。はやく。逢いに行かなければ。行かなきゃ。ラブレターも。まるで昭和50年代なラヴレターも。というか。恋文を。読んだ相手が。したがって寝が。読んだ後に三日三晩うなされるような。念のこもったこいふみを。生涯忘れられないようなこいふみを。書かなければ。書かなければ。いますぐ。書かなければ。そう。書かなければ。月の時間に書かなければ。今宵は十五夜でしたか。違いましたか。その力も借りて。書かなければ。でも。どう書こう。何を書こう。わからないじゃないか。書けないじゃないか。何も書けないじゃないか。書きたいことはたくさんあるのに。何も書けないじゃないか。俺には無理だ。と。いうわけで。ここは呪文にたよりましょう。呪文。Do You BelieveI Believe.たよりましょう。はやくたよりましょう。だって。寝が。寝が俺のこと待ってる。遠い街で。俺のこと待ってる。呪文。Do You Believe?ええ。信じる。俺は信じる。魔法を信じる。月の時間限定かもしれんけど。俺は魔法を信じる。では。みなさんご一緒に。Super Califragilistic Expiari Docious!!そう。夢の扉開けるための言葉。Do You BelieveI Believe.というわけで。寝ましょう。いいから寝ましょう。寝なさい。いいから寝なさい。今お仕事中。時間帯的にまだ寝る時間ではない。という方でなければ寝ましょう。ま。いいから寝ましょう。寝なさい。はい。おい。寝。きいているのかい?君に話しているんだぜ。君だけに話してるんだぜ。だって。ほかは。ノイズじゃないか。結局。ノイズじゃないか。興味が無い。そう。寝にまさるものがこの世のどこにある?ん。あるのかい?君達にはあるのかい?そうか。それは素晴らしい。でも。俺には寝しかないのだよ。他は何もいらないのだよ。興味が無い。昔もない。今もない。今後もない。興味がない。寝。きいているのかい?君に話しているんだぜ。君だけに話してるんだぜ。いや。別にきかなくていいから。とにかく寝ましょう。いいから寝ましょう。寝ろ。そりゃね。こう書いているとね。目もさえてきましたよ。今から缶コーヒー買いにいきますよ。が。健康第一。寝ましょう。


みなさんおやすみなさい

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