ときたまのりたま2011.1.2-2011.3.10 / 福島旅行記 / 浄土平から蓬莱山まで
その後の文章、です。
おおまかには、2011年の正月から東北大震災の前日までの約2カ月半のブログ。
この年の7月後半、一泊二日で福島を旅行し、そして思ったことなどについて、8月2日から18日にかけてツイッターに分載したものをまとめたもの。
この二つで構成されています。
今現在(2014年6月18日)、僕が、僕の意識の上で、本当に普通に生活できていた最終期の文章でもあります。この年の年末、僕は20年ぶりに東京から故郷の長崎県佐世保市に帰り、今にいたっています。
◆はじめに
考えるんです。
有名になればか?
躊躇する5%くらいの理由ですが、僕が表にでるとして「何で?」というか、出るからには、いままでの経緯を話さねばならない。
迷惑がかかる人たちがでるだろう。
これは、もう、どうでもいいです。かかればいいでしょう。
たぶん、主に迷惑がかかる人たちメインだと思いますが、僕を何かキャラクターつけて、だそうと。
考え方はそれぞれでしょうが、これは、断ります。
人の口にチャックをつけるつもりはないんです、何言ってくれてもいい。
ただし、僕の口にもチャックはつけない。
無理やり、騒動を起こす気もないんです。
ただ、公共の福祉に反しない限りにおいて、何かを話す自由を手放すつもりはない。
もちろん、公共の福祉に反しない限りにおいて、これを他人には求めません。
何言ってくれてもいい。
ただ、その責任はもってもらいますけど。
責任をとれ、とはいいません。
ただ、言った結果の責任は、当人にもってもらいます。
正直、僕は、このスタンスを変えるつもりはないんです。
このままいけると、思っています。
ここ一年、僕くらい”経験”をかさねた人間もめずらしいと、思っています。
このスタンスを変えない、ということと、自分を金に換える、ということは、矛盾しないと思っています。
矛盾するわけもない、ただ、走り始めて、スピードつけて、浮力を得て、飛ぶ前に、横道に入って、飛行機としたらこの表現は妙ですけど、遠回りをしているだけで。
それに遠回り事態は、悪くなかった。
金に換わるとは言いません、金に換えるです。意思の問題で。
ここでも公共の福祉に反しない限りにおいて、何かを話す自由を手放すつもりはない。
が、これを金に換えるつもりはないです。現状、換わるとしても。
僕のそこに、情報でしょうか(笑)一番の価値を置いている人も多いと思います。
意思の問題で、換えません。
人に利用、いやな言葉かもしれませんけど、人に利用されるのは嫌でもないです。
ただ、人に利用させる、嫌な言葉かもしれませんけど、人に利用させる、その”人”は、自分で納得した人でないと嫌です。
結果も、もちろんやってみないとわかりませんが、利用された結果も、こうなるだろうという予想で、納得できないと嫌です。
いい大人が言うことではないと思います。
僕は、世界第三位ですかね、経済大国日本の旬なんで、世界でも、わりと上位に入る旬だと思います。
高値がつこうがなんだろうが、人に利用させる、その”人”は、自分で納得した人でないと嫌です。
グダグダ書くと、いいわけじみますね。
ただ、僕には、マニュアルは何もないんです。
誰にもはっきりとは聞けないし、はっきりした答えは返ってこない。
もちろん、算数ではないんで、答えが答えではない。
これはおそらく佐世保に帰ってきて半年後、2012年の5月前後に書いた糸井重里さん宛て(ほぼ日へのメールとして)の文章(の下書き改変)です。
ここに書いてあるのはいい訳ですし、さらにこのあと2年以上の"経験"を積み重ね、この世界というものへの認識はこの時とは随分変化しました。
が、このスタンスを変える気は今(2014年6月18日)でもまったくないです。
内容を、ではなく、意志を。
・・・・・・・・・
『ここ一年、僕くらい”経験”をかさねた人間もめずらしいと、思っています』
では2011年1月2日の「ときたまのりたま」へ。
これ以降は今までと違い、文章は基本的に時系列に並んでいます。
時系列なのは、期間も短く、また基本的に一話完結ではなく続きモノだから組み換えできない、意味がない、というのが大きな理由です。
ただ、これらの文章に関しても、その取捨選択、補完、変更は行なっています。
最初に書いたそのままではありません。
あくまでも”基本的に”です。
そうそう「ときたまのりたま」の約2ヶ月半。
(1月に2週間ほどブランクがあり、実質2ヵ月分くらいの文章です)。
これに関しては、最初にその文章を書いたそれぞれの日付は、はっきりしません。
2011年の1月2日から3月10日にかけて、です。
何度も書いているように、これらはその書いた場所がすでに存在しません。
が、この頃は、書いた文章をブログにアップした後、それを自分のメールボックスに送信するという手段で文章を保存していましたので、それを見れば書いたおおよその時間(日付というより)はわかります。が、現在ネットがない環境で、というよりも、そのメールボックス(gmail)にアクセスするパスワードを忘れてしまい、自分では確認できません(笑)
そして、この2カ月半。
読んでもらえればわかりますが、これ以降は文章の感じもそれまでとは明らかに変化していきます。ま、単純に引用まみれになる、というトコもありますが、あきらかに精神状態がヘビーになっていきます。
ネットでも現実でも、俺のまわりで、目に見えるカタチで、いろいろ起り始めていた時期です。
これも、俺的な、きっかけはおぼえています。
1月後半だったと思います。
もう名前を出してしまっていますが、ブログで知り合った方と、ある殺人事件を題材にした映画の話題になり、その事件の舞台の近所に住んでいたことがある俺が
「犯人を知っている」
と、言った(書いた)ことです。
もちろん、この世界に関して、俺は何もしりませんでした。
※それはさておき(笑)、公共の福祉ってなんでしょうね。
では、また。20180826。